雷光の胎動
ワイバーンの口から強烈な炎熱が噴き出した。
「金の鎧よ、せめて少しでも炎を受け止めてくれ」
巨漢は両腕を広げて仁王立ちし、静かに目を閉じた。
「全員、陛下のおそばへ! 一箇所に集まれ。この老いぼれ、命に代えてお前たちだけでも——」
「余は構わぬ! それよりパーミラだ。エルフは火に弱いと聞く」
「いけません陛下——」
火炎は怒濤の勢いで押し寄せる。居並ぶ者たちの覚悟もむなしく、飛び交う怒号もろとも炎熱の幕に包まれてゆく。
やがて渦巻く炎海が辺り一帯を呑み込んでしまった。
それからしばらくは、囂々と燃えさかる音のみが全てを圧倒して響き渡った。
一陣の風が吹き抜ける。
城門は焼け落ち、地面は黒く焦げていた。ところどころ、煙がくすぶっている。立って動く者はほとんどいない。そんな地上の様子を見下ろし、アイエンタールは大声で笑う。
「さて、邪魔者は片付いた」
言いながら探る目を凝らす。
「将軍の姿が見えぬな。万が一生き延びておるとしても確認は後でいいだろう。多少順番が前後したところで、手の打ちようはいくらでもある」
呟き、一通り見回す。目を止め、数える仕草をした。
「なんと、オークは全滅か。コボルドどもも随分減ったものだな。……四、五……、七匹か。充分だ」
サーマツ兵もそれと同数ほど残っていたが、例外なく怪我を負っていてうずくまるか横たわるかしている状態だ。とっくに戦意喪失しており、誰一人逃げ出そうとさえしていない。
逆臣は紅竜の首筋を撫でるような力加減で軽く叩いた。
「そなたの片目を奪った男は、とんだ腰抜けだったようだな。暴れ足りぬかも知れぬが、しばらくはおとなしく待っておれ」
紅竜の唸り声を肯定の返事と確信したのか、彼は一つ頷いて飛び降りた。生き残りのコボルドのそばまで歩いてから空を見上げる。紅竜は無関心な様子で低空に静止していた。
「サーマツ帝国を建国したら忙しくなるぞ。大陸中の国家を呑み込むのだ。私とお前がいれば無敵だからな。いずれ、あのスカランジア帝国も従えるのだ」
唸り声さえ返さない紅竜の様子に苦笑すると、アイエンタールはなだめる口調に変えて告げた。
「わかっておる、まずは今日のことだな。最後の仕上げが残っておる。合図をしたら、私に操られたフリをしてコボルドどもを……。よろしく頼むぞ」
冷酷な命令をしておきながら、何食わぬ顔で近くにいたコボルドに視線を向ける。同じ口調で話しかけた。
「お前とお前。城の入り口で待機。他は私より先に城へ乗り込め。目についた奴なら誰でもいい、襲え。怪我させても構わんが、決して殺すなよ」
知能が低いはずのコボルドたちが、甲高い鳴き声を返事に代えて城へと向かう。
「ふむ。コボルドのような知能の低いものも操れるのは便利だな。三日も前にかけた催眠術だというのに。
喜べピエロ、貴様は少しだけ私の役に立ったぞ。もっとも、今後は催眠術のようなチンケなものに頼る必要がないのだがな」
一頻り笑うと、ゆったりとした足取りでコボルドの背を追って歩き出した。
紅竜は退屈そうに唸り声を漏らすと、そのまま隻眼を閉じた。その場で束の間の眠りを貪るつもりのようだ。上空には黒霞が点在し、静かに浮かんでいた。
かすかに二度、いや、三度——
そのうちの一つ、一番低い所に漂っている黒霞が光った。落雷を放つ直前の雷雲よろしく断続的に光を漏らしている。
気付く者は、この場にいない。
* * * * *
揺れる馬車のキャビンで、かしましくおしゃべりをしていた少女たちが押し黙った。二人同時に目を見開く。
「パーミラ……」
