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婚約破棄された二人の令嬢が、辻馬車で相乗りしたら……

作者: Vou
掲載日:2026/10/07

 王宮を出ると、外は雨だった。


 王宮で開かれている夜会を早々に退席せざるを得なくなった私は、侍従に辻馬車を手配してもらった。

 予定外に早く夜会を切り上げることになったので、公爵家の迎えの馬車はまだ来ていなかったのだ。


 私は王宮から一刻も早く離れたかったが、辻馬車はなかなかやってこない。

 そうしていると、王宮から別の令嬢が出てきた。


「あっ」


 令嬢は私に気づき、声を上げた。

 たった今、夜会で最も目立った人物がまだそこにいたのだ。さぞ驚いたことだろう。

 だから私は一刻も早く王宮を後にしたかったのだ。


「あの……クラウディア様も辻馬車に……?」


「ええ。思ったより早く帰宅することになってしまったので」


 私はそれ以上、自分のことについて話すつもりはなかった。この令嬢も夜会にいたのであれば、私がなぜこんなにも早く帰宅するのかは知っているはずだ。


「あなたもずいぶんお早いお帰りなのですね」


 興味はなかったが、私は話を逸らすためにそう尋ねた。


「はい、私もクラウディア様と同じで……」


 私はたった今、夜会で王太子アルフォンス・グライフェン殿下に、婚約破棄を告げられたのだ。皆の前で堂々と。「王太子妃により相応しい女性に出会ってしまった」などと言われて。

 

 その私と同じということは……。


「あなたも婚約を破棄されたの?」


 その令嬢は頷いた。


 貴族令嬢などというものは、家の都合や男性都合に振り回されがちなのだ。

 けれど、他人の婚約破棄になど興味もないので、私はそれ以上は尋ねなかった。


 やがて辻馬車がやって来た。


「お待たせして申し訳ございません。この一台しか捕まらなくて……」


 侍従の方が申し訳なさそうに言って、馬車の扉を開いた。

 私は黙って乗り込んだ。


「では、私も相乗りさせていただいてよろしいですか?」


 その令嬢は臆面もなくそう言ってきた。

 本当はひとりになりたい気分だったけれど、うまく断る理由も見つからなかった。


「……どうぞ」


 私が答えるとすぐに令嬢は馬車に乗り込んできて、向かいに座った。


「私はマルタ・リンデンベルクと言います」


 リンデンベルク……子爵家だったか……。


「クラウディア・エーレンベルクです」


「もちろん存じております」


 それはそうだろう。

 王都で私を知らない貴族令嬢がいたら、よほど社交界から距離を置いているのか、その方は貴族を名乗る偽物だろう。

 貴族令嬢の到達点とも言うべき王太子殿下の婚約者でありながら、つい先ほどその婚約を破棄され、転落に向かっている哀れな公爵令嬢——それが私なのだ。


   ※


 私は一言も何も言わず、黙って馬車に揺られていた。

 公爵邸に戻って、お父様にどう説明をしたものだろうか。


 ——王太子殿下が他の女に取られました。しかも、その女は、私より王太子妃に相応しいそうです。


 セレナ・ヴァイス男爵令嬢——没落した男爵家の令嬢だというその女のことを、私は知っている。アルフォンス殿下が別の日の夜会で私に紹介したのだ。

 少し話しただけであったが、男爵令嬢のわりに、教養もあり、マナーもしっかりしていると感じた記憶はある。それでも、私のほうが劣っているなどとは少しも思わなかったのだけれど。

 唯一、私が劣っていることがあるとすれば、愛嬌のある容貌で愛想笑いをして媚びを売ることだろうか。作り物のようなあの表情は、おそらく男性には受けが良いのだろう。アルフォンス殿下に言わせれば、「王太子妃に相応しい慈愛に満ちている」といったところだろうか。

