第7話 戦を見たい
那古野城の本丸は、昼の光に静かに包まれていた。
障子越しに差し込む春の日差しが、畳の上にやわらかな影を落としている。
庭の松は風に揺れ、時折さらさらと葉の触れ合う音が聞こえた。
城の奥は外の城下町とは違い、どこか落ち着いた空気が流れている。
だが、その静かな空気を破るように、廊下を歩く小さな足音が近づいてきた。
吉法師である。
いつものように片袖を外した小袖を着て、腰には木刀。城の中とは思えぬほど気ままな姿だが、歩く足取りだけは妙に迷いがない。
まっすぐ本丸の広間へ向かっていた。
広間の前に立つと、控えていた小姓が驚いた顔をした。
「吉法師様?」
「父上はおるか」
小姓は慌てて頭を下げた。
「は、はい。殿は中に」
「そうか」
吉法師は迷いなく障子を開けた。
広間の中には、織田信秀が座していた。
背の高い体をゆったりと畳の上に預け、地図のような紙を広げている。
鎧こそ着ていないが、肩幅の広い体つきは武将そのものだった。鋭い目が障子の方を向く。
「おや」
信秀は少し笑った。
「吉法師か」
吉法師は遠慮なく歩み寄る。
「父上」
信秀は紙を畳みながら言った。
「今日は城下町で団子ではないのか」
吉法師は真顔で答えた。
「団子は食った」
信秀は吹き出した。
「そうか」
笑いながら酒盃を置く。
「それで何の用だ」
吉法師は少しだけ間を置いた。
そして言った。
「戦を見たい」
広間の空気が止まった。
信秀の手がぴたりと止まる。
「……戦?」
吉法師はうなずく。
「そうだ」
信秀は吉法師の顔をじっと見た。
この子は八つである。
普通の子供なら、戦などと聞けば怖がる。
刀。
血。
死。
それが戦だ。
信秀は少し低い声で言った。
「なぜだ」
吉法師は即答した。
「知りたい」
信秀は眉をひそめる。
「何を」
吉法師は答える。
「戦」
その言葉はあまりにも簡単だった。
信秀は少し考える。
そして聞いた。
「怖くないのか」
吉法師は首を傾げた。
「何が」
「戦だ」
信秀は言った。
「人が死ぬ」
吉法師は少しだけ黙った。
だがすぐに言う。
「それは知っている」
信秀は目を細めた。
吉法師は続ける。
「武士は戦う」
「そうだ」
「なら見ておきたい」
その言葉は妙に落ち着いていた。
信秀は吉法師を見つめた。
この子は昔から変わっている。
城下町を歩く。
町人と話す。
魚の値段で口論する。
団子を食う。
武士の子とは思えぬ行動ばかりだ。
だが、今の目。
その目は――
戦を知りたい者の目だった。
信秀は腕を組む。
「なぜ戦を見たい」
吉法師は少し考えた。
そして言った。
「強くなるためだ」
信秀は笑った。
「強く?」
「そうだ」
吉法師は言う。
「どうやって勝つのか見たい」
信秀は黙った。
普通の子供ならこう言う。
「怖い」
「嫌だ」
だがこの子は違う。
勝つ方法を知りたいと言う。
信秀は聞いた。
「おぬしは戦が好きか」
吉法師は少し考える。
「まだ知らぬ」
「ほう」
「だから見たい」
信秀は小さく笑った。
「なるほど」
そして立ち上がる。
大きな体がゆっくり動くと、広間の空気が少し変わった。
信秀は窓の外を見る。
城の庭。
松の影。
遠くの空。
戦国の世だ。
いつ戦が起きてもおかしくない。
信秀は言った。
「次の戦に連れていく」
吉法師の目が光る。
「本当か」
「ただし」
信秀は振り向いた。
「泣くな」
吉法師は即答した。
「泣かぬ」
信秀は笑った。
「そうか」
そのとき、廊下の外で足音がした。
平手政秀が入ってくる。
「殿」
「なんだ」
「軍議の時間で――」
そこで平手は気づく。
吉法師がいる。
そして信秀が笑っている。
平手は嫌な予感がした。
「……何かありましたか」
信秀は言った。
「吉法師を戦に連れていく」
平手の顔が固まった。
「……は?」
信秀は笑った。
「戦を見たいそうだ」
平手は思わず叫んだ。
「まだ八つですぞ!」
吉法師は言う。
「もう八つだ」
平手は頭を抱えた。
信秀は豪快に笑う。
「戦国の子だ」
そして言った。
「戦ぐらい見ておけ」
吉法師はにやりと笑った。
その顔は、まるで遊びに行く子供のようだった。
だが。
その小さな胸の奥で、何かが動き始めていた。
まだ誰も知らない。
この少年がやがて戦国の世を変える男になることを。




