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赤い髪の少女たち

 その部屋は窓を全開にしていた。そろそろ夏が近い。強い陽射しが差し込んでいる。

 透明な板ガラスは大変に高価だ。サーマツ王国で窓に透明ガラスを嵌めているのは、王城と貴族の邸宅に限られる。牧畜を営むその家の窓には、分厚い不透明なガラスが嵌められていた。

 ついさっきまで、部屋の主である少女はベッドに横になって本を読んでいた。でも今は、その視線は窓の外に釘付けだ。癖のある褐色がかった赤毛を風が揺らすに任せ、飽きもせず熱心に空を見上げている。小窓とはいえ隣接する建物のない放牧地、晴れていれば空高くまで見渡せるのだ。

 彼女が持っているのは写本だった。まるで大陸最北端の帝国を揶揄するかのような、風刺の効いた内容を含む童話である。

 しかし、紙もペンも庶民には縁のないもの。庶民の子供は学校に通う機会さえ得られないのが普通なのだ。また、本を書き写す手間も相当なものである。本格的な写本ならば、一冊の値段はこの国の平均的な庶民の生活費に換算して数か月分、物によっては一年分に匹敵することさえあり得る。もっとも、彼女の手の中にある写本には挿絵などはなく、文字だけが淡々と書き連ねられた味気ないものではあるが。

 なぜ牧畜農家の娘である彼女が文字を読めるのか。もちろん、そこに文字さえあれば、そして溢れる興味さえあれば独学でもそれなりに知る手段はあるだろう。しかも幸い、彼女には商業ギルドに知り合いがおり、お互いの手隙の時間にほんの少しずつではあるが学ぶことができた。

 では彼女はどうやって高価な写本を手に入れているのか。

 ふと、赤毛の少女は視線を下げた。視界の隅を淡い光がよぎったのだ。

「やっほー、ローラ! 新しい写本だよー。うんとね、今度のは吟遊詩人の演目にもなってる伝説だってさ」

 元気な高い声とともに、窓から体長わずか三〇セードの女の子が飛び込んできた。真紅の髪をしたフェアリーだ。

「こんにちは、マミナ。いつもありがとう」

 ローラと呼ばれた少女は目を細めて微笑む。なんでも、友達の友達が人間の貴族とのことで、写本はその親切な貴族から提供されたものだとか。

「で、あたしの友達ったら一回読んだら放ったらかし。なんか勿体無いからこうしてローラの所に持ってくるの」

 元気に話すフェアリーを見つめながらも、ローラの視線が真紅の髪に吸い寄せられるのはいつものこと。同じ赤毛ながら憧れてしまうほどの鮮やかさだ、とは折に触れて発言している。

 それを承知しているので、マミナは照れ笑いを浮かべている。彼女の膝に荷物を置くと、身体が軽くなったのが嬉しいのか、しばらく部屋の中を飛び回った。

「それにしても今日はすごい荷物ね。その小さな身体と細い腕のどこにそんな力があるのかしら」

「むー。細いのはお互い様だもん。魔族の筋肉は質がいいんだよ。もしあたしが人間と同じサイズなら、きっとウォーガなみの怪力女だと思う」

 ローラは声を立てて笑うと、「本は後で読ませてもらうね」と断ってから先に読んでいたものと重ねてベッドの隅に置いた。膝の上にはマミナが運んできたもう一つの荷物である籐かごがあり、野生の果物がぎっしりと詰まっていた。マミナは人間の——とりわけララバン家の——食生活を知悉しているだけでなく、ローラの好みまで熟知している。季節柄野いちごはないが、その次に彼女が好きなスカゴの実が一番多く入っていた。

「すごいわ、こんなにたくさん。おじいちゃんもおばあちゃんもマミナには感謝してるのよ。でも悪いわ、ろくにお返しもできなくて」

「何言ってんの。あたしも一緒に食べてるし、それにお返しなら、ほら。こんなに素敵な服を作ってくれてるじゃない」

 そう言うと、マミナは空中でくるりと回ってみせる。

 目を細めてその様子を眺めた。

 彼女のフルネームはローラ・ララバン。もうすぐ一六歳になる。学校に通うことのない庶民の子供なら、とうに家庭の労働力となるべき年齢である。しかし、あまり丈夫とは言えない彼女の仕事は大半が家事だった。

 父母を早くに亡くして祖父母と同居しているが、亡父の知り合いが商業ギルドの親方であり、何かと気にかけてくれる。ギルドからただ同然で貰える毛皮や布の切れ端を使い、彼女は手芸の真似事を始めた。

