第二話 スカウトマン
「で、お前さんはあそこで何をしていたんだ?」
と穏やかに訊いたのは、初老を迎える強面の男──ゴドー刑事。
パトカーに揺られた後、ハルタはこの日初めて連行された。取り調べ室へ移送され、椅子に座って尋問担当官が来るまで待たされて──現れたのがこの男。尋問を受けるこの頃になって、困ったことになったとハルタは思うようになった。
「隠し事はなしだぜ、坊主。さっさと吐いちまった方が楽だし、刑も軽くなる」
「さっきから言ってますけど、何もしていないんですってば」
「そんなわけないだろう」ゴドー刑事はにやりと笑いながら、「運転席から出てきたところを、皆が見てる」と言って、少し身を乗り出す。
「それについては、俺にも何が何だか……」
「詳しくは話せないと? それは事件に関与していると解釈しても良いんだな」
「しっかりきっかり全くの無関係です」
ハルタは首を振った。ゴドーは苦笑した後、深く溜息を吐く。
「黙秘ってわけか? お袋さんが知ったら悲しむぞ」
ハルタは二秒ほど、黙って刑事を見つめた。
「それこそ無関係ですよ」
「おっと、そうだったな」ゴドーはわざとらしく肩を竦めてみせる。「お前さんの人物像にも書いてあった」おもむろに机に腰掛けると、ハルタにも見えるよう、空間に文字を並べ、「両親は九年前、職場である研究所で、例の爆発事故によって死亡。それ以来、政府から与えられた部屋に一人暮らし──だったか」と読み上げた。「お前さんも苦労してんだな」
「余計なお世話です。もう、帰っても良いですか」
「待て待て。言い方が悪かったよ。だがお前も悪いんだぜ」
「どうして」
「どうしてってそりゃあ」刑事は微かに笑い、「全くの無関係ってわけにもいかなくなったからだ。良いかい坊主。一から説明してやるが、聞き逃したりするなよ。例の研究所は昔から色んな問題を起こしている。
十二年前の大量自己喪失者事件。お前さんがまだ四歳の頃のことだから、覚えちゃあいねえだろうが、これには親父さん、フタミヤ・アンタロウが関わっているとの見立てがある」
「父さんはやってない」ハルタは立ち上がっていた。
「そうかな」ゴドーは机から降りると、壁にもたれ掛かり、「幾つかの状況証拠がある」
と、説明を始める。
事件の概要はこうだ。
十二年前の六月。研究所よりおよそ半径十キロメートルの範囲内で、停電が起き、同時に認知症にも似た症状が流行した。これは一時的なもので、停電も、病状もすぐに回復されたが、当時のことを記憶している者は一人もいなかったという。明確な証拠が見つからないのもあり、原因は未だ掴めていない。
ただゴドー曰く、
「親父さんの残したデータファイルに、事件に関係あると思われるメッセージが見つかったんだ。確か『人間を計算機として、一時的に頭脳を借りて演算する』だったかな」
これは、ハルタにとって知らない話だった。誰からも聞かされていない、闇の話と言える。
ハルタはこれまで、両親を失って以来、ただ必死に人生を全うすることだけを考えて生きてきた。どんなに泣き叫ぼうとも、虚無感に浸っていようとも、死者は蘇らない。起きたことは覆らないのだから。だからこそ、問題とすべきは未来にある。何があろうと人生は続く。過去を振り返ることなどせず、これからどうしようか、と。ただそれだけを考えて日々を過ごしていたのだ。
祖母はハルタに何も教えてはくれなかった。事件についてはおろか、爆発事故のことさえ、口を噤んでいる。何か知っていたのだろうか。それならば、何故教えてくれなかったのだろう。
口を曲げているハルタに、ゴドーは鼻息を漏らした。
「まあ、知らないのも無理はない。政府が積極的に揉み消したんだからな。俺も当時は熱血漢だったからさ、憤慨したもんだよ」他人事のように笑ってみせ、「どうして真実を隠すんだ、とね。だが、それも今となっては良く理解できる」
どういうことだろうと思い、ハルタは刑事に目を配った。ゴドーは見つめ返すなり些か顔を斜めに曲げて、
「知らない方が良いこともある、ってことさ。真実──あるいは知識なんてものはな。知るからこそ、人はおかしくなる。知る権利だなんだと言って、研究所は何かを掴んだ。それで事件が起きた」
マインドハックに、爆発事故、と刑事は指折りながら、
