第65話 試作失敗
「撃つぞ」
吉法師がそう言った瞬間、小夜は一歩下がった。
「嫌な予感しかしない」
「昨日も言っておったな」
「昨日より強い嫌な予感よ」
利家は笑いながら、工房の外の空き地に立てた藁束を見た。
「まあ、まずはやってみりゃいいだろ」
弓職人は腕を組んだまま、試作一号を睨んでいる。
昨夜のうちに形へしたそれは、朝の光の下で見ると、ますます妙だった。普通の弓とも弩とも違う。木組みはまだ粗く、削り跡も残っている。だが、確かに「何かを続けて撃とうとしている」形ではある。
工房の裏手にある空き地は、人目が少ない。
土は乾き、端には薪と木屑が積まれ、試し撃ちをするにはちょうどよかった。藁束をひとつ立て、その向こうには誰もいないのを小夜が何度も確認している。
「壊れても怒るなよ」
職人が先に言う。
吉法師は首を傾げた。
「撃つ前からか」
「初めて作ったんだぞ。当たり前だ」
「当たり前ならよい」
「お前は時々、物を作る側に優しいのか雑なのか分からなくなるな」
「どちらもだろう」
利家が吹き出した。
「確かにな」
吉法師は試作一号を受け取った。
見た目より重い。
木の組み方が普通の弓より複雑なぶん、腕にかかる重さが違う。だが、持った瞬間に不思議な高揚があった。古い兵法書の中の図が、ちゃんと手の中にある。その事実だけで面白い。
「矢は」
「ここだ」
職人が小さな矢束を差し出す。
「一度に何本も載せるのはまだ危ねえ。まずは三本だ」
「三本か」
「欲張るな」
「欲張ってはおらぬ」
「顔が欲張ってる」
小夜がすぐ横から言った。
吉法師は構わず、言われた通りに矢を載せた。
一番上の溝へ落とし、弦の具合を見る。
仕掛けがちゃんと動けば、放ったあと次の矢が落ちてくる――はずだ。
「よし」
吉法師が小さく息を吸う。
利家が腕を組み、面白そうに身を乗り出す。
小夜は半分だけ顔をしかめている。
職人は黙って手元だけを見ていた。
「行くぞ」
弦を引く。
ぎ、っと木が鳴る。
そこで、いきなり嫌な音がした。
「……あ」
次の瞬間、矢がひとつ変な向きに引っかかった。
ぱしっ、と情けない音を立てて、一番上の矢だけが藁束の手前に落ちる。
誰も何も言わなかった。
しばらくして利家が言う。
「……今のは撃ったのか?」
小夜が即答する。
「落ちたのよ」
吉法師は試作一号を見たまま、真顔で言った。
「詰まったな」
職人が頭を抱えた。
「そりゃそうなるか……!」
吉法師はむしろ少し楽しそうだった。
「面白い」
「出た」
小夜が呆れる。
「失敗して最初にそれ?」
「失敗の仕方が見えた」
「前向きすぎるのよ」
職人は試作一号を奪い取るように受け取り、矢の落ち口を見た。
「溝が甘い。いや、角度か……」
吉法師が横から覗き込む。
「落ちるのが早すぎる」
「お前もそう思うか」
「うむ」
利家が割り込む。
「で、次は?」
「次だ」
吉法師が言う。
「待て」
職人が止める。
「直す」
だが、吉法師は待たなかった。
「いや、その前にもう一度だ」
「何でだよ!」
「今の失敗を見たうえで、もう一度やれば違いが分かる」
職人が本気で嫌そうな顔になる。
「壊れるぞ」
「壊れたらもっと分かる」
小夜が深々とため息をついた。
「本当に、物作り向きなのか向いてないのか分からない人ね」
利家は笑っている。
「俺は好きだぜ、その感じ」
「あなたは面白ければ何でも好きでしょ」
「うん」
「即答するな」
結局、職人はぶつぶつ言いながらも再装填した。
今度は矢を二本だけにする。
木口を少し削り、引っかかりを減らす。
その場での応急処置だ。
「今度こそ」
吉法師が言う。
「今度だめなら一回止めろ」
職人が釘を刺す。
「分かった」
