風の向くまま
遥かな高空で、白い紳士が姿を現した。頬に歪な笑みをはりつけて呟く。
「見事だ、翔烈。この天雷バイラス・ダイラー、しかと見届けたぞ」
見下ろす地上付近では、カールが王城へと飛んでいくのが見てとれた。
一方、国王一行の周囲にはアンデッドどもが蠢いている。天雷ことバイラスが保険として用意しておいた伏兵だ。それらアンデッドの相手はリュウが務めている。
後列のゴーレムによる破砕光線を受けた時、リュウは対峙していたゴーレムを引き倒して楯とすることで凌いでみせたのだ。
そんな彼を援護する者たちがいる。キース一行ではない。彼らはゴーレムにかかりきりだ。
「弓兵、異国の戦士どのの背中を守れ! 二班と三班、右の敵を取り囲め。陛下に近付けてはならぬ」
弓矢や剣を手に戦っているのはサーマツ兵。指揮する声を張り上げているのは将軍だ。
「ファイヤーブレスを凌いだか。人間とは思えぬしぶとさだ」
音もなく、弓兵の背後からアンデッドが忍び寄る。ゆっくりと腕を振り上げた。その指先は鋭い鉤爪のように変形している。弓兵たちは前方の敵に集中しているようで、背中ががら空きだ。
アンデッドが鉤爪を突き立てようとした、その時。
「ほう」
そう声を漏らすと、バイラスは片眉を上げた。
アンデッドの身体が真っ二つとなって吹き飛んだのだ。
グライド族の攻撃魔法の一つ、エアスラッシュ。弓兵の中にグライド族が混じっており、振り向きざまに攻撃したのである。
「面白い。グライド族長のしわざか」
ふと見回すと、空中に浮いていたはずの黒霞が一つもない。
「一本とられた。私としたことが、気付かなかった」
ワイバーンの攻撃を受けた際に全ての黒霞を引き寄せ、あまつさえ炎よけの障壁として利用してみせたのだ。それにより、国王一行のみならずサーマツ兵たちをも守ったのだろう。おそらく兵たちは、魔物の死体にでも隠れて反撃の機会を窺っていたというところか。
「族長は風使いを名乗るほどの魔法力が開眼しなかったと聞いていたのだが……、たばかられたかもしれんな」
黒霞の利用を思いついたということは、族長には黒霞でファイヤーブレスを凌げるとの確信があったのだろう。自身の持つ知識の中から何かを思い出したのかもしれない。
「そうだとすると、こちらの正体にも感づかれたかもしれんな。もっとも、知られたところで不都合はないが」
将軍の指揮のもと統率のとれた動きを見せるサーマツ兵たちは、アンデッドを次々に屠ってゆく。見る間に数を減らしてゆくアンデッドを尻目に、エマーユとメリクもそれぞれ二体目のゴーレムを倒した。
キースはと言うと、一人で六体のゴーレムを倒して見せた。六体目が倒れるのと同時、サーマツ兵の剣が最後のアンデッドを斬り伏せた。
兵たちの勝鬨がバイラスの耳にまで届く。
「喜べ凍獄どの、我らの好敵手だ。戦力では我らに分があるが、彼らは発展途上。次にまみえる頃にはおそらく我らの実力、伯仲していよう。
当代セイクリッドファイブが三勢力に割れたのは理想的だ。我ら五人、等しく限界突破の試練が与えられた」
前触れなく空中に波紋が現れた。その中に溶けるように姿を隠す。
「さて、次の手を打つとしよう」
呟く声とともにバイラスの気配が遠ざかる。音の速さで北へと去っていった。
* * * * *
「王妃殿下! 十秒で結構です、王子殿下のお鼻とお口を押さえてください! みなさんも呼吸を止めて!」
「カール」
檻の内側でうずくまっていた男女のうち、赤毛の少女ローラが笑顔を弾けさせた。カールは一つ頷いて見せると、両手の剣を構えた。剣は二本、いや三本だ。もう一本背負っている。鍔がなく、柄と刀身の境目さえ定かでない端から端まで真っ黒の異様な剣だ。
「檻から離れるんだ。鍵を開けてる時間はない」
「きゃあっ」
「なにっ!?」
家臣の一人がローラを羽交い締めにすると、彼女を檻へと押しつけた。
かちかち、と固い音が鳴る。ローラを押しつけている家臣が正体を現したのだ。
「くそっ、スケルトンめ」
数分前に遡る。
カールは城内の廊下を走っていた。すっかり傾ききった夕日が窓から射し込み、その影を長く伸ばす。もうほとんど日没だ。
カールは、手近にいた家臣から地下牢の場所を聞き出した。ほとんど怒鳴りつけるかのような剣幕に、気の毒にも家臣は腰を抜かし、震える声で場所を告げた。
