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疾駆する茶色の巨漢

「ギムレイ、待って! もう、なんて速さなのよ」

 パーミラの声が届いているのかいないのか、巨漢は返事もせずに山道を駆け下りる。それどころかさらにペースを上げた。

 彼女とて歩いているわけではない。それなのに、視界に映るギムレイの姿はすでに小麦ひと粒ほどにまで小さくなっている。

 大声を張り上げれば届くに違いないが、走り出してからというもの、彼の意識はどうやら前方にしか向いていない。

「見失っちゃう。……仕方ないわね」

 彼女は翡翠の瞳に光を宿し、手近な木の枝へと跳び上がった。枝を揺らしつつ、木から木へと次々に飛び移ってゆく。

 放物線を描き、枝に着地しては再び跳ぶのを繰り返す。やがて彼女の全身が緑色に光り、直線的な動きに変わった。傍から見れば、木々の枝を透過して吹き抜ける一陣の突風である。なお、異様なことに彼女の動きが変わってからというもの、枝が揺れることはなくなった。

 エルフの枝渡り。森の民たる彼女らの最速移動手段である。

 しばらく緑色の矢と化して快調に飛ばしていたパーミラだったが、やがて枝から飛び降りると途方にくれた声を漏らす。

「なんてこと。岩場だなんて……。せっかく追いついたのに」

 ここが麓のサーマツ王国へと続く唯一の道というわけではあるまいが、今ギムレイが駆け下りているのは草木がほとんど生えていない岩場である。

 大声を張り上げるまでもなく届く距離にギムレイの背中があるのだが、それがふたたび小さくなってゆく。

「もう。迷子になったらどうしてくれるのよっ」

 彼女に引き返す気など全くない。

「あまり長いことカールのそばを離れていたら、長の言いつけを破ることになってしまうもの」

 語って聞かせる相手もいないのに、どこか言い訳めいた口調になっている。そのことに、呟きを漏らした本人は気付いていない。

 意を決し、一歩を踏み出そうとしたとき——。

「ふう、驚いたよ」

 背後から声をかけられた。振り向いたパーミラのすぐそばに、グライド族の青年が立っている。他に二人、遅れてこちらに飛んでくる。いずれも宴の際に同席していた者たちだ。

「まさか俺たちより速いなんて」

「あたしはエルフ。枝を避ける必要はないもの。でもこの岩場は……」

 そう呟いてから青年に背を向けると、どんどん離れていくギムレイを困り顔で見やる。

「カールの奴は俺たちが連れ戻す。だからパーミラは俺たちの里で待ってなよ」

 最初に声をかけた青年が諭すように言った。再び振り向き、視線に迷いをのせて青年を見つめる。

 彼の肩に、追いついた青年が手を置いた。

「連れてってやろうよ。一人抱えたところで俺たちの速度が落ちるわけじゃないだろ」

 そしてもう一人が逆側の肩に手を置く。

「そうさ、カールと嫁さん候補を引き離すのは野暮ってもんだぜ」

「べ、別に、カールとは婚約してるわけじゃないわよ」

 頬を赤らめて首を左右に振るが、すぐに神妙な顔つきに改めると頭を下げた。

「……でも、連れてってくださるのなら、お願いします」

 その時、麓のほうから霹靂のごとき咆哮が届いた。

 場の全員が見開いた目を麓へと向ける。姿が見えるわけではない。だが、グライド族の長は確信を持って言い切ったのだ。あれは悪竜(ワイバーン)の咆哮だと。

「急ごう」

 誰からともなく短く告げ、青年たちの一人がパーミラを抱えると空に舞い上がった。


* * * * *


 夕闇に包まれたサーマツ王国の外れは、異様な静けさに覆われていた。

 幾つか民家があるのだ。時間を考えれば、夕餉の支度をしている家庭が多いはず。窓から明かりが漏れ、煙突から煙が上がっていてもいいはずなのに、そういった様子は全く見られない。

 立ち尽くすギムレイを見つけたパーミラが指差すまでもなく、グライド族の青年たちは彼のそばへと降り立った。

「な、なにこれ。瓦礫の山じゃない」

 パーミラは口に手を当てて周囲を見回した。ここはおそらく牧畜農家。しかし建物は破壊しつくされ、家畜は一頭もいない。

 一通り見回してからギムレイを見ると、彼は地面に両膝をついて頭を抱えている。

 パーミラは彼の正面に回り、覗き込むようにして声をかけた。

「どうしたのよ、ギムレイ」

「か、家畜たちの悲鳴が。おいらの頭に……」

「そっか。シンパシー能力」

 たまに相手の気分に感応する程度の微弱な能力だとは聞いていた。それが、こんなに離れた場所であっても感応したということは、家畜たちにとって余程大きな恐怖だったのだろう。

 それにしても、とパーミラは思う。

 ——うさぎやフォブロルは食べていると聞いたけど、こんな大きな身体なのに、栄養足りているのかしら。

 相手の痛覚や恐怖に遠慮してしまい、ウォーガなら当然行うべき「狩り」を、この巨漢は滅多にしていないのに違いない。

 強者として生を享けながら、本来は種として持ち合わせるはずのない優しさに満ちた巨漢。この皮肉は、不幸と呼ぶべきなのではあるまいか。

「ギムレイ……」

 膝をついた姿勢なので、パーミラの身長でも彼の肩に手が届く。肩から腕にかけてさすってやりながら、気を落ち着かせようとした。

「やめてくれ、パーミラ。おいら、優しくしてもらう資格はない」

「何言ってるのよ」

 微笑みかける彼女に目を合わそうとしない。

「……思い出したんだ。おいら、マミナに酷いことした」

「ギムレイ、話は後で聞く。この有様は、ここでワイバーンが暴れた証拠」

 グライド族の青年が告げた。別の仲間が同調する。

「上から見たところ、何処に潜んでいるかはわからなかった。だが、ここに戻って来ないとは限らない。のんびりしてる時間はないぞ」

 最後の一人がサルーサ山を指差す。

「君は山に戻っているんだ。俺たちはカールを連れ戻す」

「いや、戻らない。マミナはサーカスに売られた。おいらの責任だ。みんなはカールを。おいらはマミナを探す」

 立ち上がったギムレイの腰にしがみつくようにして、パーミラが声を上げた。

「ギムレイ、待って。みんなも少しだけ待って。闇雲に探し回っても、入れ違いになるかも知れないし。カールとは直接関係ないかも知れないけど、どんな情報でも手がかりになると思うの。ギムレイが知っていること、きちんと聞いておきましょう」

「しかし」

 パーミラの意見に異を唱える青年もいたが、他の二人がそれを抑えた。

「マミナと言えばカールともよく一緒にいる。無関係とは言えないな」

「うむ。……ギムレイ、君は何を思い出したんだ」

 毛むくじゃらの巨漢はこうべを垂れ、ここにはいないフェアリーの少女への懺悔を込めて語り出した。

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