第一話 日暮 明(ヒグラシ アキラ)
「何か言えってんだよ!」
人通りの少ない路地裏に聞き苦しい濁声が響き渡る。
如何にも不良然とした学生服の少年が目前の少年の胸ぐらを掴み上げた。周囲にはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた取り巻きたちがその光景を眺めている。
「………」
胸ぐらを掴まれた少年は、自分が所謂「カツアゲ」に遭遇しているにもかかわらずひどく落ち着いていた。
年の頃は十代前半だろうか、短く切り揃えられた黒髪に少年らしい大きな瞳、周囲の不良たちに比べても頭一つ低い身長から小学校高学年程度と思われる。
ただひとつ異質だったのはその視線、まるで突き刺し殺すような……
俗に言う「ガンを飛ばし」ていた。
「クソ生意気なガキだ!さっきからダンマリ決め込みやがって!」
「なあもう分かってんだろ?おとなしく出すもん出せばいいんだよ、痛い目には逢いたくねえだろ」
「最近じゃ小学生も金持ってるからなあ、出せば逃がしてやるよ」
如何にも不良のテンプレートといった台詞を言いながらも周囲の不良たちに少年を"逃がす"つもりなど毛頭なかった。
最近は彼等で言う"獲物"が少ない。その理由も日頃の鬱憤をこうした恐喝や暴行で晴らして来たせいですっかりこの時間帯に狩りやすい弱者が通らなくなっていたからだ。
真っ当な小学生なら今頃勉学に励んでいる時間である、そのような時間帯にフラフラとしていれば「狩って下さい」と言っているようなものであった。
「……カネはねえよ、他を当たりな」
「ああ?」
「テメー今なんつった?」
ぶっきらぼうどころではない、まるで呆れを含めたかのような気だるい声で言い放つ少年の瞳は依然として鋭く大きい。
その憮然とした態度に遂に胸ぐらを掴んでいた不良が、その沸点の低い頭に血を昇らせる。
「このガキ!」
大振りの一撃が顔を打ち抜く。
勢いのままに吹っ飛んだ少年はそのまま壁に背中から激突する。
「…っ!」
「おい、あんまいじめんなよ?後がメンドーだからな」
「別にいいんじゃね?こんなところ今の時間じゃ誰も来ねーって」
「適当にボコッてさっさとゲーセン行こうぜ」
まるで殴ったことなどどうでもいいとばかりの態度。
自分達は狩る側の人間であり、目をつけたものは狩られて当然の弱者だと言う傲慢さが滲み出ていた。
今までもそうであり、これからも変わらない、腐った行為。
それも、今日この日全て否定される訳だが
「……やりやがったな、テメーら」
「は?」
「何?なんか文句あるって………!?」
言いかけたところで思わず身震いがした。
少年の纏っていた雰囲気がガラリと変わったのだ。
今までの物静かな態度は何処へ行ったか、まるで餓えた獣のような、おぞましい殺気。
「ブン殴った以上は容赦しねー……」
「全員ぶっ殺す」
言い放つと同時に手近にいた不良に飛びかかる。
まるで小型の猛禽類のような俊敏さで一気に距離を詰め、その外見同様中身も薄っぺらそうな顔面に右の一撃を喰らわせる。
「ゲエエッ!」
潰れた蛙のような悲鳴をあげながら不良がもんどりうつ。そのままマウントをとり、最初に殴られ壁に叩きつけられたときに掴んでいたコンクリートの欠片。
それを拳に握りしめ、顔面に無慈悲なる一撃をぶちかました。
「があっ!」
「まず一匹」
「佐久間ァ!てめえクソガキ!」
恐喝を行う不良連中にも仲間意識はあるらしい。
或いは簡単に狩れる筈だった獲物の予想外の抵抗に、自分達の持つ細やかなプライドが刺激されたのかも知れない。
いずれにせよこの不良たちは今日、この瞬間、狩るべき相手を見誤り、その身体に無駄な傷をつけることになる。
「慌てんじゃねーよ」
バキボキと拳を鳴らして目前の敵を睨みつける。
とても小学生とは思えない、殺気立った炎のような瞳。
思わず周囲の不良も後ずさる。
――――なんだこいつは、一体なんなんだ
「すぐにテメーらも片付けてやる。………ゴミ掃除の始まりだ」
人通りの少ない路地裏に、聞き苦しい悲鳴が響き渡った。
「日暮!日暮ィ!………また欠席かあいつは!あの跳ねっ返りが!」
「センセー、日暮くんは休み時間に校庭から出てくの見かけたそーです」
小学校教諭である井上は今日もそのよく聞こえる大声で万年サボりの問題児の名前を叫んでいた。
時刻はすでに午後2時、五時限目の開始時刻である。
「ならどうして止めなかった?校則違反をみすみす見逃すんじゃあない!」
「誰だって止めたがりませんよー。日暮くん滅茶苦茶おっかないし」
「ケンカがマジ強くて中学生だって敵わねーって噂」
「~~~~~っアイツは!どうしてああも問題ばかり!」
日暮 明
