夕陽に燃える赤い髪
「こんな形で実現するなんて。嬉しいけど、なんか違うっていうか。もっとちゃんとした形で知り合いたかったっていうか」
その呟きは風にかき消され、カールの耳には届かない。
ローラは髪を短めに切り揃えているが、少し癖のある赤毛が目元にかかるたび鬱陶しげに首を振る。
「悪い、ローラ。俺の魔法は飛ぶことに偏りすぎてて、結界とか苦手なんだよ。風がまともに当たるのは人間にとってはつらいだろ」
その言葉とともに、包み込むように抱き寄せられる。
「ま、待って待って。いいのいいのっ、あたしのこと気にせずに、カールの飛びやすいように飛んでっ」
思わず足をじたばたさせてしまう様子をどう捉えたか、彼は首を傾げて瞳を覗き込んできた。
「や、あの、あうぅ……。そんなに見ないで」
頬が真っ赤に染まっていく。
「きっと夕陽のせいね」
この距離では視線を外すわけにもいかず、なぜか言い訳じみた言葉が口をついて出た。それに対し、カールは先程よりもさらに深く首を傾げ——、やがて、彼なりの分析結果を述べた。
「少し熱くなってきたな。人間って割と簡単に風邪をひくらしいね。すまなかった、もう少しゆっくり……、そうだな、馬車と同じくらいの速度で飛ぶよ」
その言葉に、ローラはしばらく口を半開きにして固まってしまった。もしかして、自分は女の子として認識されていないのでは。
「そっか。そうだよね。カールって……」
用意した質問が口から滑り落ちてはくれない。無言で続きを促す彼に、別のことを聞く。
「やっぱり、マミナと同じくらい交友範囲が広いのかしら。彼女、友達の友達に貴族がいるらしくて、あたしに写本をくれるのよ」
「そうか、あいつだったのか」
苦笑するカールの言葉に首を傾げると、説明をしてくれた。
「不思議だったんだ。俺の部屋から、読み終えた写本が片っ端から消えていくもんだから」
「え。カール、文字読めるのね。それに、貴族の友達がいるのって」
「まあ、友達というより読み書きの先生かな」
彼の言葉を聞いて、ローラは慌てた。
「大変。そんな大切な写本、全部部屋に置きっ放しだわ!」
家ごとワイバーンに破壊されてしまうかもしれない。せめて一冊でも持ってくればよかった。
そう呟き謝罪する彼女に対し、カールは微笑んで見せる。
「一回読んで放ったらかしの俺と違って、きっとローラは何度も読んでたんだろ。その方が本にとっては幸せってもんだ」
写本の提供は、持主が了承していたわけではなかったのだ。彼女は上目遣いになり、おずおずと告げた。
「知らないこととはいえ、勝手に自分の物にしててごめんなさい。でも、マミナのことは怒らないであげて」
真摯に訴えたところ、彼は微笑むのをやめて「約束する」と囁くように言った。その頬がほんのりと赤く染まっているように見えたのは——。
「きっと夕陽のせいね」
先刻と同じ呟きを漏らして自戒する。よく考えるまでもない。交友範囲の広い男性に好かれる要素などというものは。
「あたしにあるわけがないもの」
「何がないって」
聞き返されるとは思わなかったため、ローラは口ごもった。不自然を承知で話題を逸らす。
「い、一冊くらい服の内側に入れてなかったかなー、って」
カールの首から片手を離し、ポケットを探る。
「そんな小さくないだろう。……ゆっくり飛んではいるが、手を離すと危ないぞ」
ポケットから出した手に、何かが握られている。丁寧に畳まれた薄桃色の布地だ。
「それ、マミナの。ローラが作ってくれてたのか。いつもありがとうな」
「あたしが好きでやってるのよ。手芸やってて、商業ギルドに買ってもらってるけど、どうしても布が余っちゃうから」
しかし、大変な手間がかかるはずだ。そう指摘され、彼女は俯いて自嘲ぎみの笑みを浮かべた。
「あたし、あまり丈夫じゃないから家から一歩も出ない日も結構あって。時間が余ってるのよ」
「いや」
カールの声に思わず顔を上げると、彼は続けて言った。
「誇っていいことだ。売り物になる手芸の腕前。女の子の服なんてほとんどわからない俺が見ても可愛いと思えるんだからな」
「そう言ってもらえるだけで嬉しい」
「それ着て飛んでるあいつ、いい笑顔してたろ」
言われて思い浮かべる。マミナはこの服と共に、輝く笑顔を振りまきながら飛び回っていた。
「マミナ、もともと可愛いもの」