緑の髪のツインテール、エルフの少女が呟いた。
「ギムレイ……」
深紅のセミロング、フェアリーの少女が呟いた。
二人の様子を交互に見た金髪少年は、御者台の青年たちに声をかける。
「リュウ、前方に異変は?」
「いいえ、特に何も」
「メリク、遠方を透視または感知するマジックアイテムは?」
「ありません、殿——、キース」
いきなり声をかけられたにもかかわらず、青年たちは打てば響くように返事を寄越した。
キースは少し考え込んでから、目の前の少女たちに問いかけた。
「どうした。何を感じたんだ」
「それが、わからないの」
答えるエマーユの肩の上で、マミナは黙って首を横に振る。
「突然目の前が真っ暗になったような——」
少女たちが発した言葉はぴたりと重なり、互いに顔を見合わせた。
「ふむ。君たちは魔族だ。俺たち人間よりも感じ取れるものは多いはず」
「ねえ、キース。今すぐにでもパーミラの無事を確かめたい。なんとかならない?」
エマーユの言葉を受け、金髪少年は腕組みをした。
「うーん。メリクの短冊を全部使っても距離が足りない。〈白竜の門扉〉は二つとも不良品。このまま馬で移動するのが一番速い」
「はくりゅうのもんぴ……。それってマジックアイテム?」
話に割り込んだマミナを見つめ、キースは黙って頷く。
「以前、カールに聞いたことがあるわ。魔族って、体内の魔力を魔法に変えて、一時的に不自然な事象改変を起こす能力を先天的に持っているんだって」
「その名前、聞くの二度目だな。随分と物知りみたいだが、賢者か」
「まさか。魔族のくせに本好きな、ただのヘタレよ」
マミナは、幼馴染の紹介はそれでお終いとばかりにばっさりと切り捨て、話を続ける。
「それでね、人間は体内の魔力を魔法に変える能力を持たずに生まれてくるんだって。マジックアイテムというのは、アイテムそれ自体もある程度の魔力を宿してはいるけれども、要するに使用者の魔力を吸収して魔法に変える変換装置——あれ、装置で合ってるかしら——だとか言ってた」
聞き終えた途端、キースの瞳が輝いた。視線をマミナに据えたまま、御者台に呼びかける。
「メリク。〈白竜の門扉〉だ。二つとも出せ」
「わかりました。……キース、なにかお考えが?」
黒髪の青年から白い球状のアイテムを二つ受け取りながら、彼はニヤリと笑った。
「勘違いに気付いたのさ。レプリカの不良品って、魔力不足によるものだと思ってたんだ」
エマーユが首を傾げる。
「ええと、どういうこと?」
彼女の手を取り掌を上向きに開かせると、キースは受け取ったばかりの球体を二つとも乗せた。
「魔力変換機能に問題があるのに違いない。そいつを補えばいいのさ。ここには幸い、レプリカは二つあるし、魔族も二人いる。やってくれるか?」
エルフとフェアリーは再び顔を見合わせると、同じタイミングでキースへと向き直った。真剣な顔つきとなり、唱和する。
「やるわ! どうすればいいの?」
「俺の考えが正しければ」
そう前置きして、キースは語った。普通に呪文を唱えるだけでいい、と。拍子抜けする少女たちに微笑んで見せ、手品の種明かしでもするかのように言葉を続ける。
魔族が呪文を唱えることで、レプリカに不足している魔力変換機能を補完できるはずだというのが彼の考えだ。ただし、魔法という奇跡を発現させるプロセスと、魔法による事象改変を世界に定着させるプロセス両方に不具合がある可能性があるため、二つのアイテムを使って二人同時に呪文を唱えることを提案した。
「駄目で元々、試す価値はあるだろ」
その言葉に、二人の少女は力強く頷くのだった。