桐山市立千台小学校に通う小学六年生。
性格は基本的に無口でぶっきらぼう、但し非常に短気で喧嘩っ早く負けず嫌い。
自分から喧嘩を「売る」事は少ないが、「買う」事にかけては右に出る者なし。
千台小学校創立以来史上最悪の問題児と謳われる超不良小学生である。
「来週は修学旅行!班決めもまだ決まっとらんというのにアイツは!」
額に手をやり怒気を膨らませる、この強面だがお人好しの担任に戦々恐々しつつも、大半の生徒たちは共通した思いを抱いていた。
――放って置けばいいのに――
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「ごー、ろく、ケッ、湿気てやがんな」
完膚なきまでに叩きのめした不良たちを尻目に、少年―――「日暮 明」は、巻き上げた財布の中身を絶賛物色中であった。
足下には砕け散ったスマートフォンが幾つも転がっている、通信機器は不良というグループにとって必須アイテムであるため、後顧の憂いを断つとは言え慣れたものであった。
「にしても、ここまで遠くに来ると俺の事知らねーボケどもがいるもんだな。……最近大人しくしすぎたか」
最近はめっきり絡んでくる相手もいなくなり、明自身も暇をもて余していた。
そのため普段あまり来ない遠くの町まで赴き、如何にもな場所をほっつき歩いてたら者の見事に「釣れた」というわけだ。
どうせ学校に行っても周りは恐れるような視線を送り、教師たちは自分をクズ扱いして人間として見ていない。
……一部例外もいるが、そんな息苦しい所に何時までもいるほど気が長いほうではないし、大半は自業自得なので仕方がないといった気も多分にあった。
「来週は修学旅行、か。どーせ俺と班作るやつなんているわけねーし、行く意味ねーじゃん」
大阪、京都の二泊三日、本来ならば両手を挙げて大歓迎が所謂ふつうの小学生なのだろうが、自分を班に組んだ時点でそんな空気は一発で吹っ飛ぶ自信がある。
大人しく家に引っ込むか、今みたいに街をぶらついた方が周りのためにはいいと思う。
「ばあちゃん一人にすんのも心配だしな……」
一抹の寂しさを含めた、柔らかい口調であった。
とても先程不良たちを相手に凶悪犯真っ青の残虐ファイトをした者と同一人物とは思えない。
「……帰るか」
ランドセルを背負い直し歩き始める。
路地裏を後にするその背中はどこかもの悲しげで、春の陽気に似合わない寒々しさを纏っていた。
「ぐ、う、くっそ!あのガキャアアアアアアアア!!」
夕陽も沈み始めた頃、明をカツアゲしようとした不良の1人、佐久間が痛む顔面に手をやりつつ、自分に恥をかかせた小学生に対し憎悪を募らせていた。
小学生、そう、小学生に自分は遅れをとったあげくにボコボコにされ、あまつさえ財布の中身を抜かれ、スマホを粉砕されたのだ。
問題はその後だ。
あれから仲間たちは最初にあの小学生に目をつけた自分に全ての責任を押し付けたのだ。
お陰で自分はほぼ全員の負担を担う羽目になった。
それもこれも全て――――
「あのクソガキのせいだ!!クソが!!」
ガシャリと勢いよくをフェンスを蹴り上げるが、思った以上に硬く、鈍い痛みが足を伝わる。
「ぐ……!ち、畜生が!」
大半が自業自得にも関わらず、不良特有の自己中心的な思考が佐久間を奮い立たせていた。
次こそあったら負けるはずがない、そう思いながら帰路につこうとしたところで――――――
目の前に、いつの間にかいたのか
目を見張るばかりに真っ白な少女が立っていた
「うおっ!?」
ビクリと体を震わせながら思わず立ち止まった。
おかしい、いくら夕暮れ時の薄暗さでも、目の前には多少の注意を払っていたはずである。
にもかかわらず、まるでその少女は突如として目の前に「浮き出た」
そう、まるで空中や地面から何の前触れもなく現れたのである。
「…………」
「な、な、なんだお前!ぼさっとつっ立ってんじゃねぇ!」
それでも虚勢を張れるだけの気力は残っていたらしい。
しかしその胸中は、得体の知れないモノに対する恐れで押し潰されそうであった。
少女は本当に真っ白だった。
雪のような白い肌は当然として、髪も、ワンピースのような服も、全て白一色。
そして十人に聞けば十人ともそうだと答えるであろう、不安を掻き立てる程に整った容貌。
全てが人間離れしていた。
「ねぇ、知ってる?」
おもむろに少女が口を開く
「あ…?」
「夕暮れ時は、逢魔ヶ時とも言うんだって」
「い、いきなり何言って
――――油断してたら、「鬼」に拐われちゃうよ?
夕陽も沈み、月光が辺りを照らし始めた頃。
悪態をついてた佐久間も、雪のように白い少女もその姿を消していた。
まるでなにも無かったかのように