「誰かを笑顔にする力——、その人の良いところを引き出す力があるんだよ、ローラには。それって空を飛べるとか、アイテムなしで魔法を使えるとかってことより凄いことなんだ。俺はそう思ってる」
だから人間は面白いんだ、と呟く。
「変わろうとしない魔族と、変わろう、変えようとあがく人間。この先、大陸に生き残って行くのがどちらなのか、改めて考えるまでもないよな」
そう言って前を向くカールの瞳は、マミナとは別の意味できらきらと輝いていた。思わず息を呑み、言葉を漏らす。
「一緒に——」
しかし、そこで口を噤む。その先は言えなかった。言っても迷惑をかけるだけだ。身体が丈夫でない自分が、彼の旅について行きたいだなんて。それについさっき、祖父に言ったばかりだ。たとえ家畜を失っても、家族三人いればなんとかなると。
「…………?」
ふと、カールの雰囲気が変わった。その視線が地上の一点に固定されている。今、彼の瞳には鋭い眼光が宿っている。
「なあ、ローラ。マミナって、夕方に帰ったって言ったよな」
「ええ、羽から出る光が見えなくなるまで見送ったわ」
なら見間違いかと呟く彼に、思わず訊ねる。
「そもそも、こんな高さからフェアリーの飛行光を見分けられるものなの」
「どうやら俺たちグライド族は人間より目がいいみたいだ。まあ、見間違いもたまにはするけどな」
なおも地上を気にする様子を見せる彼に、ローラは提案してみた。
「騎兵隊の馬車より随分先行してるんでしょ。降りてみたら——きゃあっ」
どうやら彼は同意が得られるのを待っていたようだ。彼女の言葉を聞くが早いか降下し始めた。
「あれは——。サーカス団か」
「ええ、この国で興行するって聞いてるわ。商業ギルドを通じて変わった衣装を幾つか納品したもの。あ、あとね。なんだか、フェアリーを雇うとか雇ったとかで、フェアリー用の衣装も納品したわ」
着地体勢に移りながらカールが訊ねる。
「サーカスの衣装と言ったら、身体の線にぴったりフィットすることが条件のはず。シビアな採寸が必要と聞いているぞ。採寸したのか?」
「よく知ってるのね。頬に刺青したピエロの男性と、背が高くてスタイルのいい女性の採寸をしたわ。もっとも、女性の衣装は胸と腰しか隠さないものだから、紐で縛って調節できるようにしたの」
サーカスを観覧した経験のないローラだが、概要は知っている。マジックアイテムなしで、ただの人間が飛んだり跳ねたり奇抜な芸を披露するのだ。裸同然の女性が鞭一本だけを手に登場し、鋭い牙を持つ大型の猛獣に芸をさせる出し物は大人気だと聞いている。
「フェアリーも女の子で、その女性と同じデザインの衣装を注文されたわ。背格好を聞いたらだいたいマミナと同じくらいだったので、彼女を参考にして作ったの」
サーカスの宿営地に降り立った。しかしテントの類いは畳まれており、とても興行間近な雰囲気ではない。どちらかと言えば、興行を終えて他所へ移動する直前といった様子だ。
「まあ、常識的な団長ならそう判断するよな。ワイバーンを目撃してなお、この場に留まる方がどうかしてる」
カールは呟きつつ、足に負担がかからないよう丁寧に下ろしてくれた。
「そのサーカスの人たち、ローラが普段からマミナ——フェアリーと交流があることを知ってるのか」
「あたしからは特に言ってないわ。でもピエロとおじいちゃん、なんだか意気投合して長いこと話し込んでて。口止めなんてしてないから、おじいちゃんがピエロに話したかも……」
カールの目付きが鋭くなり、彼女は思わず口に手を当てた。
「もしかして、まずかった?」
「いや——」
彼の返事が聞こえるが早いか、ローラの視界に映る世界は真横へと流れていく。
「————っ」
何が起きたのか。認識が追いつかない。
耳を澄ますよりも先に、轟音が耳を聾する。
目を凝らすよりも先に、閃光が視界を遮る。
家畜の世話で嗅ぎ慣れたこの臭いは——血臭か。
何かが燃えている。獣の断末魔。サーカスの猛獣か。
何がなんだかわからない。でも、この異常事態は終わっていない。この場に留まっていてはいけない。それだけは確かだ。
いやだ。
「逃げて、カール」
自分が足手まといになるのはいやだ。彼だけなら、いくらでも速く飛べる筈なのだ。
「あなた一人で……」
きちんと言葉にすることができただろうか。確かめる暇もなく、ローラは意識を手放した。