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第四話 練路機追跡行

 翌朝、ハルタはベリコ達に連れられて、海洋横断モノレールに乗っていた。向かう先はブリッジシティ。練路機のある場所だ。


 ブリッジシティは一つの観光名所として知られている。元は大陸間を繋ぐ大きな機械仕掛けの橋だったらしい。地球のように自転して、隣の大陸に橋をかけるのだという。ところがその役割を終えると同時に、いつしかそこに人が住むようになった。廃棄されるはずの橋が、街になった瞬間である。

 それから時は流れ──ある日のこと。住民達は、この場所を一つの島だと主張し始め、独立を企てた。勿論、国と認められることはなかったけれど、主張内容にインパクトがあったからか──定かではないが──自他共にブリッジシティは島だという認識が広まっている。

 ではシティではなく、アイランドと言うべきではないか、とハルタは思った。恐らく誰もがそう感じているに違いない。とは言え、名前というのは認知度に依存している。ブランドと言うべきだろうか。イメージが定着してしまうため、そう簡単には変えられないのである。

 そんな橋の島に、練路機は運送されたらしい。何故そんな場所に? と、思わなくもない。

 アイノ曰く、

「そこにとある企業が構えてあるからですね」とのこと。詳しく聞きたかったけれど、「いえ、この場所では話せません」などと言って、先送りにされてしまった。

 確かに、モノレールにはハルタ達の他にも大勢乗り込んでいる。内容が内容なだけに、あまり大っぴらにするわけにもいかない。またそれだけでなく、

「ほら、こういう公共の場って何があるかわからないでしょう」ベリコは窓辺の位置に陣取りながら、「特に車内という密室且つ人で密集している場所では、何をされても逃げられない。私達は犯人グループに目をつけられているかもしれないわけだし、あまり目立つ話はできないわ」

 そんなことを言うものだから、ハルタは少しだけ怖気ついた──そしてすぐに克服した。良く考えてみれば、その通り。モノレールの中は人で溢れている。だれが聞いているのかもわからない。その中には危険人物だって紛れているかもしれないのだ。

 ハルタは納得して、窓の外へと目を投げる。

 海は煌びやかに空を映し、波は絶えず形を変えていた。まるで人生において、同じ日は二度とやって来ることがないのだと示すかのように。

 青く澄んだ空の上に、家族は居るのだろうか。ハルタは僅かばかり感傷的な気分になる。漂う白い夏の雲が、まるで死者のように思えたのだ。人は亡くなると、良く空に向かうというような表現がされる。

 曰く──昇天。

 魂は空へと向かっていく……。

 でもその先に天国も地獄もありはせず、待っているのは宇宙だけ。魂なんてものはどこにもない。ハルタはそれと知ってしまっていた。すべてが情報化された現代において、核に記載された文字列コードのどこにも魂と思しき存在は見当たらず、生命の根源は謎に包まれている。

 核そのものを魂とする仮説もあったけれど、それはあらゆる動物だけでなく──人型ではないAIなども含めて──無機物にも存在しているのだ。ならば生命とは一体なんだろう。それらは果たして生きているのだろうか? 生命を定義することは難しい。

「感傷に浸っているところ悪いが、着いたぜ」隣の席から、ライノが言った。「あれがブリッジシティ。来たことあるか?」

 ハルタは首を横に振る。

 ブリッジシティ。機械仕掛けの大きな橋の島。

「見るのも来るのも初めてですよ」

 だから、心なしか高揚感を覚えていた。


「では、今回の調査について概要を話す前に──」


 ブリッジシティに降り立つと、アイノが事前に予約していたホテルへと直行。その一室に集まっていた。アイノは鞄から妙な機械を取り出すと、

「盗聴器がないか、調べます。しばらくお待ちください」と言って、部屋のあちらこちらに手を伸ばす。

「いつもこうなんだ」とはベリコ談。「まあ、仕事が丁寧なのはあたしもありがたいところだけれどね」

 作業はおよそ二十分に亘り、終わるまでハルタはぼうっとしていた。ベリコはコーヒーを嗜んでいる。静寂な時間が過ぎた。てきぱきと動いていた後、

「失礼しました」アイノはにこりともせず、「それでは資料を配布します」

 自然に本題へと進む。ハルタは同期を求められた。同意すると、目の前にウインドウが開かれ、『練路機の奪取及び所有者の説明』と題された、スライド表示型の情報が流れ込む。これからプレゼンテーションが始まるのだろうか。