「そして今回もそうだ。研究所から、機械装置が盗まれた。捕まえたトラックには装置がなく、代わりにお前さんの登場ってわけだ」
ゴドーは手のひらを広げた。圧縮されていた移動装置が、その場で展開されていく。身柄を確保された時に、所持品の一つとして取られていたのだ。
ゴドーはそれを手に収めると、
「これは何だ? これを使って何をしていた? 俺は知りたいんだ。知識は人を正しくも歪めもさせる。答えを得た途端、それ以外のすべてが間違って見えるようにな。だが今の俺には何が何やら、とんと見当がつかん。さて……そこでだ。あの時あの場所で、お前さんは何をしていたんだ、え?」と、ハルタに笑顔で詰め寄る。
ハルタはぎょっとして冷や汗を垂らした。
「ちょ、ちょっと圧が凄いですよ刑事さん……」
「そりゃ悪かった。昔から顔が怖いとは、娘からも言われてたなぁ。だがよ……俺としても進展するのが久しぶりで、嬉しくて仕方ないんだ。さあ、訊きたいことはまだあるぞ。天乃浜研究所は一体何を企んでいるのか、お前さんは何を知っているのか」
気迫に圧倒されつつも、ハルタは反論すべく、
「だから、俺は巻き込まれただけで──」
と、遮るように通知音が鳴った。
ゴドーの前に文面が表示されるや否や、驚いた表情になる。ハルタは不思議に思い、見ていると、
「お前さんに会いたい人が居るそうだ」
面食らった様子でそう告げた。ハルタは曖昧に頷き返す。
刑事はウインドウに指を当て、何かを署名した。契約を交わしたのかも知れない。表示は消え、代わりにホログラムが展開されていく。青白い粒子が立ち上り、連なって、人型にまとまった。色調が整えられると──やがて見知らぬ優男の姿に変わり、
「こんにちは、フタミヤ君」と微笑してみせる。「巻き込んでしまってすまない」
中性的な顔立ち。声は低い。冬のように白い肌と、肩まで伸びたコーヒーブラウン色の髪。連想するのは、車の助手席に座っていた、車椅子の女だ。けれど性別が異なっている。別人ならば、会った覚えがない。何故名前を知っているのか──ハルタは困惑した。
男は刑事に向き直り、
「ゴドー刑事。彼は無実です。私が保証しますよ」
ゴドーは複雑な表情を浮かべると、幼い子どもが拗ねたように「ちぇっ」とわざとらしく言って、小さく頷く。
男の一言で、ハルタは一転して、釈放された。
「迎えを用意したよ」との言葉通り、警察署を出てみると、一台の──見覚えのある車が停車。助手席側から窓が開けられた。
「乗りなさい、フタミヤ君」コーヒーブラウン色の髪の女が顔を見せる。「やっと君を見つけた」
「見つけた?」
意味もわからず繰り返した。理解がどうも追いついていない。車に乗り込むと、ドアは閉められた。
運転席にはトラックを追跡した時と同じ顔がある。クリーム色の髪に、褐色の肌を持つその人は、今は男の姿をしていた。ハルタに気がつくと、
「よお」という気さくな挨拶とともに微笑してみせる。
「どうも」
ハルタは軽く頭を下げた。同時に、緩やかに車が発進する。どこへ向かうのかは知らない。助手席から、女が振り返った。
「あたしはハムロ・ベリコ。探偵事務所を営んでいるわ」と手を差し出したので、ハルタは握手を交わす。だから、所長と呼ばれていたのかな、という納得と共に。
ベリコは眠たそうに半開きになった目蓋、艶やかな長い睫毛が物憂げな雰囲気を醸し出していた。
「で、貴方を釈放したのが、あたしの兄、ハムロ・カイ。こちらの運転手は男がライノ、女がアイノ」
運転手の姿は切り替わり、女が現れた。
「よろしくお願いします」アイノは淡々と言った。
取り澄ました態度のためか──或いは人見知りなのかもしれない──先ほどの男とは性格が異なるのだろう。ハルタは、どこか冷たい印象を受けた。
「びっくりしたでしょう」ベリコは含み笑いすると、「彼らはいわゆる、スミス同盟症候群──AI同士の掛け合わせから生まれた子どもにある、稀な症状でね。本来なら双子として生まれるはずが、核情報が混同して、一人の姿で生まれてしまったのよ」
アイノはライノへと一瞬で切り替わり、
「原因は諸説あるがね。ま、大体はこの説明で合っている。俺たちは一人で二人なんだ。ジキル博士とハイド氏みたいに。……だから記憶は共有してはいるが──」ライノに複数の縦線が刻まれていき、「意識も人格も、こうして体格までもそれぞれ独立しているんです」と、アイノが引き継いだ。