 あの偽物に騙されるとは、男という生き物は何と愚かなのだろう。


 お父様は私をお叱りになるだろう。

「媚を売るだけの女に、おまえは負けたのか?」

「どれだけおまえにしっかりした教育を受けさせたと思っているのだ」

 きっとそんな言葉がお父様の口からは出てくるだろう。

 私は、「教育や品位だけが女の武器ではないようです」とでも反論できるだろうか。


 そのとき、突然、向かいにいたマルタが「わっ」と泣き出し、思考を中断させられた。

 それでも私は無視を決め込んでいたが、うめき声まで上げ始め、鬱陶しくなってきた。


「何をめそめそとしているの? 悲しむより、あなたの子爵家にどう取り繕うか考えたほうがよいのではないかしら」


 私はついに声をかけた。今は黙っていてほしかった。

 やはり相乗りなどさせるのではなかったと後悔していた。

 

「本当に愛していたのです」


「は?」


 マルタの言葉に、私は心底驚いてしまった。


「家のためではなく、ご自身の愛のために婚約なさっていたの?」


「はい……」


 そんな婚約うまくいくはずもない。家のためと思えば多少のことは我慢できるが、自分の意思で結んだ婚約など、ちょっとした問題が表面化すれば破綻するだろう。「恋は盲目」とはよく言ったもので、恋だの愛だのは、夢中になるほどその問題を見えなくしてしまうのだ。


「では諦めなさい」


「そんな簡単に諦めるなんてできません……」


 その調子でいつまでもめそめそされたら鬱陶しいだけだわ。問題点をはっきりと伝えてあげれば大人しくなるかしら。


「お相手はどんな方なの?」


 仕方なく、私は相手をすることに決めて尋ねた。


「クラウディア様は悲しくないのですか?」


 質問に質問で返してくるとは……。


「悲しんでなどいられないわ。これからどうすればいいのか考えるので必死よ。婚約破棄は私だけの問題ではなく、家の問題なのですから」


「家の問題……? アルフォンス殿下のことを愛してはいらっしゃらなかったのですか?」


「その問いに答えるつもりはないわ。愛なんて私の婚姻にとって重要なことではありませんから」


 愛などなかったが、愛がなかったと認めるのも何か癪だった。


「……私のお相手は、コンラート・ベルクマンという伯爵家のご子息です」


 突然私の質問に答え始めたわね……。

 それにしても……伯爵令息との婚約破棄を、王太子殿下との婚約破棄と比べないでほしいわ。

 

「それで、何が理由で婚約を破棄されたの?」


「ある女性が……リーナ・ベルガーという平民の方で、ベルクマン領地で取れる麦の取引をしている商会の方らしいのですが……その麦で食中毒が起きたそうで、商会の信用が失墜して破産寸前になってしまい、身売りまでされそうになっていると言ってきたそうなのです」


「それは大変ね。でもそれがマルタさんとベルクマンの婚約破棄にどう関係するのかしら」


「ベルクマン伯爵家も問題を認めて、商会への賠償を決めたそうです。リーナさんご自身は賠償の受け取りを拒否しているそうなのですが、それでは伯爵家の名誉も損なわれると、賠償を進めていて、大きな借金を背負うことになるそうでして……。私にまでその責任を負わせたくないと、それで婚約を破棄したいと言われたのです」


 ほら。愛だの何だの言っても、結局家の都合で、簡単にだめになってしまうのよ。


「ではどうしようもないではないの。諦めなさい」


「私は借金などどうでもいいのです。コンラート様のご負担を少しでも軽くできるのであれば、むしろ私もご協力したいのに……。それすら許してくださらないのです」


「あなたの子爵家を巻き込まないで済むなら、それでよいではないですか」


「よくありません! 私はコンラート様と婚約したのであって、これは子爵家と伯爵家の婚約ではないのです。コンラート様の苦しみは分かち合いたいのです」


 このマルタという女は何なのだ。

 私とはまったく考えが相容れない。下級貴族は家よりも愛情などというものを優先するのだろうか? だから下級貴族のままなのではないのか。


「どうせ、そのコンラートも、リーナという女にたぶらかされたのでしょう。いいように理由をつけて婚約破棄して、あなたのことがどうでもよくなったんでしょう。そんな男のことは忘れなさい」


「違います! コンラート様はそんな方ではありません。アルフォンス殿下と一緒にしないでください」


 私はいよいよ苛立ちが抑えられなくなった。


「男なんて一緒よ! どうせリーナとやらも、セレナみたいに男が好きそうな可愛らしい容貌で、媚を売るような女なんでしょう?」


「……」

 

 マルタは押し黙った。

 私の剣幕に気圧されたのかと思ったが、そうではないようだった。

 

「それはそうかもしれません……」


 認めるの……?


