雷光纏う金色の甲冑
まだ明けきらぬ藍色の空へ、青い光が昇ってゆく。追うように伸ばした手を掴まれて、カールは両手で握り返した。
「待ってくれ、コルマ」
開いた両目が捉えたのは緑の髪の少女。
「パーミラ……」
微笑む少女を見つめているうちに、寝ぼけた頭が少しずつ冴えてくる。
「きみ、いつ寝てるんだ」
「ちゃんと寝てるわよ。いつもよりちょっと早起きなだけ」
「ん? この匂いは」
カールは少女から手を離すと自分の腹を探る。その手に触れたものをつまむと、半身を起こして顔に近付けた。
「アルアの葉だ」
「そうよ」
今は治癒魔法を使えないから、と言葉を続けて唇を噛む。
「ありがとな」
「この葉がグライド族の怪我に効くからって、ギムレイが摘んできてくれたの。お礼なら彼に」
「処置してくれたのはパーミラだろ。昨日まで結構辛かったのが、今朝は随分楽になってる。エルフは森の民だもんな、薬草の扱いが上手そうだ」
その言葉に少女は微笑む。しかし、すぐに口許を引き締めた。
「開戦は午後三時だそうよ。ゆうべ遅くに、アイエンタールから陛下宛に知らせが届いたの」
「日没まで三時間か」
カールの顔色が変わる。その時間は地下牢のスケルトン自滅までのタイムリミットである。自然消滅に際しては、スケルトンどもは必ず毒を吐くと決まったわけではない。とはいえ、当然ながらそれは楽観する材料とはなり得ない。前回の戦闘所要時間を考慮すれば、一分たりとも黒い霞に捕まるわけにはいかないのだ。
「地下牢の方はあたしに任せて」
「……頼む。遠い土地に住むパーミラに厄介を押し付けて申し訳ない」
「地下牢にはローラもいるのよ。他人事じゃないわ」
彼女とローラは出会ったばかりだ。客観的に見れば、パーミラにとって今回の一件は他人事以外の何物でもない。だが、無二の親友に思いを馳せるかのような彼女の様子に、カールは眩しげに目を細めるのだった。
「くそ。せめて、アイエンタールの奴がワイバーンをどこに隠しているのか、それがわかればな。簡単に斃せるものではないが、奇襲することはできる。サーマツ城に攻め込めないよう足止めするくらいはわけないのに」
「カール」
微かな困惑の中に気遣う響きを乗せた声。ベッドから降りると、彼はパーミラの肩に手を置いて告げる。
「悪い。また無い物ねだりしちまったな。コルマの奴は逝っちまったが、力の使い方はしっかり教えてくれたんだ。パーミラにはこうして怪我を癒してもらった。なんか、みんなに支えられてばっかだな、俺」
首を左右に振るパーミラを抱き寄せると、カールは上空を見上げた。
「タイゲイラはないが、白竜が力を貸してくれてる。でなきゃ、天翔の鎧が元通りになるわけがないもんな。だから俺は、今出来ることを全力でやらないと」
ふと、視線を腕の中の少女に戻す。彼女は口を開きかけては閉じる動作を繰り返しているのだ。
「どうした。言いにくいことなら、無理に今言わなくてもいいぞ」
「あ……うん。陛下は口止めなさっていたし、あたしも黙っているつもりだったんだけど。でも、やっぱり伝えておくわ」
「聞くよ。パーミラがそう言うなら、俺も知っておくべきことだと思うから」
「うん。さっき、アイエンタールから知らせが来たと言ったでしょ。陛下に伝言を届けたのはスケルトンだったの」
「なにっ」
カールは直接見たわけではないが、侍従長の死体を骸骨戦士に変えたというスライムの話を思い出し、嫌悪感に眉根を寄せた。
「しかも……。そのスケルトン、直前までごく自然に振舞っていた近衛兵だったのよ」
「————っ」
瞠目し、音を立てて息を飲む少年を上目遣いに見上げると、パーミラは謝罪した。
「ごめんなさい、やっぱり言うべきじゃなかったわね。カールはお城のことは何も気にせず戦うべきなのに」
「いや。知らせてくれてありがとう。それで、そのスケルトンによる犠牲者は?」
「陛下のお側にいらした族長が対処してくださったわ。スケルトンは伝言を終えた途端に毒を吐いたんだけど、エアウォールという魔法の壁に封じ込めたの」
エアウォール。数ある魔法の種類のうち、結界術に分類される防御魔法だ。結界術を苦手とするグライド族においては上位魔法の一つという位置付けとなっている。
