戦闘指揮は白色に染まる
グライド族は魔族である。己の魔力をほとんど全て、空を飛ぶことに絞って磨き上げてきたカールと比べれば、一族の他のものは何種類かの魔法を使いこなす。
圧縮した空気塊をぶつけて相手にダメージを与える魔法。この魔法を使う場合、威力の補完を目的として相手を切り裂く効果を付与することが多いため、エアスラッシュと名付けられている。
一定の領域の空気を膨張または圧縮し、ある程度の気温変化および弱い風を発生させる魔法、エアプレッシャー。
一定の領域の空気をなくすことで炎を消してしまう魔法、エアバキューム。
空気を封入した層状の防壁を体の周囲に張り巡らせ、炎の中や水中での行動さえも可能とする魔法、エアシールド、など。
それら一つ一つは、必殺と呼ぶほどの破壊力も持たなければ、鉄壁と呼ぶほどの防御力も持たない。グライド族は戦闘を不得手とする種族であり、ここに挙げた四つの魔法も、狩猟や自衛を本来の目的として生み出されたものばかりだ。ワイバーンが相手ではろくに通用しないだろう。
そんな折、カールの力が覚醒した。昨夜、カールは族長の目の前で強風を発生させたのだ。これを見た長がカールを『風使い』であると正式に認定したのである。
だが、カール本人にその自覚はない。あのあと外で試したものの、仮眠するまでにそよ風ひとつ吹かせるに至らなかったのだ。
たとえば極限の緊張状態など、普段とは異なる状況において力が発動する可能性は皆無ではないだろう。しかし、ぶっつけ本番ではどの程度の強度と成功率での発動が期待できるか予測がつかず、とてもではないがあてにできない。
だからこそ人間の武器を借りた。各々クロスボウや剣を携え、編隊を組んで敵と対峙する。
仲間たちのポジションを確認しながら、カールは紅色の翼竜を睨みつける。
「奴は気持ちが悪い。てめえが食う分だけを襲うんなら、恐ろしいことだが納得はできる。だが——」
一撃の威力が大きすぎて、ひとたび『狩り』を行えば、辺り一帯を巻き込んで破壊せずにはいられないのがワイバーンという魔物だ。少なくとも、カールはそんな印象を持っている。ところが、今思い返すと、サーカスの荷馬車襲撃に関しては計画的な行動であったかのように感じられる。
ファイヤーブレスで猛獣たちを焼き殺すと、まるで目的を達成したかのように去って行った。気絶していたカールは、実際に去って行くところを見ていたわけではない。猛獣の死体を食い散らかすでもなく、周辺を徹底的に破壊しつくすでもなかった現場の様子を見たことで、カールは自分の推論が真実の一面を言い当てているものと思っている。
まるで、それらがサーカスの所有物であることを予め知っており、私怨を晴らすための行動だとでもいうような。
カールは首を傾げた。奴は、ララバン家の家畜を襲ったときも迷いなく飛来したのだ。その場所に、彼の腹を満たすに足る『食糧』があることを知っていたかのように。下調べをしていたとでもいうのだろうか。
「あり得ない」
百年眠っていたワイバーンだ。下調べの真偽はひとまず措くとして、サーカスの連中に限らず、特定の人間と接点があるとは思えない。
では、ワイバーンの気まぐれにより、誰かの恨みを聞き届けたというのだろうか。
「パーミラの話だと、ワイバーンの封印を解いたのは北の大国スカランジア帝国の要人、あるいはその関係者である疑いが強いということだったな」
もしやこのワイバーン、封印を解いた相手に感謝して、そいつの野望を手伝っているのでは。
言葉に出さずにそう呟いたが、即座に否定する。こうして間近で見る限り、ワイバーンはいかに竜族の端くれとは言え、そこまで明確な知性は感じられない。むしろ、本能のままに行動する野獣に近い。