「ほら……見なさい」


「最初はコンラート様に色目を使っていたように思います。ですが、コンラート様が応じないとわかると、突然食中毒の話を持ち出して……」


 そんな露骨な……。


「あなた……それ、詐欺師ではないの?」


「そうなのでしょうか……。でも食中毒は本当に起こっているのです」


「その女がカビの生えた麦でも混ぜたのではないの? ベルクマン伯爵家はそんなわけのわからない女の言うことを信じるほどお人好しなの? 私には騙されているようにしか思えないわ」


 マルタが私の顔を見つめて言った。


「……王宮に戻ってもよろしいですか?」


   ※


 私は再び王宮の広間に戻っていた。

 辻馬車は一台しかないのだから、マルタが戻るというなら戻るしかなかった。

 ……というのは言い訳だ。


 公爵邸に帰るのを少しでも遅らせられれば、という気持ちもあったし、何よりもマルタが愛のために婚約していたというコンラートという男を見てみたかった。


 けれど、再び夜会に戻ってきた私を見る好奇な目に晒され、私は少し後悔し始めていた。


「クラウディア、戻ってきたのか? まだ俺に未練があるのか?」


 アルフォンス殿下にも見つかってしまった。その隣にはセレナがいて、殿下の腕に手を回していた。


「クラウディア様、お気持ちはわかりますけれど、殿下を困らせないでくださいます?」


 セレナが私に向けて笑った。

 明らかに私をバカにしている。


「あなたたちには何の用もありません。私はこのマルタさんの用事に付き合って戻ってきただけです。たまたま辻馬車で乗り合わせたので。私には構わないでくださいますか? では失礼いたします」


 私がマルタに行こうと促すと、そのマルタがセレナの顔をじっと見ていた。


「私の婚約者を奪った女がそんなに気になるの?」


 マルタを非難するように私は言った。そんな悪趣味な女ではないと思っていたのだけれど。

 

「あっ、いえ、申し訳ございません」


 謝るマルタを引っ張るようにその場から離れた。


「あなたのコンラートを探すのでしょう?」


「はい。そうなのですが……。

 あの……セレナという方……髪の色も髪型も違って、お化粧も濃かったのですぐにわからなかったのですが、リーナに似ているような気がして……」


「セレナは男爵令嬢よ。商会の娘ではないわ」


「わかっています。でも、もしリーナが詐欺師なら、貴族になりすますこともできるのではないかと思って……」


 マルタの言葉に私ははっとして振り返った。


 離れたところで、アルフォンス殿下の横で、高笑いしているセレナが見えた。


 セレナ・ヴァイス男爵令嬢——没落した家とはいえ、「ヴァイス」男爵家という家名を私は聞いたことがなかった。


「マルタさん、あなたは本気でセレナとリーナが同じ人間だと考えているの?」


「はい……顔が似ているだけではなくて、声も同じですし……それに特徴的な目の下のほくろが、同じ位置にあります」


「でもセレナはあなたのことには気づかなかったようでしたけれど……」


「リーナは私のことなんて覚えていないと思います。まるで私なんていないかのように、いつもコンラート様ばかり見てお話していましたから」


 私はリーナのことは見たことがないので判断ができないが、少なくとも、マルタが嘘をつくような女には思えなかった。


「アルフォンス殿下にお伝えしたほうがよいのでは……」


 マルタが言った。


 私は少し考えてから言った。


「そうね。私はアルフォンス殿下のところに話しに行くので、あなたはコンラートを探しなさい」


 私は思わず笑みを浮かべていた。


 今ここで、アルフォンス殿下にセレナが詐欺師だと伝えたところで、私が嫉妬で言いがかりをつけているとでも言われかねない。


 それなら、そういうアルフォンス殿下に相応しい結末を用意してあげましょう。


   ※


 アルフォンス殿下はセレナと楽しそうに談笑していた。

 今度は私のほうから二人に近づき、声をかけた。


「アルフォンス殿下、たびたび失礼いたします」

 