「族長は続いてホーリーウインドっていう魔法も使ってた」
「グライド族の最上位魔法だ。族長、寝込んじまっただろ?」
「それがね、サーマツ軍精鋭の魔法士部隊の指揮を任されたらしくて。もう今頃、顔合わせと打合せを終えたところだと思うわ」
「そうか……」
答えるカールの表情は冴えない。
ホーリーウインドは別名『聖なる風』と呼ばれる。魔法によって作り出された幻覚や催眠を含む、主に非物理的な異常状態を正常に戻す効果を持つ。副次的な効果として、スライムのように純粋に魔法だけで生み出された擬似生命ならば、消滅させることさえ可能だ。擬似生命の存在の規模に左右されるが、スケルトン三体程度なら元通りの骨に戻せるはず。
そんな魔法であるだけに、カールは地下牢の人質救出の切り札としてあてにしていたのである。
「あの魔法を使えるの、族長だけなんだ。だけど相当魔力を消費する」
従って、なるべく族長には魔法を使うことなく日没を迎えてもらい、万全な状態でホーリーウインドを使って欲しかったのだ。何より残念なことに、この魔法は一度使ってしまうと、以後丸二日は使えなくなってしまうのだ。
「しかし、緊急事態なわけだからな。近衛兵を含め、陛下のそばにいる人間にこれ以上スケルトンが混じってないのがわかっただけでも収穫だと思わなきゃ」
「ところがそうも言ってられないの」
ホーリーウインドの効果範囲は限られており、その影響は城外に控える一般兵までは及ばない。
前線の兵の中に、何体かスケルトンが混じっているのではないか。
そんな憶測が流れるのは好ましくない。国王は早速箝口令を敷いたというが——。
「もう、噂になってたんだな」
「ええ。アイエンタールがなんらかの手段で噂を流したのか——」
「あるいは、本当にスケルトンが混じってて、そいつ自身が噂を流しているのか」
疑心暗鬼に陥った軍隊は脆い。そのため、人間同士の戦においては古来より、真偽の定かでない情報による撹乱戦術が盛んに行われてきた。
逆臣にして新生帝国の皇帝を目指す人間、アイエンタール。戦の不得手なグライド族にとって、ワイバーンよりも厄介な敵なのかも知れない。
「ローラもパーミラも、傷つけさせはしない。……アイエンタール。貴様の好きにはさせないぞ」
渦巻く風が青い髪と緑の髪を逆立てる。
全身を青く輝かせるカールに寄り添いながら、パーミラは息を飲んだ。コルマの魔力が抜けたばかりとは思えないほど、強烈な魔力を横溢させている。目の前に立つグライド族の青年を、彼女は暫しほうけた眼差しで見つめていた。
* * * * *
沈黙が場を支配していた。
族長は髭をさすり、将軍は腕組みしている。玉座に座る国王は目を閉じたまま微動だにしない。
腕組みを解くと、将軍が沈黙を破った。
「カール殿。それはいかに何でも無理というものだ。ワイバーンに三班編成、わずか十二名で挑むなどと。前回の半分にも満たぬ人数ではないか」
これに対してカールは胸を反らし、不遜とさえとれる態度で応じた。
「背中から矢で射られるよりマシですよ」
将軍は睨むように目を眇めたものの、すぐに両目を細めると視線を下げた。さらには頭まで下げ、無言で謝罪を表明する。
「申し訳ない。今の言い方は俺に非があります」
実際に言葉で謝罪したのはカールの方だった。
「勝手知ったるアイエンタールのこと、何らかの下準備くらいしてて当たり前。ならばこちらは考え得る最善の策で対応するまでです」
カールの言う策とは、ワイバーン迎撃のために訓練したグライド族のうち六班二十四人を族長の指揮下に入れ、サーマツ軍の魔法士部隊と共に城の守りを固めるというものだ。
族長がホーリーウインドを使えない今、 実際に前線の兵たちの中にスケルトンが混じっていた場合、毒を撒き散らされることによる被害は計り知れない。下手をするとパニックが起き、戦闘どころではなくなるだろう。
ホーリーウインドと比べると、エアシールドやエアバキュームでは毒を撒かれた後に対処するしかないものの、毒の拡散を防ぐことが可能だ。