小夜が小さく呟く。
「この“分かった”は全然分かってない時の声」
利家がまた吹き出す。
二射目。
吉法師が弦を引き、放つ。
今度は一本目がちゃんと飛んだ。
藁束に刺さる。
「おお!」
利家が声を上げる。
だが、その直後だった。
次の矢が落ちてきた――まではよかった。
問題は、その落ち方だった。
少し斜めに落ちたせいで、弦にうまく噛まず、途中で横へ跳ねる。
ぱきっ。
嫌な音。
木組みの横の細い部材が、そこで折れた。
二本目の矢は飛ばず、試作一号そのものが半端に弛んで沈黙した。
また沈黙。
利家がもう堪えきれずに笑い出した。
「ははっ、何だそれ!」
小夜も口元を押さえた。
「だから言ったでしょう」
「まだだ」
吉法師が言う。
「何がまだなの」
「今ので、弱いところも分かった」
職人は折れた部材を見つめたまま、低く唸った。
「くそっ……そこか」
その悔しがり方に、吉法師は気づく。
この男、もう完全に本気だ。
ただの酔っ払いなら「だから言った」で終わる。
だが今の職人は違う。どこが悪いか、どうすれば持つか、それをもう頭の中で回し始めている顔だった。
「もう一度やるか」
吉法師が言う。
「やれるか」
職人が言い返す。
「部材が折れたんだぞ」
「そこを強くすればよい」
「強くすると重くなる」
「なら軽い木で形を変えろ」
職人が顔を上げた。
吉法師は続ける。
「今のは、ここへ力が集まりすぎた。矢が斜めに落ちても受けられる形にすべきだ」
職人は少しだけ黙った。
利家が笑いを収めながら言う。
「お前ら、失敗してんのに楽しそうだな」
小夜が肩をすくめる。
「私はそうでもないけど」
「嘘つけ。ちょっと面白がってるだろ」
「……少しだけね」
その頃には、試作一号はもう無惨な姿だった。
矢は詰まる。
部材は折れる。
連射どころか、一発まともに飛んだだけでも良しという有様。
しかも飛んだ一本も、威力は微妙だった。藁束には刺さったが、深々と食い込んだわけではない。
「威力も弱いな」
吉法師が藁束を見て言う。
職人が不機嫌そうに頷く。
「弩として張りが足りねえ。だが張りを強くすりゃ、今度は木が持たねえ」
「矢が軽いのでは」
小夜が口を挟む。
三人が揃って見る。
「何よ」
「おぬし、分かるのか」
吉法師が訊く。
「分かる、ってほどじゃないけど」
小夜は藁束へ刺さった矢を指した。
「飛び方が軽い。刺さるっていうより、届いただけ」
職人が少しだけ目を細めた。
「……悪くねえ」
利家がにやにやする。
「小夜、お前も仲間入りだな」
「何のよ」
「面倒くさい方の」
「嬉しくない」
工房の裏手には、失敗の空気が満ちていた。
なのに妙に沈んでいない。
たしかに試作一号は散々だった。
だが、何が駄目かは見えた。
見えたということは、次がある。
吉法師は壊れた木組みを拾い上げ、折れた箇所をじっと見た。
「ここだ」
「分かってる」
職人が言う。
「だが、ただ太くすりゃいい話じゃねえ」
「なら支えを増やせ」
「増やすと重い」
「なら削る場所を変えろ」
「簡単に言うな」
「簡単だとは言っておらぬ」
二人のやり取りは、もう口喧嘩に近い。
だが険悪ではない。
作るための喧嘩だ。
利家が腕まくりをした。
「で、次は何を持てばいい」
小夜が呆れた顔になる。
「もう次やる前提なのね」
「やるんだろ?」
利家が当然のように言う。
吉法師は、壊れた試作一号を手にしたまま笑った。
「やる」
職人も、少し遅れて言う。
「……もう一回やるぞ」
小夜は天を仰いだ。
「ほらね」
だが、その声には本気の否定はなかった。
失敗した。
散々だった。
それでも終わらない。
試作一号の残骸を前にして、四人の目はもう次へ向いていた。




