第6話 城下町の騒動
那古野城の城下町は、昼になると一層賑やかになる。
春の陽射しが町の土道を照らし、軒先に干された魚が銀色に光っている。
市場では野菜や米俵が並び、商人の呼び声があちこちから飛び交っていた。
「大根安いがやー!」
「今朝獲れた鯛だぞー!」
荷車の車輪が土を軋ませ、牛の鈴が小さく鳴る。
子供たちは裸足で走り回り、犬がその後ろを追いかけていた。
そんな町の中を、一人の少年がのんびり歩いていた。
吉法師である。
片袖を外した小袖。
腰には木刀。
歩き方もどこか気まま。
どう見ても武家の嫡男には見えない。
その横には、平手政秀が腕を組んで歩いていた。
「吉法師様……」
「なんだ」
「今日は騒ぎを起こさぬでください」
吉法師は首を傾げた。
「わしが騒ぎを起こしたことなどあるか?」
平手は黙った。
数えきれないほどある。
しかし言わない。
そのときだった。
「やかましい!」
怒鳴り声が町に響いた。
次の瞬間。
「てめえこそ黙れ!」
怒鳴り返す声。
人々がざわめく。
市場の真ん中で、二人の男が掴み合っていた。
一人は魚屋。
もう一人は米商人らしい。
魚屋が叫ぶ。
「この米は腐っとる!」
米商人も怒鳴る。
「腐っとらん!」
「臭いがや!」
「魚の匂いだろうが!」
周りには野次馬が集まり始めていた。
「また喧嘩か」
「この二人はいつもだ」
「今日は派手だな」
人垣ができる。
今にも殴り合いになりそうだった。
平手が小さく言う。
「関わらぬ方がよろしい」
しかし、吉法師はにやりと笑った。
「面白い」
「面白くございません」
「止めてくる」
平手が止める間もなく、吉法師は人垣をかき分けた。
「どいたどいた」
町人たちが振り向く。
「あれ?」
「吉法師様だ」
「殿様の子だがや」
人垣が自然に割れた。
喧嘩していた二人も気づく。
「……吉法師様?」
吉法師は二人の間に立った。
「何をしておる」
魚屋が言う。
「この米が腐っとるんです!」
米商人が怒鳴る。
「腐っとらん!」
「臭いがや!」
吉法師は袋を見た。
米俵が一つ魚屋が指さす。
「ほら嗅いでみやぁ」
吉法師は袋を開けた。
そして鼻を近づける。
「……」
一瞬、沈黙。
「臭い」
魚屋が得意げに言う。
「だろう!」
米商人が怒る。
「魚屋の手が臭いんだ!」
吉法師は考えた。
周りの町人たちが見守っている。
そして言った。
「水だ」
「は?」
吉法師は言う。
「米を水で洗え」
二人は首を傾げる。
「水?」
「そうだ」
吉法師は近くの桶を指した。
「そこに水がある」
魚屋が言う。
「それでどうする」
吉法師は言った。
「米を洗う」
「洗う?」
「臭いが取れれば腐っておらん」
米商人が言う。
「なるほど」
魚屋は腕を組んだ。
「やってみるか」
二人は米を桶に入れた。
水で洗う。
じゃぶじゃぶと音がする。
そして、魚屋が嗅いだ。
「……」
もう一度嗅ぐ。
「臭くない」
米商人が胸を張った。
「腐っておらんだろ!」
魚屋は頭を掻いた。
「魚触った手で嗅いどったか」
周りの町人たちが笑う。
「そりゃ魚臭いわ」
「当たり前だがや」
魚屋は吉法師に頭を下げた。
「すまんかった」
米商人も頭を下げた。
「騒ぎを起こしました」
吉法師は肩をすくめた。
「もう喧嘩するな」
魚屋が言う。
「吉法師様は頭がいいな」
町人たちも口々に言う。
「殿様の子なのに賢いがや」
「普通の武士なら刀を抜くぞ」
「うつけじゃなかったな」
吉法師は笑った。
「腹が減ると喧嘩する」
魚屋がうなずく。
「そうだな」
吉法師は言った。
「団子を食え」
町人たちは笑った。
平手が後ろでため息をつく。
「……また人気が出ましたな」
吉法師は町を見回す。
人が多い。
声が多い。
活気がある。
そしてぽつりと言った。
「町は面白い」
平手が聞く。
「何がです」
吉法師は答えた。
「人だ」
そして続ける。
「人が多いところが強い」
平手は少し驚いた。
この少年は。
ただ遊んでいるように見えて、何かを見ている。
城下町の喧嘩騒ぎは、こうして静かに終わった。
そして町人たちは言った。
「尾張のうつけ」
だがその声は、どこか楽しそうだった。