しかし、ろくに使役できない魔物であるというのなら、封印を解いた奴は何を考えていたのだろうか。
強力な魔物を道具として扱えることを信じて疑わず、その力で世界を征服しようとした大馬鹿者か。
人生に倦み、世界を巻き込んで崩壊することを願う、厭世観に苛まれた精神異常者か。
ついつい考え込んでいると、手が届くほどの距離に仲間の一人が近寄ってきた。
「どうした、カール。くれぐれも無理はするなよ。お前は風向きを読み、指示を出すことに専念してくれればいい」
「わかってる、大丈夫だ」
今は余計なことを考えている場合ではない。敵はワイバーン。百年前、徒党を組んで手当たり次第に食い散らかし、破壊を繰り返した悪竜の集団だ。当時の魔族と人間の連合軍はかなり苦戦したと聞く。
今回の相手は一匹だが、炎を吐くレッドワイバーン。集中してかからないとあっという間に全滅させられてしまうだろう。
「この魔物は、ただ存在するだけで空を乱す」
だから、全力で排除する。
霹靂のごとき咆哮が轟く。
近付くカールたちを威嚇したのだ。
「みんな、奴より上に」
上昇しつつ、常にワイバーンを見下ろすようにして間合いをとる。
「作戦開始!」
カールは声を張り上げた。
「二班。奴の東側に回り込め。攻撃も離脱も常に太陽を背にして、奴から目を逸らすな」
彼の声は仲間の魔法により、三十名全員の耳へと伝達される。
もともと風を読むのが得意だったカールをリーダーとして、常に敵の風上から攻撃をしかけるのだ。
「奴の最大の武器は間違いなくファイヤーブレス。風上なら安全とは限らんが、風下だとこちらが圧倒的に不利だ」
三人ひと組の十班編成で、負傷者が出た際は状況が許す限り班ごと離脱して王城で治療を受け、早期の戦列復帰を目指す。このため、ヒーリング魔法を持つパーミラがグライド族専属の治療要員として待機している。
再び敵の咆哮が轟いた。爬虫類のそれに似た目が紅く光る。周囲に展開するグライド族を睥睨し、なおも悠然と飛び続ける。まさに、大空に君臨する王者の風格を漂わせている。
「くそったれ……」
奥歯を噛み締め、先の言葉を飲み込む。早くも全力排除の決意が揺らぐ。
しかし今、カールの言葉は、彼が所属する一班の二人によって三十名全員に中継されているのだ。リーダーたる彼がうっかり弱気な発言をしてしまえば、それは直ちに士気低下に繋がるだろう。
最悪、何のダメージも与えられなくても構わない。何回か攻撃を仕掛けてから逃げ出せば、相手はこちらを追ってくるはずだ。
王城で待ち構える人間の兵士たちは、大きく分けて砲兵部隊と弓兵部隊があるが、いずれの部隊にも一定数の魔法戦闘兵が含まれている。この百年で人間たちは人口を増やし、サーマツ王国のような小国でさえ、時間をかけて本気で総力を結集すれば万に及ぶ戦力を組織することさえ可能なのだ。それに加え、人間が扱うマジックアイテムの種類は激増し、戦闘魔法の威力も上がっている。
万一、奴を討ち漏らしたとしても、一時撤退させる程度の打撃を与えることができればひとまずは作戦成功である。無論、サーマツ王国が再度の襲撃を受ける可能性は高い。しかし、周辺の友好国に助力を頼み、態勢を整えて更なる大戦力で迎え撃つ程度の猶予は得られるかも知れない。
「いいかみんな! 俺たちの役割は、奴をサーマツ軍の射程距離までおびき出すことだ。対等に戦う必要はない。一撃離脱の鉄則を忘れるな」
二班による初撃。クロスボウの矢とエアスラッシュが敵に襲いかかる。
命中。
