研究対象は卑弥呼
日本と呼ばれるこの島国に『邪馬台国』と言う名前のクニがあった頃の話。
『邪馬台国』と敵対していた『狗奴国』が長い間いがみ合って争いを繰り返していた事は、良く『苦手な科目』に挙げられる歴史をテストの時だけでも学んだ事があれば一応、目にした事はあると思う。
『邪馬台国が何処にあったか』と言う論争があったりするのは一先ず横に置いておくとして、一般的に『卑弥呼』と呼ばれている女性の話をしよう。
『卑弥呼』が女王に即位し、『卑弥呼』が持つ巫女の『先見』のチカラから魏の国に後ろ盾になって貰う事で『狗奴国』と対等になった。
『卑弥呼』が女王の間は争いが起きなかった、と言われているね。
やがて年老いた卑弥呼は『壱与』と言う少女を後継者に選んだ。
...と、言うのは歴史や伝記に興味を持っている人なら理解出来ている事かな。
さて、この鏡は『過去を映す鏡』。
興味があるなら覗いてご覧。
―――きっと、姫華には必要なモノだから。
◇◇◇◇◇
『此処は、いったい何処かしら?』
射干玉の美しい髪と黒曜石の瞳を持つその少女は、不思議そうに辺りを見渡していた。
『お前の様な不吉な髪色の女を傍に置いていたのは、仮にも『聖女』と呼ばれていたからだ。
だが、お前の妹が証言してくれたのだ!!
真の聖女は妹であり、お前は妹の功績を自分のものだと偽証していたのだと!!』
『何かを言えば暴力を振るったり、妹が大切にしていた母君の形見の品を壊す、と脅していたそうだな!!』と裏付けもせず一方的にまくしあげた王子はフィリアに
『異界への追放刑』
を命じたのだった。
異界への追放刑は、死罪と同等の罰則だ。
文明がこちらと比べて遥かに未発達である、と言われており、この世界で何不自由なく生きて来た人間は異界の住人に殺される、と言う噂もある。
『数世代前の王族のやらかしで、王都は後10数年もすれば人も住めなくなると何度言っても『世迷言だ!』って切り捨てる人だったから、案外異界に来る事になって良かったのかも』
王族と、フィリアの母方の家系に纏わる伝承は王子も教育を受けた筈なのに、あの方は1度思い込むと暴走列車の様に止まらないから仕方ない。
―――数世代前、その時代の国王は居住区を拡げる為の工事を行った。工事は順調に進んでいたが現場監督が神を祀る祠の存在に気付いた。
祠を管理していた少女の先祖は『川の神が人々の祈りに応えて川に神力を注ぎ、王都や人の住む土地に魔物が近寄らない様にして下さっているのです』と、監督に伝えた。
信心深い監督や作業員は『神の怒りを買っては堪らない』と工事を中断して祠を傷付けない様に画策したが、いつまでも進まない工事に痺れを切らした国王は祠を足蹴にして魔法で粉微塵にした。
この世界には森羅万象に神が宿り、祈りに依って成り立っている事を忘れ、目先の欲に負けて神を蔑ろにした国王は川の神の怒りを買い、死んだ。
アラミタマとなった川の神により水源から神力は喪われ、魔物があらゆる場所に攻め入り社会は崩壊寸前に追いやられた。
そこで立ち上がったのは、国王の末姫であり、初代聖女として伝わるフィリア・ミースガルズである。
彼女は七日7晩川の神の怒りが鎮まる様に祈りを続け、高位の神より『川の神を鎮めるちからを持つ聖人、聖女の祖』として神託を授かり、国の聖人、聖女信仰の礎となっている。
それ以来、フィリアの血を引く王侯貴族や少女の家系から聖人や聖女が多く生まれる様になり、今なお川の神の怒りが解ける様、祈りを欠かしたことはない。
の、だが。
聖人や聖女の家系以外は水源は日常生活に使用出来るものと見える為に、『もう神の怒りは解けたのだろう』と楽観的な人々は聖人や聖女を通じて川の神に届ける祈りを疎かにしている。
フィリアや、その血を濃く継いだ王妹殿下には、神に呪われ怒りと怨念の渦巻くドス黒い穢れ溜まりにしか見えないと言うのに、目に見えないものは信じないクチの国王夫妻と王子は話を聞いてくれなかった。
『そもそも、不貞の子が聖女であるのが間違いなのだ!!
