第十二話 偶像(アイドル) その1
「くたばれ糞ババァアアアアアアア!」
怒号が早朝の山に響き渡り、風を切る音と共に拳が暁莉に迫る。拳を振るうのはジャージにジーンズの半鬼の少年、日暮 明である。
「ふむ、速さは申し分無い。粗削りながらも喧嘩慣れしてるだけはあるな」
対するは同じくジャージを着込んだ黒髪の美少女、未明 暁莉。既に小学生の領域を越え、下手をすれば大人ですら葬る明の拳を難なくいなす。
大禍との邂逅から一週間、明はほぼ毎日を暁莉との"鍛練"に費やしていた。
――――今のままではいずれ殺されるか、大禍に取り込まれる。
確かに暁莉は気に入らないが、自分の人生を滅茶苦茶にした元凶である大禍はもっと許せない。
"どんな事をしてでもあのヤロウをぶっ殺す"
その為に暁莉の提案に乗り、こうして柄でもない特訓をしているのだが……
「テメー避けてんじゃねーぞコラ!!」
「態々当たりに行く奴がいるか? 悔しかったら当ててみなさい」
「上等だ糞ババァ! 後悔すんじゃねーぞ!」
罵声を浴びせながらも一気に距離を詰める。
空気の破裂するような音が辺りに響き、同時に暁莉の背後にあった木が文字どおり木っ端微塵に砕け、木片が空を舞う。
そこに暁莉の姿は無い
「……! どこに消えやがったあのバ」
「誰がババァだクソガキ」
ガツン!
「おっご!?」
背後に気配を感じた時には既に遅く、雷のごとき暁莉の拳骨が明の脳天に直撃した。
「~~~~~!?」
余りの痛さに転げ回る。
「女性に対して何度も禁句を言いおって。既に二、三回は脳内で死んでるよ君」
「く、クソッタレ、一発も当たらねー」
まるで空を舞う鳥のように軽々と明の攻撃を避け、襲い掛かる猛禽類のように的確に、最も嫌な所を攻撃してくる。
「君ごときに遅れを取るほど柔な人生は歩いてないさ。一発でもあてたかったら、そうだな……」
まずは、落ち着きなさい
落ち着いて君の本質を引き出すんだ
「ああ? んなこと喧嘩中にできるわけ」
――――そういや、あの時感じた妙な感覚
鬱々として、何もかもどうでもよくなってたあの時の自分はどうだったか?
まるで、スローモーションの様に見えた敵の動き
あれをもう一度やれれば
「……」
「ほう」
鋭く大きな挑むような目は、今までの荒々しさが嘘のように落ち着きを取り戻し、身に纏う空気は烈火から絶氷の如く冷たくなる。
精神の「集中」による感覚の強化
――――自分以外の物の動きが遅く見える。
「それが君の真髄だ。鬼の爪や牙等よりも余程恐ろしい、君だけの特技。静寂の境地に至る超感覚……」
「……行くぜ、暁莉」
言葉少なく、冷たく言い放つ。既に今までの生意気な喧嘩小僧の面影は完全に消え、危険な空気を放つ「半鬼」の本性を現す。
「来なさい、これからが本番だ」
そして始まる、拳打の押収。明と暁莉、お互い敵とも味方とも言えない奇妙な関係は昼まで続いた。
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「ぐ、う、あ」
「うん、前よりは断然いい動きだったよ」
正午を過ぎる頃、地面に大の字になって倒れる明と、汗一つかかず涼しげな顔をする暁莉の姿があった。
半鬼の本質を引き出したにもかかわらず、遂に暁莉に一撃を加える事は叶わなかった。それどころか次々と攻撃を当てられ、或いは先読みされた上でカウンターを食らうなど散々な結果に終わった。
「今日はここまでにしよっか。君、もう限界だし」
「ざ……っけんな……まだ、やれるっつの……」
嘘だ、本当はこのままぶっ倒れたまま気を失いたいくらいキツイ。それでも減らず口を叩けるのは、一重に目の前に悠然と立っている気に入らない女に負けたくないという明の反骨心の賜物である。
「ん、それだけ元気があれば大丈夫か。立てるようになるまで休憩。それ以降は真っ直ぐ家に帰ること。いいね?」
「うる、せぇ。……言われなくてもわかってら」
「ホントに君は可愛いげがないな。もう少し素直になれんのか?」
本当にいちいちうるさい女だ
テメーは俺の母親かっつの
……母親なんざ録でもねぇだろうけど
「それと、いくら休校中でも勉強はしときなさい。わかった?」
「やだよ、めんどくせえ……だったら動いてたほうがまだマシだぜ」
そう、学校は現在休校中である。京都での惨劇が尾を引いてるのだろう、今更ながら休みを出しても使い道と言えばこのような特訓三昧である。
まあ、サボり癖のある明にとっては願ってもない話であるのだが。
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「おかえりなさい明さん、ごはんできてますよ?」
「うん、ありがとばぁちゃん」
家に帰ると、柔らかな声で明を迎える祖母の姿が。
もともと自分の好きなように動く事を良しとしてくれるが、今までは何処か心配そうな顔をしていた。それも最近になってからはめっきり無くなったが。
「だって、未明さんがついててくれるんでしょう? だったら安心して明さんを預けられるわ」
「おい、ばぁちゃん、騙されんなよ。あいつはそんなに高尚な人間じゃねーって」
「あら、ほんとは嬉しいんじゃ無いの? 優しいお姉ちゃんができて」
「そんないいもんじゃねーよ」
優しいお姉ちゃん?
