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迷い吹き散らす翡翠の瞳

 伸ばした手が空を切る。

 また、届かない。

 まだ、届かない。

 力のない自分は、強い者から何かを奪われるだけの存在にすぎない。

 しかし、それは言い訳だ。

 カールは知っている。

 人間という種族は、ほんの一握りを除けば一生魔法を使うことなくその生涯を終える。有事にのみ招集される末端の兵士であっても、武器を手に戦う日々よりも農具を手に働く日々の方が圧倒的に多い。

 そんな彼らは智恵を使う。戦時においては戦略を練って敵をねじ伏せ、平時においては様々な生活インフラを整備して安定した社会の構築を目指す。その営みに、魔法の有無は関係ないのだ。短い寿命ながらも強烈な生命力を発揮して繁殖し、今や魔族たちを差し置いて大陸の覇者とまでなっている。

 だからこそ、カールはもっと人間を知りたかった。そのために文字を学んだ。旅に出ようとした。

「そんな俺から、友達を奪おうとするのも人間なんだよな」

 瞼の裏に赤髪赤目の少女の姿が浮かぶ。最後に見たのはサーカスの荷馬車。鳥かごに入れられていた。

「マミナは鳥じゃねえぞ」

 人間の世界に人身売買という行為が存在することは知っている。中には、孤児が生きていくために自ら富豪の奴隷となることを望み、自発的に身売りするケースもあると聞く。

 だからカールは人身売買そのものを忌み嫌っているわけではない。身も蓋もない言い方になるが、所詮は異種族の慣習であってカールとは無関係なのだ。

 だがマミナはフェアリーで、しかも彼の幼馴染である。

「くっ」

 自分の呻き声を聞いて、ようやく気付いた。カールにとって、この呻きが今朝の第一声。たった今まで寝ていたのだ。

「…………」

 開いた青い瞳が暗く濁っている。寝覚めが悪い。内容は覚えていないが、とにかく嫌な夢しか見なかった。

 目覚める直前に伸ばしていた腕を力なくベッド脇に垂らそうとしたら、誰かに手を握られた。

「おはよう、カール。随分うなされていたわね」

 緑色の大きな瞳をした少女が、覆い被さるような姿勢でこちらを覗き込んでいる。

「やあ、パーミラ」

 彼女の手に視線を移すと、カールは微かに眉をひそめた。

 黒い腕輪。アクセサリーの類には見えない。その質感から想起するのは、空中で彼や他のグライド族たちを閉じ込めた、あの霞だ。

「そうね。人間は陰湿な策謀をめぐらせ、奪い、殺しさえする。でも、これほどの力を身につける前は、人間かれらを食い物にしていたのは魔族の方だった」

「わかってるさ。生まれる前の確執、種としての遠い日の記憶が、魔族と人間の壁となっていることくらい」

「それでもこうして、賓客として扱ってくれる人間もいるわ。今後もこういう国が増えていく。あたしはそう信じてる」

 アーカンドル王国とエルフの関係は頗る良好なのだ。彼女の言葉は説得力がある。

 ベッドから半身を起こすと、痛覚が全身を走り回る。食い縛った歯の隙間から呻きを漏らしてきつく目を閉じると、パーミラが抱きつくようにして支えてくれた。

「もう少し安静にしてて。大怪我だったのよ」

 治療のためか、彼の着衣ははだけられており、覗く素肌は包帯だらけとなっていた。パーミラの治癒魔法でも治しきれないほどの怪我だったのか。そう考えたカールだったが、すがめた視線を彼女の腕輪に据える。

