第十一話 大禍(オオマガ)"後編"
体は焔のように熱いと言うのに
なぜか頭は冷え切っていた
不思議な感覚だった
腸が煮えくり返るほど怒っている筈なのに
呼吸は静かに、変わらず、落ち着いている
「ふむ、先程と違い冷静だね。いや、どうやらそっちが本領らしいな」
「……」
目の前の男の挙動がやけにゆっくりに見える
手足の痛みが治まり、視界がクリアになる
そう、今まさに、自分は目前の「敵」に集中していた
「素晴らしい。その性能、もっと測りたくなった」
男の目が妖しく輝く。その視線の先は痛みにうずくまる佐久間に向けられ――――
「グ!? ゴオォ!?!?」
佐久間が急に苦しみだす。胸を掻き毟り、泡を吹きながら地面をのた打ち回る。その光景を明はまるで興味の失せた瞳で見下す。
「グガガ!? ガ!? ガギャアアアアアアアア!!!」
やがて、咆哮と共に立ち上がった佐久間の姿は、以前のそれとは大きくかけ離れていた。
より強大に、強靭になった筋肉は膨張し、赤黒い血管が全身に浮き出て、見る者の嫌悪感を煽る。
顎が裂けんばかりに増えた包丁の如き牙
そして、骨格ごと二周りほど大きく変化した巨体。
「ここまでが限界か。まあ、雑兵にしてはよく出来たと言った所か」
「――――さあ、見せてくれ。君の力を」
パチンと指を鳴らす。それが合図だった。
「ギャガアアアアアアアアアアアア!!!」
おぞましい雄たけびと共に狂い襲う。完全に精神が破壊され、ただ目の前の物体を壊しつくす「獣」に成り下がった佐久間の体躯が迫る。
しかし
(――――まただ)
(また、この感覚)
遅い
不良たちを一蹴した時の感覚と同じ。まるでスローモーションのように動きが「遅く見える」
先程の佐久間との戦闘ではこうはならなかったというのに、何故、今はこう見えるのか?
(関係ない)
そう、関係ない。どんなチカラであろうと、使えるなら使い切るまで。あの男を殺せるなら、どんなチカラでも構わない。
――――体を、僅かに横にずらす
それだけで、佐久間の拳は空を切る
――――右手に力を込める
爪がナイフのように鋭くなる
――――狙うは一箇所
伸びきった右腕の関節目掛けて
――――無造作に、右手を振るった
肉と骨を絶つ音
切断音が聞こえ、くるくると「長い物体」が宙を舞う。やがてソレは勢いをなくし、地面に転がり落ちた。
ソレは、佐久間の右腕だったモノ
「ギャアアアアアアアア!!!」
何度目かの絶叫。失った右腕を押さえ、地面を転がりまわる。
明はその頭上まで静かに近付き――――
「うるさい」
――――顔を踏み砕いた
「ぎゅぶっ!?」
豚を屠殺したかのような断末魔
頭蓋が破壊され、脳漿が飛び散り、地面に流れる。
非情なるとどめの一撃が、佐久間の生命活動を完全に絶った。
「流石だ。その力、知性、冷酷さ、申し分ない。例えるならダイヤの原石だね」
パチパチと手を叩きながら、明を祝福する白髪の男。喜悦の表情を浮かべ佇むその姿は人を堕落させる悪魔のようにも見えた。
「次はテメェがこうなる」
「怒りが極限にまで高まった結果、逆に冷静さを取り戻した、か。典型的な"静"の者だな」
「何ワケのわからねえ事を言ってやがる」
静かな問答が続く。日は落ち始め、夕月が顔を出し始める。
「沈静状態による"集中"か。なかなか良いスキルを持ってるじゃないか」
「――――もう、いい」
これ以上の問答は不要
――――切り刻む
両手に展開された爪が、目の前の男を切り裂かんとし――――
刹那、右の視界に衝撃が走る
「ッツ!!?」
首が取れるのではないか
それほどまでの衝撃が明を襲う。遅れてやってきた激痛が脳内に警鐘を鳴らす。
何をされたか、分からない
「甘いよ、君」
隣に男。いつの間に
「言っておくが、君自身のスピードが上昇したわけではない。その程度の動きでは私は捉えられない」
つつ、と、男の指が明の左頬をなぞる。暁莉によってつけられた傷が開き、鮮血が溢れ出す。
――――勝てない
本能が語る。自分ではどう引っ繰り返っても絶対に勝てない
格が違う
