……うん、なんでもないよ。
案内されながら、ミレイユは広報課の廊下を歩いていた。
石畳の足音、壁に反響する魔導端末の機械音――どれも、耳に馴染む。
(……あれ、なんで“懐かしい”って思ってるんだろ)
本来なら初めての職場。なのに、知らないはずの風景に「知ってる気がする」と思ってしまう。
思考を振り切るように、ミレイユは声を出した。
「け、結構広いんですね、この部署……!」
「必要以上に狭いと、端末がストレスでバグるからね」
エルナは淡々と答える。
「バグるって……あのパスカルくんが?」
「“くん”って呼ぶなニャ」
すぐ後ろから、ぴょこんと跳ねるような声がした。
ちょっと照れてるのかな、うん、だといいな。
会話を続けながら進むと、廊下の脇に「武器保守・検証室」という表示の扉が見えてきた。
冒険者たちの装備の貸し出しや検証が行われる場所だ。
ここで装備を貸し出して、気に入ったら長期契約や買い取ることも承っている。
検証は武器――例えば両手剣を装備したい、とする。
けれど未検証で装備をしようとすれば、冒険者としてのレベルや職業、属性などの兼ね合いでまだ(もしくは永遠に)装備できないとしたら?
また、手に入れたのはいいが呪われていたり。
装備すると制限される技や、逆になぜか使える技が増えるなどもある。
その確認も兼ねて、検証が行われるケースが多いのだ。
その横を通った瞬間だった。ミレイユの足が、ほんの少しだけ止まった。
「……?」
扉の隙間から微かに漏れてきた魔力の気配に、身体が条件反射で反応したのだ。
それは、治癒魔法を発動する前のような、微細な揺らぎ。
(この感覚……ひさしぶり……)
胸の奥に、じわりと何かがにじんだ。 あたたかい光の力が満ちるような。
でもその“何か”が何なのか、自分でもうまく言葉にできなかった。
「どうかした?」
エルナが立ち止まって振り返る。
ミレイユは一拍遅れて、慌てて笑顔を作った。
「あっ、いえいえっ。あの……扉の表示が小さいなって、思っただけで……!」
「ふうん。じゃあ次、こっち」
エルナが歩き出す。ミレイユもそのあとを追いながら、さっきの感覚を振り払おうとした。
そう、だよね。 今の私は広報係、なんだから。
「お前、魔力の扱いに慣れてるニャ」
「え?」
ぽそっと耳元で言ったのは、パスカルだった。
彼はミレイユの肩に乗ったまま、前を向いたまま、何気なく続ける。
「さっき、気配を感じて身構えたニャ。治癒魔法系の人間は、そういう反応をするニャ」
「……そ、そんなことないよ。たぶん、気のせいだよ」
「ニャ?」
「……私、魔法がちょっと好きだっただけ。……昔の話だよ」
「そうニャンか……そっか」
「うん、なんでもないよ」
ミレイユはそれ以上言わなかったし、パスカルもそれ以上は聞かなかった。
でも、歩く彼女の背中はほんの少し、強ばっていた。
うん、なんでもない……今の私には。