紺碧の魔石は風使いを選ぶ
「これはガルフェン殿。よくぞ参られた」
長が名前で呼ばれる場に同席するのは、これが初めてだ。カールは場違いな感想を胸に、頭を下げ続ける。
王城は今、戦闘準備の最中でピリピリしている。先ほど、カールは門番との間で通せ通さぬの一悶着を起こしてしまったのだ。なんとかローラを休ませてやりたい一心であった。
騒ぎを聞きつけたサーマツ軍の将軍が出てきたことで、一時は剣呑な空気が流れ始める。しかし、そこにグライド族の長が数名を伴って合流した。長による老練な話術で事なきを得、今こうしてサーマツ王の前に傅いているのである。
なお、謁見の間に通されたのは五名。ガルフェンとカールの他に、ローラ、パーミラ、そしてギムレイ。この人選は国王の意向である。門前で、王城前に集まる仲間たちの構成を包み隠さず伝えた結果を受けてのものだ。
王城で働く人々は、ギムレイの姿を見ても騒ぐことはなかった。自国の将軍やカールたちと会話を交わしているせいか、本物のウォーガだとは思っていないらしい。
サーマツ王の息子はまだ五歳。今頃は乳母に守られ、奥の間で不安に震えているかもしれない。
幼い王子にとって、戦の準備という緊張を伴う喧騒は初めての体験だ。ギムレイたちはその不安を和らげるために呼ばれた、余興の一座とでも思われているのかもしれない。
しかし謁見の間に居並ぶ側近たちは門番からの報告を受けており、そうではないことを知っている。彼らの中には冷静でいられなかった者もいた。近衛兵に命じてギムレイを取り押さえようとする者がいたのだ。
「控えよ、アイエンタール」
だが国王に一喝され、渋々引き下がったのである。
一方、ギムレイはそれらの騒ぎに動じることもなく、人間の作法に則ってただ粛然と傅いている。
国王もまた、終始泰然と玉座に座っている。臣下たちの興奮はほどなく冷めていった。今のところ、表面上は落ち着いた空気が流れている。
国王は族長に対し、極めて友好的な様子で話しかけた。
「ガルフェン殿は言わば王であろう。余の前で畏る必要はない。面を上げられよ」
「滅相もない。ご存知の通り、我らグライド族、戦に長じた種族ではないのです。こちらから協力をもちかけはしたものの、連合軍などという大層な呼称などおこがましい。陛下の武器をお借りした上で、ワイバーンめを地上に追い込む程度のご助力がせいぜい。あのような魔物を撃退するに足る魔力など有しておりませぬゆえ」
「それで充分だ。飛べない我らに代わって、最も危険な役割を担って頂くのだからな」
国王の態度はグライド族に対し、多大な好意を寄せたものだ。それも気に入らないのか、先ほど引き下がった側近——アイエンタールは苦虫を噛み潰した表情を隠さない。
その側近は、国王よりは少し若い程度か。痩身か、そうでなければ肥満ぎみの側近たちの中でただ一人、骨太で締まった体躯の偉丈夫である。外見だけを見れば、城門から謁見の間まで案内してくれたサーマツ軍の将軍にも見劣りしない、爽やかな武人といった印象ではあるのだが。
——あいつとは仲良くなれそうにないな。
傅いた姿勢のままで上目遣いに観察し、カールはそう結論づけた。
「これ、カールも。いつまで畏まっておる。そなたは我が国の大切な国民を一人守ってくれたのだぞ」
「いえ。馬車を焼かれなかったのはおそらく偶然ですし、俺はローラと一緒に気絶していただけです」
「ワイバーンという、ある意味天災をも上回る災禍に遭って、そなたは生き残った。滅多にない偶然を勝ち得たのだ。余は大いに興味を持ったぞ。
そもそも、そなたがおらねば将来ある若い命が失われるところだったのだ。褒美をとらす。何が望みか、申してみよ」
「では、遠慮なく」
深く一礼したカールは国王と真っ直ぐに目を合わせた。
「ローラが寝る場所をお貸し下さい」
