第十話 大禍(オオマガ) "前編"
「掘り出し物」とは、あの少年です
ふーん? もう一人とは別で、中途半端ね。半鬼が役に立つの?
普通ならば一本角以下ですが、なかなかどうして、あの少年、結構やりますよ
だから「掘り出し物」か。いいわ、私の兵を一人貸してあげる
――――有難うございます。ご期待に添える様「結果」を出して御覧にいれましょう
――――結果、ね。
結果を出す前に、あの子、死んじゃうかもね
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「佐久間だったモノ」の剛腕が明に襲い掛かる。京都での一件で散々食らったその一撃をなんとか避け、バックステップでひとまず距離を置く。
(――鬼だって!? なんだってこの町に!? 暫くは現れないって言ったじゃねぇか!)
――――あの女、適当な事言いやがって!
心中で暁莉に対して毒づく。人間の「鬼化」には時間を要すると聞かされただけに、この急な襲撃は面を食らった。
「ヒグラジィイィイイ!!」
最早完全な鬼と化した佐久間が、おぞましい雄叫びと共に突進する。軽自動車もかくやと言わんばかりの体当たりが、明のいる場所に炸裂し、破砕音と共に壁に激突する。
――――しかし、そこに明の姿はいない
「こっちだデカブツ!!」
頭上から声が聞こえ、思わず顔を上げる。
――――瞬間、その顔面に両足が直撃する
突進を跳躍で回避してからの、両足蹴り。
バランスを大きく崩した佐久間はそのまま尻餅をつく。
「――ッラァア!」
そこに明は勝機と見て飛び掛る。
「くたばれこのヤロー!!」
容赦なしの右ストレートが佐久間の顔面にぶち当たる。明、尚も止まらない。
腹、胸、顔面。拳の嵐が佐久間を襲う。完全にマウントを取った明は鬼気迫る表情で攻撃を続ける。
――――その感情を支配しているのは、「怒り」
自分の人生を狂わせた鬼に対する、圧倒的な憎悪。既に最初の驚愕は何処へと吹き飛び、ただ目前の鬼を打ち砕く鬼と化していた。
だが、その猛攻は突然終わりを告げることになる
「グォオオオオオ!!」
咆哮が鳴り響き、連打を続ける明の右腕が「掴まれた」
「――――なっ・・・!」
次の言葉は紡がれなかった。勢い良く上半身を持ち上げられ、明の身体を暴風の如く振り回し、コンクリートの壁に叩きつける。
「ガフッ・・・!」
一瞬、呼吸が止まった。
背中から叩きつけられた衝撃で体中がバラバラになりそうになる。常人ならば即死確定の攻撃に耐えられたのは、半鬼としての明の身体性能のおかげであったが、不幸にも頑丈な身体のせいで地獄の激痛を味わう事になる。
――――そして、明の腕はまだ掴まれている
「オォオオオオオオオオ!!!」
一回
二回
三回
タオルを振り回すかのように、明を壁に叩く、叩く、叩く。
肉がつぶれる音、骨の砕ける音が周囲に響く。そのまま放り投げられ、ズタズタのボロ雑巾と化した明はフェンスに激突する。
「……ぁ」
倒れ伏す明の姿は凄惨を極めた。
とっくに破けたジャージの中は、痣と傷にまみれた身体。
右腕は奇妙な方向に捻じ曲がっており、肩口から千切れかけていた。
そんな満身創痍となりながらも、明はまだ死なない。
――――死ねない
「――――ぅ、あ」
フェンスにもたれながらよろよろと身体を起こす。まだ、正常な思考に身体が付いて来れるのが有り難かった。
「グ・・・がはっ」
血の塊が地面を汚す。骨が折れて何処かに刺さったのかも知れない。
そんな事を考えながら、眼前の鬼を見る。
――――ゆっくりと、こちらに近づいてくる
明の攻撃などまるで無かったかのようだ。
(違う・・・)
この前殺した鬼とは明らかに違う。力も、速さも、頑丈さも、何もかもがそれらを上回る。
――――これが、鬼
人外の化け物
「ジィィイィイネェエエエエエエエエ!!!」
再度の突進。今度は確実に身体を粉砕するであろう一撃が明に迫る。
――――避けられない「死」
死ぬ
殺される
明の思考を「死」が支配する
拳が迫る
アレを喰らったら自分の頭蓋骨など粉々だろう
――――死ぬのか、俺は、せっかく生き延びたのに、こんな薄暗い路地裏なんかで殺されるのか。
――――先生が、命懸けで助けてくれたのに?
――――こんなに簡単に、呆気なく殺されるのか?
ふざけんじゃねえ!!!