 アイノが息を吸う。

「ベリコ所長が埋め込んだ発信機は、ブリッジシティのとあるオフィスビルに見つかりました。そこは、ビル六階、インフォ(I)ライフ(L)社のフロアです」

 スライドが切り替わり、IL社の概要が簡潔にまとめられていた。テーブルにはオフィスビルのとあるフロアの様子が、ホログラムとなって展開される。

 アイノは続けて、

「IL社は簡単に言ってしまえば、医療機器類を主に取り扱う販売業社です」スライドが変わり、公式サイトと思われる画像が映された。「身体拡張プラグイン技術を利用した商品がメインらしいのですが──」またスライドが切り替わる。「調べてみたところ、活動実態はどこにもありませんでした」

「つまり表記上のみの存在(ペーパーカンパニー)」ベリコの言葉に、

「そうです」とアイノは首肯した。「恐らくは資金洗浄マネー・ロンダリングのためのものでしょうね。代表者はジータ・チェン社長」と、写真が映し出される。「元軍人で、最終階級は少佐とのこと。彼女は他にも──戦闘補助コンバット・アシスタンスから取って──コンスタンス社という民間軍事会社を営んでいます。傭兵や警備員の斡旋から、武器の売買を行っているのですね」

 別のウインドウが開かれた。そこにはコンスタンス社のサイトが表示されている。軍人達の集合写真や、戦闘訓練を行っている様子などが映し出されていた。売り出される人員の殆どは、自律型のAI。軍人としての社長自身の経験を拡張プラグイン複製コピーした傭兵達は、とても優秀だ──とセールスされている。

 警備員として売り出される自律型AIは、人型のていを成していたものの、何故だろうか、幽霊のような姿をしていた。


 例えば:髪の長い、白いワンピースを着た女。

 例えば:仮面を被り、鎌を持った死神。

 例えば:白い、半透明な人型の何か。


 ──というもの。まるでハロウィンだ、とハルタは思った。取引相手は戦場真っ最中のあらゆる国とのこと。

 ページを送ると、ジータ・チェン女史の人物像プロファイルが現れる。長い金髪を撫で付けて、愛嬌と暴力性を兼ね備えた笑みを表情を浮かべていた。ハルタは眉を顰める。

「じゃあこの人が、練路機を奪わせたんですね?」と、ハルタは質問した。

 ベリコは頷いて、「そうでしょうね。潤沢な人的資源を持ち合わせているわけだし、会社の取引相手には例の研究所の名前もある」

「えっ」

 驚いて確認してみれば、確かにある。失認していた。こんなにも大事な文字が、見えていなかったとは……。

「研究所は警備員をここで雇っていたわけね。両者には繋がりがあった」

「なら練路機のことも、移動装置のことも知っていてもおかしくありませんね」アイノが続く。「さて──話を戻します。現在練路機は、IL社の倉庫とされる部屋に置かれているようです」ウインドウに図面が表示。練路機のある位置に赤い光点が加えられた。「また、先程説明しました警備AIが配備されているようですね」


 場所を移し、現在:ホテルの上層──レストラン。


「本当に居るね」ベリコは誰にともなく囁く。

 ハルタ達は昼食を食べながら、窓から丁度見えるIL社の様子を窺っていた。サイトの説明では、今日は休日ではないのに、社内は暗くなっている。それもあって、警備AIが居ることに、ハルタは最初のうちは気が付かなかった。目を凝らして初めてわかる。

 それは半透明な何かだった。窓ガラスの反射か、或いはガラスが曇っているかのようにも見える。ただじっと観察していると、それには手足があり、やがて人型であるのがわかった。

 実体のない光が蠢いている。

 ハルタにはそう感じられた。

「幽霊とか、初めて見ました」魚をフォークで突きながら、ハルタは言う。

「あれは幽霊じゃない」横に座るライノが苦笑して、「死者の魂が甦って良いはずはないからな。本物だったら大騒ぎだ」

「誰が?」ベリコが聞き、

「俺が」ライノは単直に返す。

 ハルタは微かに笑った。

「あたしは、甦っても良いと思うけどな」とベリコ。

「そうかな」ライノは苦い顔をする。「多分、俺は受け入れられない。きっとそういうふうに出来てるん(プログラム)だな」

「フタミヤ君はどうかな?」

 ベリコに訊かれ、ハルタは自問自答した。もしも亡くなった家族──両親や祖母が目の前に現れたらどうなる?