ローラはこの発言を聞いて、弾かれたように顔を上げた。カールに向かって激しく首を振る姿は見ていて気の毒になるほどの勢いだった。
「い、いえ。わ……私なら、親身になってくださる知り合いがいますので……。私なんかのことよりも、カール本人の——」
王は狼狽える彼女に笑顔を向けて答えた。
「案ずるでない。もとより客間に泊まってもらうつもりだ。ローラよ、そなたをこの場に同席させたのもこれを伝えるため。大体、その知り合いとやらを訪ねるにもこの時間からでは難しかろう」
国王の発言に対し、ローラは返事に窮してしまう。彼女が意味のある言葉を紡ぐよりも早く、族長が発言した。
「時間……。陛下、お許し下さい。この老いぼれ、すっかり失念しておりました。もしや、夕食時だったのでは」
王は族長を真っ直ぐに見ると、身体を揺すって笑う。
「戦の準備中である。兵たちと同じ戦闘食で済ませたわ」
国王がそう発言した途端、ほとんどの側近の顔色が青ざめた。どうやら、彼らはいつも通りの夕食を採ったようだ。
臣下の立場としては居心地が悪いに違いない。生温い同情心の中に微かに芽生えた嗜虐心を自覚し、カールはアイエンタールと呼ばれた側近を盗み見る。しかし、肩透かしを食った。彼だけは側近たちの中で比較的冷静だったのだ。
国王は側近たちの態度を責めるそぶりも見せようとはせず、話を続けた。
「……それでカールよ、他に望みはないのか」
どうやらローラが客間に泊まる件はこれ以上話題に上ることはないようだ。会話の流れから置いてきぼりを食らった赤毛の少女は、お礼を述べるタイミングを失ってしまった格好だ。せめてもの謝意を示すためか、深々と頭を下げている。
その様子を横目に、カールは間をおかずに切り出した。
「では、マミナ——私の仲間であるフェアリーの捜索を。彼女は心ない者に捕まり、不本意にもサーカスに売られてしまったのです。恥ずかしながら手がかりがなく、どこを探すべきか途方に暮れておりました」
ここで、カールはマミナ誘拐の経緯について、かいつまんで説明した。一通り聞き終えると、国王は冷静に告げる。
「サーカスと言えば、我が城下で興行していた連中か。次の興行先はアーカンドル王国と聞いておるぞ。我が国での興行はまだ三日間は残っていたはずだが、この騒ぎだ。おそらく早目に発ってしまったのだろうな」
「アーカンドル王国」
カールは思わず呟くと、パーミラと目を合わす。エルフの少女は小さく、しかし力強く頷いて見せた。
「よかろう、マミナとやらは我が国の国賓とする。遣いの者に後を追わせよう。もしサーカス団がマミナ返還に応じぬ場合は、団長を賞金首にしてやろうぞ」
国王のこの発言に、カールは慌てた。
「お待ちください。悪いのはあくまでマミナを捕まえたピエロであって、団長ではありません。ワイバーンの件でご助力さしあげた後、この手で救出に向かう所存です。従いまして、ただいま頂きました、次の興行先の情報があれば充分でございます」
「ではピエロを賞金首としよう。それはそれとして。カールよ、そなたには自分自身の望みはないのか。欲のない男だな」
「はあ……」
中途半端な返事とともに頬を掻く。ローラの件では後先考えずに行動してしまったものの、本来サーマツ王に対して何かを要求できる立場ではないことを自覚しているのだ。
「まあよかろう。だが、それでは余の気が収まらん。何か押し付けてやるぞ。余に年頃の娘でもおれば——」
床を踏み鳴らす音がした。そちらに目を向けたカールは、うんざりした表情を隠す努力を放棄する。
またしてもアイエンタールだ。国王を諌めようとでもしたか、険しい表情をしている。他の侍従たちに左右から制止され、いまいましげに振りほどいたものの諫言は思いとどまった様子だ。
ふと視線を感じる。
パーミラの素敵な笑顔。
——首を縦に振るな、ってことか。
いささか自分に都合の良い解釈のような気がして苦笑した。
ローラの真摯な凝視。
