第19話 ラディアバス激戦──1
騎士との戦いのあと、私はひたすら南に向かって飛び続けた。
渡された黒い何かが体を蝕んでいくのがわかったが、そんなことはどうでもよかった。
飢えを満たせる戦士。その存在を求め、私は飛び続けた。
途中、同族の強き雄を見つけたので、戯れに相手をしてやった。
すると、なにを勘違いしたのかつけあがったので、その身を裂き南へ追い立ててやった。
そしてとうとう、戦士のもとへたどり着いた。
弱き雄は情けないことに戦士に助けを求めた。
そして戦士も、嘆かわしいことに、その雄こそが敵だと勘違いして戦おうとしていた。
気にくわない。
私は用済みになった雄を殺し、戦士の前に降り立った。
とうとう、戦士が私を見た。
その青い瞳を見て、私は確信した。
この小さき人の子こそが、求めていた好敵手であると。
私は思わず喜びの叫びをあげた。
さあ、戦いを始めよう。今生最高の瞬間を迎えよう。
我が炎を超えて、この飢えを満たしてくれ。
爪を振るってきた黒いラディアバスを前に、おれは即座に転身して走り出した。
おれも天使と同じで認識が足りていなかった。あるいは昼間でも正面から戦えないかと思っていたが、とんでもない。あれは埒外の化け物だ。
「うおッ!」
背後から強烈な風圧。振り返らなくともわかる。飛び上がったらしい。
竜が敵の頭上からやることなどひとつしかない。
「クソッ」
いちばん近くの家に転がり込み、置いてあったバケツの水を被る。それとほぼ同時に、路地に炎が流れ込んできた。
すんでのところで窓を破り屋上へ逃れる。家の中はすぐに丸焦げになった。見上げると、滞空したラディアバスが大きく開けた口から滝のように炎を垂れ流している。
「規格外だな……!」
村に残ったことに後悔はない。ないが、反省の必要はありそうだ。これは明らかに勝ち目のない戦いだ。
ラディアバスはこちらを一瞥すると、すぐに炎を止めた。
夜の世界に生きる竜種の火は基本的に魔術によって生み出される。
血液に乗って体内を循環する魔力が切れる、もしくは魔術を想像できないほど思考が乱れない限りは火を吐き続けられるはず。
なのに止めた。それはつまり、このまま火を吹いても有効ではないと判断したからだ。
おれも気が付かなかったことだが、この村の構造は竜の火を回避するのに向いている。
ほとんどが簡単に屋上へ登れる建物で、路地に流れ込んだ炎が屋上まで達することはまずない。
つまり、狙い撃ちされない限り炎の脅威はない。これは僥倖。
もっとも、隠し玉でもあればすべてがひっくり返るが。
「まあ、とにかく目先の幸運を喜ぶしかねえ」
隣家から長剣を回収する。量産品だが、それゆえに頑丈だ。
屋上を伝って広場に戻る。ラディアバスは面白いほど律儀に待っていた。やはり、特別賢い個体のようだ。この戦いを楽しんでいる。
つまり、油断だ。つけこめる。
「いくぜ」
長剣を構えて突貫する。ラディアバスはぞっとするほど素早い動きで爪の一撃を放ってきた。
「くッ!」
なんとか受け流しふところに飛び込む。幸い傷だらけの鱗は足場にしやすく、簡単にその体にとりつくことができた。
「くらい、やがれ!」
前足の肩にまで登り詰め、長剣を突き刺す。だが、悲鳴のひとつも上げない。当然だろう。針で刺されたところで、おれだって泣きわめかない。
返礼に噛みつきが繰り出される。何とか剣を引き抜いて飛び降りた。さきほどまでおれがしがみついていた場所に牙が付き立つ。
自分の体が傷つくのも構わない勢いだ。かなり痛みに慣れている。
「よっぽど暴れまわってきたらしいな……」
だが、ある意味でラッキーだ。痛みに鈍いということは、警戒させずに体力を削れるということ。
「全身穴だらけにしてやる」
再び突っ込む。先ほど同じように体に取りついて突き刺す。この単純な攻撃を何度も何度も繰り返す。
さすがにここまで小さい敵を相手にしたことは少ないんだろう。なかなかおれを捕まえられずいらだっているようだ。それでいい。もっと冷静さを欠け。
5か所ほど傷を作ったとき、とうとう剣がダメになった。安物にしてはよくもったほうだ。すぐさま捨て、次の武器を回収する。
今度は槍。うまく距離を保ちながら、攻撃をバックステップで避けて反撃の一撃を入れていく。
そして槍もダメになったら今度は弓矢だ。矢が切れたらまた剣。折れたらまた槍。とにかく、鱗に穴を空けられる武器をとっかえひっかえして攻め立てていく。
すると、ラディアバスに変化が現れた。
「……遅くなった、か?」
勘違いかもしれない。それほどまでに小さな変化。だが、動きが遅くなったような気がする。
今や漆黒の体表には真っ赤な血が滝のように流れていた。巨大な竜からすれば大したことのない量かもしれないが、それでも影響はあるはずだ。
「夜まであと6時間くらいか……?」
ひょっとすると、持ちこたえられるかもしれない。
そんな甘い考えを裏切るように、おれの肌を熱気が焼いた。
「……おいおいおい」
漆黒の体が宙に浮かぶ。一瞬、また炎を垂れ流すのかとも思ったが、そんなはずはない。この竜は、一度通用しなかった手段を繰り返すほど愚かではない。
つまり、何かが来る。
全速力でラディアバスから離れる。持っていた槍もかなぐり捨て、最速に命を懸ける。
はるか後方で轟音と閃光。慌てて倒れこみ砂に身を隠す。
数秒して衝撃が収まった。起き上がる。信じがたい光景がそこにはあった。
「マジに言ってんのかよ……」
おれのすぐ後ろの建物まで、すべてが崩れ砂の山に戻っていた。その砂も真っ黒に焼けこげ、ところどころで火の手が上がっている。
用意していたバケツと武器がどうなったかなど考えるまでもない。ラディアバスは黒い砂の上で満足げに首を伸ばしていた。
「小細工はやめろってか」
仕方ない。この戦いを望んだのはおれだ。
拳を握り構えを取る。結局はこのガントレット頼りだ。こいつ以外を信じるのが間違っていた。
「第2ラウンドだ。いくぜ」