「パーミラ。さっきから気になってたんだが、その腕輪もしかして」

「ごめんなさい、あたしが不注意だったの」

 直接の回答ではないものの、その言葉によって彼が寝ている間に何があったか、おぼろげに理解した。

「黒い霞の主が現れやがった……。そうなんだな」

 そう言いながら、彼はふと自分の胸元を探る。そこにあるべきものがない。喪失感は軽い焦燥に転じ、毛布を払い除けてベッド傍に降り立つ。

「カール、だめ」

「大丈夫だ。——つっ」

 パーミラに支えてもらいつつ部屋中に視線を走らせた。我知らず眉は吊り上がり、呼吸は浅くなっている。

 己の血で黒々と汚れた鎧が視界に入る。籠手は両方とも失った。鎧の横には、サーマツ軍から提供された予備の武器、弓矢や剣がきちんと整頓して置かれている。しかし。

「タイゲイラが……ない」

「そうよ」

 辛そうに目を伏せ、彼女は説明し始める。カールが寝ている間に起きたことを細大漏らさずに。

 一言も口を挟まずに聞き続けたカールは、やがて力なくベッドに腰掛けた。

「なんだよそれ。ワイバーンに勝っても負けても、地下牢のローラと両殿下は命の保証がないってのか。

 いや。『勝っても』だなんて、俺も能天気だよな。ははっ。タイゲイラがあってもこのざまだったというのに」

 これが、本性なのか。

「俺が知ろうとした人間の本性なんて——」

「いいえ、カール」

 強い声でパーミラが遮った。

「ローラは苦痛を与えられても折れなかった。地下牢に送り込まれる直前まで、あなたの身を案じていた。そんな人間かのじょがいる限り、あなたは。いえ。あたしたちは。人間を信じてもいい。信じなきゃならない」

 そうは思わない、と語尾を上げ、小首を傾げて聞いてくる彼女の瞳は真摯な光を湛えて揺れていた。

 吸い込まれそうな錯覚とともにその大きな緑の瞳を真正面から覗き込むうち、カールの呼吸は正常なリズムに戻ってゆく。別種の情動が鼓動のビートを速めるが、そちらは無視して沈黙の時を刻む。ほどなく、濁っていた彼の青い瞳が澄み渡ってゆく。

「人質、代われるものなら代わりたかった。スケルトンがあたしのことを人質と認識してくれて、他の人質と同じ場所で待機さえしていられたら」

 スケルトンの戦闘能力など高が知れている。多少強引なやり方だが、大臣全員を気絶させるつもりで攻撃すれば、どの三人が入れ替わっているかすぐにわかる。

 スケルトンを特定してしまえば、後は難しいことは何もない。たとえ敵に毒を吐かれてからでも幾つかの対処法がある。そしてパーミラには、確実に対処してみせる自信があった。そう、その場に居ることさえできれば。

「あたしの魔法で、きっと人質を守れるはずなのに」

「パーミラのせいじゃないし、ないものねだりしてる場合でもない。条件は厳しいが、他にもローラを助ける方法があるはずだ」

 言ってしまってから、カールは口許を苦笑の形に歪めた。

「いや、すまん。俺もたった今、タイゲイラを奪われて取り乱したばっかりだったな。ないものねだり、してたよな」

 片目を閉じて見せる彼に、パーミラの頬が緩んだ。

「いいね。やっぱり好きだわ俺。パーミラの笑顔」

「何言ってんのよ、もう」

 頬を桜色に染めて上目遣いに睨む少女の視線を柳に風とばかりに受け流し、天翔の鎧へと視線を移す。思わず弱気な溜息を漏らした。

「籠手を失ってしまって、グリズ様に何と言えば」

「わかってくださるわよ。それに、預けた形ではあるけれど、この鎧はあなたのものなのよ、カール」

 彼女の言葉に頷くと、カールは鎧の正面に傅いた。

「白竜よ。不甲斐ない持ち主で申し訳ない。だけどもう一度その力、俺に貸して欲しい」

 言い終えた途端、強い風が巻き起こった。眩い光が二人の視界を灼く。光源は天翔の鎧だ。

「カール、これって……」

 パーミラは手で髪を押さえ、利かない視界の中で声を張り上げる。やがて光が収まると、部屋の中央に一人の戦士が立っていた。

 血糊が完全に落ちて綺麗に輝き、籠手さえも復活している。元通りの鎧となってカールの身を包んでいるのだ。

「いつつ……。俺の怪我までは元通りとはいかなかったか」

 だが、これで少しは戦える。

 カールは窓際に立つと空を見上げた。吹き込む風が青い髪を揺らす。しばらく無言で立ち続けた。

「悪いなマミナ。もう少し待っててくれ。まだ、やることがあるんだ」

 眦を決する。快晴の上空をそのまま切り取ったかのような深い紺碧の瞳が今、淡い輝きを放った。

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