「何だ、クラウディア、まだいたのか」


 殿下は露骨に不満そうな顔を私に向けた。

 周囲の貴族たちも、私が戻ってきたことに気づき、何が起きるのかと目を向けていた。


「言い忘れたことがございました。殿下との婚約の破棄についてお受けいたします。これで正式に婚約は解消ということでお願いいたします」


「ふん、強がりおって。おまえが受けようが受けまいが婚約は破棄だ」


「いいえ、私からも願い下げだということをはっきりお伝えしておきます」


「何だと?」


 次に私はセレナに顔を向けた。


「セレナ様、ヴァイス男爵家のご令嬢として、しっかりと王太子妃のお役目を務めてくださいね」


「言われなくともしっかりやりますわ」


 嘲笑を浮かべながらセレナが答え、アルフォンス殿下に絡めた腕の力を強めた。


「それならけっこうですわ。ところで殿下、私、ヴァイス男爵家という名前を聞いたことがないのですが、セレナ様の身元の調査はしっかりされていますわね?」


「何を失礼なことを仰るの!?」


 セレナの嘲笑が消え、怒声を上げた。


「私は殿下に伺っているのです。どうなのです、殿下?」


「没落した男爵家だからと見下しているのか? 身分で人を判断するなど上級貴族の悪癖だ。むしろ哀れんで手を差し伸べるべきではないのか?」


「お優しいのはけっこうですが、今は身分差別の話をしているのではありません。セレナ様の身元を確認したのかお伺いしているだけです」


「そんなのは当たり前だろう」


 無理に胸を張って殿下が答えた。どうせ確認などしていないだろうけれど、私はその言葉を聞きたかっただけ。


「そうよ! 言いがかりなんて、公爵令嬢ともあろうお方がみっともないですわ。クラウディア様はもう殿下とは無関係なのだから、顔を見せないで!」


 セレナが喚くのを無視し、私はその場を去った。


 私の顔を見た者は不気味に思ったかもしれない。


 最初に夜会を去ったときは悲壮な表情をしていた令嬢が、同じ日に再びやってきたときには笑みを浮かべていたのだから。



「もう僕のことは頼むから忘れてくれ……」


 マルタを見つけたのだけれど、コンラートと思われる男と言い合っているようだった。


「あなたは騙されているのよ」


「君はそんなふうに人を疑うような人間ではなかっただろう?」


 その言葉を聞いて、私は前に出る。


「マルタさんではなく、私が疑ったのです」


「あなたは……クラウディア様?」


「ええ、先ほど偶然……いえ、婚約者を奪われた者同士、必然だったかもしれないのだけれど、マルタさんと辻馬車で一緒になってお話を伺って、あなたがリーナという女に騙されているのではないかと私が言ったのです」


「なぜそんなことを……」


「あまりに不自然だからです。あなたに愛する婚約者がいるとわかった途端、食中毒の事件があったのでしょう? それについ先ほど、リーナという女性が詐欺師だと確信することもあったのですが、もちろん証拠があるわけではありません。ですが、少なくとも身元の確認くらいはしたらよいのではないですか?」


「ですが……。リーナは商会の取引証書を持っていて、内容も正確なものでした」


 やっぱりアルフォンス殿下と大して変わらないではないの。簡単に騙されて……男ってそんなものなのよ。


「証書を商会から盗んだ可能性だってあるではないですか。むしろ、だからこそ取引先だったベルクマン伯爵家が狙われたのでは?」


「ですが、リーナは本当に辛そうにして、賠償金の受け取りも最初は拒否していたのです。あれが騙そうとしている者の態度だとは思えません」


 私はひとつため息をついた。

 こんな愚かな男をマルタは本当に愛しているというの?


