第8話 目まぐるしい日々
ネコスケの件から1週間ほどがたった。その間、なんでも屋アインがどうだったかというと……。
「アイン! また仕事だよ! はやく起きるんだ!」
「ああおれの枕返せよ!」
めんどうなことに大盛況だった。毎日、少なくともひとりは依頼人がやってくる。今朝も天使に枕をひっこ抜かれた。
「ちくしょう……慣れてきた自分がいるのも嫌だ……」
「いいことじゃないか。なんたってこれは自己改革のためなんだから」
慣れてきたのは昼間に起きることに対してであって、メインの目的はあまり進歩していないような気がする。
なにはともあれ、目が覚めてしまった。おれがベッドから出るのを仁王立ちで待っている天使に尋ねる。
「で? 今日はどんな仕事なんだ?」
「それがだ、アイン。今回はちょっと厄介そうだよ」
「んん?」
めずらしくまじめな表情だ。しかし、この村でそんな大それたことが起こる気がしない。
天使と共にリビングへ移動する。そこには知っている顔があった。
「インシスか」
30代手前ほどの若い細身の男だ。この間コカトリスから助けた少女サーシャの父親で、礼にとずいぶんたくさんの食料を持ってきてくれた。
それが今度はなんでも屋としてのおれに依頼らしい。何だろうか。
「アイン、娘の件はほんとうにありがとう。あれから1週間ほどたったが、トラウマにもなってないようだ」
「そりゃよかった。でも、もう礼はいいよ。食いもん貰ったのでチャラだからさ」
娘がよほど大事なようで、もう十分だと断っても何度も礼を言ってくる。しまいにはおれとコカトリスとの戦いを、吟遊詩人さながらに語り始めた。
「おお、それで、それで!」
天使は興味津々といった様子で食いついているが、恥ずかしいからやめてほしい。だが、確かインシスの仕事は作家だ。職業病だろう。
「そして死の光線が放たれんとしたとき! 天から紫の迅雷が──」
「それで!? 仕事はなんだよ」
無理やり遮ると、インシスは正気を取り戻して居住まいを直した。だが、目にまだ若干の熱気が残っている。ちょっと怖い。
「せっかくいいところだったのに。だろう、インシスさん」
「いや、アインのいう通りだ。ちょっとおかしくなってしまった。それで、依頼なんだが」
インシスはそこで言葉を切ると、言いずらそうに口に出した。
「ヴィアカの花を、採取してもらいたいんだ」
「断る!」
思わず反射的に言ってしまった。だが、おれの判断は間違っていないはず。
「どうしたんだいアイン。そんなに必死になって断るなんてきみらしく……はあるか。でも、ただの花だろう? サッと摘んでくればいいじゃないか」
「バカ。ヴィアカの花っつったら超高級品、ただの花なんて言ったら商人にぶち殺されるぞ。そんで、なんで高級なのかって言うと……」
「花の番人、ヴィアカの獣がいるから」
インシスが言葉尻を引き取った。わかっていて頼んできたのか。けっこういい根性をしている。
「ヴィアカの獣?」
天使は聞いたことがないらしい。これはみっちり説明してやらないといけない。
「ミュリデの東に、ヴィアカの湖っていうオアシスがある。とんでもなく深い湖で、なんでも地下で海とつながってるらしい。実際、湖なのに塩水だって話だ」
「へえ」
「で、いるんだよ。その湖に、とんでもない夜獣が」
一説によると、神々の戦いが始まってすぐに海を渡って昼の世界にやってきたそうだ。それ以来、ヴィアカの湖に住み着いているという。
「ヴィアカの花を独占したい国が、軍隊を派遣してそいつを討伐しようとしたらしい。だが、ダメだった。全滅だ」
「ふうん」
ふうんって。わかってないらしい。だが、天使にも言い分があるようだった。
「きみは夜人だろう? 夜獣には襲われないんじゃないのか?」
「ああ、それな……」
確かに、普通ならそうだ。実際、おれは夜獣には襲われない。普通の夜獣には。
「夜獣には2種類いる」
「2種類?」
「普通の体色を持つのと、黒い体色を持つのだ。そんで、黒いほうはそれがどっちの世界の生き物だろうが襲い掛かる」
なぜそんな特異な個体が現れるようになったのかはわかっていない。だが、とにかくいるのは確かだ。そしてヴィアカの獣がどちらに属するかというと。
「ヴィアカのは黒い夜獣だ。おれも獲物になる」
「うーん」
さすがにこれだけ言えば天使も考え出した。このまま断ってくれればいいのだが。
おれの勘が告げている。こいつはおれの思い通りになんかならない。
「ところで、どうしてその花が必要なのかな」
やっぱりそこに思い至った。そして、ヴィアカの花が必要な理由なんて決まっている。
「実は、妻が妊娠したんだ」
「おお、それはおめでとう! ……あれ? それと花になんの関係が?」
「ヴィアカの花の蜜には、生まれてくる子供を男子にする効能があるんだよ」
そういうことだ。
「サーシャが弟がいいって?」
「そうなんだ。僕はべつに跡取りとかにこだわってないんだけど、サーシャがどうしてもとね」
思わずため息が漏れる。もっとくだらない理由だったら断れただろうが……。
「任せてほしい! なんでも屋アインは子供の味方だ!」
「こうなるよなあ」
こうして、おれたちの最悪なお花摘みが始まった。