第67話 完成(仮)
「できた、か?」
利家がそう言った時、弓職人はすぐには答えなかった。
工房の中は、削り屑と木の匂いで満ちていた。日はもうだいぶ傾いている。障子の隙間から差し込む夕方の光が、床の上に細長く伸び、その真ん中に例の妙な武器が置かれていた。
試作二号。
まだ洗練されているとは言い難い。
だが、試作一号の粗さとはもう違う。
木組みは締まり、支えの角度も見直され、矢を受ける溝も広くなっている。部材の厚みも場所ごとに変えられ、折れやすかった箇所には補いが入った。
見た目だけでも、昨日よりずっと“道具”になっていた。
吉法師は、その前にしゃがみ込んだままじっと見ていた。
ただ眺めているのではない。
頭の中で、図と、昨日の失敗と、今日の修正を繋ぎ合わせている顔だった。
小夜は少し離れた位置から、工房の戸口とその試作二号を交互に見ている。
「形にはなったわね」
利家が腕を組み、うんうんと頷いた。
「昨日のより、ずっと強そうだ」
弓職人がそこでようやく鼻を鳴らした。
「強そうで終わるなよ」
「でもそう見えるぞ」
「見えるのと使えるのは違う」
そう言いながらも、職人の声には昨日よりわずかに誇らしさがあった。
それを聞き逃すほど、小夜も吉法師も鈍くはない。
「じゃあ試すぞ」
吉法師が言った。
「待て」
職人がすぐ止める。
「何だ」
「まず矢だ」
職人は工房の隅から、昨日より少し短く、少し揃った矢を持ってきた。
「落ちる角度に合わせて、羽も少し切った」
利家が目を丸くする。
「そこまでやったのか」
「当たり前だ」
職人は不機嫌そうに言う。
「本体だけいじっても、矢が噛まなきゃ意味がねえ」
吉法師はその矢を一本手に取り、重さを確かめた。
「軽いな」
「少しだけな。軽くしすぎると今度は飛びが鈍る」
「面白い」
「またそれか」
小夜が呆れたように言う。
だが今回は、その言葉のあとに小さな笑いが混じっていた。
四人とも、少しだけ高揚していたのだ。
昨日の失敗。
今日の工夫。
その先にある“今度こそ”の感覚。
工房の裏手の空き地に出ると、風は昨日より少し穏やかだった。藁束はまた新しく立て直してある。小夜が周囲を確認し、誰も近くにいないことを確かめる。
「大丈夫」
「よし」
吉法師が試作二号を受け取る。
昨日より手に馴染む。
重さはまだある。
だが、無駄なぶれが減っているのが分かる。
利家が近くまで寄ってきた。
「今度はどうだ」
「昨日よりはよい」
「そりゃ見りゃ分かる」
「なら黙って見ておれ」
「偉そうだな」
「偉いからな」
「はいはい」
小夜がいつものように流す。
職人は少しだけ緊張した顔で、吉法師の手元を見ていた。
「まず二本だ」
「三本ではないのか」
「欲張るな」
「欲張ってはおらぬ」
「その顔で言うな」
吉法師は言われた通り、二本の矢を載せた。
落ち方を見る。
溝の噛み方を見る。
昨日と違って、矢が斜めに遊ばない。
「……いい」
吉法師が小さく呟く。
「いいな」
職人も、同じように小さく言った。
小夜はその横顔を見て、少しだけ口元を緩めた。
この酔っ払い、もう完全に自分の仕事として見ている。
「行くぞ」
吉法師が弦を引く。
木が、ぎ、と鳴る。
だが昨日のような不安な音ではない。
張りに少しだけ芯がある。
放つ。
ぱしっ!
一射目が飛ぶ。
藁束に刺さる。
すぐに二本目が落ちる。
今度は引っかからない。
「来た!」
利家が思わず叫ぶ。
吉法師はそのまま、間を空けずに二射目を放った。
ぱしっ!