 どの想像も実感がない。

「その時になってみないと……」

 非常につまらない回答。困ったように笑ってみせるしかなかった。

 ウェイターが音もなく、料理を運んでくる。皿を受け取り、帰っていくのを見計らい、

二階(レイヤー:ツー)」と、ベリコは人前であることもあって曖昧にごまかす。「──だとどうなのかしら? 幽霊さんは居るのかな」

「居たぜ」ライノは簡単に答えた。「さっきトイレに立つ振りをして、確認した。しっかり配備されている。守りは強固だな」

「ふうん……」ベリコは目を細め、遠くを見据える。

「もうあの場所からレンジは動かされないんですかね」ハルタは探偵に倣い、練路機と直接的に表現するのを避けた。「だって、大事なものでしょう?」

「だな」ライノはグラスを片手に頷く。「中に潜るしかない」

「盗む必要はないわ」とベリコは言った。「それじゃあ、盗人だものね」

「不法侵入じゃないですか?」ハルタの疑問に、

現実(レイヤー:ワン)なら、そうね。でもこれからあたし達が向かうのはそれと良く似た場所……」

 ベリコから何気なく視線を外すと、店内に白と黒のモノクロな猫が見えた。ハルタは壁先に消える尻尾を、驚き混じりに見送る。何者かに見つめられているような感覚があった。我に帰ると、

「なら、仕方ないですね」とハルタは微笑む。

「それに、これは潜入捜査に近い。そこにあるという動かぬ証拠が手に入れば、それで良いわ」ベリコはそう言って微笑を返した。


「つまり、練路機を撮影するのよ……」客室に戻るなり、探偵はテーブルに図面を展開する。「後はこれを匿名で警察に届ける」

「研究所には届けないんですか?」ハルタは訊いた。

「届けないわ。研究所が何を企んでいるのか、まだわからないもの。もしかしたらIL社に供与したという可能性だってあるし、ね。彼らの立場がはっきりしない限り、味方するべきじゃないと思う」

「俺達が味方するのは警察」ライノはベリコに目配せすると、ハルタに頷きかける。「ゴドー刑事はその筆頭さ」

 彼もまた研究所の目的を探る仲間ということ。ハルタは納得して、先を促した。ライノが身体を入れ替え、

「では、ここからは私が説明します」アイノが言う。

 図面を元にホログラムは展開し、間取り図が立体的になった。そこへ、ハルタ一行の姿が駒のようにミニチュアサイズでやってくる。

「今回の主目的は練路機がIL社にあることの証明です」

「撮影すれば良いのですか?」とハルタ。

 アイノは口元を綻ばせ、目を瞑りながら、

「それだけでは偽造フェイクも疑われるかと思われます。先程所長が指摘されていましたが、研究所との繋がりが示せるような、もっと直接的な根拠が必要です。中には、練路機供与にまつわるメッセージが、あの中に眠っている可能性も──かなり低いでしょうけれど──あるかもしれません」

「あたしはかなり高い確率であると思うな」ベリコの発言に、アイノは首を傾げる。「もしもあそこが単なる資金洗浄ロンダリングのための場なら、わざわざオフィスを設ける必要はない。サーバーを用意するだけで事足りるのよ。それなのに何故、亡霊を置いてまで部屋を作ったか? 考えられるのは──」ベリコはこめかみに指を当てた。「それは物理的なものを隠すための、金庫が必要だったから」

「じゃ、じゃあ、最初から練路機を隠しておくために会社を作ったってことですか?」

 ハルタは驚きながら、考えを整理する。

 ならば、IL社はそもそもの始めから研究所が用意したものではないのか?

「うーん」ベリコは考慮するかのように深く目を閉じた後、苦笑して、「それは面白い考えだけど飛躍したわね。あたしが言っておいてなんだけど──そもそも練路機を隠すための場所だったのか、その前提部分を検討しないと。それにフタミヤ君、まだ結論を出す時じゃないわ。だってあらゆる可能性が不定だもの。確かに研究所が用意した企業なのかもしれないし、或いはもっと別の何かを隠しているのかもしれないのよ」

 ハルタは唾を飲み込んだ。そこにあるのは、公にできない隠しもの。ジータ・チェンは元軍人の、いわば武器商人である。ならば一体、何を隠すだろうか、ハルタには想像もつかない。

「何が隠されているんでしょうね」アイノは言葉を継ぐ。「それを、ハルタ君に突き止めてもらいたいんです」

「え、俺にですか?」

 ハルタの上に浮かんだ疑問符に、「そうです」と、アイノは簡単に答えた。「IL社に突入するのは、私達(アイノ/ライノ)と、貴方──ハルタ君の三人。ベリコさんはここからサポートに徹して頂きます」

