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焦茶の毛並みの巨漢

 眼下を流れる景色は猛烈な勢いで後方へと去って行く。

 藁葺き屋根の農村らしき小規模な集落をいくつか見た。木造民家が軒を連ねる中規模の町もあった。煉瓦造りの邸宅が整然と並び、石畳の街道が整備され、広場に噴水まで設置された大規模な街もあった。日々の営みに忙しい人間たちは、上空を高速で飛ぶカールたちには目もくれない。

 人間よりも鋭敏な感覚を持つ動物たちは、動きを止めて空を——こちらを見上げている。肉食獣は追う足を止め、草食獣は逃げる足を止めて。

「わあ。木も花も、動物たちも人間の町も、場所によって全然違うのね」

 エルフ族の少女が張った結界により、飛行中にもかかわらず彼らの髪はほとんど揺れない。彼女を抱き上げたまま飛び続けるカールにも、彼にしがみつくパーミラにも会話を交わす余裕があった。

「ああ、俺もサルーサ山から離れたのはこれが初めてなんで、知らないものばかりだ。ワイバーンの件さえなければ是非とも一つ一つ立ち寄りたいところだよ」

 彼のきらきらと輝く瞳を覗き込み、エルフの少女はくすりと笑った。

「いいわよ。長は帰還の期限を仰らなかったのだし。ワイバーンのことをグライド族の長と、サーマツの国王陛下に報告したら、気の済むまで寄り道しながら帰りましょう」

 ふと、カールは太陽の位置を確認した。日の入りまで一時間といったところか。

「なあ、アーカンドル王国を出てからどれだけ時間が経った?」

「さあ。普段、人間ほど時間を気にしてないから正確にはわかんないけど三時間、いえ、四時間ってところかしら」

 日が暮れる前に野営の準備でもするのだろうか。それなら、森の民として役に立つ自信がある。そう告げるパーミラに対し、カールは微笑しつつ首を横に振った。

「いや、多分もう中間地点を越えて随分飛んでる。あと一時間もあれば着くと思う。野営するまでもない。……しかし、なんてスピードだ。これが鎧の力なのか」

 こんな凄いもの、ますます俺なんかが貰っていいはずがない。早目に返さないと気が気でない。

 そう呟く彼に、パーミラとしてはつい苦笑してしまう。

「カールは変わってるのね。長はあなたに預けたのではなく、与えたの。素直に貰っておけばいいのよ」

「そうはいかない。鎧ってのは立派な武器だ。武器は戦士のもの。俺は、余所の土地のことを知るためならなんだってやりたいとは思うけど、戦うのだけはまっぴらごめんだからね」

「そうなのね。みんながカールみたいな性格なら、きっと戦争なんか起きないでしょうに」

 軽い調子でそう言うと、カールは思案顔になり、真面目な調子で応じた。

「どうかな。確かに俺は、戦争がいいことだなんて微塵も思わない。今までもこれからも、それは変わらない」

 ——世界に一人くらいいたっていいじゃないか。戦いや争いごとを心底嫌う、俺みたいな奴が。

 その呟きは胸中にとどめたというのに、誰かに言い訳しているかのような居心地の悪さに顔をしかめた。

「俺ははぐれ者だから失うものがない。だから何するにも自由だと思ってた。でも」

 失うものがない。それは一度全てを失った者がゼロからやり直すための覚悟の言葉ではなかろうか。最初から何も持っていない者には守るべき物がない。守るものがないなら戦う必要もない。それを言い訳に、目の前の戦いから逃げ回ってきただけなのではないか。

 アーカンドルでパーミラを待つ三〇分の間、その気になればそこらの通行人に話しかけることくらいできたはずだ。なのに、自分への言い訳として「時間がない」と決め付け、誰にも話しかけなかった。あんなに他者を知りたがっていた自分が、いざ踏み出すべき最初の一歩を躊躇して——、逃げてしまったのだ。

「そうか、そういうことか」

「どうしたの」

 青髪の少年はしばらく言葉を探すように遠い目をしていた。やがて、「なあパーミラ」と遠慮がちに切り出す。

「グリズ様ってさ、すっごい穏やかな方だよね」

 突然の話題変更に戸惑いながらも、緑の髪の少女は黙って頷く。

「俺、飛びながらずっと考えてたんだ。なんでグリズ様、戦いに参加したんだろうって」

 彼は答えを求めて訊いているわけではない。それがわかるので、彼女は穏やかに微笑んで先を促す。

「そしたらさ、気付いたんだ。グリズ様は守りたかったんだな、って。大切なものを全部」

 まじまじと見つめてくる彼女と目を合わせたのも束の間、照れ臭そうに前方へと視線を逸らす。

「……いや、言葉にすりゃ当たり前のことなんだけどさ」

 それにひきかえ、自分はどうなのだ。胸中で自問するカールの口許に、苦い笑みが浮かぶ。

「守りたいと思うほど、誰かと深く関わろうとしてこなかったんだ。はぐれ者の俺が他の集団を知ったところで、どこまで行っても余所者に過ぎない。ただ、変化のない日々に嫌気が差して、自分たちのことについてさえ深く知ろうともせずに逃げ出しただけなんだ」