——バレリーを捨てるのか、とでも言うつもりか。そりゃ誤解だ、彼女とはキスだってしてないぜ。
誤解しているのは自分かも知れない。表情に差こそあれ、二人の少女が視線に込めた意味は等質のものではあるまいか。
それこそ自分に都合の良い解釈というものだ。カールの苦笑は一層深くなった。
「残念ながら、余には王子しかおらぬのだがな。まあ、カールへの褒美として何を取らすべきかについては」
追い追い考えておこう、と言葉を続けると、国王はギムレイに視線を据えた。
「ギムレイと申したか。そなた、呼ばれた理由に察しがついておるか」
「いえ、陛下。恐れながら、おいらごときが呼ばれた理由にはまったく見当がつきません」
謁見の間にどよめきが起きた。側近だけでなく、国王と客人との会話中は無言を貫くべき近衛兵たちの口からも声が漏れたのだ。
綺麗好きのギムレイからは獣臭もほとんど漂ってこないが、間近で見ればどう見てもウォーガである。そのウォーガの口が人間の言葉を滑らかに紡ぐ様子は、人々の常識を覆すには充分な出来事なのだった。
「狼狽えるでない、皆の者。ワイバーン襲来という非常事態において、喋るウォーガの一人や二人、受け入れて見せよ」
国王の言葉にカールは感心した。彼がギムレイと出会ったあの日、怪我の痛みに苛まれる中でさえ大いに驚いたことは今でも忘れられない。それをこの王は、あっさりと受け入れて見せたのだ。
「そなた、余の兵士として働く気はないか」
「おいらが、ですか」
固まるギムレイ。驚いたのは彼だけではない。国王の御前だということを失念し、カールは振り向いてギムレイを見やる。
「あっ。陛下に背を向けるとは、とんだ無礼を」
慌てるカールに対し、国王は朗らかに笑うのみだった。
「しかし、おいらは戦うよりも薬草の調合や怪我人の治療の方が」
「ほう、それもまた興味深いが、そちらは間に合っておる。余が欲しいのは、治療師としてのそなたでもなければ、戦力としてのそなたでもない」
「え。ではなぜ、おいらを兵士に」
再び振り向いたカールに対し、ギムレイは救いを求めるような視線を投げて寄越す。しかし、首を横に振るしかできなかった。
相手の意図を把握するため、ギムレイは無意識にシンパシー能力を使っているようだ。しかし、終始落ち着いた様子の国王の気分などほとんど読み取れないことだろう。
カールはそう判断したが、それが当たっていることはギムレイの表情を見れば一目瞭然だ。
「余が欲しいのはな、力の象徴としてのそなたである」
「……象徴ですか」
この一言で国王の意図を察することができる。喋れるウォーガ、ギムレイが持って生まれた聡明さである。
「しかし、おいらは自分の力が不安です。先ほどカールからの説明にもありました通り、ピエロの催眠術に操られ、大切な仲間であるマミナを捕まえる道具にされたのです。もし、この力を意思に反して人間に向けてしまえば——。多分、怪我ではすまないでしょう」
「なに、二度と操られなければ良いのだ。仙麻草と催眠術。手口は知れたのだ、対処はできる。これ以上野放しにせぬためにも、賞金首・ピエロの懸賞額は高く設定してやろう」
「はあ」
それでも躊躇するギムレイに、国王は畳み掛けた。
「ワイバーンを退けるまでの間でいい。そなたの存在は、我が軍の士気高揚の一助となる」
「……わかりました。おいらごときを買ってくださるのならば、謹んでお受けいたします」
「よくぞ申した。余は嬉しいぞ、ギムレイ」
国王は玉座を下り、ギムレイの手を掴んで握手をしてみせた。
「陛下。せめて、せめて将軍の意向をお確かめになってから——」
アイエンタールの様子を見たカールは、今度ばかりは彼に同情した。今にも口から泡を飛ばさんばかりに憤慨しているのが見て取れる。それにもかかわらず、抑えた声で諫言するに留めているのは並々ならぬ精神力を発揮した成果であろう。
