すれちがう銀の鎧
カールはゆっくりと立ち上がった。彼の腕の中で、ローラはぐったりしている。彼女は足を痛めている上、魔法も使えない——おそらく、高価なマジックアイテムには生まれてこのかた触ったことさえあるまい。
「俺たち魔族は生き残るのは競争だと思っているし、族長もおおむねそのように一族を教育する」
しかし、彼がいま抱いている少女はどうだ。カールに向かって、一人で逃げろと言ってのけたのだ。
どうやら、人間の中でも特に平民階級には助け合いの精神が根付いているようだ。自分より他人を優先する傾向が強い。もちろんカールは、そうでない連中もたくさん見てきた。だがそれだけに、世間知らずのローラを見捨てる気にはなれない。
背後では、声量こそ大きいものの、どこか暢気な咆哮が上がる。
どうやらワイバーンは、ララバン家の家畜を食い尽くして満足しているようだ。少し休憩しては暴れて、を繰り返すつもりに違いない。
カールの瞳が青く輝く。
——魔法を使える自分が、せめて手の届く範囲にいる弱者を守れなくてどうする。
自分も弱者だという自覚をもつカールではあるが、今は意識してその考えを脇に追いやった。
「我らが守り神よ。我が血肉をなす風よ。鎧となりて彼の者たちを護り給え」
強風がカールの髪を吹き乱す。
ユージュ山からここまでの五〇〇〇ディードに及ぶ距離を飛んだ後、ろくに休んでいないのだ。大して疲れてはいないが、とっくに限界を迎えていてもおかしくないほど魔力を使ったはず。これ以上魔力を消費する前に。
「サーカスの荷馬車のどれかに、フェアリーがいるかも。せめて、その子も一緒に!」
腕の中の少女に視線を落とす。彼女をいったんどこかに下ろすべきか——いや。
もし逃げ遅れがいたとして、それが人間なら、二人までしか抱えられない。そして、ローラを置いていくという選択肢は彼の中にはない。
「早く逃げないと諸共に焼かれちまうかも知れないが……」
そう言いながらも、カールは馬車へと飛んで行く。
叫びながら幌をめくる。
「おい、逃げ遅れはいないかっ!」
一台目。……いない。
——無事な馬車は全部で六台。くそ、多いな。
二台目。……いない。
——霹靂の如き轟音。破壊竜の威嚇だ。
三台目。……いない。
——強烈な風の流れ。まずい、飛び上がるつもりか。
四台目。……いない。
——奴は巨体だ、身体を浮かすまでの動作は鈍いはず。
背を這い上る悪寒に、思わず振り向いた。
「くそ!」
ワイバーンの巨体はすでに空中に浮いている!
五台目。……いない。
幌をめくるのももどかしく、六台目の荷馬車に転がり込んだ。
「誰だお前っ!」
「新入りだっ!」
筋骨逞しい団員に問いかけられ、彼は適当な答えを返すと荷馬車の中を見回す。
鳥かごがある。……いた。
「マミナ!?」
ぐっすり眠っているようだが、間違いなく彼女だ。フェアリーというのは、マミナのことだったのだ。
服装が違う。胸と腰だけを小さな布切れで隠す衣装——おそらくローラが作ったもの。
間近でワイバーンの咆吼。
「しまった、間に合わないっ」
次の瞬間、彼らの乗る荷馬車はワイバーンのファイヤーブレスに包まれてしまった。
* * * * *
強い風の音。ごうごうと唸っている。
——ここはどこだろう。あたしはたしかギムレイに掴まれて……。
彼女は目を覚ますと、まず全身を確かめた。特に問題なさそうだ。
「……っていうか、ほとんど裸じゃない」
胸と腰をぎりぎり覆う小さな布を身に着けているだけだ。もしかして、これからゆっくり消化されていくのだろうか。
「ここギムレイの胃袋の中?」
声に出してみてばかばかしくなった。食べられたのなら意識があるわけがない。
周りを見回すと、鉄格子に囲まれている。どうやら、鳥籠の中に閉じ込められているようだ。出口は……あった。
「いやだ、鍵が付いてるっ」
出口を蹴っ飛ばし、大声で叫ぶ。
「誰か……! 誰か、開けて!」
鳥籠の横に人間が倒れている。彼女の位置からは、銀色の兜と、同じ色の胸当てを着けていることがわかる。背を向けており、兜のせいで髪の毛も見えない。
「カールそっくりだけど……まさかね」
彼の向こう側にもう一人、女の子がいるように見える。ここでいちゃいちゃしていたというのか。
——カールに似ている奴ってみんな女にだらしないんだから。
途端に不機嫌になった彼女は、先程に倍する声で叫び出す。
「ちょっとそこの人! 起きて、起きなさいよっ! あたしをここから出してってば!」
「うるせえ、黙ってろ!」
間髪を入れず、背後から野太い声が聞こえた。ほぼ同時に鳥籠ごと持ち上げられてしまう。
彼女は転び、鳥籠の底で頭を打った。
「いったーい……。乱暴ね! 持ち上げるんならそう言ってよ!」
鳥籠の底面が視界を遮り、倒れている男女の姿が見えなくなった。
背後を見ると、筋骨隆々とした大男が立っている。大男は彼女の文句を無視して兜男に声を掛けた。
「おい新入り! 生きてるか? 少しだけ待つ。自力で起きなかったらフェアリーだけ連れて行く。団長にとって価値があるのは間違いなくこっちだからな」
——え、団長? 団長って言ったの、このマッチョマン。じゃ、ここは……。
「サーカス一座。あたし、捕まった……」
なるほど。だからこんな露出の多い衣装を――
「げ! 誰があたしを着替えさせたの?」
彼女は鳥籠の底に座り込みながら、睨む視線を大男に向けた。
「安心しろ、俺じゃねえ。女の団員だぜ」
それだけ言うと、彼は再び兜男に声をかける。
「新入り! 俺はもう行くぜ」
歩き出し、鳥籠が揺れた。
「ちょ。待ってよ。あたしは置いてって。自分の意志で来たわけじゃないのよっ」
「知るか。団長が金出して買ったんだ。捕まるお前に運がなかったと思え。まあ、真面目にやってりゃ居心地はそれなりにいい場所だ。仲良くしようや」
「何言ってんのよ! 捕まって意に添わないことさせられて、仲良く出来るわけないじゃない!」
マミナは激昂し、扉をがんがん蹴っ飛ばす。
「がーがーわめくな。……いや、悪かったよ。いきなりワイバーンに襲われて、動物たちがたくさん焼かれちまったんだ。少し気が立ってた。もしお前が自由になりたいんなら、俺からも団長に頼んでみるよ。でも俺下っ端だからな、期待すんなよ」
「……え、あ、ありがと」
大男の立場を考えると、それが最大限の好意であろう。それに気づき、マミナは大人しくなった。
幌をめくり、外に出る。しかしすぐには歩き出さず、幌越しに声をかけた。
「俺は字が書けねえから書き置きできねえ。もし体が動かねえだけで俺の声が聞こえているなら覚えとけ。次の興業先はアーカンドル王国だ。体が動くようになったら追っかけて来るがいいさ。縁があったらまた会おう。あばよ」
聞こえているのかいないのか、兜男からの返事はない。大男は鳥籠を抱え直すと、今度こそ歩き出した。