第21話 ラディアバス激戦──3
──これほどまでか。
小さな戦士を前にして、私は歓喜していた。
並みの戦士なら、最初の炎で灰になっている。しかし、この戦士は地形を利用して生き延びて見せた。
そこからの創意工夫も素晴らしかった。次から次へと武器を取り換え、私の鱗を貫いてみせた。
だが、小手先ばかりではおもしろくない。そう思って、渾身の炎であたりを薙ぎ払ってやった。
身を隠す場所も、忍ばせておいた武器もない。次はどうするのか。
戦士の取った行動は、私の想像を超えていた。
彼は驚くべきことにどの五体でもって私に対抗した。爪も牙も持たない人間が、腕に鉄を纏っているとはいえ、その肉体のみで。
──これほどまでか!
わたしは歓喜する。わたしは狂喜する。固き覚悟、創意工夫、覇気。そのすべてが、長らく求めていた対等な戦いができる好敵手として満足のいくもの。
満ちよ、飢えよ。過ぎ行くな、時よ。この瞬間を永遠に──。
「熱ッ!」
巨大な火球が体のすぐ右をかすめていった。それは近くの建物に着弾し、あっというまに砂の山に変えてしまった。
夜までに竜の魔力をカラにするために逃走劇を開始してからおよそ1時間。早くも、おれの精神は擦り切れ始めていた。
当然と言えば当然だ。直撃すれば影も残らないような一撃が、背後から矢継ぎ早に繰り出されている。
精神疲労がないほうが異常。そして、おれは自分が異常側だと思い込んでいた。だが、とんでもない。
どうやらありきたりな感性の持ち主だったらしい。熱気を感じるたびに天使の顔が頭をよぎる。ことここに及んで命が惜しい。
「はッ! いままではいつ死んだっていいだとか思ってたくせによ!」
自分が情けない。殴れるなら殴ってやりたいところだが、自分の体だからそうもいかない。
背後からひときわ大きな殺気。業をにやして避けられないサイズの火球を放ってきたらしい。
屋根同士の隙間から飛び降りて窓から家の中に飛び込む。即座に玄関から飛び出すと、同時に背後で火炎の柱が立った。
いまのところは、こんな具合で逃げ延びられている。だが、それもいつまで持つか。向こうがその気になれば、逃げ場などない攻撃が来るはずだ。
それをしないのはひとえに魔力を惜しんでいるから。仕留め損ねたときのことを恐れているから。
「このまま頼むぞ……!」
日没まであと5時間ほど。このままいけば、なんとか──。
そう思った、刹那。
「──ッ!」
辺り一帯が影の中に落ちた。原因は明白。
漆黒の巨体が、翼を目いっぱいに広げて太陽を覆い隠す。来る。間違いなく、なにか来る。
「なにかないのか!?」
ここから、来るであろう最大火力の範囲攻撃を切り抜けられる何か。生を掴む逆転の一手。
五感を限界まで研ぎ澄まして辺りを探る。火炎を防ぐもの。いや、そんなものはない。ならば、火炎の範囲から逃れられるもの──?
「これしかねえ!」
目についたそれをひっつかみ、おれはラディアバスに向かって走り出した。
「なんとかなりやがれ!」
高く飛んでいる巨躯めがけて投げつけたのは、路傍に打ち捨てられていた用途不明の縄。
カウボーイのような技術があるわけではないが、縄はなんとかラディアバスの体に絡みついた。急いで手繰り寄せグングン登る。
「オオオォ──!」
耳をつんざく咆哮。同時に、過去最大の火球が地面に向けて放たれた。
すさまじい熱風。とてつもない轟音。視覚と聴覚がいっぺんに消し飛ぶ。肌が焦げる感覚。鼻につく焦げた臭い。
再び目を開いたとき、そこにはもはやなにもなかった。村の3分の1ほどが完全に消し飛んでいた。
「う──」
衝撃的な光景に思わず言葉を失う。もし、あのまま地面にいたら。
だが、忘れてはいけない。おれは生き延びたのだ。
縄を手放し着地する。遅れてラディアバスも降りてきた。
口を開きおれに向けてくる。だが、出てきたのは真っ黒の煙だけ。
「魔力切れ……!」
とうとうだ。とうとうやった。ここまで細い糸を手繰るような戦いだったが、なんとかここまでこぎつけた。
思わず笑いが漏れる。日没まで、さっきの一撃さえなければ──。
そこでふと、違和感に気づいた。先ほどから黒竜がなにかを咀嚼している。灰の山の中に紛れ込んだ、赤い何かを──。
「おまえ、なにを、やってやがる……」
それは最初におれの前に降り立った赤いラディアバスだった。それを食べている。共食いだ。
黒いラディアバスの口端から血が滴る。またしても、やつは笑っていた。
突如、漆黒の体が赤く燃え上がる。それは徐々に収束していき、最終的にはその口腔に巨大な塊となって表れた。
なんだそれは。見たことも聞いたこともない。魔力を吸い取る獣については知っているが、竜種にそれが存在するとは。
すぐさま反転して走り出す。いや、ダメだ。もう間に合わない。
背後で熱気が膨れ上がる。心臓が痛い。全身が冷たくなっていく感覚。はるか遠くにあった小さな黒点が、急速に大きくなって近づいてくる。
これが死か──。
おれは足を止めた。そして祈った。神よ、もし生に次というものがあるのなら。
「また、あいつのところに──」
目を、閉じた。
「──許さないよ、諦めるなんて!」
それは啓示のようにおれの耳に飛び込んできた。全身の筋肉が、諦観を捨て去って激動する。
目を開き、声の方向に飛び込んだ。炎とおれとの間に現れる半透明の壁。
絶望の業火は壁に阻まれ消えた。そして、だれかに抱きしめられている感覚。それがだれかなど、もはや確かめるまでもない。
名を呼びたい。名を叫びたい。愛しいあなたを示す、世界にただひとつの言葉を。だが、ない。
だから。
「──こんなおれが、あなたに、名前を捧げることをどうか許してほしい」
「今なのかい!? ……まあ、いっか。教えてほしい。きみがわたしにくれるすべての始まりを」
考えていたんだ。あなたにふさわしい名前を。気高く輝くあなたにふさわしい言葉を。
「あなたの名前は……フィア。意味は──」
「意味は?」
「おれの故郷、夜の世界の古い言葉で──太陽」
そしておれは月になりたい。あなたが照らしてくれるかぎり輝き続ける夜の騎士に。
「フィア、太陽──うん、いいね。うれしいよ。こんなにうれしいことはない」
支えられながら立ち上がる。見据えるは漆黒の竜。
「いくぜ、フィア」
「やろう、アイン」