地下牢へと続く階段の前には扉があり、普段は固く閉ざされている。だが、今日は開放されていた。
しかし、カールは階段の前で足を止めた。老人が座り込んでいたのだ。
「長」
「来たか、カール。ちと魔法を使いすぎてな。立つのもままならん」
歳だな、と笑う族長は差し伸べられたカールの手をやんわりと断る。
「構うな、今すべきことは人質の救出」
「ええ、まもなく日没です。早く行かないと」
「慌てるでない。お主なら牢まで三秒だ。それに、日没とともに自然消滅する可能性も残っておる」
「それは、スケルトンが三体とも約束を守れば、の話ですよね」
端から疑う口調のカールに対し、族長も頷いて見せる。
「アイエンタールのことだ。国王の血族や忠臣を生かしておくつもりなど、微塵もないだろう」
「なら、今すぐに——」
「慌てるなと言っておる」
強い口調で嗜めると、族長は両腕を真上に掲げた。
「これを持て。扱いやすいよう、剣の形に収束させた。お前を閉じ込めた『バイラスの黒霞』だ。全部で三本ある」
「バイラス?」
聞き返すカールを強い視線で睨め付けると、族長は低い声で告げた。
「左様。神獣、魔界の番人、闇の民。古来より様々な呼称を与えられてきた種族の裔。バイラスはフェンリル族唯一の生き残りだ。百年前、ワイバーン覚醒に何らかの形で関わったと言われておる」
目を見開くカールを手振りで制し、剣を手渡す。
「今回の件、十中八九奴が関わっていよう。それはさておき、この黒霞は何かを閉じ込めるのに極めて有効だ。使えるものは使わせてもらおうではないか。
よいか、悠長に鍵を開けておる時間はない。剣にお主の魔力をのせて牢を叩き切り、スケルトン三体を切れ。お主の仕事はそこまで、後は剣に任せればよい。よいな、一体につき一本ずつ使って攻撃するのだぞ」
スケルトンをどうやって特定するのか、万が一毒を吸い込んだらどう対処するのかなど、聞くべきことが幾つかあったが、時間がそれを許さない。
「行ってきます」
こうして、カールは三本の剣とともに階段を飛び降りたのだ。
「ローラ、少しの辛抱だ」
気合とともに二本の剣を振り回す。
「風よ」
ローラを中心に半径二メートルほどの半円形の範囲で、檻がきれいな断面を見せる。風に押されたにせ家臣はローラを押し倒すようにしてこちらに倒れこんだ。
「消えろ、スケルトン野郎」
カールは右手の剣で突きを放とうとして——止める。
素早く回転したスケルトンは、ローラを上にして己の楯としたのだ。
しかし、カールはそちらにばかり構ってはいられなかった。
「無礼者! 手を離しなさい」
「うわあ! 何するんだーっ」
王妃が叱咤する声と、王子の悲鳴混じりの抗議が重なった。
「ちいっ」
両殿下がスケルトンに羽交い締めされている。残り二体も正体を現していた。
やはり。声に出さず呟くと、カールは唇を噛んだ。地上での戦闘の勝敗に関わりなく、毒を吐く手はずだったのに違いない。絶望的な確信とともに、カールは地面を蹴って飛び上がった。
考える時間も惜しい。ほとんど反射的な行動だった。
「殿下——!」
家臣たちがスケルトンにとびかかった。もみあいになり、両殿下ごと抱え上げられたスケルトンの背がカールの間合いに入る。
気合一閃。
左右の剣が、両殿下に抱きついていたスケルトンどもを切り裂いた。
敵の身体が弾けると同時に禍々しい瘴気が噴き出すが、それに倍する勢いで黒い剣が爆ぜる。
爆ぜた剣は黒い霧となって広がるや、切り裂いたスケルトンを瘴気ごと包み込んだ。
すぐさま背中の剣を抜くと、カールは振り返った。
「っ————」
ローラの背の下で、スケルトンが弾けた。
瘴気が広がり始める。これを吸ったら、地下牢の人間は全滅だ。
「風よっ!」
広がりかけた瘴気が、空中で一箇所に集まる。
「おおおおおっ」
切っ先を突き込み——爆ぜる。
黒い霧が瘴気を呑み込んだ。
「…………」
汗を拭い、ローラを見下ろす。赤毛の少女は目を閉じたままだ。胸を上下させているが、その動きは浅く早い。
「ローラ? おい、ローラっ!」
彼女は苦しげに眉をしかめ、咳き込んだ。
「なんてことだ」
スケルトンは彼女の背の下で弾けたのだ。少量の瘴気を吸い込んだのに違いない。
目を閉じ、刹那の思案。