自分の死は確実だろう。それでも明は佐久間から視線を逸らさない。先生が身を盾にして救ったこの命、そう簡単に諦める訳にはいかなかった。
自分は、この救われた命でまだ何もしていない。
まだ何も始まっていない。
ここで死ねば、先生の行為そのものが無駄になってしまう。
――――そう、だから――――
「こんな所で、くたばってたまるかよ!!!」
ズルリ、とフェンスごしの背中が下にスライドする形で滑る
砕けるように腰を落とし、丁度座り込むように尻を着く
――――明の顔があった場所を、拳が通り抜ける
フェンスが破砕音と共に砕け、千切れた金網が佐久間の右腕に食い込む
――――瞬間、佐久間の顎の下に衝撃が走った
「ゴブッ!!?」
「――――ッツ!!!」
直立した明の頭頂部が、正確に佐久間の顎に突き刺さる。ゴキリと、顎骨の砕ける音が聞こえた。
「!?!?!? ッォオオオオオオ!?」
佐久間は顎を押さえながら地面をのた打ち回る。余程の激痛だったのだろう。耳障りな悲鳴を挙げている。
「どうだクソッタレが・・・」
ゆらり、と、目の前に明が立ち塞がる。頭頂部を裂傷したのか、ドクドクと鮮血が顔を赤く染める。
「――――パンチが効かねぇなら・・・」
ぐい、と佐久間の髪を掴む。折れ曲がっている腕の痛みをこらえ、指の先端に力を入れる。
――――右手の爪が、鋭利な刃物のように変化する
「――――ふんっ!!!」
そのまま変化した右手を横に振るう。佐久間の顔面を通り抜けた右手は何かを「えぐる」ような音を立て――――
「ッッッギャァアアアアアア!!!」
絶叫を挙げる佐久間。その双眸はむごたらしく「裂かれて」いた。
「"目"は人間と変わらねぇみたいだな」
両目から血を噴出し、尚も絶叫を挙げる佐久間を見下ろす。
その目は静かに、しかし激しく燃えていた
「イヤ、素晴らしい。まさかここまで食い下がるとは」
「――――!?」
横から掛けられた声に驚愕し、思わず飛びのく。薄暗い路地裏から何かが近付いて来る。
「誰だ!?」
身体に走る痛みも忘れて、近付いてくる「何か」に対し声を叩きつける。良くわからないが、とてつもなく「嫌な空気」を感じた。
全身に冷や汗が出ているのが分かる。
――――なのに、どこか懐かしい感じがする
「はじめまして、日暮 明くん」
現れたのは、二十代後半と思われる長身の男
冬でもないのに黒いコートを着込み、長い白髪が異彩を放つ
表情は柔らかい笑顔を浮かべているが、真っ赤な瞳の色が人間ではない事を示唆している。
何より――――
(血の、臭い。それも沢山の・・・!)
一体どれ程浴びてきたのか。想像も出来ないほどの、濃密な血の臭い。
先程相手にした奴とは、文字通り「次元が違う」
震えが止まらない。
体がピクリとも動かない……!
「そんなに怯えることは無い。私は君を迎えに来たのだから」
男はどこまでも柔らかい口調で、やさしく明に話し掛ける。気を抜くと安心してしまいそうなほど、やさしい声だった。
「なに、が」
「言葉通りの意味さ。君を私たちの仲間として迎えに来た。同胞として歓迎するよ」
同胞、仲間。
何を言ってるのだろうかこの男は
「君は素晴らしい素質を持っている。ああ、何故あの時気がつかなかったのか? それ程の素質、正に"掘り出し物"だよ君は」
「あの時・・・?」
「うん? ああ、君が目覚めたあの日のことさ。私も慎重に吟味したつもりだったのだが、あそこまで早く手を打たれるとは思っても見なくてね。回収もままならなかった」
――――目覚めた、とは、まさか
「お前、まさか、あの時」
「そうだ、――――私が、京都を地獄に変えた」
――――その言葉を聴いた途端、自分の瞳孔が大きく開かれたと嫌でも理解した。
いつの間にか、千切れかけた右腕が「再生」していた。
身体の震えは止まり、心臓の鼓動も落ち着いた。ただし、その心中は――――
「君も理解している筈だ。種を蒔いた私に対する、親に抱くような懐かしい感覚を」
目の前のナニカがほザいテいル
「君は選ばれた。私たちと共に永遠を生きる資格を手に入れた」
うルさイ、ダマレ、クチをひラクナ
「さあ、私の手を――――」
「――――そうか」
「――――うん?」
「わざわざ、そっちから出向いてくれたって訳か」
――――コイツガ、コイツガオレヲ
「探す手間が省けた・・・」
――――センセイヲ
「ふむ、私を探して、どうするつもりだったのかな?」
――――コワシタ
「殺す」
静かに、はっきりと
憎悪と怒りをこめて言い放つ
半目の瞳が、男を突き刺すように輝く
炎の消えた、氷の瞳
この時、明の心は完全に怒りに支配された