お前の妹を見ろ、長雨の続く地方に晴天を齎したぞ!!』
―――聖人や聖女の外見は両親の要素を継がずに生まれてくる、と言う教えを忘れたのだろうか、あの王子は。
母は先代の聖人の孫娘だった事もあり、自分の娘が新しい聖女だと気付いたと言うのに、父は不貞の子だと信じて疑わず屋敷を出て、数年するとフィリアの腹違いの妹となる娘を連れて屋敷に戻ってきた。
『ナタリーの母が流行病で死んだ。ナタリーは私の娘だから、この屋敷に置く』
とか言っていた。
ナタリーは父によく似た金髪と、恐らく父の浮気相手の瞳と同じ色であろう薄茶の瞳を持っていた。
妹のナタリーは父の教育の結果か、少女を『不貞の子』と呼び、少女の母を『不貞の子を生んだにも関わらず屋敷に居座っている恥知らずの女』と言っていた。
ナタリーは遠い先祖にフィリアと同じ家系の誰かがいたらしく、ごく僅かな聖魔力を持っていた。
聖魔力を持っている事が聖人や聖女の条件ではなく、人並み外れた聖魔力を持ち、神の声を聞く事が出来る者こそ『そう』であるのに、ナタリーが聖魔力を振るえばどうなるのか、と言うところに王子は頭が回らないらしい。
聖魔力を持つ『だけ』の人間が使えるのは『前借り』の様なもので、聖人や聖女の真摯な祈りに神が応えたものとは違う。
ナタリーが晴天を齎したと言う地方は長雨が続いたのと同じくらいか、それ以上か、全く雨が降らなくなる。
同じ内容を習った筈なのに、王子の頭はポンコツなのだろうか?
『わぁ...!!』
フィリアは、近くを流れる川に気付いて感嘆の声をあげる。
神力の生きている川があるのは、生まれて初めて見た。
『神々への畏敬を忘れない人達が住んでいるのだわ!!』
神々への畏敬を忘れ、祈りすら疎かにする祖国では先ず有り得ない光景で、フィリアは飛び跳ねて喜んだ。
異界が未発達の野蛮な民族が住む場所、と言うのは単なる思い込みかもしれない、とフィリアは感謝の祈りを捧げた。
『わたし、フィリアと申します。この度追放刑を受けまして、この土地にやって来たのです。川の神様、どうか良き導きがあります様に...』
フィリアの声に応える様に川の中から水の流れの様な艶やかな光が現れた。
『―――川上に集落があります。その集落に身を寄せなさい。
...貴女の名前はこの辺りの人間には馴染みの無いモノであるから、『卑弥呼』と名乗りなさい』
フィリアは神に感謝の祈りを捧げると、神の言葉に従い川上の集落を目指して歩き出した。
◆◆◆◆◆
―――おかしい。
執務室には有り得ない程の嘆願書が山積みとなっている。
『『雨が降らない』『井戸が枯れた』...。そんな筈は無いだろう、だってナタリーが神殿で祈りを捧げているのだから』
嘆願書の殆どは水に纏わるものだった。
ここ半年、あちこちで水源に絡む問題が起こりその度にナタリーが神殿で祈りを捧げているのは王子も国王夫妻も見届けている。
『国民があたしを信じてくれないからチカラを十全に発揮できないの...』とナタリーは寂しげに口にしていた。本物の聖女であるナタリーよりも追放刑を受けたあの女が良いと言うのかと王子は呆れ、国民達に何度も『ナタリーこそが真の聖女である』と伝え、ナタリーの能力を信じる様に言った。
それでも、嘆願書の量は減る事は無く、寧ろ日に日に増すばかりである。
執務室の扉をノックする音がし、許可を出すと警護官を連れた叔母の姿が現れた。
『アナタ、あのこを追放刑にしたと聞いたのだけれど本当かしら』
『叔母上、あの女は偽りの聖女だったのです。王家を謀った罪として当然の刑罰でしょう』
『...呆れた。聖女や聖人に関する教育は受けて来たでしょうに、何を根拠にあのこを偽りの聖女だと判断したのかしら』
叔母は王子の机の上に書類を並べて説明する。
『聖人や聖女のその外見は両親の要素を受け継がずに生まれて来る。その為に、不貞の子を聖人や聖女だと仕立て上げる者が現れない様に王家、神殿、両親の立ち会いのもと魔力鑑定を行う。
―――これが、あのこが生まれた時のあのこの魔力鑑定の結果よ。