カールは目を開けると、跪いて少女の口元に己のそれを近付けた。
首の下に手をあてがい、頭を反らせて気道を確保。
「癒しの風よ、この場に集いて不浄を吹き散らせ。この者に精霊の息吹を与えたまえ」
脳裏に浮かぶ呪文を無心で唱えると、彼の胸元が青く輝いた。
少女の鼻をつまみ、口移しで呼気を送り込む。
三度繰り返したところで、彼女の全身が淡い青の光に包まれる。手首の黒い腕輪が消え、口から少量の瘴気を吐き出した。天井へと上って行く途中、瘴気は白い輝きに包まれて消えた。
ローラは目を開き、咳き込む。すぐにまた目を閉じたが、安らかな寝顔へと転じるのだった。
「よかっ——」
呟き終える前に、カールの意識は深い眠りの淵へと引きずり込まれていった。
* * * * *
隙間のないファイヤーボールの弾幕がカールの行く手を阻む。これまで何度も命を守ってくれた天翔の鎧も、ついに光を失った。
「っ——————」
兜は割れ、胸当ては砕けて落ちてしまった。服は裂け、全身に負った火傷の痛みと疲労で目がかすむ。
次に直撃を受けたらまずい。
加速した矢先、炎の渦が目の前を埋め尽くした。
ファイヤーブレス。
目を閉じる。
万事休すか。——否。
加速。まっすぐ前に。
伝えたいことがある。彼女に。だから。
目を開き、勢い良く前へ。
「————ラ!」
見慣れた部屋。王城でのカールの寝起きにあてがわれた客室だ。早朝の穏やかな風が窓から流れ込む。
鎧こそ着ていないが、服は破れていないし怪我や火傷の痛みもない。
どうやら夢を見ていただけのようだ。
そんなことよりも。
「ええと」
「はいっ」
カールの戸惑う呟きに対し、左右から少女たちの返事があった。
「お帰りなさい、カール。お疲れ様」
かたや、緑の髪。パーミラだ。彼の右手を握り、笑顔を輝かせる。
「カール。あの……、ありがとう」
かたや、赤い髪。ローラだ。彼の左手をそっと包むように手を添え、頬を染めて上目遣いで見つめている。
「ふうん。二、三日見ない間にまーた女の子ひっかけたのね、ヘタレのくせに」
頭上を移動する高い声。
カールは弾かれたように視線を上げた。
「マミナ、お前っ」
身長三十セードのフェアリーが羽根を止め、腕組みの姿勢でカールの目の高さまで降りてきた。あの日見た薄桃色の衣裳。ローラが作った、マミナお気に入りの一着だ。
「無事だったのか。よかった」
「ふふーん。聞いて驚け。あたし、あんたなんかより何倍もかっこいい金髪の御曹司に気に入られて、彼のものになったのよ」
「……。悪い、もう一回言ってくれないか」
そのとき、ドアの方からくすくすと笑う声が聞こえた。そちらへ首を向けたカールは数回瞼を瞬き、ドアの外に立つ少女を見つめる。黄緑色のセミロング、おそらくエルフだ。物問いたげな視線をパーミラに向けたが、答えたのは初対面のエルフの方だった。
「ごめんなさいね、ノックもせずに。初めまして、カール。あたし、パーミラと同じくユージュの森で暮らすエルフです。エマーユというの、よろしくね」
「え、ああ、こちらこそ。でもなんでエルフがここに」
「惚れてもダメだぞ、カール。エマーユはキースの二号さんなんだから」
マミナが茶々を入れるや、エルフとフェアリーによる笑顔の睨み合いが始まった。
「邪魔するよ、兄貴。おお、広い客室だな」
「あ、兄貴?」
朗らかな声とともに金髪少年が入ってきた。
「俺はキース。アーカンドルから来たんだ。すげえな、兄貴。独りでワイバーンを撃破するなんて」
「思い出した。そういや、独りで何体もゴーレムを倒してた金髪がいたな。それ、もしかして君か」
しかし、カールの目は少年に続いて入ってきた巨漢へと吸い寄せられ、そこで会話が途切れる。巨漢は必要以上に背を丸めているようで、その足取りは重い。
「ギムレイ! がんばったな、争いごと大嫌いなお前が」
「それはお互い様だし、カールこそ途轍もないことを成し遂げたと思うぞー」
受け答えしながらも、親友のウォーガの視線は一箇所に定まらない。マミナを目の端に捉えては逸らし、を繰り返しているのだ。
カールは苦笑し、マミナと視線を交わす。それに対し、ウインクして見せたマミナはギムレイの肩へと飛んで行った。
「あら、アイコンタクト? なんだか妬けるわね」