 その出来映えは素晴らしく、買い手がつくと見込んだ親方が買い取ってくれるようになった。少額ながら、今ではララバン家の貴重な収入源のひとつとなっている。

「売り物にならない切れ端が結構溜まってしまうのよ。だからマミナに服を作ることで無駄なく布を使えるの。それに、あなたに似合う服を考えながら作るのはすごく楽しい」

 そう言って片目を閉じて見せ、手招きする。

「何より、喜んでもらえることが嬉しいわ。……じゃーん」

 それは夏服。トップスは袖なし。ボトムスはズボンの形状ではあるものの、脚がほとんど全て露出するほど丈が短い。

「まえに言ってたものね。夏になると草木が生い茂るから、いつもの調子で飛び回ると裾が引っかかって破れちゃうって」

「わあ。あたしから頼もうと思ってたのに……。ローラ、大好きっ!」

 肩に飛び乗り、頬ずりする。しばらくそうしていたが、ふと小さく声を上げると膝下まで飛び降りた。

「ローラ、怪我してる」

 マミナは、彼女のスカートの裾から覗く包帯に気付いたのだ。

「うん……。ここのところとても体調が良かったから、今朝は久し振りに家畜に餌あげてたの。そしたら山から下りてきていたフォブロルに気付かなくて」

 フォブロルというのは小型の草食動物だが、毒のあるトゲを持つことで知られている。人間が即死するほどの猛毒ではないが、刺されたら丸一日は痺れが続き、長期間にわたって痣が残る。

「今日一日は痛くて歩けないだろうねえ」

 冗談めかして祖母の声真似をしてみせ、膝下のマミナを大事そうに抱き上げて膝の上に乗せる。

「大丈夫よ、落ち込んでなんかいないから」

「あたし、最近ヒーリングの魔法覚えたのよ。毒は抜けないけど痛みくらいは消せると思う」

「そうねえ」

 その言葉を受け、顎に指を当てて天井を見上げる。しかしすぐに首を横に振った。

「やめておくわ。痛みって、毒がそこにあることを身体に教えるために感じるんだっておじいちゃんが言ってたもの。うっかり毒のことを忘れて普通に歩いたりして、治りが遅くなったら大変だもの」