「はあい」ベリコの良い返事。

「そして私とライノは、陽動──つまるところ警備AIを惹き連れてどうにか対処しますから、この間にハルタ君にはサーバールームに入って、情報を得てきて欲しいんです」

 自分にできるのか、とハルタが口を開く前に、ベリコが手をかざして遮った、

「大丈夫。君のために探偵七つ道具を用意したから。これがあれば、サーバーにアクセスして、情報が閲覧できるわよ」


 と言って貰った拡張プラグインモジュール。

 その使い方は、身体に馴染むにつれて、わかるようになった。感覚器官が一つ増えたような感じとでも言うのだろう。例えば指が一本加わったようなもの。まるで元からあったような自然さで、容易に扱える。

 アクセス・モジュール。

 つまりこれは、電子機器に蓄えられた情報を読み取る機能だ。情報の書き換えまではできないから、偽造を疑われることもないだろう。後は、読み取った内容を、ホログラムとして出力すれば良い。

 ハルタは拳を握る。

 天を見上げれば、まだ昼時だというのに、月が見えた。

 場所はIL社前、第三階層(レイヤー:スリー)。時刻は間もなく午後一時丁度になる。

 この階層レイヤーはまだ、やはりまだ慣れない。朧気な解像度では、あらゆるものが覚束ないのだ。薄い意識下でそう思う。

 アイノ達からの合図は、ない。

 突入はまだ先だ。

 説明を、思い出す。

「ハルタ君は第三階層から侵入してください」と、アイノは言っていた。「まず私達が先に第二階層(レイヤー:ツー)から突入し、亡霊達と共に第四階層(レイヤー:フォー)へと向かいます。その途中に貴方へ合図を送りますから、その十秒後に、本社へ入り、第二階層へ移ってください」

「そこからは私がフタミヤ君をサポートするわ」ベリコは大きな瞳を煌めかせ、「貴方のことは、ウインドウを通じて見ているから」

 ──と、「さあ、時間だぜ」


 ライノの声にはっと我に帰った。

 ハルタは両手を打ち合わせて鳴らし、活を入れる。

「良し、じゃあ、行きますか!」

 そう言って足を踏み入れた先──フロントルームは夏とは思えないほど、冷たい空気に満ち溢れていた。冷気ならぬ霊気だろうか、とハルタは思い付く。窓の外から見えていた警備AIの姿は一つとしてない。

 これなら侵入しても大丈夫そうだ。手の甲を見据えると、階層を下りる。瞬間、解像度が上がり、土台が安定したような安心感が芽生えた。この階層でベリコが待っている。ハルタは階段を駆け上りながら、

「聞こえますか」ウインドウから話しかけた。

「うん、ばっちり」ベリコは満足そうに言う。「ここまでは予定通りだね。フタミヤ君はこのままサーバールームへ直行して」

「了解」

 地図を思い浮かべ、経路を確認。ハルタは動き出した。道を折れ曲がり、向こう側へ。先に顔を出して誰も居ないか確認。

「問題なし、ですね……」そう呟いて、通路を歩く。

「問題があったら困るものね」おっとりとベリコは言った。「あ、少しそこで立ち止まって。隣の部屋へ移って」

 疑問を差し挟む間もなく、瞬間、ハルタの背後にあった壁から白い──悍ましいほど白い指先が飛び出した。急襲に脈拍が早まる。ハルタは急いで場所を移すと、相手をそっと観察した。指から腕、足先から、膝へと、少しずつゆっくりと、靄のような身体が現れる。やがて鼻先が壁から見えたかと思うと、その全貌を露わにした。

 それは半透明な亡霊──解像度の低い人間のような何かだった。

 警備AI、とハルタは心の中で独りごちる。ライノによれば、自我はないという。与えられた役割に徹する木偶の坊だと。

 それはさておいて──しかし、不可思議だ。

 壁抜けが可能なのは第四階層からのはず。AIならば物理に囚われず移動できるか、と問われればそうではない。地面には足が、壁には手が触れる。AIが情報であるように。この世界もまた、すべて情報で構築されているのだ。

 ならば何故?