二本目も飛ぶ。
しかも今度は一射目のすぐ横だ。
空き地に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
それから利家が、大きく笑った。
「すげえ!」
小夜の目も少しだけ見開かれている。
「……ちゃんと連続で飛んだ」
職人は息を止めていたらしい。そこでようやく大きく息を吐いた。
「よし……!」
声は低いが、明らかに嬉しそうだった。
吉法師は試作二号を見た。
壊れていない。
詰まってもいない。
矢もちゃんと落ち、ちゃんと飛んだ。
「できたな」
その声には、はっきりと熱があった。
利家が藁束へ駆け寄る。
「二本とも刺さってるぞ!」
「深さは?」
職人がすぐ訊く。
「昨日よりはいい!」
「“いい”じゃ分かんねえ」
「刺さってる!」
「だからどれくらいだ!」
小夜が藁束のところまで行き、矢の刺さり具合を見た。
「浅くはない。でも、重い弓ほどではない」
職人が頷く。
「そこはまだだな」
だが、その言い方にも落胆はなかった。
改善の先が見えた者の声だった。
吉法師は試作二号を両手で持ち上げ、もう一度構えた。
「もう一度だ」
「まだやるの?」
小夜が言う。
「当然だ」
「壊れるかもしれねえぞ」
利家が半分笑いながら言う。
「なら壊れ方を見る」
職人がすぐに口を挟む。
「今は壊し方を見なくていい」
三人が職人を見る。
職人は少しだけ咳払いして、言い直した。
「……いや、見るのは大事だが、まずは動くうちに確かめる」
利家がにやりとした。
「嬉しそうだな」
「嬉しくねえ」
「顔が言ってる」
「うるせえ」
吉法師は二度目の装填を始めた。
今度は少しだけ手つきが早い。
自分の中で、昨日の失敗から今日の成功へ、一本の筋が通ったからだ。
「小夜」
「何」
「どう見える」
「何が」
「これは」
小夜は腕を組み、少しだけ考えた。
「……厄介」
吉法師が笑う。
「そうだろう」
「褒めてないのよ」
「だが嫌いではない顔だ」
「言い方が森殿みたいになってきたわね」
利家が割って入る。
「いいから撃てよ」
「おぬしはすぐ急ぐ」
「そこまで待ったんだぞ」
それもそうだった。
吉法師は二度目を放つ。
今度も飛ぶ。
一射、二射。
二本とも藁束に入る。
しかも、今度は少しばらけた。
狙いではなく、構造の精度の問題かもしれない。
だが、飛ぶ。
それだけで今は十分だった。
利家が戻ってきて、興奮したように言う。
「すげえなこれ!」
「まだだ」
職人が言う。
「まだ、狙った場所へ綺麗に揃って飛ばねえ」
「でも飛ぶ!」
「飛ぶだけじゃ足りねえ」
「お前、本当に職人だな」
「今さら何だ」
吉法師はもう、次のことを考えていた。
「もっと矢を増やせぬか」
職人が即座に返す。
「その前に精度だ」
「だが数が増えれば」
「増やして暴れたら意味がねえ」
「ふむ」
「そこで“ふむ”って顔するな。まだ突っ走るな」
小夜がそこで言った。
「でも、気持ちは分かる」
三人が見る。
小夜は肩をすくめた。
「昨日壊れたものが、今日はちゃんと動いたんだもの。面白いでしょ」
吉法師が嬉しそうに頷く。
「うむ」
利家も笑う。
「やっとお前もこっち側か」
「違うわよ。私は見てるだけ」
「ずいぶん近くで見てるけどな」
「見張り役だもの」
その言葉に、四人とも少しだけ笑った。
日が落ちかけていた。
空が少し赤い。
工房の裏手の空き地に、試作二号の姿が長く影を落とす。
それはまだ完成ではない。
木組みも粗い。
改良の余地はいくらでもある。
だが昨日まで「古い兵法書の図」でしかなかったものが、今は確かに手の中で動いている。
吉法師は、それをじっと見た。
「戦は変わる」
ぽつりとそう言う。
利家が顔を上げる。
「そこまで行くか?」
「行く」
吉法師は即答した。
「弓は一本ずつつがえるものだ。そう決まっておる。だが、続けて撃てるなら、その決まりは崩れる」
職人が少しだけ眉をひそめる。
「まだそこまで言うには早え」
「分かっておる」
「分かってる顔じゃねえぞ」
小夜がそこで低く言った。
「でも、次に何を言うかは分かる」
利家が笑う。
「俺も分かる」
職人が嫌そうな顔になる。
「言うなよ」
吉法師は、いかにも楽しそうに笑った。
「次は具足だ」
職人が顔を覆った。
「ほら来た」
利家はむしろ嬉しそうだった。
「面白くなってきたな!」
小夜はため息をついた。
「やっぱり、嫌な予感しかしない」
だが、その声にも昨日ほどの重さはなかった。
試作二号は、まだ“完成(仮)”だ。
それでも今日の成功は、四人の中に同じ熱を生んでいた。
次はもっと先へ行けるかもしれない。
そう思わせるには、十分な出来だった。