 マミナは心配そうに見上げながらも「わかった」と返した。

 その後、マミナは新しい服に着替えると、それまで着ていた薄紅色のワンピースを手慣れた仕草で丁寧に畳んだ。

「うん、思った通り。やっぱりよく似合うわ」

「あたしもこれ、気に入った」

 ローラの腕に飛びつくようにして抱きついた。次の一挙動で肩に飛び乗り、腰を下ろす。

「ローラ、お昼いっしょに食べよう」


 昼食を採りに戻ってきた祖父母は、食事の支度をしていたローラを心配した。しかしマミナの訪問を知り、食卓に並ぶスカゴの実を見るとたいそう喜び、賑やかな食事となった。

 午後の仕事に出る老夫婦を見送った後、マミナが訊いた。

「ところでさ。今日あたしが来た時、ずいぶん熱心に空を見上げてたみたいだけど。何かあったの」

「ああ、うん……」

 ローラはほんのりと頬を染め、小さめの声で話し出した。

 青い髪の男性が飛んでいたのだ。多分、グライド族だろう。彼はサーマツ王国の町並みをたしかめるように、高く低く、時折宙返りをしながら、とても楽しそうに飛んでいた。

「それでつい引きこまれちゃって。ずっと見てたの」

 私もあんな風に飛んでみたいなあ、とは声に出さずに呟く。

「あんな風に飛んでみたいのね」

 言い当てられてしまったものの、ローラは特に驚きはしない。ただ、そんなにはっきり顔に出ていたのか、と少し恥ずかしそうにしていた。

「一度でいいの。マミナも飛べるし、うらやましいわ」

 小さな友人がちょっと妙な表情を作ったので、慌てて言葉を続ける。

「ご、ごめんね変なこと言って。今の忘れて」

 しかし、妙な表情の理由はそういうことではないらしい。マミナはぼそりと呟いた。

「好きこのんで人間の町の上を飛ぶ奴なんて、あいつしかいないわね」

「え? マミナ、グライド族にもお友達がいるの」

 思わず瞳を輝かせる。それに対し、マミナは手をひらひらさせて言った。

「やめといたほうがいいわよ。あいつ、たしかに飛ぶのだけは上手いけど、ドジだし臆病だし」

 その毒舌からは、家族並みの繋がりが感じられる。

「あはは。臆病なの、その人。ね、その人の名前は」

「カール。本人は人間の真似して勝手にカール・セイブってファミリーネームまで名乗っているけどね」

 ふうん、と頷くと遠慮がちに口を開く。が、なかなか次の言葉が出てこない。

「頼んであげようか? ローラを連れて飛んでもらえないかって」

「そ、そんなの悪いわよ。でも……、お願いします」

 消え入りそうな声ではあるが、どうやらローラはそれ以外の返事を用意していなかったようだ。しかし——。

「いいわよ。他ならぬローラの頼みだもの。あたしに任せなさい」

 自信満々に胸を張るマミナの様子を見て、慌てふためいた。

「あのね、マミナ。無理に頼まなくていいの。会ってお話できればそれで」

「人間と魔族の溝? 心配ないってば。あいつ、人間の町でアルバイトするような奴だし」

 積極的に人間と交流したがる魔族は少ない。人間の側にはアイテムなしで魔法を使えることへの嫉妬がある。一方、魔族の側には繁殖力への嫉妬もあるが、革新的な活力への恐怖がある。変化を嫌う魔族にとって、進歩への飽くなき追求を続ける人間と交わることには躊躇と遠慮があるのだ。

 だがマミナによると、件の青髪の人物は他の魔族と違うらしい。マミナ自身、こうして自分と会ってくれているので、その言葉は信用できる。

「明日にも旅に出るって言ってたけど、その目的も人間を知ることなんだってさ。実はあたしもその旅についてくつもりなんだけど」

「え?」

 ローラは目を見開き、一度伏せた顔に不自然な笑顔を貼り付けると再びマミナを見た。

「そっか。寂しくなるね」

 その言葉に対し、小さな友人はたたんでおいた薄紅色のワンピースを指差した。

「また絶対ここに来るわよ。一番のお気に入りを置いていくんだから。大丈夫、あたしは一日で大陸を縦断できるのよ。……あ、実際にやったことがないから、今のはちょっと盛りすぎかもしんないけど」

 そう言って舌を出す。

「あいつは何年旅を続けるつもりかわかんないけど、あたしは何か月もローラと会わずにいるなんて耐えらんないもの」

 ローラは安心し、自然な微笑みを浮かべた。

「自分の住む場所の人間も知らずに、他の土地に行ってどれだけのことがわかるのかってことよ。まあ、飛ぶにはローラと天気のコンディションにもよるから、明日すぐに実現するかは保証できないけど。まずはカールの奴を連れてくるね」

「楽しみにしてる」

 マミナが部屋から飛び去ったのは、すでに夕暮れ間近の時間だった。ローラはフェアリーの飛行光が見えなくなるまで見送っていた。


* * * * *


 すっかり夕方になった。今からでもカールに会って予定の変更を伝えないと。

 そう思いながら飛ぶマミナは、彼が逆らう可能性など微塵も考えてはいない。

 ほどなく、ギムレイとの待ち合わせ場所に着いた。でも、そこには誰もいない。

「あれ。ギムレイには、このあたりで待っているように頼んでおいたのにな」

 さすがに、遅刻しすぎたかも。申し訳なさそうに周囲を見回す。そのあたり、明らかにカールの扱いとは差があるのだが、本人は全く意識していない。

 ギムレイは普段、動物や人間に姿を見せてパニックを起こさせないために、どこかに隠れて寝ていることが多い。だから、その辺で寝ているのかもしれない。幸いここは、身を隠せる岩や草木が都合良くあちこちにある場所だ。大声を出せばすぐに応えてくれるはず。

「ギムレイー!」

「グゥォ」

 いた。マミナの視線が一つの岩に固定された。それにしても、ギムレイが普通のウォーガっぽい声を出すなんて珍しい。

「きっと鼾よね。ずっと寝てたのかしら」

 岩を飛び越えると、果たしてそこにギムレイがいた。

「ギムレ——っ!」

 身を起こしたギムレイの目には、いつもの知的な光がない。その目つきは腹を空かせた凶暴なウォーガのものだ。

「きゃ……」

 彼女はギムレイの右手に掴まれた。その容赦のない力に、息ができなくなる。小さい割に頑丈なフェアリーではあるが、ウォーガの握力はやはり桁違いだった。

「や……め……て……ギ……ム……」

 それ以上は言葉にならない。


 あたし、食べられるのかしら。ギムレイには色々と世話になっているから、ギムレイの血や肉になれるのなら、それもいいかも。

 お腹空いてたんだね、ギムレイ。さようなら、今までありがとう。


 少女の世界が暗転した。

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