魔力は確実に両親から遺伝するもので、それは聖人や聖女であっても変わらない。あのこは間違いなく伯爵と伯爵夫人の子どもである、と言う鑑定結果よ』
魔力鑑定は偽装工作が出来ない様に『真実の誓約』の魔法をかけて行われる99.9%の精度を誇る。
目に見える結果しか信用しないクチの人間の為に神々が人類に齎した魔法のひとつである。
『それで、こちらが今聖女としてアナタの傍にいるあの娘の魔力鑑定の結果』
王子はその結果に顔色を変えた。
『99.9%、伯爵との父娘関係はない』
『ですが、ナタリーが長雨の続く地方の長雨を晴らしたのは事実です!伯爵と父娘の関係に鳴くとも聖女としての能力は申し分無いでしょう!!』
『その程度わたくしにも可能だけれど、わたくしは頼まれてもやりません。聖人や聖女でない、聖魔力が強い人間が出来るのは単なる前借りで、長雨が続いたのと同規模か、それ以上の期間、その地方には雨が降らなくなると分かっているのですから』
神殿で祈りを捧げていれば良い、と言う問題では無い。そもそも、神殿でまともに祈りを捧げているのかも怪しい娘をこれ以上王宮に留まらせる理由も無い。
『毎日美容に精を出し、宝飾品や高いドレスを買い漁る娘が、神々が必要とする無垢で真摯な祈りの声を届ける事が出来ると思うの?』
叔母の広げた資料には追放刑に処したフィリアの潔白と、聖女として君臨しているナタリーの素行が簡潔ながらも事細かに、ナタリーが涙ながらに告白した出来事が全てでっち上げの虚構である事が1度思い込むと止まらない王子の目にも真実だと分かるように記されている。
『私は、どうすればいいのだ...』
愕然とつぶやくその問いかけに答えるものは誰もいない。
◇◇◇◇◇
『卑弥呼様、今年もたくさんの作物が実りました。どうぞお納めください』
恭しく差し出された稲穂は1粒1粒に至るまで神力が満ち溢れていて、卑弥呼は神々と臣民に対して鏡を通じて感謝の祈りを捧げる。
川上の集落に住み着いて数年、少女はばば様から巫女として保護され、水面や鏡を使って未来を視る『先見』に依って人々の手助けをしていた結果、あれよあれよと女王として祀り上げられた。
つい先日は遠く海を隔てた魏の国への使者に選ばれた者達が無事にクニに戻ってくる事が出来る様に航海の神に祈りを捧げた。
無垢で真摯な祈りに対して、神々は快く卑弥呼にちからを貸してくれている。
『狗奴は恐ろしいクニだから、魏の後ろ盾を付ける事が出来れば安泰だ』
臣民の声を聞き、女王として導く卑弥呼は偶には肩の力を抜きたいと思う事もあり今日はばば様や臣下に内密で狗奴まで足を運んでいる。
『...また来たのか、お前』
『だって、自分の目で確かめたいんですもの』
青年は神々しく祀られているクニの女王である卑弥呼の振る舞いに呆れ返る。
『此処は狗奴だ、見つかれば殺されるぞ』
『あら、それならわたしは今までに何度殺されているのかしら』
卑弥呼が狗奴に足を運んだのは1度や2度ではない。
『恐ろしくて、野蛮で、満潮にはツノが生えるって聞いていたけれど。わたしのクニと変わらない、普通の人間ばかりじゃない』
元々、妖精や精霊に馴染みのある卑弥呼にとって、肌の色、目の色、宗教観の違い程度対した問題ではなかった。
固定の概念を持たない神々に祈り続けて生きて来て、見た目で他者を判断してはならないのは誰よりも理解している。
『それに、アナタはわたしの身を案じてくれている優しい心の持ち主よ。狗奴が恐ろしいクニだと言うのは、きっと何かの間違いじゃないかしら』
『オウジよりマシ、と毎回言っているな。
そのオウジ、と言うのは何者なのだ?
狗神を操り、戦場を駆け、貴国に戦を仕掛けている狗奴よりも恐ろしい人間とはいったいどういうものなのだ?』
青年の問いに『そうねぇ』と卑弥呼は思い返す。
『目先の我欲に囚われ、神々への畏敬を忘れた人よ』
青年の傍に佇む白銀の狗神を撫でながら卑弥呼は言う。
『狗神がどうやって生まれるのかは知っているわ。ばば様に聞いたもの。でも、アナタ達は狗神を大切に祀り上げているでしょう?