実力云々の差ではない。純粋に、生物としての差
蟻が象に挑むような感覚
「私は鬼である君の父親のような存在だ。悪いようにはしないし、危害を加えるつもりもない。どうかおとなしく私について――――」
「そこまでにしておけ、大禍」
――――金色の焔が、男のいた場所を吹き飛ばす。
「!!」
明は焔の出た場所を思わず見る
そこにいたのは、夕焼けに照らされた漆黒の髪の少女
腕を組み、不機嫌そうな顔をした
未明 暁莉の姿
「お前」
「迎えに行っても学校にいないから、どこで遊んでいるかと思えば、随分と厄介な奴にからまれているな?」
どこまでも冷たい瞳と声。その瞳は明ではなく、吹き飛ばされた男の方向を見ている。
「――――厄介な奴とは、ご挨拶ですね。迦楼羅姫」
大禍と呼ばれた男が吹き飛ばされた方向から歩いてくる。全身を僅かに焦がしてはいるが、全く堪えた様子はない。
「貴様のような男がその子に何の用だ? 大禍」
「おや、知ってて尋ねるのですか? 迦楼羅姫」
「気安くその名で呼ぶな。・・・不愉快だ」
片や金色の焔を纏う暁莉。対するは大禍と呼ばれた謎の男。
立っているだけなのに分かる。自分と眼前の二人との、圧倒的戦力差が。
(俺は、こんな奴らの片方に挑んだのか)
馬鹿にも程がある
無謀にも程がある
頭が冷えたと思って、その実全く冷静などではなかった。そんな事を今更理解するなんて、本当にどうしようもない大馬鹿だ。
「貴方が出てきたとあっては、ここまでのようですね、残念ですが今日は退かせて貰います。」
「貴様、逃げられると思っているのか?」
暁莉の手に焔が灯る
「その子を庇いながら、戦えますか?」
「……」
一触即発の空気が流れる。明は自分の体が芯から震えていることを理解した。気を抜けば気絶する。その確信があった。
「日暮くん」
大禍が明に呼びかける。虚を突かれた明はビクリと体を動かす。
「君は私たちの所に来たほうが良い。脆弱な人間たちの世界に君の居場所は無い。薄々気付いているのだろう?」
「・・・」
明の答えは沈黙だった。大禍の言う事を否定できない。
今日の殺し合いで改めて理解した。戦っているときの自分はどこまでも化け物なのだと。
そんな自分が、奴の言う人間の世界でまともに暮らしていける筈が――――
「明、奴の言う事に耳を傾けるな」
横合いから暁莉が呼びかける
「奴の言う通り、君は普通の社会で生きていくには困難な存在になった。だが、だからと言って安易な影の道に入れば、二度と戻ることは出来ない。血と肉の臭いに塗れれば本物の鬼に成り下がるだけだ」
「成り下がる、とは失礼ですね。訂正してください」
「貴様は黙っていろ。・・・それに、あかりさんを残して行く訳にもいかないだろ?」
あかり
ばあちゃん
明の脳裏に朗らかな顔の祖母の姿が浮かぶ
「――――俺は」
そうだ、俺にはまだ、居場所がある。あのおっとりとした、やさしい祖母を一人置いて逃げる訳には――――
「……」
一瞬でも迷った自分が情けない。いつもそうだ、近くに大切なモノがあるというのに、それに気付かない。手を伸ばせば届く光に気付かない。
馬鹿だ、俺は
「・・・ありがとよ、暁莉」
「君・・・」
初めて、目の前の少女の名前を呼んだ。
これは感謝の気持ち。自分の迷いを晴らした少女に対する、純粋な気持ち。
「俺、忘れるところだった」
左頬の血を拭い、大禍を睨み付ける。
「失せろ、テメーに用はねぇ」
はっきりと、大禍を拒絶する。瞳に宿るのは強靭な意志
――――人間としての意思
「――――ハァ、どうやら勧誘は失敗のようですね」
頭を抑えながら溜息を吐く。心底残念といった顔をしている。だが、なんと言われようと奴の所に行くつもりなど毛頭無かった。
「まぁ、いずれ気も変わるでしょう。さようなら、日暮くん」
――――また会える日を楽しみにしているよ
大禍の姿が路地裏の影に溶けるように消え去る。完全に気配が消えたのが明にも理解できた。どうやら本当に逃げたらしい。
「フン、あのエセ紳士め、何が気も変わるだ」
腕を組んだ暁莉が逃げた大禍に対し吐き捨てる。こんなに不機嫌な顔は見たことが無い。
