第12話 赤竜襲来
殻を破り、この世に翼を広げたときから、飢え続けている。
私の翼が届かぬ場所はない。私の爪が切り裂けぬ物はない。私の炎が灰にできぬ敵はない。
しかし、飢え続けている。千を食らっても、万を啜っても、飢え続けている。
はじめは、それが何故かわからなかった。しかし、同胞と縄張りをかけて死闘を尽くしたとき、ようやく気が付いた。
闘争を求めていたのだ、と。
私は命を懸けて守った縄張りを捨て去り、広い世界へと飛び出した。
それからは戦いの日々だった。陸も、海も、空も、関係なかった。あらゆる場所に敵を見つけ、戦いを挑み、勝利してきた。
そしてある日、初めて勝てぬ相手と出会った。
それは人間たちの言う『騎士』だった。
騎士はわたしを下したあと、こう言った。
──南の果てに素晴らしき戦士がいる。我が主のため、それを討て。
僥倖だった。
騎士から黒色のなにかを渡されたあと、私は再び空へ飛びあがった。目指すは南。我が炎にふさわしき好敵手。
ああ、我が愛しき飢えよ。
おまえを高く飛ばしてくれるものに、会いにゆこう。
ヴィアカの花の件からさらに1か月ほどがたった。
その間、なんでも屋はやはり大盛況だった。というより、さらに依頼人が増えた。とてつもなくしょうもない話まで持ち込まれるようになった。
「ああ、ネコスケ……。どうか帰らないでほしい……」
猫の預かりもそのうちのひとつだ。ログソン夫妻が旅行に行くというので今日まで預かっていた。
天使はどうも動物が好きなようで、ネコスケもその例外ではなかった。毎晩いっしょに寝ていたあたり向こうも懐いていたんだろう。さすがにちょっと心苦しいが、返さないわけにもいかない。
「ほら、離せって」
「うう、イヤだ! この愛しいモフモフを離してなるものか!」
「そのうちなんか飼ってやるから。ネコスケはあきらめろ」
「うう……」
天使はしぶしぶ手放した。約束だよ、と上目遣いに見てくる。が、あいにくおれは動物の相手が得意じゃない。きっと飼うことはないだろう。きっと。
「じゃあ、失礼させてもらうわね。どうもありがとう」
そう言ってミセルは帰っていった。
「ああ、ネコスケ……」
「今日の仕事はこれで全部だったよな? じゃ、おれは寝るから」
うなだれる天使を放置して寝室へ向かう。そのときだった。
「アイン!」
飛び込んできたのは村の運営者のひとり、バッカスだった。天使を村に受け入れる話をしたとき以来だ。
「どうした?」
この男らしくない慌てようだ。まさか、昼間だというのに夜獣でも現れたのか。
そう尋ねると、バッカスは蒼白の顔で否定した。
「それよりもっと悪い。ひょっとすると、この村はもうだめかもしれない」
「なんだって?」
バッカスは大げさな言い方を嫌う。それがここまで言うんだから、よほどのことに違いない。
「これを読んでくれ」
机の上に1枚の紙が広げられた。植物から作られた紙だ。相当な高級品のはず。
差し出した組織の名前が書いてある。
「監竜院……!?」
知っている。この世界の中央に位置するグロリウス竜王国。その政府が運営する、上位の竜を監視する機構。すると、まさか。
文面を読む。外れてほしかった想像は、当たっていた。
『赤竜ラディアバスの黒化種が貴村に接近している事実を確認。直ちに避難されたし』
赤竜。空の血潮の異名を取る、夜の世界の頂点捕食者。その黒化種、いわゆる黒い夜獣。つまり、昼の生き物も夜の生き物も見境なく襲う特殊個体。
「本当なのか? なにかの間違いじゃ……」
「押印は間違いなく監竜院のものだ。赤竜の進路を記した地図も、監竜院の書式だ」
言葉を失う。今この瞬間も、赤竜がこの村に近づいている。翼を広げ、ものすごいスピードで。
「その赤竜というのは、そんなに強いのかい?」
いままで黙っていた天使がそう尋ねてきた。彼女なりに、おれたちの切迫した雰囲気を察しているらしい。だが、それでも足りない。
「最上位、自然災害と同じって言われる竜のひとつ下だ。とんでもなく強いが、まあ、夜のおれならなんとかなるかもしれない」
「それなら大丈夫だね。きみは必ず勝つさ。なにせきみはこの村の騎士なんだから」
天使はそう太鼓判を押した。が、違う。わかっていない。認識が足りない。
「夜のおれならなんとかなる。夜ならな」
「……夜獣なんだろう? 違うのかい?」
「いや、あってる。ただ、あれはほかの夜獣と違う」
赤竜。空の血潮。昼を終わらせる者。その異名はすべて昼人たちが与えた。それはなぜか。
「昼行性なんだ」
「え?」
「夜獣のごく一部には、昼に活動するのがいる。ラディアバスはその一種だ」
それを聞いて、天使は事の重大性をようやく理解したようだった。そう、おれが役に立たないのだ。いつも明るいその表情に影が差す。
「そ、それならわたしが戦うよ。きみも知ってるだろう? わたしはかなり強いんだ」
「……赤竜の名は、その鱗からくるだけじゃない」
いっとき黙っていたバッカスが口を開く。声が震えていた。
「やつは炎を操る。ゆえに赤の名がつけられた。その鱗は、炎を通さない」
つまり、この村に赤竜をどうにかできる人間はひとりもいない。
ミュリデが震えている。窓の外で、太陽が傾き始めていた。