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紅い翼の破壊竜

 霹靂に等しい轟音が響き渡った。

「こっちに来る、だと」

 振り向いた視線の先にワイバーンがいる。ぎょっとしたカールは反射的に進路を変えた。ほぼ直角に、真横へと。

 巨大な敵から逃れるには、狭い場所に入り込むのがセオリーだ。だが、たとえ亜種とは言え、ワイバーンは竜族の一角に数えられる魔物。逃げ込んだ場所もろとも破壊される可能性もあるのだ。

 そこで、カールは建物の陰に身を隠すことをせず、上昇した。上空に静止し、身構える。顎を伝う汗を意識するが、拭う余裕もない。風の流れを読み、彼我の距離を測る。

「その巨体じゃ小回り利かねえだろ。来いよ、股の間をすり抜けてでも逃げ切ってみせるぜ」

 しかし巨大な怪物は、上空に静止するカールには見向きもしない。まっすぐに町外れへと向かって飛んでいく。

 自分を追ってきたわけではなかったのか。今のうちに逆方向へ全力で飛べば、逃げ切れる。

 小さく息を吐き、背を向けようとしたものの、ふと動きを止めた。翼竜の進路を確かめる。

「あの方向は——」

 顔を顰め、舌打ちした。例の牧畜農家だ。間違いなく、奴はそこに向かっている。

「全く、何考えてんだよ。俺は」

 仲間よりほんの少し速く飛べるだけの自分に何ができるというのか。ここから逃げたとして、誰に責められるというのか。

「…………」

 そこにマミナがいるとは限らない。そもそも、その家が本当にマミナが入り浸る家だとも限らない。だが。

「ごちゃごちゃ考えてる場合じゃねえっ」

 立ち去る気になれないのなら、前に進むしかないじゃないか。

 風をまとい、急降下する。鎧が発光し、彼の身体は白銀の光に包まれた。

 明らかにワイバーンを上回る速度で牧畜農家へと向かう。


* * * * *


 雷のような音はローラたちの家の中にも届いていた。彼女と祖父母は食卓を囲んでいる。丁度食事を終えたところなのだ。

 畜舎からは家畜たちが騒ぐ声が聞こえ始めた。落雷は命に関わる。おびえるのは当然だ。だが、今夜はいつにも増して騒がしい。

「今日一日ゆっくりさせてもらったから、あたしが家畜の様子見てくるね」

 そう言って立ち上がろうとするローラを、祖父は手で制した。

「ずいぶん痛みは引いただろうが、治りかけが一番肝心だ。畜舎へはわしが行く」

 祖母もローラを見て優しく頷いたので、彼女はおとなしく座り直した。

「ローラ。たしかにお前は、あまり丈夫な方ではないよ。でも手芸の腕は大したもんだ。我が家の助けになっている。そんなに気を遣わず、堂々としていなさいな」

 祖母の言葉に対し、軽く息を吸い込んだものの、特に言い返さずにぎこちない笑みを浮かべて立ち上がる。

「あたし、食器を片付けるわ」

 三人分の食器を台所に持っていく赤毛の少女。その小さな背を見つめながら、祖母は小さく溜息を吐いた。

 雷の音が大きくなった。強い風が窓を揺らす。

「ひと雨来るのかねえ。まあ、夜のうちに止んでくれる夕立ちなら歓迎だけど」

 呟き、窓を振り向いた。分厚いガラス越しに、部屋に光が飛び込む。続いて、少年の大声が聞こえた。

「爺さん、畜舎そこから離れろっ。ワイバーンが来る!」

 祖母は立ち上がり、ドアを開けた。

「おばあちゃん。今の声、お客様?」

 汲み置きの井戸水で洗い物を終えたローラも、やや足を引きずりつつ歩いてきた。一歩外に出た祖母は、意図せず辛いものでも飲み込んだかのように背筋を硬直させてしまう。その直後、大声でまくし立てた。