カールの右手から軋む音が聞こえたような気がしたが、彼は気のせいだと思うことにした。
「マミナなら当然というか。幼馴染なんだし。でも、さっきカールがエマーユさんに向けた視線は……なんか、パーミラを見てる時と近いっていうか。そりゃ、あたしなんかが比べてもらおうなんておこがましいんだけど……」
左腕がちくちくするような気がしたが、きっと抓られているわけではあるまい。彼は黙って天を仰いだ。
「あたしはギムレイのこと大好き! ギムレイになら、食べられたって構わない。そのくらいお世話になってるんだから。あ、でも今はあたしキースのものなんだから食べないでね。
とにかく、あたしはいつだって味方なんだからギムレイは何も気にしなくていいのっ。ね、キース」
「おう! よかったら俺と一緒に来ないか、ギムレイ。うちの近くにドワーフの工房を作ったんだけどさ。ドワーフのおっちゃんたち、力持ちの働き手を募集してんだ。なんでも人間じゃいまいち力が足りないって」
「ほえー。やっぱりキースってばスケールおっきいわね! まるで王子様みたい」
この発言にエマーユとパーミラが同時に笑い出し、マミナは首を傾げるのだった。
* * * * *
謁見の間に呼ばれたカールは、国王から終始笑顔を向けられた。
国王は大変な喜びようで、彼を騎士に叙勲すると告げたのだ。
慌てたカールは床に額を擦り付けるほどに平伏して固辞した。
「陛下。風の民を騎士に叙勲するなど前例がありません。それに、私は旅に出たいのです」
「これ、そなたは救国の英雄。そのような姿勢をとるでない。前例など関係ないわ。だが、そなたを縛り付けるつもりもない」
そう告げる国王はどこか寂しそうだった。そんな国王に、キースが耳打ちをする。
何故キースは国王と対面する場所に傅くことなく、国王の隣に設えられた豪奢な椅子に座っているのだろうか。国王は気さくな人物ではあるが、カールと変わらぬ年頃の少年を対等に扱い、がっしりと握手を交わしてもいた。平素なら疑問に感じて当然のことを、この時のカールには考える余裕がなかった。
「ふむ。ではキース殿——」
キースの目配せに気付き、国王は言い直す。
「キース殿の助言に従うとしよう。カールよ、そなたを外遊騎士に叙勲する。そなたは騎士だが、我が国の法や慣習に縛られることはない。大陸中どこへでも、好きな時に好きなだけ旅してくるがよい」
国王としてみれば、カールへの感謝の形を示すにはそれでも足りない。年頃の姫がいれば嫁がせていたかもしれない。
だが、前代未聞、破格の厚遇である。カールはただただ目を丸くするのみであった。
復路のキース一行は、メンバーが倍増していた。
サーマツ国王が提供してくれた三頭立ての馬車にはパーミラとローラが乗り、御者をギムレイが務める。
なお、金の鎧を身につけることができる者はギムレイ以外にいないという理由により、国王から譲渡された。その鎧は今、小柄な少女二人しかいないキャビンの空間をバランスよく埋める役に立っている。
「ねえローラ、体調は大丈夫? 辛かったらすぐに言うのよ」
「平気よパーミラ。その、あのね? あの時から、すっごく身体が軽くなった感じなの」
唇を押さえて恥じらう少女。パーミラは心なしか頬を膨らませた。
「出遅れたわ。次は負けないもん」
「もう、何言ってんのよ。彼、目覚めた時真っ先にあなたの名前を——」
「え、うそ。だってあなたの名前——」
見つめ合う緑と赤の瞳。それらは同じタイミングで細められ、互いに額をくっつけた。
「なんか、楽しいね」
「うん」
馬車の外では金髪少年が青い髪の少年と肩を並べていた。
「背、高くてかっこいいな。サー・カール・セイブ」
「頼むからそれはやめてくれ。もう、兄貴でいいから。だけどキース。お前も十七だって聞いたぞ、パーミラから。タメじゃねえか」
「いいじゃないか、俺が兄貴って認めたんだから兄貴でさ」
「変な奴。じゃ、先に行くぜ。この鎧、エルフの族長にお返ししてからアーカンドル見物したいから」
「おう。グリズのじいさんによろしくな」
「族長と知り合いなのかよ。つくづく変わった人間なんだな、キースは」
鎧の具合を確かめたカールは、大空へと身を踊らせた。吹く風に身を任せ、ゆっくりと飛ぶ。
その身に受けるはラージアン大陸を吹き抜ける南風。アーカンドルへと流れていく。