第16話 天使の愛
「いやあ、すごい星だね! あんまり意識したことなかったなあ」
「そうだな」
こんな日でも、村人が残っている以上は見回りをしなければならない。村の外へ出たおれに天使はついてきた。
夕方は天使。夜はおれ。そういう役割分担だったので、いっしょに回るのは初めてだ。
「アインが見てるのはこういう世界なんだね。きれいだなあ」
「あんまりはしゃぐなよ。こけるぞ」
「わかってるって……うわ!」
転んだ。
「バカめ」
「いてて……砂飲んだ」
天使の手を引いて助け起こす。もう彼女に触れることに抵抗がない。どうやらこの心優しい少女は、もうおれのなかで特別な存在になってしまったらしい。
「たいしたやつだよ」
「うん?」
「なんでもない」
閉ざしていた心の扉をこじ開けられてしまった。きっと、村が存続していたならば村人とも普通に接することができるようになっただろう。
だが、それはあり得ないことだ。村はじき赤竜の牙にかかる。ミュリデという、おれを受け入れてくれた揺りかごはなくなってしまう。
「これからどうすっかなあ」
「どうするって?」
思わず大きい独り言がでた。天使に聞きとがめられる。
「住む場所とか仕事とかだよ。おまえ、どうせおれについてくるだろ?」
「もちろん。きみから離れるつもりはないよ」
本当に、なんだっておれなんだろうか。
「まあ、それはもういいんだよ。問題はどうやって暮らすかだ」
「わたしたちができることって、夜獣と戦うくらいだよね」
「ああ。……流れの傭兵にでもなるか。それか地下に潜るか」
「地下?」
尋ねられて気が付いた。確かに、昏暁大陸……中央大陸に縁がないと知る機会はないだろう。
「この星でいちばんデカい大陸の地下にはな、夜獣とも昼獣とも違う化け物がわんさかいるんだ」
「へえ、はじめて聞いた」
「夜とも昼とも違う、理の外の獣ってことで外獣っていうんだけどな。学者先生いわく、黒い夜獣も外獣が関わってるんじゃって話だ。あと……それこそ、こないだのタコ。あれも夜獣じゃなく外獣じゃないかっていうやつもいる。実際昼間にも動いてたし、そうなのかもな」
「ふうん……」
「地下に潜ってそいつらを狩りながら、不思議な力を持った物を集めて売ったりする仕事がある。探索者とか冒険者とか言うけど……まあ、夢はあるぜ。夜獣狩りよりかは儲かるはずだ」
「…………」
話しているうち、とうとう天使は返事をしなくなった。原因はわかりきっている。
「寂しいか」
「……うん」
「ま、そりゃそうだよな……」
ミュリデからすべてを学んだのだろう。何度も実感したことだが、天使にとってみればミュリデは親のようなものだ。
「どれくらい、この村のこと見てたんだ? それとおれのことも」
なんとなく気になって尋ねてみた。気軽に。だが、天使の両目に見たことのない感情が宿ったことに気が付い。ひょっとすると、いらないことを聞いたか。
「……少なくとも」
「いや、やっぱりいい。いまさら聞いたって──」
「少なくとも、6年は見てたよ。昼の神の上から、ずっと」
息が詰まる。足場が崩れる浮遊感。いままでこの少女との間に築いていたすべてが揺らぐ感覚。
6年? あの白い巨塔の上でひとり?
いや、天使は少なくともといった。すると。
「でも、きみがミュリデにやってきたのを見たから6年ってだけなんだ。その倍以上はあそこにいたと思う」
6年の倍以上。12年以上。おれが16歳。偶然だという気がしない。こいつはひょっとして、16年ひとりでいたのか。
「酔ってるからさ。話せそうなんだ。聞いてくれるかい?」
「……わかった」
わたしがいつ、どうして生まれたのかは、はっきりとはわからない。でもときどき夢に見るんだ。遠く、ずっと北で、何か大きなものが生まれた。その何かの対として私が生まれた。昼の神によって生み出された。
それからわたしは真っ白な部屋の中にいた。何もない部屋だったよ。そこで少しずつ育っていったんだ。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて。
そして自分の頭で考えられるようになったころ、部屋に『窓』ができたんだ。わたしはそこからミュリデを見て、聞くことができるようになった。
そのとき初めて知ったんだ。人は群れて生きるんだって。わたしは孤独なんだって。
それからはずっと、頭がどうにかなりそうだった。家族、友達、恋人、いや、他人すらもわたしには存在しなかったんだ。寂しくて耐え難かった。
でも、気が変にはならなかったよ。不思議と狂気の一歩手前で止まったんだ。自分の体を傷つけることもできなかった。あの部屋には何もなかったから。
たぶん、すべてはお母さん……昼の神がそうしたんだと思う。なにか訳があって、わたしがそうなることが必要だった。
でも、恨んだよ。神を恨んだ。すべてを恨んだ。そんなとき、きみがミュリデにやってきた。
きみはやってきてすぐに親に捨てられた。それでも、きみは誰も恨まず、それどころか村のために働きだした。
きみが毎晩泣いていたのは知ってるんだよ? なのに、人の前では平気なふりをして、この親切な村人たちに報いようって、必死に夜獣と戦った。
わたしは思ったんだ。このひとはなんて美しいひとなんだろうって。すべてを恨んだわたしとは違う、強い魂とやさしい心を持っている人だって。
それからずっときみを見ていた。わたしと似た境遇、でも違う答えを出したきみ。まるで違う世界線の自分がいるみたいで、どんどんきみが好きになった。寂しくなくなった。そして、きみが守っているこの村のことも好きになった。
そしてある日、わたしの部屋のすぐ下できみが死にかけているのを見つけた。
必死で壁を叩いたよ。はじめて自分の体に傷がついた。
そして、わたしは壁を破った。わたしは部屋から出たんだ。
「これが、わたしのすべてだよ」
天使の話を聞き終えて、おれはすべてに納得がいった。
先生に捨てられたときに、おれとよく似た境遇の人間がいたら? シンパシーを感じないわけがない。
天使にとってそれがおれだった。そして、今やおれにとっても。
「わたしはね、北で生まれた大きな何かが、きみであってくれたらと思ってるんだよ。そしたら、この出会いは神様が仕組んだ運命だ。いわば神の許嫁だ」
はにかみながらそんなことを言う天使に、おれは人生で最大のいとおしさを感じていた。6年以上、おれを想ってくれていた。
自分を孤独だと思っていたが、とんでもない独りよがりだった。村人も、この天使も、おれをよく見てくれていたのだ。
「アイン、きみはこの話を聞いて、きっとわたしのために赤竜と戦うってことを考えると思う。でも、それはやめてほしい。きみが勝てないって言うんだから、それはよっぽどの相手だ」
「……ああ、わかってる。それと、ひとつ言わせてほしい」
「なにかな?」
いますぐこの細い体を抱きしめたい。だが、それはできない。決意が鈍る。
「おれを見つけてくれてありがとう。おまえと出会えて、よかった」
「……! うん!」
天使が笑う。おれも笑う。
だが、胸の中では炎が燃えている。いままで感じたことのない熱だ。
おれは覚悟を決めた。