「ちょっとちょっと、そんなに切り替わって、運転は大丈夫なのよね?」ベリコは冷や冷やした顔で訊く。
「問題ありません」
「うん……。とまあ、こんな感じね」ベリコはハルタに向き直り、「彼女らには主に、事務所の受付と警備、それから現場に行ってもらったり、こうして運転を任せているわ」
殆どではないか、とは言わない。
「はあ、なるほど……」
とは頷いたものの、どうして自分に内情を教えてくれるのか、よく分からない。ハルタは内心、首を捻っていると、
「どうして教えてくれるのか、気になるのね……」ハルタの反応を伺うような訊き方だった。ベリコはフロントガラスから流れ行く景色を眺め、「それは、貴方と取引するためです」
「取引?」思わずそう訊き返す。
「そう。貴方を釈放してあげた代わりに、うちで働いて貰いたいなって」
「つまりスカウト」
「その通り」にっこりと笑って。
「でも、どうして俺を?」
「質問が曖昧ね。どうして貴方を釈放したのか、どうして貴方をスカウトするのか、どうして貴方を選んだのか」
「全部教えてください」
「良いわ。今日のベリコさんは、機嫌も良いし」と、バックミラー越しに微笑んでみせた。「理由は簡単。あたし達が追いかけているものと、貴方は関係があるから」
「それってもしかして……」
先ほどゴドーが指摘していたことと同じ。
「多分、その通り」ベリコは首肯する。「研究所絡み、ね」
「だからさっき、俺のことを見て、やっと見つけたって言ったんですね」
「ずっと追いかけてきた。もう何年になるかしらね……。あたしも貴方と同じ、家族を爆発事故で失ったの。でも未だ何が起きたのか定かじゃない。どうやら政府も把握しきれていないみたいだし。そうなると、真実を知りたくなるのは当然でしょう?」
ハルタは肯定した。
と、ベリコは不思議そうな目線を突き返す。
「ところで君は、ずっとどこで、何をしていたの?」
「平凡に生きていましたよ。……ずっと」ハルタは目を瞑り、「だって、ただの事故だったと、そう聞かされていましたから」
思い出せるのは、スーツ姿の大人たち。
お気の毒に、という慰めにもならない言葉を掛けられたのを記憶している。
大人たちは口々に言ったものだ。どんなに万全を期してはいても、起こり得ることだった。これはそれだけ危ない実験だった。仕方ないことだった、どうしようもない不運だったのだ、と。
「誰も悪くない」
殊更それと強調した。
祖父母は感情的に何か言い返していたけれど、もう良くは覚えていない。九年という歳月が記憶を風化させたのだろう。
衣食住を補償された暮らしの中、祖父母も亡くし、いつの間にかハルタももう高校生になっていた。
「政府が貴方を鳥籠に閉じ込めた……」
皮肉っぽくベリコは言う。ハルタは肩を竦め、
「守られた、というよりは隠されてきたってわけですね。でも俺は俺なりにナイスガイを目指して生きてきたんですよ」
「ナイスガイ?」ベリコは素っ頓狂な声を出し、吹き出した。ハルタがむっとした表情を浮かべると、「ああ、笑って申し訳ないわ。でも、どういうことだかわからなくて」おっとりとした口調で、首を僅かに捻ってみせた。
「完璧な人間ってことです」
「完璧、ね」そう繰り返す。
「万全を期したつもりでも、事故は起こります」呪文のようにハルタは唱えながら、「普通だとか、平凡な毎日というのは、限りなくありがたいことでしょう。平和こそ、得がたい秩序なんです。俺は自分自身とその周囲に平和をもたらすために、完璧を目指してきました」
「それは高尚な考えね。でも、それって辛くならないかしら? 完璧じゃなくても、ほどほどに生きていたって良いと思うのだけど」
「それじゃあ駄目なんです」
「それは、どうして? 今まで生き延びてきただけでも、貴方は偉いと思うけどな」
むしろその反対。
ナイスガイという生き方は、自分自身を律してくれる教義であり、目的でもある。自己に厳しくすることで生き延びてきたのだ。ハルタはそれを自覚している。
いまさら完璧以外を目指すことなんて難しい。
「完璧を目指すと言ってもね、人生に答えなんかないのよ。一体何をもって完璧とするの?」
完璧に答えはあるの?