 ハルタは疑問符を浮かべる。

 と、ライノが第二階層へと、亡霊達を引き連れて降り立つのが見えた。見つからないよう、少しだけ顔を覗かせる。亡霊は透き通った腕を伸ばし、ライノに掴み掛かろうとした。ライノはアイノに切り替わることで身長を縮ませ、これを避ける。また一人、背後から鎌を携えた、死神のような警備AIが現れた。

 息を呑む。

 アイノは懐からカードを取り出した。これを展開させるのだろうか──ハルタは考える。ちら、とこちらに目を向けて、また消失。

 第二階層から亡霊は消え去った。

「大丈夫。今のうちだよ、フタミヤ君。さあ行って」ベリコの声。「ライノは今、第四階層に向かった」

 ハルタはサーバールームに向けて移動を開始した。

「今の見ましたか……」辺りを警戒し、ハルタは声をひそめる。「壁抜けしていましたよ」

「うん。まったく、凝った仕掛けをしてくれるもんだよね。二人の視点があったから気付けたけれど……見事に騙されたわ。ほら、あの図面」

「図面?」ハルタは繰り返した。

「そう。あれを先に見ていたから、先入観を植え付けられていたのね……あそこに壁がある、と。通り抜けた壁は偽物──拡張現実(ホログラム)だったのよ、フタミヤ君。このオフィスは、壁の一部をホログラムで塞いでいる。だから隠し通路がそこ彼処かしこにあるのね」

「成る程」これで合点がいく。「ということは、ここら一帯は、穴だらけですね」

「かもしれないわ。図面とは実際の配置がかなり違うと見て良いと思う。だから、突然落とし穴が──なんてことがあるかも。ないかも。気をつけて」

「どう気を付ければ良いって言うんです」

「しっ……。静かに」一拍置いて、「通路を渡って」ハルタは従い、機敏にその場から移動した。「その部屋に入って」

 そこは窓に面した一室。扉を開けて中に入る。中には何もない。がらんとしていた。もしここに机や椅子が置いてあれば、会議室のように見えただろう。と、ハルタは想像した。窓からはベリコの居るホテルが見える。

 薄く開けられたままの扉。ハルタは隙間から外の様子を窺う。すると、白くぼうっと浮き出た影が通り過ぎて行った。

「良し。出て良いよ」ベリコは短く舌打ちすると、「どうやら、階層ごとに内装──壁のある場所と、ホログラムで覆っている場所を変えているみたい。本っ当に危ないわね」

「でも、それ以外に罠が見当たらないですよね」部屋から出ながら、小声で訊く。

「そうだね。でも、警戒は怠らないで。どこに何があるかまだわからないから。サーバールームは突き当たりを右にあるわ」

 移動を開始。通路を進み、右を向けば壁がある。もしやと思い、手を伸ばしかけた。もしも、と脳裏に考えが過ぎる。この裏に警備AIが居るのではないか?

 と、壁から腕が突き出る。それはハルタの手首を掴み、内側へと引き摺り込んだ。思わず叫びそうになる。

「早くこちらへ」相手はアイノだった。「さあ、行きますよ」

 胸を撫で下ろし、ハルタは頷く。サーバールームへと向かうアイノの後に続いた。内部は部屋を埋め尽くす機器類で埋まっている。二人はその一つに手を伸ばし、目を瞑った。

 ハルタは拡張プラグインされた身体機能を使って、サーバー内へと繋がる。機器に手を触れた途端、情報の海が視界を駆け巡っては広がった。後はここから、特定の情報を探すだけ。

 語彙群から語句を検索する前に、ハルタは事前に受けた注意事項──


「練路機ってそのまま検索しないこと」ベリコは続けて、「どんなセキュリティが張られているか、わからないからね。例えば練路機と検索するのをキーに設定して、通報されたり、とか。用心するに越したことはないわ」

「なら、なんて検索すれば良いですか」

「簡単よ──」


 ハルタは入力する。それはとある情報暗号(データコード)──曰く、『発信機』。

 一件だけヒットした。けれど、位置情報はデタラメ。存在するはずのない世界だった。その名は第〇階層(レイヤー:ゼロ)。ハルタはすっかり困惑して、天を仰ぐ。が、経路案内を思い付き、それと入力。情報の海から一部分が浮き上がり、進むべき道が提示された。

 それはサーバーの中。情報に隠された回路、だった。

「ベリコさん」ウインドウから話しかける。「発信機の位置を特定しました。第〇階層……です」

「第〇階層」ベリコは狼狽えるように、囁くように、「現実(レイヤー:ワン)よりも下の階層? まさか、そんな場所……」

 それきり黙ってしまった。二秒ほど待っていたが、返事はない。

「ベリコさん?」ハルタは呼びかけた。

「ああ、ごめんなさい。それで──行き方はわかっているの?」

「はい。回路を見つけました。これから発信機を追いかけて、第〇階層へ向かいます」

「うん」些か緊張した声色だった。「気をつけてね。階層を移動したら通じなくなるから……」

「気をつけます」

 ハルタは無線を離れ、息を吐く。良し、と小さく声に出すと、サーバー内に隠された回路へと、身を投じた。身体が圧縮される。

 意識は途切れた。

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