第25話 新たなる日々
「ん……」
窓から差し込む光の板の中で、砂埃がキラキラと踊っている。朝だ。ラディアバスとの戦いから1ヶ月、おれは夜の半ばほどまで見回りをしたあとに寝て朝に起きる生活を送っていた。
というのも、バッカスから提案があったのだ。
「今回の一件で、村の警備をおまえとフィアさんだけに任せていることの危険性が理解できた。そこで、村の外から強力な傭兵団を呼び寄せて村の警護を任せようと思う」
そんなこんなで、おれとフィアの仕事はかなり減った。むしろ、なんでも屋だけをやっていてもいいくらいだ。
そうせずに見回りを続けているのは、まだミュリデに慣れていない傭兵たちにすべてを任せることに不安を感じたというのもあるが、それ以上に、おれの個人的な感傷によるものだ。
6年間、おれはミュリデの守護者として生きていた。いまさら簡単に辞められるものではない。
「さっさと起きなきゃな……」
正直言えばまだ寝ていたい。が、今日は約束がある。
勢いをつけて飛び起きる。居間に行くと、やはり先にフィアがいた。
長い白髪。蒼白の肌。純白の翼。赤い瞳と、髪に飾った夜の神の鱗のバラ。そして、両手に抱えた大きな卵。
「遅いよアイン。今日はこの子の大事な日なんだから」
「許せよ。おまえと違って、こっちは夕方に起きるのが本当なんだ」
この子、というのはもちろんラディアバスの卵のことだ。あの戦い以来、フィアはこの卵にずいぶんご執心だった。
しかし、フィアには竜に関する知識がない。おれには多少あるが、それはあくまで戦うための知識だ。育てることなど到底できない。
そこでバッカスに掛け合い、村の外の竜匠に連絡をとってもらった。竜の繁殖、飼育、育成のプロフェッショナルだ。
今日はその竜匠が訪ねてくる日。そんなこともあって、フィアはかなりテンションが上がっていた。
「まだかなあ。竜を扱うプロなんて、どんな人なんだろう」
「昼頃に来るんだろ? まだもうちょっとかかるって」
椅子に座りながら足を揺さぶるフィアを宥める。すると、吹き抜けの玄関から声があった。
「ごめんください」
声の方向を見る。そこには、燕尾服の老紳士が立っていた。
「私はパドレ。バッカス殿から依頼を受けて来た竜匠です。こちらがアインさんのお宅で?」
「おお!」
フィアは椅子から飛び降りると、さあさあとパドレに入室を促した。卵がテーブルの中央に置かれる。
「ほう、これが……」
パドレは興味深そうに卵を見つめる。闇を固めたような漆黒の卵。
「ラディアバスの黒化種の体内から発見されたと聞きましたが、本当で?」
「はい。その竜はわたしと彼で倒したので間違いありません。正真正銘、黒化種の卵です」
「あなた方が?」
パドレは驚いた様子でおれたちを見た。おれはともかく、フィアはとても戦えるようには見えないだろう。
「それはそれは……しかし、黒化種の卵とは珍しい。ましてラディアバスのものとなると他に見たことがありません。この卵、お売りになる気は?」
「おれはそうしようと思ったんですが……」
「ダメだよ! この子はきみを乗せて空を飛ぶんだから」
「この調子で」
「ほほほ。わかりますよ。竜はロマンですからな。しかし……」
もしオークションにかけるならば、とパドレは紙切れにサッとペンを走らせた。
「このくらいには」
その金額は、ちょっと目玉が飛び出るようなものだった。田舎なら城が、一等地なら小さな家が立つかもしれない。
「……なあフィア、やっぱり──」
「イ、ヤ、だ、よ!」
ダメか。まあ、そんな金を手に入れても、この村で暮らす分には使い道がない。それなら騎竜の1頭でもいた方が便利だろう。だが。
「あんなに大きくなられてもなあ」
それがおれの不安だった。あのラディアバスは、他と比べればいささか小柄だったが、それでもこの家の何倍もあった。あそこまで大きくなられると扱いに困る。食費もとんでもないだろう。
だが、パドレは微笑んで言った。
「竜の肉体は少し特殊でして。十分な食料を確保できる状況であれば際限なく大きくなりますが、餌を制限すれば小型に育ちます。もちろん膂力や飛行能力、魔力量は低下しますが、騎竜として用いる分には申し分ありません」
「へえ!」
初めて聞いた。竜種とは何度も戦ったことがあるが、そんな生態があるとは知らなかった。
「たとえばコカトリスを限界まで小さく育てて尻尾を切り落とし、ただのニワトリに紛れさせるという事件もあったほどです。竜は育て方によって様々な使い道があるんですよ」
「へえ……」
それはちょっと聞きたくなかった。怖い。世の中にはえげつないことを考える人間がいるものだ。おれも気をつけよう。
そんなふうにしばらく竜についての話をしたあと、パドレはスッと立ち上がった。
「では、この卵について精密な調査をいたします。それには特別な設備が必要なのですが……」
彼は玄関の外を差し示した。1台の馬車が停まっている。
「あの馬車の中に設備を用意してあります。卵を少しの間お貸し頂きますが、あの中から持ち出すことはありませんのでご安心を」
それを聞いて、少し引っかかった。フィアは能天気にしているが、各地を旅してきた身としては詐欺師の恐ろしさを知っている。
「この家の中じゃダメなのか?」
「持ち出せるようなサイズではありませんので。ご安心を、馬はつないでおりません」
「まあ、それなら……」
馬をつないでいないなら、持ち去ることはできないだろう。おれたちはパドレに卵を預け、馬車のキャビンに乗り込む彼を見届けた。
「なんか不安だ……」
「大丈夫だよ。あんなにいい人だったじゃないか」
「おまえ、いっぺんミュリデを出たほうがいいかもな。怖いぞお、世間は」
そんなことを話しながら待っているうちに昼になった。まだだろうか。そう思ったとき、玄関に人影が現れた。
「お……」
最初はパドレかと思った。が、違う。それは道化だった。肌は粉で白く染め、目元には紫の線を引き、服はカラフルな燕尾、靴の先は尖っている。
「どーうもお! バッカスさんからの依頼でやってきまーしたあ、竜匠のアーペンでーえす! アインさんのお宅はこちらで?」
「……えッ」