あの方はね、そういう生まれの神を毛嫌いして、唾を吐きかけた事があるわ。
たとえ歪な生まれであっても、神を蔑ろにしてはならないと教わってきた筈なのに』
水鏡を通して、元の世界の様子を覗き見た事がある。
妹のナタリーは『日』の神に好かれる聖魔力を持っている。祈れば祈る程、その祈りは『日の神』に届く。
―――正確には、『日の神にしか祈りが届かない』と言える。
聖人や聖女は臣民の願いに応じて神々に祈りを通じて問いかけ、必要な神のちからを受けて『奇跡』を起こす。
だからナタリーが神殿でどれ程祈ろうと、日照りの続く地方に雨を齎す事は出来ないし、枯れた井戸の水脈を戻す事も出来ない。
神楽舞を踊り、神楽鈴の音色で神々を呼び、祈りの言葉で神々に御足労願う。
それが本来の手順だが、ナタリーは神像の前で手を組み祈りを捧げるポーズをとるだけ。
1分にも満たない祈りが終われば『疲れたから』とエステサロンに足を運び、王宮の予算でドレスや宝飾品を買い漁り、―――近頃は男娼遊びを覚えた様だ。
王子は卑弥呼を追放刑に処した挙句、ただの聖魔力が強いだけの人間が『奇跡』を振るった結果の後始末に奔走し、年齢よりもずっと老け込み卑弥呼のかつての名を口にし『どうか戻って来てくれ...』と呟いていた。
卑弥呼の次に聖魔力の強い王妹殿下の祈りに依って王都だけはかろうじて人が住める様だが、それももう長くは続かないだろう。
謝罪の祈りを捧げ続けて数百年、漸く川の神の怒りが解けようかとしていた時に歴代で最も強い聖魔力を持った聖女は追放刑により異界に渡り、王侯貴族も平民も神への祈りを疎かにしている。
『次にお前が我に祈りを届けたその時は、呪いも解けよう』
人を呪い続けた川の神は代替わりし、新たな川の神が生まれる筈だった祖国は最早、滅亡を待つだけの状態になっている。
そこで女王として、巫女としての才覚を臣民に知らしめる儀式の際、皆既日食に依って次元に揺らぎが生じたその時に祖国に雨が齎される様に卑弥呼はこちらの世界の神々と元の世界の神々に祈りを捧げた。
長らく齎されなかった雨、そして、神官長を通じて神々は『かつて聖女と呼ばれた少女に依って、この雨は齎された。滅亡を免れたいと思うのであれば、決して感謝の祈りを忘れぬ様に』と伝えていた。
王家はナタリーを追放刑に処す事に決めた。
ナタリーは伯爵に縋ったが、実子であると信じていたナタリーが真実の愛の相手だと信じていた平民の女性が別の男との間に設けた子どもであり、追放刑を受けたフィリアこそ実子であると言う王家から『再度確認する様に』と通達された魔力鑑定の結果を見て放心状態の伯爵は誰の言葉も届かない廃人となりその手の医療機関に送られていた。
ナタリーは追放刑を受け、今は何処かの異界で奴婢として働いている。
『神を蔑ろにするというのは、そういう事なのにね』
神に感謝を忘れない人が、悪い人のワケが無いわ、と卑弥呼は笑って言った。
◇◇◇◇◇
過去を覗く鏡の前で、少女は頭を抱えてうんうんと唸っている。
民俗学を専攻している大学生のその少女は、教授に言われて本家で従兄が毎日大切に磨いている家宝の鏡から、何か人の目を惹きつける様な議題を見付け出す事が出来ないかと従兄に頼んで見たら、コレだ。
もしかしたら、従兄が好きなラノベをモデルにした映像が流れる様に細工しているのかもしれないと確認してみたが、それらしき痕跡は見付から無かった。
「邪馬台国の女王卑弥呼、彼女は実は異世界人だった、なんて誰が信じるのよ」
「現実主義者だね、お前は」
姫華のそういうところは嫌いでは無いよ、と従兄は姫華が投げて返した家宝の鏡を受け取った。
「最初からやり直しだわ」と言って姫華は帰って行く。
―――従兄の傍らにはいつの間にやらからだに赤い刺青を入れた青年と、白銀の狗神の姿があった。
「姫華は一族で1番、巫女としての才覚があるのにな。そうでなければ、この鏡を覗いても過去を視る事は出来ないって言うのに」
『ならば。なぜそれを伝えない?』
「この鏡が写す過去は、姫華の前世でもある。
卑弥呼は最期、『次に生まれる時は普通の人間として生涯を終えたい』って願ったんだよね?僕は、その意思を尊重したい。キミも同じだろ、狗琥」
姫華の次に才覚があり、鏡の写す異界の王子の生まれ変わりでもある青年は傍らに佇む白銀の狗神と青年に笑いかけてそう言った。