頭に雷みてーな拳骨かます女がそんなもんな筈がねー、世の中の優しいお姉ちゃんに謝れ。
「それより、これ見てよ明さん! さっきね、秋葉原に住んでるお知り合いから分けてもらったのよ!」
そう言いながらあかりはごそごそと買い物袋からあるものを取り出す。
「ん? なにこれ、ジュース?」
取り出したのはジュースの缶だった。ただ、普通と違うのは缶に貼られている写真……
「知らないの? 人気アイドルのネオンちゃん!」
「ネオン? ……あー、あれか、前テレビに出てた」
写真の女子は、最近売れているジュニアアイドルだ。名前は確か……
不夜城 ネオン
「明さんとそう歳も変わらないのに立派よねえ、新曲を出せば即完売、前やった握手会のチケットも一日経たない内に完売……明るく元気でそれでいて何処か気品があって、この前やってたテレビじゃ」
「ああ、うん、わかった。わかったからメシ食わせろって」
女の、特にばぁちゃんの話は、長い。
ぶっちゃけアイドルとか興味ないし、そんなものに夢中になっていられるほど暇でもない。
そんな事してる暇があったら、もっと強くなりたい。
そう、自分にはばぁちゃんにも言えない目的……大禍をぶっ殺すという目的があるのだから。
「もう、つれないわねぇ。まあいいわ、それじゃ飲んでみてよ」
「ん、わかった」
渡された缶のプルタブを開け、中のジュースを口に含む。思えばついさっき死ぬような鍛練を終えたばかりだ、アイドルにはこれっぽっちも興味は無いが、こう、キンキンに冷えたドリンクは非常にありがた――――
――――甘い香りの中に、違和感が
これは、鉄
いや
――――血?
「ブフゥウウウウッ!!」
「きゃ!?」
瞬間、とてつもない吐き気に襲われ、ジュースを吹き出した。気管に入ったためむせてしまい非常に苦しい。
「げほっ! ごっ、な、なんだぁこりゃあ!? クソ不味いってレベルじゃねーぞおい!」
「ま、不味いって……これ、最近出たばっかりだけど大人気なのよ?」
「嘘だろ!? 舌がイカれてんじゃねーのか!? どう考えても人が飲めるモンじゃねーよ!」
「えぇ……? ほんとかしら、どれどれ……」
祖母のあかりもまたプルタブを開け、恐る恐る口に含んだ。すぐに渋い顔をして自分と同じ感想を言うだろう。なんたってあれは、そう
人の生き血のような、気持ち悪さが
「あら、美味しいじゃない? すっきりした甘さがいいわね?」
「……へ?」
甘い? この飲み物失格の失敗ジュースが甘い? 美味しい? そんなバカな、ありえない。こんなもんが旨い訳がない。
……はっ
「ばあちゃん……やっぱりとうとう舌までボケて」
「明さん?」
にこり
いつものように柔らかなアルカイックスマイル
しかしその心は悪鬼も裸足で逃げ出す鬼神のごとき怒りが
「ご、ごめん。冗談だって」
やっぱりこの人には勝てねえ
半鬼だろうが悪鬼だろうが、俺が俺であるかぎりこの人には
家族には頭があがらない
だって、本当に大切な人だから
たった一人の、本当の大切な家族だから……
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「簡単なもんよね、みんな、みーんな私のイチオシってだけで狂ったように買い求めるんだから」
「それが君の魅力、そして力なのさ、アイドルという絶対的存在にすがる信徒たち……君は一つの世界の神、少なくともファンにとっては」
「神様ねえ? 私、どう考えてもそれとは逆な感じがするんだけど」
薄暗い楽屋に一人の少女と男がいる
少女は緩いウェーブをかけた金色の髪を弄りながら、男に視線をやる。
幼いながらも妖艶なその仕草に、その手の男なら思わず襲い掛かりそうになるほどである。
最も、そんな事をすれば「喰われる」のは襲った方になるが
「ねえ、ホントにあれをばらまくだけでいいの? 上手くいくかなあ」
「君の力は紛れもなく本物さ、なんたって私の眷属だからね。……それにもう大半は売れた」
「後はスイッチを押すだけってか……うん、簡単簡単」
「ただし、明王衆には気をつけて。彼らは相当に執念深い」
男は軽薄な態度をとる少女に釘を刺す。……まるで、少女がこれから行うことがしくじるとでも言いたげに
「……なにそれ、心配しなくても大丈夫よ? 私はスイッチを押すだけだから」
それに
「例えバレても、人間を殺せないあまあまな人達なんでしょ?」
にこりと、花のような笑顔を浮かべる少女
思わず見とれてしまうほどに愛らしい顔
――――その口元からは、獲物を噛み砕く鋭い犬歯が……
「ま、見ててよ大禍さん。きっと、スッゴク楽しくなるよ」
不夜城ネオンと呼ばれる人気アイドル
その本性は、人に仇なす悪鬼の眷属……