闇夜に踊る白黒の衣装
「おや、ギムレイではないか。珍しいな。ちょうど宴を催していたところじゃ。お主も参加するがよい」
グライド族の長老が立てた朗らかな声。振り向いたパーミラはギムレイと目が合い、微笑んで会釈した。
ギムレイは視線を長老に戻し、後頭部を掻く仕草と共に巨体を縮こませて言う。
「とんでもないです、ご長老。おいらみたいなのが厚かましくグライド族の縄張りにお邪魔しただけでもご迷惑でしょうに」
彼の流暢な敬語を耳にしたパーミラは、瞳に感心の色を覗かせながら二人に近寄った。
彼女に気付いた長老は、穏やかに笑って告げる。
「意外かね、パーミラ」
宴が進む間に、長老のパーミラに対する口調はとてもフランク、というよりフレンドリーなものになっていた。
「彼の普段の話し方は、こう、語尾を伸ばす感じじゃろ。あれはね、相手を少しでも怖がらせないようにと気を遣ってのものなのじゃ。優しいじゃろ、ギムレイは」
「ええ、会ったばかりですけれど、なんとなくわかります」
老人と少女に褒められて、ギムレイは居心地悪そうに身じろぎした。どうやら、あまり褒められ慣れていないようだ。
「すみません。おいら、すぐおいとましますので。その前に少しだけ、カールと話をしたくて」
「それがな、所用でサーマツ城へ行ったきり、まだ帰っておらぬのじゃ。そう時間のかかる用事ではない。夜が更ける前には戻るじゃろう。待つついでにほれ、宴に参加せい」
さらに身を縮こませるギムレイの様子が微笑ましくて、パーミラは声を立てて笑った。
しかし、彼女はすぐに笑うのをやめた。
遠雷にも似た微かな音がサルーサ山に届いたのだ。
「こ、これは! ワイバーンの雄叫びじゃ。サーマツ王国に現れおったな」
「カール!」
弾かれたように駆け出すギムレイ。その背を追うように、パーミラも走ってゆく。
「あ、これ! むう、仕方ない」
制止が間に合わなかった長老は、宴の後片付けを始めていたグライド族の青年たちに命令を下す。
「お前たち、カールを連れ戻してこい。パーミラに万一のことがあってはならぬ。守ってさしあげろ」
「はい!」
数人の若者たちが青い目を輝かせ、宙に身体を浮かせた。次の瞬間、夕闇迫るサーマツ王国へと飛び降りてゆく。
* * * * *
暗闇の中、哄笑が響き渡る。声は男のものだが、時折裏返っては咳き込み、それでも笑い続ける。
泥酔しているのかもしれない。そうでないのなら……。もし聞いている者がいれば一〇人が一〇人とも精神の健康を疑うに違いない、耳障りな笑い方である。
しばらくしてようやく笑いの衝動が治まったらしく、沈黙が訪れた。
「ふっ。くっくっくっ」
まだ笑い足りなかったのか、低い含み笑いを漏らす。闇夜に白い縞模様が現れ、右へ左へとゆらゆら揺れる。
笑い声の主が踊り出したのだ。小柄な男である。
「人を笑わせて端金をもらうことのどこが卑しい職業だってんだ。子供一人笑わすことができない奴らが何言ってやがる」
笑いながら呟くが、その内容は恨み言の類いである。
「ウォルケノ王め、散々笑わせてやったのに。突然解雇しやがって」
どうやら、先ほどの恨み言を向けた相手の名前であろう。
縞模様は上下に動き、空中で回転さえしてみせる。踊りは激しさを増した。酒を飲んでいるわけではなさそうだ。泥酔している人間には不可能な動きである。
「団長め。フェアリーを捕まえてやったのは誰だと思ってやがる。ピエロは時代遅れだとぉ? 餞別は多めに恵んでやるだとぉ?」
恨み言の相手が切り替わった。
再び声を裏返し、耳障りな哄笑を響かせる。
「ふふふ。ふははは。もう、どうでもいい。何もかもぶち壊し、全て奪い尽くす。まずはサーカス団からだ。……そう思ったが」
——まさか空っぽの馬車と一部の猛獣をカモフラージュに残し、さっさと逃げていたとはな。
肩が触れ合うほど近くにいなければ聞き取れぬほど小さな声でそう呟いた後、低く昏い含み笑いが長く続いた。
「まあいい。次の興行先はわかっているのだ、復讐の機会は幾らでもある。その前に、この国で共に暴れようではないか。今の俺様に敵はいない。なにせ」
踊りをやめ、夜空を見上げる。その視線の先にいるのは翼を持つ巨大な影。
「お前という味方がいるのだからな、ワイバーン」
声をかけられた影の主は小男の哄笑や踊りに対して微塵も反応しない。巨大な彫像と化して佇んでいる。
赤い身体を持つ邪竜は、間違いなくララバン家の家畜を食らった怪物である。どうやら深い眠りを貪っているようだ。
「今まで散々人を笑わせてきたが、これからは俺様が笑う番だ」
怪物を見上げる小男は、もう笑っていなかった。