行く手を阻む黒い霞
カールの視界がオレンジ色一色に染まる。高温の炎の渦だ。避けるに避けられない。
「くっそおおおっ」
鎧の輝きが一際強まり、強烈な唸りと共に渦巻く風がカールの身を包む。頭から炎の渦に突っ込むと、あっさりと向こう側へ突き抜けた。
目を見開き、空中に静止して全身をチェック。鎧から覗く着衣にも、焦げ跡の一つもない。視線をワイバーンに向けて呟く。
「熱くない……」
拳を握って口の端を吊り上げると、腕を伸ばす。開いた掌が狙うは紅竜の顔面。
「行けえ」
轟音と共に、複数の巨大な空気塊を飛ばした。それらはことごとく敵の顔面へと殺到する。しかし、相手は翼の一往復だけで巨体を身軽に上昇させ、あっさりと躱した。
『エアスラッシュ、使えるようになったんだな』
その声は、コルマを王城へ連れて行った仲間のものだ。
『でかいままだと速度も威力も落ちる。もっと圧縮して飛ばすんだ』
振り向こうとしたら、鋭い声で警告された。
『来るぞ、余所見するな』
上昇したばかりの敵が、雄叫びと共に高度を下げてきたのだ。仲間たちが上から攻撃を加えている。
執拗に頭部を狙う攻撃に、さしものワイバーンといえども辟易している様子である。
「上手いぞ、みんな」
こちらへ近づく竜に背を見せて、進路を王城に向けた。その隣に、先ほど声をかけてきた仲間が並ぶ。カールは目を見開き、早口にまくし立てた。
「おい、何してる。こちらは風下だぞ、早く九班に合流しろ」
しかし仲間は首を横に振る。
「心配するな、俺の得意魔法はエアシールドだ。それより気になることがある。お前はワイバーンに集中してろ」
嘘だ、と反射的に言いかけたものの口を閉じる。こちらを射抜くほどの視線に気圧されたのだ。
「お前……」
さっきは別の班のメンバーによるエアシールドで守ってもらったにもかかわらず、軽傷とはいえダメージを食らっていたはずだ。仮に、得意魔法がエアシールドだというのが彼の自己申告通りだとしても、ワイバーンの攻撃を防ぐには不充分だと言わざるを得ない。しかし、彼はそのリスクを承知の上で「気になること」とやらを伝えようとしてくれているのだ。ならば今は、その気持ちを受け取るべきだろう。
「思い切り上昇しろ、カール。——今だ!」
急上昇する二人のグライド族。その爪先を掠めるようにして、拳大の火球が高速で通過していく。その数は十、いや二十を軽く超えるだろう。
「野郎、ファイヤーブレスを小さく絞ることで連射してきやがったのか」
それにしてもよく気付いたものだ。仲間を賞賛すべく振り向いたカールだったが、思わずその目を閉じた。
強烈な光に視界を灼かれ、閉じた目をさらに手でかばう。
「————っ」
心臓の鼓動が跳ね上がる。
強敵と対峙しているこの状況で、視界が利かないのは致命的だ。せめて、敵もこちらを視認できない状態であれば。
かばった腕ごしに感じていた強烈な光が弱まり、目を開けた途端——。
悲鳴もなく仲間が墜ちていく。先刻と同じように、身体から黒煙を棚引かせて。
カールが名を呼ぶより早く、彼の声が届いた。
『気にするな。少し痺れてはいるが、なんとか着地はできる。それより黒雲だ。黒雲に触るなっ』
その言葉に周囲を見回す。日の光を遮るほどてはないが、空には黒雲が広がりつつあった。そして、いかにもそこから千切れて漂ってきたとでも思いたくなるような、ほぼ等身大の黒い霞の塊が視界に入る。
その数、およそ三十。作戦に従事しているグライド族の人数とほぼ同じだ。近いものはカールからほんの数メートルしか離れておらず、上空のグライド族のそばにもいくつか漂っている。不思議なことに、黒い霞はワイバーンのそばには一つも漂っていない。
「この風向きで、どうしてそんな漂い方をしていやがるんだ」
『気をつけろ』
墜ちていく仲間が声を届けてきた。
『その黒雲には意志がある。いや、何者かが操っているだけかも知れんが。とにかく、触れたら痺れるぞ。俺みたいにな。他の班の連中には俺から伝えておく』
痺れがとれたのか、着地するべく滑空状態に移った仲間を尻目に、カールは王城を目指した。
「ちっ。こいつがワイバーンの能力なのか、あるいは……」
彼の動きに合わせ、黒霞のうち幾つかが追いかけてくる。
「新たな敵なのか」
あらためて言葉にすることで、胃が締め付けられるように痛み始める。およそ作戦行動において、最善の結果を期待しつつも最悪の状況に対処する用意は欠かせない。だが、ワイバーン一頭に絞って作戦を立てていたカールにとって、黒雲の出現は全く予期しない出来事だった。
ワイバーンを警戒しつつ、注意深く観察する。黒い霞は、時折青白いスパークを弾けさせている。先程の強烈な輝きの光源は、どうやら黒い霞たちに違いない。
想定した最悪の状況を上回る事態になりそうな予感が、そのまま胃痛となってカールを蝕んでいる。
「だが! 最優先の排除目標はワイバーン。やることは一つだっ」
決断に要した時間は刹那にも満たぬ間だった。しかし、それは重大な隙となった。
「————っ」
脇腹に何かが触れた。カール自身がそれを感じるよりも早く、全身を駆け巡る衝撃に声一つあげられない。
景色が明滅する。瞼が閉じて行く。
——冗談じゃない。気絶してたまるか。
必死の抵抗むなしく、彼は頭から地面へと落下して行った。




