緑色の覚悟
ぎらつく隻眼がカールを睨めつける。霹靂の咆哮を轟かせると共に、霊威の波動を放出した。
霊威。稀に神威とも呼ばれる、遥かな昔この大陸に存在したとされる神々が身につけていた能力——否。能力というより存在の格を示す威厳に近いものである。
たとえ末席とは言えワイバーンは竜族に名を連ねる魔獣。彼らも霊威を身につけていたのだ。
この波動をまともに浴びると、同格以上の霊威を身につけた者でない限り威圧されてしまう。まさに蛇に睨まれた蛙、ろくに行動できなくなる。
カールの顎から汗が滴り落ちた。空中に静止したまま全身を震えさせている。歯の根が合わず、奥歯が音を鳴らしている。
——どうした。その程度の存在が、よくも我に抵抗しようなどと思ったものだな。
「————っ」
軽く振られた尻尾の中ほどが、カールの横面を張る。そのままの勢いで真横に吹っ飛ばされた。汗に混じり、赤いものが顎を濡らす。
苦痛の呻きが漏れた。
尻尾の先端が右肩の肉を抉ったのだ。黄金の槍を取り落とし、慌てて左手を伸ばしたものの遅かった。
次いで、尻尾が全身に巻きつく。大蛇のごとく、ぎりぎりと締めつけ始めた。
「か……はっ」
開いた口は空気を吸い込むこともかなわない。ろくに声も出せずにいる彼の目の前、拳一つほどの位置に——。
尻尾の先端が静止していた。
——弱い。くだらぬ。
先端は顔から少し離れる。束の間の静寂。しかし、それはすぐに破られる。
絶叫が尾を引いた。
幼児が遊び飽きた玩具を捨てるかのような粗雑さで、紅竜はカールの身体を放り投げたのだ。
頭から落ちていくグライド族の青年は、自らの意志で飛んでいるようには見えない。その顔面、右半分は真っ赤に染まっていた。
* * * * *
「グアアア!」
金の甲冑をまとう巨漢は、突然大声で吠えるや片膝をついた。その首をめがけ、剣を振り下ろさんと振りかぶっているのはスケルトン戦士だ。
風切り音を唸らせ、巨漢の首筋に凶刃が迫る。
「どうしたギムレイ」
国王の剣が凶刃を打ち払う。間髪を容れず、緑色の魔力弾がスケルトンを吹き飛ばした。
「陛下、面目次第もございません。パーミラ、助かったよ」
「ギムレイよ。その様子、カールに何かあったか」
そう聞いてくる国王に顔を向けると、ギムレイは告げた。
「顔の右半分……。特に目のあたりに激しい痛みが。詳しくはわかりませんが」
パーミラが息を飲んだ。 その音を背中に聞くと、ギムレイは顔を伏せた。
せめて彼女の耳がある場所では、莫迦正直に答えるのでなく、言い方を考えるべきだったか。
伝えた事実に伴う場の空気の沈滞。それは戦場には不要な隙となった。
「きゃあああっ」
「パーミラ!」
悲鳴を上げて吹っ飛ぶ少女。ギムレイが慌てて振り向くと、目の前に彼女の背中が迫っていた。
「闇を祓うは神威の灯火」
声を張り上げたのは国王だ。マジックアイテム〈黄竜の灯籠〉は、代々サーマツ王が肌身離さず持ち歩くオリジナルアイテムである。
国王の手から複数の光る球体が飛び出していく。球体は離れた場所に着弾すると、爆ぜて火花を弾けさせた。
着弾地点で悲鳴と共になぎ倒されたのは敵の魔法攻撃部隊であろう。敵の連携が崩れ、点在する人外戦士どもも浮き足立っているようだ。
勢いを得た味方の兵たちが、さらに敵兵の連携を崩すべく切り込んでいく。
「ふ、不甲斐ない護衛で申し訳ないです、陛下」
「なんの、これからの働きで返して見せよ。それよりパーミラは無事か」
「はい、なんとか無傷です。……ありがと、ギムレイ。もう大丈夫だから。手、どけてくれる?」
彼女の視線は自身の胸元へと向かっていた。それに促されるように三人が注目する。パーミラの双丘をギムレイの大きな掌ががっちりと掴んでいた。
「ご、ごめん。おいら、なんてことを」
「いいわよ、地面で背中を打たずに済んだもの」
彼女は立ち上がると、憂いを帯びた瞳で空を見上げた。しかしすぐに決然と眉尻を上げ、告げた。
「あたし、カールを『治療』します」
ギムレイは思わず国王と視線を交わすと、パーミラの手首に巻かれた忌まわしい腕輪を見る。
「治療魔法を使えば、パーミラもローラも苦しむことになる」
「わかってる。でもローラ、連れ去られる時にこう言ったの。『カールをお願い』って。だから、カールのこと二人で助けるの。きっとわかってくれる」
「ふむ」
国王は空を見上げた。
「よい覚悟だ。しかしどうやって助けるのだ。彼は今、空の上なのだぞ」
ギムレイの右腕が光り、新たな金色の槍が出現した。
「パーミラ、この槍に治療魔法を魔術付与して。もう一度、カールのところへ飛ばすから」
頷き、槍に手をかざすエルフの少女。その全身から緑色のオーラが立ち上る。刹那の後——。
「あああああああっ」
甲高い悲鳴が響き渡った。