第7話 ネコを追え!
ミセルを見送ったあと、おれは天使と顔を突き合わせていた。
「で、どうする? 今日中に見つかると思うか?」
「うーん、けっこう大きい村だからなあ」
言う通り、ミュリデはなかなか大きい。さすがに1日あれば村中見て回れるが、猫の行先とかち合えるかは微妙なところだ。
「ところでアイン、わたしは猫をそんなに見た記憶がないんだけど」
「そこそこ珍しいからな。なんでも、もともとは夜の世界の生き物だったって話だ」
北から南に紛れ込み、その先でよく似た生き物と混ざり合って定着した。こういう例はわりとあるそうで、虫や魚のような繁殖力の強い生き物はほとんど混ざっているらしい。
「じゃあ、猫がいればミセルさんの猫だって確率はけっこう高いと」
「まあそうなるな。茶色の、スラっとした、耳の大きい……」
言っていると、まさに1匹の猫が悠然と目の前を通り過ぎて行った。ずいぶん人慣れしている。
「あんな見た目かな」
「うん……」
猫は通りを曲がって路地の向こうに消えた。天使と目を合わせる。
「……あれじゃね?」
「ほかに似たような猫は見たことないなあ」
「いやいやいや!」
あれじゃねえか! 慌てて天使と走り出す。猫が消えた路地に入ると、ちょうど屋根の上に飛び乗ったところだった。
「クソ、突然すぎて見逃しちまった!」
「アイン……はあ、さすが……足、はやい……」
「もうばてたのかよ!」
1週間ともに生活してわかったことだが、天使はどうも体力がない。少し走っただけで息を切らしてしまう。
そうこうしているうちにも猫はずんずん屋根の上を進んでいく。もともと気ままな生き物だ。見失えば、二度と見つけられる気がしない。
「もうおまえそこで待っとけ! おれが捕まえてくるから!」
「それは、いやだ! 言い出したのはわたしなんだから、いっしょにやる!」
そうは言っても、体力が足りないのはどうしようもない。そもそも屋根の上まで登れるのかも怪しいものだ。
そう考えていると、天使はとんでもないことを言い出した。
「じゃあ、わたしを抱っこしてくれ! それならいける!」
「はあ!?」
意味不明だ。絶対におれひとりで追いかけたほうがはやい。それに人に触れるのはいやだ。
「おまえわかってて言ってるだろ!」
「仕方ないだろう!? 緊急事態なんだから!」
「おまえが折れれば緊急でもなんでもないだろ!」
思いっきり言い返したが、まったく折れる様子がない。
今ここで猫を逃がしてしまえばきっと明日も探す羽目になる。そうなれば本業に差し支えるかもしれない。それは嫌だ。
それに、ミセルをがっかりさせるのも嫌だ。天使が言い出したこととはいえ、引き受けたのはおれだ。約束は守らなければ。
「クソ!」
天使の足と背中に手を回して持ち上げる。すぐに首にしがみついてきた。触れられているところが痛い。背筋に怖気が走る。
「舌噛むなよ!」
言うと同時に走り出す。壁を蹴って屋根の上に飛び上がった。
「止まれ猫!」
「ネコスケさんだよ!」
「どうでもいい!」
追いかけてくるおれたちに驚いたのか、ネコスケは大きく飛び跳ねたあと勢いよく走り出した。さすがに速い。だが、走りのスピードには自信がある。
赤い屋根の上を伝いながら追いかける。足元で村人たちの悲鳴が聞こえてくるが構っていられない。
とうとう大通りの近くへ出た。屋根は切れていて、もう逃げられないだろう。
そんな考えをあざ笑うように、ネコスケは高く飛んだ。
「はあ!?」
しなやかな体が大通りの上を飛んでいく。まさか、向こう岸に届くわけがない。
そんな予想を軽々と飛び越えて、ネコスケは反対側の屋根に着地した。これで一安心だというように大きく伸びをしている。
「諦めたらダメだ!」
腕の中で天使が叫ぶ。だが、おれの脚力じゃちょっと届きそうにない。なにか中継できるようなものがなければ……。
迷っているうちにも屋根の終わりが近づいてくる。勢いがついているから、そろそろ止まらないと落ちる。ブレーキをかけようとしたとき──。
「アイン、飛ぶんだ! わたしを信じて飛んでくれ!」
もう一度天使が叫んだ。やはり意味不明なやつだ。
だが、ここまできたんだ。どうせ落ちたところでなにもない。飛んでやろう。
屋根の端で踏み切り空中へ躍り出る。重力によって下に引っ張られていく感覚。やっぱりだめか。
そう思ったとき、両足に確かな感触があった。見下ろせば、半透明の板がおれの体を支えている。
奇跡だ。見たことがある。つまり、この板を出したのは──。
「飛ぶんだ、アイン!」
「──おう!」
もう一度踏み切って、飛んだ。中継を挟んだことにより、おれは余裕をもって向こう岸の屋根に飛び乗った。
「ニャ!?」
ネコスケが驚いて固くなる。そこをすかさず天使が拾い上げた。
「ありがとうねえ」
ミセルの家にネコスケを連れて行くと、彼女は喜んで迎え入れてくれた。
「大捕り物でしたよ。しかし、アインとわたしにかかればこの通りです」
「あらあら、仲がいいのねえ。夫が驚いてたわ。アインさんがあなたをお姫様抱っこして村を走ってたって」
「はい。彼は素晴らしい騎士でしたよ」
どうやらふたりは気が合うようで、楽しそうに話している。女ふたりの会話を聞いているだけというのはなんとなく気まずいが、話しかけられるよりは楽だ。
そう思っていたのに、ミセルはおれに手を差し出してきた。
「ありがとう、アインさん。私たちには子供ができなかったから、この子が娘みたいなものなのよ」
握手を求められている。おれが接触を怖がるのはこの人も知っていたはずだ。それなのに、こうしている。
答えなければならないと思った。おれの卑屈な考えなんか関係ない。この人の感謝を受け止めなければならない。
手を結ぶ。痛みがいつもより薄いような気がした。
家までの帰り道で、天使がこう尋ねてきた。
「ああやって直に感謝されるのはどうだった?」
「……しんどいよ。おれには重すぎる」
「そう」
たいして進歩があったようには思えない。だが、彼女は満足げだった。
「また明日も依頼があったら起こすよ」
「……ひとりで出来そうなら控えてくれ」
「ダメだよ。きみは、きみのためにひとを助けるんだ」
そう言って笑う。この気高くやさしいひとに、笑い返せる日は来るんだろうか。