「暁莉、おまえ・・・」
「大丈夫か? 明。どこか痛い所でもあるか?」
「あ・・・」
暁莉の顔が目前まで近付く。眉を八の字にし、本当に心配そうな表情。
整った顔立ち、切れ長の意思の強そうな瞳、切り裂くような美しさの中に、何処か儚げなモノを感じる。
――――いつのまにか見とれていた
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「――――ッ!? な、なんでもねぇよ!」
恥ずかしさが頂点に達し、思わず突き飛ばそうとする。
が、あっさりとその両腕は掴まれる。
「は、離せよ!」
全力を込めるが、ビクリともしない。半鬼の身である自分の力を簡単に押さえ込む暁莉に改めて驚嘆の気持ちを抱く。
「君は本当に礼儀知らずだな。命の恩人に対してそれは無いだろう」
「ぐ・・・」
確かにその通りだった。あのまま大禍に抵抗していたら、自分は確実に敗れ、連れ去られていたに違いない。
「・・・分かったよ、俺が悪かった。――――ありがとう」
「うん、それでよろしい!」
「・・・!」
まるで太陽のような、笑顔
再び自分の顔が熱くなる。思えば、こんなに長く異性と話をした事など無かった。
それが息を呑む美少女なら尚更だ。
「む、また顔が赤くなったぞ。風邪か?」
「~~~~だからっ! いちいちうるせーんだよお前!」
不毛なやり取りは暫く続いた
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路地裏での殺し合いを切り抜けた後、明たちは近場の自然公園に移動していた。時間はすでに七時を周り、暗くなった公園には誰もいない。
「傷は治ったみたいだな。その回復力には驚かされる」
「・・・あんたに比べりゃ大したこと無い」
そんな事より、聞きたいことがある。先程の恐るべき威圧を放っていた男、大禍という男について。
「あいつは、あの大禍ってのは、いったい」
「アレは、理性ある悪鬼。"二本角"だ」
「ニホンヅノ・・・?」
またしても聞きなれない言葉
「通常、鬼はその殆どが最下級の"一本角"だ。君もその内の一人だが、その実力は"親"にあたる二本角に左右される」
「親って、まさか」
「もちろん、あの男・・・。大禍のことだ。奴が変えた人間から派生して君は半鬼になった。君の力の大元は奴にある」
「俺があの野郎の手の内だってのかよ!」
暁莉の言葉に明は激昂する。自分を壊した張本人が、尚もまだ自分を縛り続けている。その事実が許せない。我慢ならない。
「まぁ落ち着け。大元は確かに奴だが、君はもう奴の影響は受けていない、完全に独立した存在だ。――――そうでなかったら、とっくに人として終わっている」
「・・・」
確かに、暁莉の言うとおりだと思う。奴の手の内なら、今頃自分は身も心も怪物に成り果てていただろう。
「奴が君に執着する理由は唯一つ。君が、二本角になる可能性を秘めた半鬼だからだ」
「俺が、二本角に?」
「奴は仲間を集めている。一本角とは比べ物にならない、より優秀で知性ある二本角をな」
「なんで、そんな事を」
「理由は諸説あるが・・・。手駒を増やし、自分の保身に走るのが理由だとされる。全く、小賢しい奴だよ」
――――そんな、そんな下らない理由で、俺は
――――先生は
「ふざけんな……!」
血が出る程拳を握り締める。怒りと悔しさで涙が出てきた。
じわりと視界がぼやけ、体が震える
「・・・話を戻すが、君が二本角に覚醒することを奴は望んでいる。これから、ますます君は狙われるだろうな」
今日のような事がまた起こるのか。あの、血みどろの殺し合いが、また
「――――だから、最低限自分の身を守れる強さが欲しいと思わないか?」
「へ?」
思わぬ言葉に目を丸くする。きっと、今の自分は大層なマヌケ面を晒しているだろう。
「私が、君を強くしてやるよ」
――――そう、この日、俺の進む道は決まったのだ
――――血に染まった暗い影の道ではなく
――――陽の光の当たる、まっすぐな道を