そこで、ワイバーン侵攻の最終防衛ライン、およびスケルトン監視の見廻り要員として、ワイバーン迎撃部隊のうち三分の二を族長に託すことにしたのだ。それは、サーマツ城の広さを考慮してカールが割り出した人数である。彼の主張を受け、玉座の間は沈黙に包まれた。その重い空気を引きずったまま現状に至ったのである。
国王は目を開き、重い声で告げた。
「勝算は?」
「正直に言って、わかりません」
その言葉に、将軍は音を立てて床を踏み鳴らした。
「最優先すべき排除目標はワイバーンだ。迎撃の人数を減らすことなど承諾しかねる」
そこで言葉を切ると、声の調子を落としてから続けて述べる。
「こう言っては卑下しているようで辛いところだが、我々はスケルトンの毒を浴びれば簡単に死んでしまう。人間とはかくも脆いもの。そんな我々をいちいち守っていてはキリがなかろう。
グライド族の皆さんにはただでさえ無理をお願いしているのだ。これ以上負担をかけるのは偲びない。カール殿。どうか、後ろを気にせず全員でワイバーンを迎撃して欲しい」
その時になってようやく、族長は髭を撫でるのをやめた。落ち着いた声で告げる。
「皆無ではないのだな」
その言葉は、国王とカールの遣り取りを受けてのもの。わずかな沈黙は、場の全員がそう理解するための間であろうか。
「はい。一概に、こちらの人数が多ければ有利だとは言い切れません。人数を増やせば、霞に捕まるリスクもまた増えます。まあ、それはそれとして」
カールは瞳を炯炯とさせ、一同を見回した上で国王の正面へと進むと、改めて傅いた。
「ぶっつけ本番になりますが、試したい戦法があります。今回、ワイバーンを城に近付けさせるつもりはありません」
「うむ。そなたに任せる。本来ならば無理はするなと言いたいところなのだがな。こんな状態だ、頼りにさせてもらうぞ」
カールは一礼すると玉座の間を退室した。その背を見送る国王は心なしか口許を緩ませ、族長に告げた。
「実に頼もしい若者だ。よくぞ教育なされたな」
「なんの。私の言うことなぞついぞ聞くことなく、あちこちふらふらと放蕩していた不肖の弟子。すぐにボロが出ますゆえ、くれぐれも過度な期待はなさらぬように」
その言葉を聞きながらも、将軍も頬を緩ませていた。再び髭を撫で始めた族長の様子が、どこか誇らしげな様子だったからだ。
「陛下、ガルフェン殿。我が軍としても、出来ることは全てやる所存。これにて失礼を」
「頼むぞ」
国王の声は相変わらず重いままだが、いくらか張りが戻ったようだ。
「それでは私も最後の支度をば。——ギムレイ」
「はい」
それまで彫像なみの存在感で国王の後ろに控えていた巨漢が、静かに返事をした。
「敵の中に、個人的に憎むべき相手がおることは承知しておる。だが、それを曲げてでも——」
「わかってます、族長。個人的な感情をぶつけたところで何が変わるわけでもありません。少なくとも、マミナはあいつの許に居るわけではないのですから」
「……うむ。アイエンタールの狙いは、サーマツ王国を礎とした新帝国の建国。不遜にもその初代皇帝などと、建国前から嘯いておる。どんな形にせよ、奴は必ず陛下のお命を奪いに来る」
だから、と言葉を続けながら、族長は巨漢を見上げた。
「お主が護りの要じゃ」
仁王立ちする巨漢は、見慣れた茶色の体毛を今はほとんど隠している。その巨体のほとんどが、金色の甲冑で覆い尽くされているのだ。
「ただの飾りと思っていたそれが、よもや魔術付与された鎧だったとは。全く気付かなかったぞ」
「無理もありませぬ。魔族たる私でさえ見ただけでは気付けませなんだ。
ところで、魔術付与されておるわけではございません。鎧自体がマジックアイテム。しかもオリジナルです」
「ほう」
「使用者を選ぶ伝説の武器。金色の甲冑が自らギムレイを選んだのです。彼が近付いたことで覚醒したのでしょうな」
二人の視線を受け、ギムレイは右手を掲げた。スパークが弾け、棒状の光が顕現する。光はたちまち実体化し、長尺の槍となって彼の手に収まった。
「片時も陛下のお側を離れず、命に代えてもお護りします」
ぎしり、と金属の軋る音が響いた。