「アイエンタール殿。私は彼らを案内して以来、一部始終をここで拝見しておりますぞ。どうぞお気遣いなく。異論があればとっくに意見しております」
「ぐ、く……」
さすがにアイエンタールを見ていられなくなり、カールは目を逸らした。
「おお、そうだ。あれがよい」
一方、国王の関心はアイエンタールにはまるで向いてはいないようだ。
「侍従長、あれを持て」
「はっ」
側近のうち、最も年嵩と思しき老人が恭しく一礼すると、手近にいた者に一言二言指示を出す。その遣り取りを聞いた途端、またしても色めき立った者がいる。アイエンタールだ。
「陛下、侍従長閣下! お待ちください。タイゲイラは近年発見される中では稀に見るほど純度の高いマジックアイテムかも知れないのですぞ。我が国の魔法学者による研究はまだ入り口に立ったばかりで——」
「落ち着けアイエンタール。余の直感が告げておる。そういう謎多きマジックアイテムは我ら欲にかられた人間の手にあるより、カールのごとき無欲な魔族の手にあった方が真価を発揮するかも知れん」
もはや声のトーンを落とす努力も放棄して、アイエンタールは食い下がる。
「お戯れを。マジックアイテムの研究は今やどの国においても積極的に行われております。我が国が大陸の中で押しも押されもせぬ国力を確立するには、未知のアイテム研究は避けて通れぬ案件です。それをこんな馬の骨——」
「アイエンタール! 口が過ぎるぞ。もうよい、そちは下がれ」
謁見の間の空気が凍りつく。
拳を握り、顔を真っ赤に染めたアイエンタールは、一度カールを睨みつけてから国王に深々と頭を下げた。
「礼を失する言動の数々、伏してお詫び申し上げます」
彼は続いてカールとギムレイにも頭を下げて見せた。
「このアイエンタール、あまりに無分別でした。ご無礼、平にご容赦を」
「いいですよ、アイエンタールさん。気にしていません」
顔を上げたアイエンタールと目があった。そして、カールは再び睨みつけられてしまった。
——こいつ、謝ってねえ。やっぱ仲良くなれないぜ。
気力を総動員して渋面を作らずに済ませたカールは、続けて口を開く。
「陛下、ご厚意はありがたく頂戴いたしますが、マジックアイテムの研究ならそれこそ人間の学者が得意とする分野です。俺なんかがお預かりしたところで」
「受け取りたまえ。余が決めたのだ」
「はあ」
カールとしても半分投げやりな返事しか返せなくなってしまった。人間の王というのはきっとこういう生き物なのだろう。
やがて、アイエンタールが退場すると、入れ替わりに別の侍従が謁見の間に入ってきた。長さも幅も二十セード程の箱を両手に乗せている。彼はそれを、国王の前で恭しく掲げて見せた。
「カール、近う寄れ」
「はっ」
国王自ら箱を開け、中の物を手渡してきた。カールはこれを運んできた侍従の仕草を思い出し、見よう見まねで両手を差し出す。
「石……」
「うむ。未知なる魔石——いや、魔法学者がそう言うだけで、余は自信を持ってこれが魔石だとは断言せぬよ。銘は、ひとまずタイゲイラと名付けた。それも、学者が古い文献をもとにそれらしい名前を探し出しただけなのだがな。白状すると、そんな本物かどうかさえわからぬ代物だが……、受け取ってくれ」
滑らかに丸く加工された、宝石と見紛う青い石。カールの瞳と同じ、紺碧の——。
「おおっ」
その場に集うほとんど全員が声を上げた。
謁見の間が今、青い輝きに包まれる。その光源はカールの掌。
タイゲイラが、強く光っているのだ。
さらに白銀の光が重なり、人々は手で目を覆った。その状態でさえ目を開けていられないほどの輝き、その光源はカールの身を包む鎧である。
「やれやれ。カールが選ばれたか。よりによって一番修行が足りないというのに」
ただ一人、この期に及んでなお冷静に呟いたのはグライド族長のガルフェンだ。
光の奔流の中、族長の視線はカールに固定されていた。