それは鋭い指摘だった。
ベリコは好奇心と比例したような、その大きな瞳を瞬かせる。ハルタは何と答えたものか返答に窮した。まだ答えは見つかっていない。
「私も気になりますね」と言ったのは、アイノだった。表情を些かも変えずに、「特に、ナイスガイという言葉を持ち出した時の彼の感情には、尊敬と畏怖という──興味深い要素が見つかりました」
と、無関心にも思える声色で言う。だからその台詞が本気なのか判別がつかない。直後に姿が切り替わり、
「どう言うことかと言えば──」ライノが補足を説明した。「俺たちは感情が見えるんだ」
聞いて、ハルタは少しばかり驚いた。まさか、AIが感情に興味を示すだなんて。AIと言えば、感情表現や理解を苦手とするのが普通である。何故といって、人間とAIはその仕組み上、肉体の在り方が大きく異なっているからだ。人間は身体的に物事を捉え、考える。対して、AIは身体性に囚われない。だから、感情的な思考を苦手とする。
……はずなのだけれど、目の前の男はそれを否定した。
「核に“後付けの設定”を書き加えたのさ」ライノはそう表現する。「非正規の拡張モジュール、いわば身体改造に近いかな」
お陰で、感情が数値化されて見えるんだよ──運転手はそう言って笑ってみせた。隣ではベリコが、
「感情の数値をもとにして、筋肉を動かしているんだってね。まるでサイコパス」
「酷いなあ」ライノは苦笑してみせる。「AIは感情なしだなんて、デマだからね」これはハルタに向けられた言葉らしい。「体は心だからな。おっと、心は体じゃないぜ。あくまでも、体こそ心なんだな。……それに、これは感情言語と言うんだ。なあ? アイノ」
男は自問するなり変身して、
「さあ」アイノは無表情に頭を振って自答した。「私は感情表現なんてしないから」
顔半分だけ性転換の後、「そんな薄情な」
ライノの情け無い声が、車内にこだまする。忙しい人だ、とハルタは口元を緩めた。まるで車窓からの眺めみたいに、表情がころころ変わる。人間とAIは大差ない。違うとしても、それはきっと文字くらいだろう。核に記載された情報としても、呼称としても。
それから──しばらくタイヤの駆け巡る音だけが聞こえる中、ふと、ハルタは疑問を口にする。
「つかぬことを訊きますが……」
「うん、何かな」探偵は小首を傾げた。
「ベリコさんは誰を亡くしたんですか?」
「ああ」の後に続くのは、『そのことか』だろうか、とハルタは予想する。一拍置いてから、「兄さんよ」
「え?」ハルタは鳥肌が立った。
ベリコは目元を拭い、顔にホログラムをまとわり付かせる。そこにあるのは取り調べ室で見た優男の顔。そのまま僅かに微笑してみせると、「驚いたかな」
声も調整されている。
そうか……。
ハルタは納得して、一人頷く。
何も言えなかった。
探偵事務所に着いたのは、それから十数分後のこと。時刻は既に夕食時となっていたが、ハルタの帰りを待つものは居ない。
場所は廃校前──その、裏側の世界。
「ほら」と言って、ベリコが差し出したのは、階層移動装置だった。
「どこでこれを?」と訊けば、
「刑事から返してもらったの」ハルタを見上げながら、「これは今回の件には何の関係もない、証拠物ではありませんってね」
「えっ、それで納得してくれるものですか」
「前々から協力していたお陰で、信頼してくれたみたいねー。ありがたいことに」
そこで探偵はにっこりと笑う。ハルタはその邪気のない笑みに、不思議な魅力を覚えた。
「さあ、行きましょう」いつの間にアイノが隣へ来て、同じ装置を手にしている。
「行くってどこにですか?」
「決まっているでしょう、第二階層です」
瞬間、アイノは消失した。
「第二階層?」ハルタは首を捻る。「知らないのに専門用語を使ってくるのは卑怯ですよ……」