「コンラートさん、もし、リーナが詐欺師だったら、あなたはマルタさんへの婚約破棄を撤回するのかしら?」


「はい。それはもちろんです。ですが……」


 リーナは元婚約者を救おうとし、私は元婚約者を見捨てようとしている。その結末はどうなることか。


「そう。じゃあ、こういうのはどうかしら……」


   ※


 夜会から一週間後、私はまた王宮にいた。


 応接間で、私の隣には、コンラートとマルタが座り、向かい側にはアルフォンス殿下とセレナ、それにベルガー商会の代理人が並んでいた。横には王宮の法務官も立ち会っている。

 セレナは長い金の髪を前に下ろし、顔が見えにくいようにしている上、顔は真っ白に塗っていて、私は思わず笑ってしまいそうになるのを必死にこらえた。


「なぜおまえがここにいるのだ、クラウディア?」


「ベルクマン伯爵家の今回の賠償金増額を提案したのが私ですので、責任を持って立ち合わせていただきます」


「ふん、まあいい。ではさっさと済ませるぞ」


「ところで、リーナさんはいらっしゃらないのですか?」


 私は商会の代理人に尋ねた。


「はい、お嬢様は食中毒事件の後始末でお忙しく、本日はいらっしゃいません」


「そう。ベルクマン伯爵家には足繁く通っていらしたそうですけれど、こんな大事な日だけはいらっしゃらないのね」


 そう言って、セレナを見たが、俯いたままでこちらを見ようともしなかった。


「セレナさん、あなたはリーナさんのお知り合いで、彼女に頼まれてアルフォンス殿下を紹介されたのですよね?」


 セレナが俯いたまま頷いた。


「リーナさんとはどういうご関係なのですか?」


「友達です」


 セレナが小さな声で言った。


「どういったお友達なのですか?」


「話したくないです」


 またも消え入りそうな声だった。よほどコンラートに声を聞かれたくないらしい。


「おい、クラウディア。いまだセレナに嫉妬しているのか知らんが、いい加減にしろ。セレナは体調が優れないのだ」


「わかりました。では法務官殿、手続きをお願いいたします」


 私が促すと、法務官が頷いた。


「今回、賠償金が多額となったため、アルフォンス殿下が保証人となられると伺っております。手続きのため、ベルガー商会の被害の申告書を確認いたしました」


 賠償金の増額——コンラートには、再度被害額を計算し直し、慰謝料も加味しての増額と言わせた。ただし、額が大きくなりすぎたため、王家の方の承認が必要だという条件を出させて。その上で、伯爵家には頼れる王家の知り合いがいないと言うと、リーナが知り合いに頼むと言い出し、まんまとアルフォンス殿下が担ぎ出されてきた。


「申告書によると、食中毒の被害の申告があったのは10月12日ということでしたな」


 「はい」と商会の代理人が答えた。

 法務官はその回答を記録した。


「問題の麦が入荷したのは、10月14日だったようですが……なぜ入荷より前に食中毒が出たのでしょう」


「それは違います。食中毒が出たのは、その前に入荷した麦です。その麦でパンを焼いた家で、次々と食中毒が出たのです」


「そうですか……その前の入荷となると、9月21日の入荷ですが、それは10月1日時点ですべて他の三つの商会に卸されています。それらの商会では食中毒の申告はなかったそうです」


「いや……それは……」


 代理人が答えに詰まる。

 セレナが代理人を横目で睨んでいた。

 あら……顔が見えてしまっているわ。


「代理人では、正確な状況を把握していないのよ。食中毒は間違いないってリーナははっきり言っていたわ。いいから、手続きを進めなさいよ」


 ようやくまともに話したと思ったら無理に高い声を出して……ずいぶん必死だこと。

 

「セレナ、無理に話さなくていい。声もいつもと違って変だぞ」


 アルフォンス殿下がセレナを庇おうとする。


「では、リーナさんを今からでもお連れしたらどうです? 詳しい事情が聞ければはっきりすると思うのですが」


 私がそう提案すると、セレナが睨みつけてきた。


「その必要はない。実際に困っている商会がいるのだから、力のある貴族や王族が助けないでどうする? 心優しいセレナは、そうした商会救済の基金を設立することも提案してな、王家としても足りない金は援助することを決めた。法務官、いいから賠償手続きを進めろ」


 法務官はため息をついた。


「殿下、はっきり申し上げましょう。これは詐欺です」


「何?」


「ベルガー商会という商会は実在しておりました。ですが、リーナ・ベルガーという娘はおりません。ただ、商会にはリーナ・クレーマーという女性が少し前まで勤めていて、彼女が辞めた際に、一部の取引証書が紛失していたそうです」