人間の成人男性五人分に及ぶ体長を誇る巨体だ、そうそう外すものではない。だが、まるで効いていない。背中の鱗は余程硬いのか、矢も魔法攻撃もあっさりと弾き返されてしまった。
「三班、翼の付け根を狙え。四班は目を」
それらも命中——したはずなのに、不自然に折れ曲がった矢が地上へと落ちていく。
「魔法的な防御か。さすがに目を狙われるのは嫌なんだな」
続く五班と六班にも目を狙わせた。
小刻みな吠え声からは、竜の苛立ちが見てとれる。ここに至り、敵は不規則な飛び方をしながらも、グライド族と真正面に対峙するべく身を捩る。
「七班、八班。無理に奴の正面から逃れようとするな。そちらが風上だ、予定通り一撃離脱」
唐突にグライド族の隊列が乱れた。十班の一人が剣を手に、敵の背後から突撃をかけたのだ。
「十班! コルマか。隊列を乱すな、そっちは風下だぞ」
『うるせえ、ヘタレ野郎。何が一撃離脱だよ。こんな攻撃、いくら続けたところで埒があかねえ。日が暮れても終わりゃしねえよ』
突撃を敢行中のコルマ本人が、自身の魔法によりカールに声を届けてきた。
『背中が硬いなら腹を狙う。それが常道だろう。そこで見てな、俺が仕留めてやるぜ』
カールは息を飲んだ。急降下するコルマを追うように、ワイバーンの瞳が僅かに動くのを見たのだ。
反射的に指示を出す。
「九班、エアバキューム。設定領域は敵の嘴周辺。十班、エアシールド。奴の炎を警戒しろ」
本来、作戦行動中の命令違反者は切り捨て、 残ったメンバーで非情なまでに所定の任務を遂行することこそ、戦闘チームのリーダーに望まれる資質である。
しかし、カールは軍人ではない。経験の面でも性格の面でも、仲間を切り捨てるという選択肢は彼の中に存在しない。
カールの指示を受け、九班と十班のメンバーはコルマを援護すべくポジションを変更する。しかし、そこは敵の風下側にあたる空域であった。
ワイバーンの腹の下、コルマの白刃が陽光を反射して煌めいた。
『へへっ』
コルマが突き上げた剣、その切っ先が敵の腹に深々と突き刺さっているように見える。
『ごふっ』
カールは、耳許に届いた声に絶句した。いや、声というよりも、湿ったものを大量に吐き出す音。
見たものを現実として受け入れることができない。
折れた剣はコルマの手を離れ、地上へと落ちていく。敵は無傷だ。
一方、コルマの腹からは、ワイバーンの尻尾が生えている。
先端が鋭く尖った尻尾。コルマの背中から侵入したそれが、腹へと突き抜けているのだ。
くろぐろとぬれそぼる尻尾。その先端に焦点を合わせたカールは限界まで目を開いた。瞳孔が縮んで行く。
頭の中が真っ白に染まり、何一つ考えられない。
敵は尻尾を大きく振り動かした。尻尾から解放された味方の身体は、そのまま地上へと落ちていく。
「コルマ!」
「カール! 作戦を続行しろ。そうでないと全滅するっ」
コルマを追って急降下しようとしたカールだったが、一班の二人によって左右から掴まれてしまった。
「全員、風上へ。急速上昇」
背中に氷塊を流し込まれたかのような不快感を押し殺し、カールはなんとか指示を出す。しかし、遅い。
『ぐわあっ』
九班の一人がまた、地上へと落ちていく。その身から煙がたなびいている。
敵は、エアバキュームをものともせず——おそらく無効化して——、炎を吐いたようだ。
「くそっ」
唇の端を噛みちぎる。作戦の序盤だというのに、負傷者ばかり気にして指揮に致命的な空白の時間を作ってしまったのだ。
一巡目の攻撃で二人脱落。序盤からこれでは、奴をおびき出す段階に移ることなく全滅してしまうのではないか。その思いが募り、カールの脳裏に撤退の単語が浮かぶ。
まるでかなう気がしない。仕切り直す必要がある。今すぐだ。
「総員——」