「あ、あんた! 早く中にっ。……ローラや、お前は裏口を開けておくれ」

 畜舎に向かって大仰な身振りで手招きした後、こちらに掌を向けて指示を出す。その切迫した口調に押され、聞き返すことなく頷いて従った。

 再び、先ほどの少年の声がした。今や鼓膜に突き刺さる勢いだ。

「婆さん、出るな。奴の狙いは家畜なんだ。爺さんは俺に任せて」

 わずかな間があった。ドアから身を乗り出す祖母は、祖父のいる畜舎とは逆の方向を向いている。どうやら、声の主たる少年と対面しているようだ。

「他にも誰かいるのか。いるならみんな一緒に裏口から出ろ。そして建物から離れるんだ」

 祖母が身体ごと、視線を畜舎へと移動させていく。その動きに沿うかのように、白銀の光が移動して行った。

「えっ? あれは……」

 ローラは目を丸くした。ドアの向こう、祖母の身体の隙間から、声の主の全身がほんの一瞬見えたのだ。

 見紛うことなき青い髪。グライド族だ。人間と見分けのつかない長身痩躯の青年が空を駆けて行く。

 それより何より、あの姿。午前中、熱心に観察していたはずの——。

「カール?」

 マミナによれば、たしかそんな名前だったはずだ。

「家畜はわしが守る。豚も羊も二ダース、必死で世話をしてきた。あんな化物に食わすために育ててきたんじゃないっ」

 祖父の大音声が轟き、ローラの呟きは掻き消されてしまった。

 おろおろと視線を彷徨わせる祖母だったが、気丈に呼びかける。

「あんた、相手が悪いわ。家畜は諦めてっ」

「そうだぞ爺さん、鋤や鍬ではどうにもならない。すぐそこに行くから農具を置いてくれ」

 少年の声も説得口調になった。

「黙れ少年。家畜と言えどわしらの家族。守らずに逃げるなど考えられん。それに、この歳ではやり直しはきかない。失ったらそれでおしまいだ」

「おしまいなもんか。逃げられるだけ逃げて、後のことはそれから考えりゃいいじゃないか」

 すでに少年は祖父の近くに降り立っているようで、叫ばずとも声が届く距離で押し問答している。

「人間その気になりゃでけえ化物一匹くらい気合で追い払える。見ろ、あのデカブツ、わしを警戒してなかなか降りて来ん」

 デカブツとは何のことなのか。何が起きているのか確かめたくてドアに近付こうとしたローラだったが——。

「出てくるんじゃないよ、ローラ。お前は裏口を開けておくのっ」

 祖母の鋭い声に阻まれ足を止めた。

「爺さん、あんたが逃げなきゃ家族も逃げない。このままじゃ全滅だぞ。こう言っちゃなんだが、ワイバーンの奴は遊んでるだけだ。逃げるなら今のうちなんだよっ」

 しかし、少年の説得に対し、祖父が穏やかに告げる声が聞こえてきた。

「無論、婆さんもローラもかけがえのない家族だ」

「だったら——」

「それと同じくらい、家畜たちも大事なのさ」

 それまで黙って聞いていたローラだったが、ほとんど駆け足で玄関へと移動した。必死に制止する祖母に対し、首を横に振って逆らう。

「ワイバーンって聞こえたわ。おじいちゃん、そこにいたら自殺するのと同じよっ。一緒に逃げてっ」

 祖母に抱きつかれながらもドアから身を乗り出し、叫ぶ。上空に目を遣り、ワイバーンの巨体を認めると息を飲んだ。それでも再び祖父を見据え、続けて叫ぶ。

「お願いだから。三人一緒にいればなんとでもなるわっ」

 祖母は泣き出していた。こちらを真っ直ぐに見つめる祖父の視線を受け、ローラも絶句してしまう。彼は穏やかな物腰で言葉を紡ぐ。だがその目には強すぎる意志の光が灯っていた。

