第15話 ミュリデ最後の夜
ミュリデはなにかにつけて宴会を開く風習がある。そんな酒飲み村最後の宴会がどうなるかというと。
「酒足りてねえぞお!」「料理も持ってこい!」「吐いた! 吐いたぞこいつ!」「世界ってこんなにグラグラしてたっけェ!?」「だから吐いてるんだって!」「踊れ踊れェ!」
「うわあ……」
「楽しそうだね!」
やはりめちゃくちゃだった。村でいちばん大きい広場に机が並べられ、村中の酒が持ち込まれているらしい。料理も近くの家々で作られ、次々に持ち込まれている。
問題は酔っ払いたちだ。というより、もはや酒乱だ。叫んでいるもの、つぶれているもの、踊っているもの、吐いているもの。天使にはあまり見せたくない光景だ。
「やっぱりこうなってしまったか」
バッカスはやれやれといった風に言いながらも、やっぱり酒を飲んでいる。というかもうビンを2本からにしてしまった。
「なあ、人と酒飲むの初めてだから聞くんだけどよ」
「なんだ?」
「あんたのそれって、普通なのか?」
おれに尋ねられながらもバッカスは3本目をからにした。先生は酒を飲まない人だったので、ペースが分からない。
「おお、普通だよこれくらい。むしろおれなんて下戸なほうさ」
「へえ」
言いつつバッカスは4本目をからにした。絶対嘘だ。もうこいつに聞くのはやめよう。
「それよりも、ほら」
おれと天使になみなみ酒の入ったカップが差し出される。飲みなれていないのを考慮してくれたのか、ずいぶん小さいカップだ。
「ミュリデ最後の夜に」
バッカスが乾杯の音頭をとる。それにならって酒器を掲げた。ぐいとあおる。ブドウ酒だ。うまいのかどうなのかもよくわからない。
「渋いとしか言えねえ」
「そうか。アインはどうもダメそうだな。しかし、そちらは……」
バッカスが話を向けたのは天使だった。意外なことに、あっというまに酒器をからにして、自分で2杯目を注いでいる。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「なんていうか、おいしい気がする。よくわからないけれど、とまらないというか……」
「あなたはアインと違っていける口のようですね。さあ、もう少しきついのも」
そういってバッカスが別の酒を注ぐ。天使はそれがいたく気に入ったようで、ついにはしゃべらずにただ飲み続けるだけになってしまった。
というか、バッカスの口調に違和感。
「なんで敬語?」
先ほどから、天使に対して敬語でしゃべっている。村ではいちばんと言っていいくらい偉い男なので、こういう態度を見るのは初めてだ。
「貴人だよ、この方は」
おれの質問に帰ってきたのは端的な答えだった。貴人。高貴な人間。確かに、天使はそういうところがある。
「今日1日いっしょに村を回ってわかった。この方には不可思議なカリスマのようなものがある。みんなが彼女に引き付けられるが、下卑た好奇心は抱かない。ただ純粋な親愛のみを集める」
やや熱の入った口調だ。だが、わかるような気がする。おれも天使の言葉には不思議と逆らえないし、言う通りにすれば大丈夫という不可思議な自身も湧き出てくる。
「……こいつな、実は天使なんだよ」
「天使か。ふ、そうだとしても驚かんな」
さすがに信じなかったようだ。まあおれもなんとなくそう思っているだけだし、そんなものだろう。
「──おれはな、アイン。おまえが心配だったんだ」
「え?」
不意に想像だにしていなかったことを言われ、思わず聞き返してしまった。バッカスはつらつらと言葉を続ける。
「ガリウスさんがいなくなってからおまえは明らかに変わった。村にきてすぐは、夜人の身で差別されてきただろうに明るい子供だったから、ふさぎ込むようになってずいぶん心配したんだよ」
「それは………悪かった」
「謝ることはない。俺の勝手さ。しかしな、これには理由があるんだ」
バッカスはどこか遠くを見ていた。砂漠の向こう。なにがあるというのか。
「おれが独身なのにはわけがあってな。実は、子供がいるんだ」
「は? そんなの初めて聞いたぞ」
「言ってなかったからな。養子だよ。兄貴夫婦が事故で死んじまって、おれがその息子を引き取った」
さすがに驚いた。バッカスは村人の中ではいちばん話す相手だったので、6年もいてそのレベルの話を聞いていないとは思ってなかった。
「でも、おまえの息子なんて見たことねえぞ」
「旅に出てるんだ。最先端の装飾を学ぶためにな。もう10年になる。本当は1年そこらで帰ってくるはずだったんだが。連絡もない」
「そりゃあ……」
死んでいる。とは、とても言えなかった。だが、この世界は残酷だ。とくに今は黒い夜獣が昼の世界に侵入するようになって世の中が乱れている。旅上の死というのは珍しくもない。
「だから、おまえが村にやってきたとき、息子が帰ってきたような気がしたんだよ。悪いな、勝手に押し付けて」
「いや……好きにしてくれ。べつに迷惑でもない」
「いままでのおまえならありえなかった返事だな。よほどあの方に変えられたらしい」
そうだ。おれはあいつに変えられた。明確に。こんな席に来るなんて、ありえなかっただろう。
「しかし、それも終わりだ」
「え?」
バッカスは7本目のビンをカラにして酒器を置いた。
「村が無くなるんじゃ、あいつも帰ってくる先がない。そろそろ、俺も現実を受け入れなくちゃあな。あいつは死んだ」
「あ……」
バッカスは自ら決定的な言葉を口にした。ひょっとすると、今日はこれを言うためにおれを呼んだのかもしれない。
「ありがとうな、アイン。これまで村を守ってくれて。おかげでいい夢を長く見れたよ」
何も言えなった。おれは、この男のために何かしてやれたのだろうか。おれを真っ先に村へ受け入れてくれたこの男のために。
「さあ、そろそろ酔いも回ったころだろう」
そう言うと、バッカスは天使に声をかけた。真っ白な頬がほんのり赤くなっている。相当のんだらしいが、前後不覚にはなっていない。
「おや、もうお話は終わったのかな?」
「ええ。彼はお返しします、天使よ」
「あはは、ありがとう。天使かどうかは分からないけどね」
「いえ、あなたは天使だ。少なくとも彼にとっては」
そうして、バッカスはおれと天使を広場から送り出した。最後にこう言って。
「どんな選択をするにせよ、後悔だけはするなよ、アイン」