 これからもずっと、自分にできること、するべきことから目を逸らし、逃げ続ける日々を送ることが自分の望みなのか。そのために旅に出ようと思ったのか。

「違う、そうじゃない」

「カール?」

 訝るパーミラに目で謝ると、ぼそりと呟く。

「今と違う場所に行けば新しい自分になれる。多分俺はずっとそう思ってたんだ。何の根拠もなく」

「今でもそう思ってる?」

 彼は静かに首を振った。しかしそれは明確な否定ではない。

「わからない。でも、一つだけわかったことがあるんだ」

 紺碧の瞳に力強い輝きが灯る。

「グリズ様にお会いして、俺は自分が恥ずかしいと思った。このままじゃだめだ、変わりたい。そう思ったんだ」

「あたし、応援する」

 カールは嬉しそうに笑ったが、すぐに笑顔を消した。

「ギムレイ?」

 厳しい目つきで左右を見回す。

「気のせいか……。そうだよな、こっちは飛んでる最中だ。ギムレイの声が聞こえるわけがない」

 だが、それからというもの、カールの様子は明らかに落ち着かなくなった。気もそぞろで、パーミラが話しかけてもろくに会話が成立しない。

「悪い、パーミラ。さっきから胸騒ぎがおさまらない。気を張っててくれ。結界の強度ぎりぎりまで加速する」

「わかった」

 彼女は短く答えた。今でさえ充分に速いのにまだ加速できるの、とは声に出さずに問いかける。

 間もなく、実際の現象によって彼女の疑問に対する答えが示された。眼下の景色は線となり、網膜に像を結ぶ暇もなく後方へと流れ去る。切り裂いた軌跡へ周囲の空気が流れ込み、彼らの後方では猛烈な突風が吹き荒れた。

 一五分ほどそのペースで飛ぶと、カールは減速し始めた。どうやら、すでに着陸地点を見定めている様子だ。

 彼の視線の先はごつごつとした岩場だった。そこでは、何者かが大きな身体を横たえている。

「え? カール、ちょっ……、待って。あれってウォーガよね?」

 慌てるパーミラに構うことなく、躊躇わず近付いて行く。

「ギムレイ、どうした! 何があったんだっ」

「友達……なのね」

 今や必死の形相で喚くカールには、腕の中にいる少女の声さえ届いていないようだった。


* * * * *


「ギムレイ、しっかりしろっ!」

 カールは着地してエルフの少女を降ろすや、力任せにギムレイを抱えて立たせようとした。

「待って。怪我か何かの発作なら、動かすことで致命傷になることだってあるわ」

 パーミラは冷静に彼を押しとどめると、ウォーガの巨体にぴったりと寄り添った。

「目立った外傷はない。ウォーガの平熱はわかんないけど、高くも低くもないと思う。脈拍は正常」

 てきぱきと調べ出した少女は、立ち尽くすカールを見上げて訊いた。

「このあたりで毒を持つ生き物と言えばどんなのがいるかしら」

「ユージュ山とそう変わらないと思うぞ。フォブロルっていう草食獣が多い。それより小さい奴なら蛇や蠍。もっと小さい奴なら蜘蛛や蜂。いずれもウォーガを積極的に攻撃するなんて聞いたことないし、刺されたり噛まれたりしたところでギムレイがへばるとも思えない」

 パーミラは顎に手を当てた。

「あと考えられるのは——」

 身を乗り出し、無言で先を促す青髪の少年に対し、気の抜けた声で答える。

「単に眠くて寝てるだけ、とか」

「んあー、よく寝た。やあ、カールじゃないかー。お、はじめましてだね、エルフのお嬢さん。カールの友達かい」

「まさか、本当に寝てただけ……」

 口を開けて固まってしまった。

 パーミラは朗らかに笑うと、きょとんとしているギムレイの方を向いて説明した。

「カールったらね、勝手に胸騒ぎがするって言って焦ってたの。ギムレイさんだっけ、あなたに何かあったんじゃないかって」

「ギムレイでいいぞー」

「はい、ギムレイ。あたしはパーミラ、よろしくね」

 立ち上がるととパーミラの倍近い巨体なので、ギムレイは座ったままの姿勢で彼女と向き合った。手を差し出す少女に対し、目で断って軽く頭を下げる。それでも彼女は手を引っ込めないので、自らの毛皮で掌を拭ってから遠慮がちに握り返した。やけに人間的な仕草だった。

「ふふっ。なんだか、安心。さすが、カールの友達ね」

「どう言う意味で言ってんの」

 早とちりを恥じるように青髪を搔いていたカールが呟く。

「褒め言葉よ、もちろん」

 ギムレイが周囲を見回していることに気付き、カールは彼に目で問うた。

「おいら、待ち合わせしてたんだ。カール、そのへんでマミナ見なかったかー」

「いや。待ち合わせって、この時間なのか」

「日没前って言ってたからなー。おいらぐっすり寝てたから、先帰っちゃったかもなー」

 ギムレイは、今この場にいない少女に謝罪するかのように、頭を下げて呟いた。

「あのマミナがお前を置いてか。俺に対する仕打ちならわかるが、それはないんじゃ——、うん、なくはないな」

 パーミラが割り込んだ。

「マミナって」

「俺たちの友達。フェアリーの女の子だぞー」

 会いたい、とはしゃぐ少女の気分に感応し、ギムレイと二人で盛り上がる。

「毒舌家で気分屋。過度な期待は禁物だぜ」

 この場で仏頂面をしているのはカールただ一人だった。

「さて。この時間からじゃサーマツ王への謁見は無理だけど、グライド族の長には伝えておかないとな。元はと言えばそのために急いで来たんだし」

 マミナがサルーサ山にいない可能性など、この時の彼らは全く考えていなかった。

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