「手塩にかけた家畜どもだ。その肉を化け物が得て、その力でよそ様に迷惑をかけることになれば、わしは罪悪感で押し潰される。だから、最期の瞬間まで抵抗してみせる」

 微笑んでさえいる。そこに狂気の欠片は微塵も感じられない。

「少年、見ず知らずのお前さんに頼っては悪いと思うが、婆さんとローラを逃がしてやってくれ。わしはここを動かん。梃子でも動かんぞ」

 ひときわ大きな雷鳴が轟く。ワイバーンの咆哮だ。周囲に暴風が吹き荒れ始めたのはいよいよ着地しようとする羽ばたきによるものか。

「くそぉっ! 悪い、爺さん」

 青髪の少年の姿がかき消えた——。ローラにとって、そのように見えるほどの素早さで移動したのだ。

 次の瞬間、身体をくの字に曲げた祖父を少年が抱きとめていた。よく見ると、彼の拳が祖父の腹に食い込んでいる。

「こんな手荒なことするの、生まれて初めてだぜ。爺さんの家畜でワイバーンがさらに元気になったとしても、誰もあんたを責めやしないって」

 祖父を抱え、彼がこちらへ飛んでくる。ほぼ同時に、ワイバーンが大地に降り立った。

 巨大な翼竜はこちらを見もしない。畜舎に向かい、一歩ずつゆっくりと近寄っていく。

「すまん、婆さん。爺さんのこと殴っちまって」

 黙って首を振る祖母に向け、さらに話しかけてきた。

「その家にいるのはあんたたち三人だけか。フェアリーはいないか」

「マミナのこと? 夕方まではいたけど、サルーサ山に戻っていったわ。じゃ、やっぱりあなたがカールなのね」

 破砕音が響きわたり、家畜の騒ぐ声が一際大きくなった。

 ワイバーンは畜舎の屋根を破壊している。どうやら家畜を一匹も逃がさず食い尽くすつもりでいるらしい。

「くそ、化け物の癖に知恵もありやがる」

 舌打ちしたカールは、ローラに目だけで頷きつつ、早口で告げた。

「……話は後だ。すぐに逃げるぞ」

 四人は家の中を通り、裏口から外に出た。祖父を抱えるカールは、そこで初めて気が付いたらしく、ローラに声をかけた。

「君、足を怪我してるのか」

「ローラよ。大丈夫、朝フォブロルに刺されただけ。もう、そんなに痛くないわ」

 額に浮かぶ脂汗。彼女が強がりを言っているのは誰の目にも明らかだ。

「今の俺なら、二人抱えても歩けるだろう」

「な、な、何を言ってるの」

 慌てるローラを無視し、彼は祖母に話しかけた。

「婆さん、あんたはどこも怪我してないよな?」

 祖母が頷くのを確認すると、少年はその場にかがんだ。

「俺に負ぶされ。爺さんはしばらく気ぃ失ったままだろうから正面に抱えていく。まあ、俺のせいなんだがな。意識のあるあんたならしがみついていられるだろう」

「歩けるわよ、歩けるからっ」

 両手を振り回しながら、一人で歩いていく。だが、やはり足を引きずっている。

 そこへ、声がかけられた。

「貴兄ら、無事か。我らはサーマツ王国騎兵隊である。二人までなら幌馬車に乗せてやれる。ワイバーンが食事している間にこの場を離れるぞ」

「それなら、あたしら夫婦を乗せてください」

 すかさず祖母が声を上げた。真意を図りかねたローラは反射的に叫んでしまう。

「おばあちゃん?」

「あたしら三人の中で、ローラが一番体重が軽い。お兄さん——カールさんだったかねえ、あんたは力持ちだ。マミナちゃんという共通の知り合いがいるみたいだから、これも何かの縁。ローラのこと、是非とも助けてやってもらえないかねえ」

 カールは一切の迷いなく頷いて見せた。

「ああ、いいぜ。彼女一人なら連れて飛ぶことが出来る。俺は族長に伝えることがあるから先に行く。彼女はどこへ連れて行けばいい?」

「うむ。我らはその老夫婦を連れて、このまま城に戻る。その娘も城で待たせておけ」

 狼狽えるローラはそっちのけで、どんどん打ち合わせが進んでいく。騎兵の助けを借り、祖父母は幌馬車に乗り込んだ。

「ではお嬢さん——、ローラだったか。失礼して」

 肩と膝の裏に腕を回された。

「えっ、あのっ、心の準備がっ」

 聞いていない。あっという間にお姫様抱っこされてしまった。

「あっ、うわぁ」

 地面が眼下に遠ざかる。そのまま城をめがけ、一直線に飛び始めた。

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