 商会の代理人が突然立ち上がって逃げ出そうとし、応接間の扉を開けて出ようとすると、そこで衛兵に捕まった。


「嘘……。私、リーナに騙されていたの?」


 セレナが高い声で呟いた。


「そうなのか? セレナ……。おまえの慈悲深さを利用されたというのか……? リーナという娘……許せん」


 セレナが泣き出し、アルフォンス殿下が彼女を抱き寄せた。


「殿下……。もうひとつご報告があるのですが……」


 法務官が言った。


「そんなものは後にしろ! セレナがかわいそうだろうが……。友人に騙されたのだぞ」


「ヴァイス男爵家という家は存在いたしません」


「そんなことはどうでもいい。後にしろと言っているだろう! セレナの気持ちを考えろと言っているのだ」


「セレナ・ヴァイス男爵令嬢などという人物は存在しないと言っているのですよ」


「うるさい!」


 そう怒鳴ってから、アルフォンス殿下が動きを止め、セレナから体を離した。


「何だと?」


 アルフォンス殿下が法務官の顔を見て、またセレナに視線を移して。セレナはすでに泣き止み、法務官を睨んでいた。


「殿下は騙されていたのです」


 アルフォンス殿下は現実を受け入れられないのか、口をぱくぱくとさせていた。


「せっかくうまくいっていたのに……」


 素の、セレナの声だった。

 顔を上げると、目の下のほくろもはっきりと見えていた。


「その声は……。リーナなのか?」


 コンラートが呟いた。


「目の下のほくろも……。やっぱりリーナさんなのね」


 法務官が衛兵に指示し、セレナは捕縛された。


「殿下についても、詐欺師に王家の権威を利用させたことについて調査をさせていただくことになります」


 法務官がアルフォンス殿下に告げた。

 

「お、俺は騙された被害者だぞ!」


「あら」


 私はすかさず声を上げた。


「殿下は、セレナの身元を確認したとはっきり申されていましたわ。その上で、王家のお金を拠出したり、賠償金の承認をしようとするなんて……詐欺師に加担でもするつもりだったのではないかしら。少なくとも、知らなかった、騙されたで、王太子としての責任から逃れられるとは思いませんわ」


「何を言っているのだ、クラウディア。セレナが詐欺師であったことがわかった以上、おまえはまた王太子妃に戻れるのだぞ。婚約破棄はなかったことにしてやれるのだ」


「はて……」


 私は見下すように、アルフォンス殿下の顔を見据えた。

 

「私ははっきりと、殿下との婚約など願い下げだとお伝えしたと思いますが……。くだらない女に騙されて、詐欺師を王太子妃にまでしようとする方と婚約だなんて……」


 私は思わず吹き出した。


「冗談ですよね?」


   ※


「あの夜、夜会から帰ってアルフォンス殿下との婚約解消を報告したときはひどくお父様に叱られたのだけれど、今となっては、良い判断だったと褒められたわ」


 私がそう言うと、マルタが笑った。


「王太子の地位を剥奪されるような男性と婚約だなんて、ぞっとしてしまいますわね」


 マルタの言葉に私も笑った。


 アルフォンス殿下は一連の件で王太子の資質を問われ、その地位を剥奪された。セレナ——本名リーナ・クレーマーは詐欺の罪で投獄された。


「マルタさんと、あの辻馬車で一緒になったおかげね」


「本当に……。あのときクラウディア様とお会いしていなかったら、私もコンラート様を失ってしまうところでした」


 マルタは無事にコンラートと復縁し、結婚の準備を進めていた。

 

「あんな騙されやすいお人好しのどこが良いんだか……」

 

 口ではそう言いながら、どこか羨ましい気持ちもあった。


「そこが良いんですよ。お優しくて……。騙されないように私がしっかりするんです」


「ふふふ。大変な役目だこと。

 ……私もきっとすてきな人を見つけるわ。お父様にも、私が自分でお相手を見つけるって宣言したの」


「コンラート様はだめですよ」


「だからこっちが願い下げだって言っているじゃないの」

 

 私たちは笑った。

 

 夜の王都を、私たちを乗せた辻馬車が走っていく。


 馬車の窓から、流れていく街並みを眺める。

 今夜の夜会で、すてきな出会いがないかと密かに願いながら。


 愛だの恋だの、まだよくわからないけれど、少しくらいなら期待してもいいかもしれない。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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