青と緑の全開戦闘
加速を続ける白銀の矢と化したカールは、ワイバーンの背を掠めるように交差すると、反転して静止した。紅竜も同様に静止している。
睨み合いの均衡。しかし、それはすぐに崩れる。
両者の中間に黒霞が割り込んだと見るや、それらはカールめがけて突進し始めたのだ。
『カール、いったん距離をとれ! 俺たちの方も霞野郎に囲まれた。援護できない』
「ちいっ!」
返事の代わりに舌打ちが漏れる。別の黒霞に退路を絶たれ、距離をとることもままならない。
カールとしては本気で個人プレーするつもりはない。いや、なかった。これは打ち合わせ済みの作戦——ワイバーンの油断を引き出すための陽動だったのだが、黒霞の動きは三日前より明らかに速く、計算が狂った格好となってしまったのだ。
「やむを得ん」
奥の手として用意した魔法を早々に使う。決断と同時にカールは全身を青く光らせた。が、練り上げた魔力を解放するよりも一呼吸早く、霹靂のごとき咆哮が轟いた。
鎧から覗く髪が強風に吹き乱される。彼自身の魔法によるものではない。ワイバーンを中心とした強風が放射状に吹き荒れている。強烈な圧力に抗うために細めた視界の中、展開されている光景にカールは舌を巻いた。グライド族を散々苦しめた黒霞どもが、いとも容易く吹き飛ばされていくではないか。
——邪魔をするな。
ワイバーンの吠え声にこめられた意思がそのような言葉として聞こえたのは、はたしてカールの錯覚であろうか。たったいま紅竜がやって見せたのは、意思そのものを物理的な圧力と化して周囲に放散する攻撃である。それは、彼が知る魔法の範疇から外れたものだ。
なぜなら、紅竜はその隻眼で視認し得ないものを含め、黒霞だけを選択的に吹き飛ばし、あまつさえその幾つかは消滅までさせてしまったのだから。
もちろんカールが知らないだけで、それもまた魔法のいち形態なのかもしれない。少なくとも、敵には視認し得ない領域をもカバーする攻撃手段があることがわかった。これは想定外の脅威だ。先の戦闘で片目を潰しておいた優位など、跡形もなく消えてしまった。
『カール!』
「こちらは気にするな」
仲間たちからの、余裕の欠片もない呼びかけに短く返事をする。ワイバーンは、黒霞のうち消滅させなかったものはその大半について、カールの後方に展開するグライド族を取り囲むように吹き飛ばしたのだ。
しかし、付け焼き刃とはいえそのために訓練をしてきた。落ち着いて対処しさえすれば、仲間たちはいずれ霞の包囲網をすり抜けるだろう。もっとも、時間がどれだけかかるかは未知数なのだが。
「紅トカゲはタイマンをご所望、ってか。上等だぜ」
カールは頬を伝う汗と共に言葉を吐き捨てた。
予備動作を見せず、気合とともにエアスラッシュを飛ばす。その全ては頭部を——残された隻眼を狙ってのものだ。
カールによる不意打ちぎみの先制攻撃に対し、ワイバーンはわずかに首をそむけるだけの動作でかわしてみせた。
互いに急上昇。
背後に回り込もうとするカール。させじと尻尾を振り回す紅竜。
三日前の戦闘のせいで、尻尾による攻撃は軽くトラウマになっている。間合いを嫌って距離を取ると、紅竜はすかさずファイヤーブレスの連射版——ファイヤーボールとでも呼ぶべきか——を放ってきた。
「くっ」
避けきれなかったいくつかの火球は、鎧が弾いてくれた。ダメージは問題にならない程度だ。
ここまでのところ、手数の多さといい一撃の重さといい、とてもではないが拮抗しているとは言い難い。
早くもカールの呼吸は浅く早いものとなり、滝の汗が顔面を濡らし始めた。
ボウガンを構えた。が、同じタイミングで視界が赤く染まる。
「ぐ——っ」
武器に被弾。矢の一本も放つことなくボウガンを取り落としてしまう。
「くそう」
有効な反撃ひとつ入れられない焦りが苛立ちに変わる。
続いて剣を抜くと、頭上に構えて陽光を反射させた。
そこへ敵のファイヤーブレスが襲いかかる。
「うおおお」
剣閃の延長線上に緑の光が迸る。
「サンキューな」
エルフの少女の笑顔を脳裏に浮かべ、微かに頬を緩めてから奥歯を噛みしめる。予めパーミラが剣に付与してくれていた攻撃魔法が、敵の火炎を左右に切り裂いたのだ。
炎の壁が取り払われ、互いの視線が再びぶつかり合う。
「俺は誰かに支えてもらってばかりのヘタレだ。けど、だからこそ」
一歩も引けないんだ。
言葉にする代わりに剣を振る。
青い光と緑の光。螺旋状に絡まり合い、紅竜めがけて一直線に伸びていく。
それは竜の首に命中して炸裂すると、悲鳴ともとれる雄叫びを誘発した。
「まずは一撃」
拳を握るカールをめがけ、炎の礫が襲いかかる。
「避けてみせる」
飛び回り、時には剣で払って怒涛の攻撃をかいくぐる。
全てを避け切るのは不可能であるらしく、鎧の隙間に被弾しては顔をしかめるが、彼の動きは鈍らない。急所への攻撃は、鎧が確実に弾いてくれている。
手応えあり。もう一撃。
しかし。
「——————っ」
視界が霞む。
瞠目し、視線を下げる。
己の腹部から離れていく尻尾。その動きに合わせ、赤い飛沫が散った。
「ぐ……うっ」
再び襲い来る尻尾に対し、無理矢理に剣を振って応戦する。
「やられて……たまるか!」
剣先で宙に円を描く。尻尾を弾く合間にその動作を繰り返すと、いつしかカールの周囲には複数の魔法陣が出現していた。
「風よ、力を」
青い瞳がスパークを散らす。
カールが剣を持たぬ方の腕で紅竜を指差すと、魔法陣は高速で移動しはじめた。
しかし、腕を伸ばして身体を開いた姿勢では、刹那の隙が生じてしまう。
尻尾はそれを見逃さない。振り上げられ、それに倍する速度で脳天へと振り下ろされる。
最早、避けるも受けるも叶わない。
空気を裂いてうなる尻尾は、そのままの速度で真下にまで振り下ろされた。まるで無抵抗に。
そう、カールがいたはずの空間には、既に彼の姿がなかった。
「喰らえ、もう一撃」
ワイバーンの至近距離まで移動していた魔法陣。その中からカールの姿が躍り出る。
その姿は一つではない。
移動した魔法陣、十を超えるそれらの全てから、カールたちが現れたのだ。
「ブラスト・インパクト」
彼らが振り下ろす剣の軌跡をなぞるように、青や緑の光が伸びる。
それら全てが紅竜にぶつかると、サーマツの空に巨大な爆炎の花が咲いた。
爆風吹き荒れる空域を乱舞する複数のカールたち。
やがて互いの距離を詰めていき、一人のカールへと戻った。だらりと下げた腕でなんとか剣を下げ持つ彼は、肩で息をしている状態だ。
手で腹を押さえてはいるが、指の隙間から赤い液体が染み出している。
霹靂のごとき咆哮がこだました。
爆炎を吹き散らし、大きく翼を広げた紅竜が体を揺すり、いったん静止すると隻眼でカールを睨みつける。
「へっ、そう簡単に行くとは思ってなかったさ」
呼吸を整え、剣を構え直したカールではあるが、口許は引き攣り、膝も軽く震えてしまっている。
まだ、戦闘開始から数分しか経っていない。