茶色に煙る籠城戦
カールはアルアの葉を腹にあてがうと、魔法で包帯を素早く巻いた。
両手で剣を構える。
出撃前は、まる一日だろうが余裕で空中戦を繰り広げる自信があった。しかし、出血は体力を大幅に削る。
紅竜への牽制としてエアスラッシュを連射しつつ、当面の止血に集中した。
「くそっ、包帯生活に逆戻りだぜ」
己の不注意が腹立たしい。悪態をつき、歯を食いしばる。
残された体力は、少しでも多く攻撃に振り分けなければならない。
そこへ、ファイヤーボールの雨が降り注ぐ。
「くっ」
これ以上体力を削られないためには、被弾を回避しなければならない。そんなわけで、今のカールは無駄な動作を極力抑えて逆転の機会を窺う我慢の状態だ。
最小限の動きで避けるカールの様子を勝機と見たか、ワイバーンは容赦なく畳みかけた。
しかし殺到するファイヤーボールは、一つとしてカールの身体をかすりもしない。
「……」
余裕など一切ない。身体すれすれをかすめる火球に肝を冷やしつつ、声一つ立てる暇さえなく動き回る。応急処置こそしたものの、腹部を襲う苦痛に顔をしかめ、脂汗が飛び散った。
このままではジリ貧だ。
「むっ」
気のせいか。いや、そうではない。
カールは確信した。敵の攻撃リズムが乱れているのだ。ファイヤーボールが当たらないことで苛ついたか、雑で単調な攻撃のおかげで弾道が読みやすくなっている。
わずかな呼吸の合間を見逃さず、両手で保持した剣を振った。螺旋状に絡まる青と緑の光が伸びる。
しかし、紅竜は巨体に似合わぬ素早さでこれを避けてみせた。
目で追うカールは口角を上げて言い放つ。
「甘いぜ」
螺旋の光はほぼ直角に曲がると、ワイバーンの頸部に真横から命中したのだ。
長く尾を引く霹靂の咆哮。
思わず拳を握るカールだったが、次の瞬間唖然として口を開けた。
敵は爆炎を割り、怪我ひとつない威容を見せつけたのだ。
「化け物め」
悔しげに唸り、剣を構えて距離をとった。
ちらと後方を見やり、一つ首を振ってすぐワイバーンへと視線を戻す。味方は健在。しかし、想定より移動速度が早く、数も多い黒霞に囲まれて身動きがとれずにいる。しばらく援護は当てにできない。
「なにっ」
心臓が跳ねた。
すぐ目の前に紅竜の尻尾があったのだ。咄嗟に剣で弾いた。
加速魔法——、いや。
「瞬間移動かよ」
そうとしか思えない。呟く声が思わず震えた。
ついさっき自分がやってみせた攻撃。それに近いことを、敵もできるのだとしたら。
剣から左手を離し、乱れ打つ心臓を落ち着かせようと胸元を掴む。そこにタイゲイラがないことに今さらながら暗澹とした思いを味わいつつ。改めて敵を睨み、奥歯を噛み締めた。
「————っ」
背筋を這い登る悪寒。
勘を頼りに加速すると、今の今まで彼がいたところを尻尾が薙ぎ払う。しかも、背後から。
口から飛び出しそうなほど早鐘を打ち続ける心臓を左手で押さえつつ、カールは剣先で円を描く。
そこへ再び尻尾による攻撃。
しかしカールの姿は掻き消え、魔法陣が高速で移動していく。
「喰らえ」
敵の背後に移動した魔法陣から出現すると、剣を振り抜く。
至近距離で青と緑の光線が弾け、激しい火花を散らした。
ワイバーンの雄叫びがこだまする。明らかな苦悶の響きを含んだものだ。だが。
「ぐああっ」
相打ち。複数のファイヤーボールが彼の身体に命中してしまったのだ。
苦悶の雄叫びをあげてなお空中に留まるワイバーン。それに対し、カールの身体は地上へ真っ逆さまに墜ちていく。
「全力なのに、まるで敵わない」
所詮はヘタレ。誰かを守ろうだなんて、身の程知らずにも程があるよな。すまん、みんな。
その声ははっきりとした呟きではなく、うわ言に近いものだ。目を閉じたまま墜ちて行くカールの表情には力がこもっていなかった。
「………………」
最後の意地で繋ぎとめようとした意識が掌から零れ落ちる。弛緩した掌から剣がすり抜けると、それはカールより先に地上へと墜ちて行った。
* * * * *
サーマツ城の堀の間際に異形の軍団が集結していた。城から見下ろす兵たちが目を凝らすまでもなく、敵兵の多くは普通の人間でないことが見て取れる。
等身大の戦士の中には人骨が混じっている。仔牛なみの体長を誇る黒犬もいる。黒犬の正体はヘルハウンド、燃えるような赤い目を持つ凶暴なモンスターである。小鬼の姿も見られる他、オークといった人の身長を超える魔物さえも散見される。
一方、普通の人間——もしくは人と見分けがつかない魔族——は攻城軍の後方に控えている。特に目立つ攻城兵器の類が見られない以上、後方の連中はメイジ隊だろう。破壊力のある魔法攻撃を担当する部隊である可能性が高い。
将軍の決断は早かった。先手必勝。
「撃て!」
城下に迫る異形の者どもを目にしても些かも慌てることなく命令を放つ。
応じる一般兵たちの叫び声は若干裏返ってはいたが、高い士気に後押しされて遅滞なく命令を実行する。大砲や火矢、投石といった強力な攻撃が繰り出され、異形の群れへと降り注いだ。
城下に茶色の土煙がもうもうと立ちこめた。
快哉を叫ぶサーマツ兵たち。
「気を抜いてはならんっ」
老人の怒声が響き渡る。同じ声で、続けて指示が飛んだ。
「壁、第一班」
「遍く災厄を遮る神盾よ、敵の牙を折る壁となりて立ち塞がり給え」
指示の主はグライド族長ガルフェン。それに応じて呪文を詠唱したのはサーマツ軍の魔法部隊である。
青く光る円形の魔法陣が十数個も展開したとき、城下に立ちこめる土煙の隙間から色とりどりの光が噴出した。
赤や緑、白や黄色の光が城下から一直線に飛来すると、魔法陣の壁にぶつかって盛大に爆ぜる。
地面すれすれを飛ぶ光は城壁に命中し、城全体を微かに揺らした。
「壁、第二班! 城門を突破されてはならん」
「撃て!」
防御のために展開している魔法陣は、敵の攻撃を防いで味方の攻撃を通す一方通行の盾なのだ。
異形の群れを一気に削るべく射かけた矢は、しかし土煙を貫くことなく失速して地面に落ちてしまった。
敵も魔法防御を展開しているのだ。
「この戦い、長期戦はあり得ない。全力でかかれ!」
将軍の大音声に、兵たちも声を張り上げて応えた。各々、厳しい眼差しを城下に向けて武器を構える。
サーマツ城攻防の戦いの火蓋が今、切って落とされた。