「階層のことよ。ほら、エレベーターで喩えたでしょう? あたしたちの居る『今、ここ』──つまるところこの現実を第一階層として、一つ上の階層のことを、第二階層と呼んでいるのよ。ほら、階層移動装置に数字が表示されているでしょう?」
ハルタは、移動装置を見つめた。真ん中に据えられたモニタには、現在『一』とある。それがこの場所を指しているらしい。トラックから異世界へ飛んだときにこの数字が変化したことを思い出した。
「やり方なら分かっているわよね?」ベリコは大きな瞳を瞬かせ、「あの時と同じ。上のボタンを一回押すの。じゃあ先に移層してるよ」
見たところ、ベリコは移動装置を持っていない。貴方はどうやって移動するのですか──そう訊ねる前に、異世界へと消えてしまった。どうやら置いてかれてしまったらしい。急激に寂しさを覚えたハルタは、
手元の装置を見やり、
意を決して、
ボタンを押し込む。
と──空気が変わった。
校舎には『ハムロ探偵事務所』と看板が付けられており、ホログラムをかけているためか、外観も異なっている。ベリコとアイノは、入り口の前で待っていた。こちらを振り返ると、
「ここがあたしたちの職場。歓迎するよ、フタミヤ君」ベリコは口元を緩め、ドアを開ける。「さあ、中を案内しましょうか。と言っても、内装は見た目を変えただけで、備品は学校と変わらないけれど。机も椅子も、ね」
下駄箱は大仰な仕切りへと変貌し、エントランスは受付のようだ。ここでアイノとライノが客を出迎えるんだ、とベリコは説明する。
「もっとも、大抵はメッセージでの依頼が多くてね。ここに来る者は滅多にないわ。もし事務所に訪問客があったら、要警戒。殆どはこちらから出向く感じね。車椅子での移動は、正直面倒ということもあって、ホログラムに頼ることになるけど」
兄さんの姿を借りた時みたいにね、と。
「大変ですね」廊下を移動しながら、そう相槌を打った。
「移動については、確かにそうね。でもホログラムと練路──圧縮、展開技術が発達してくれているお陰で、あたしみたいな人間でも、外出は簡単になった。例えばセキュリティがしっかりした建物だったら、こんなふうにドアが取り付けてあったりはしない。ボタン一つで回路を進む」
ハルタは頷く。
核の性質を利用した、圧縮、展開技術による移動は、身体的な問題を持ち込まない。すべては落雷のように一瞬。こうした移動は、ベリコのような人間にとっても革命だっただろう。しかし、今のところ短距離でしか通用しない。だから遠方への用には未だに車が必要となる。車だって、遠距離での移動が確立されたら用済みだ。街はもっと広くなるだろう、とハルタは想像する。
「この街の道路がすべて回路に置き換わったら、楽になるんだけど──ま、そう上手くはいかないもんよね」ベリコは溜め息混じりに苦笑した。「回路を繋ぐのが、練路機なんだけど──盗まれてるし。それに、どうもまだそこまで核についての調査が進んでいないみたいなのよね……。どこまで情報を書き換えても良いのか、その基準も掴めてないって、ね」
「へえ……そうなんですね」知らない話だったので、素直に感心する。
「ご両親とは、こう言う話はあまりしなかった?」
「興味を持つ頃には、もう居なかったので」
「そうか……そうね。ごめんなさい」
「気にしないでください」ハルタは笑顔を作った。「それで、事故についてはどうやって調べるんですか。まさか研究所へ行くわけじゃありませんよね」
「そうね。直接、というわけにはいかないわ。遠回りになる。でも、いつかは辿り着くでしょうね」と言って、ベリコは教室の前に止まる。「私は探偵。過去を暴くのが仕事だもの」
緩やかに開かれた扉の先には、ホログラムで再現された研究所が待ち受けていた。