第十一話 新しいセカイ
七月三十日、午後十二時二十分。
世界は様変わりした。
死んだはずの両親と食卓を囲み、共有するウインドウ画面から、報道を見つめる。アナウンサーは言った。突如として死者達が眠りから覚めた──と。街行く人々がインタビュアーに答えて曰く、
「亡くなった祖父が甦ったので、相続分の遺産が消えてなくなっちゃったのよ」と困ったように語る婦人だとか、
「ここは俺が住んでたんだとか言って、家ん中に変な人が入ってきたんですよ」という男子大学生に加えて、
「生き返ったは良いですけど、手続きとかどうしようもなくて。家も仕事もないし」切ない顔で、今にも泣きそうなサラリーマンふうの男。
「死刑囚がどこかに隠れています。見つけ次第、通報を」との警官からの恐ろしい呼びかけだったり。
また速報が入り、映像はスタジオ内に切り替わっては、アナウンサーは切迫した表情を作ると、
「今入ったニュースです」そうテロップを読み上げた。「ブリッジシティで銃乱射事件が発生しました。大量の負傷者を出しており、多くは致命傷を負いましたが、幸いにも死者はゼロとのことで──」
などなど。
街は混乱と可笑しみで包まれていた。
死者は甦り、そして皆、不死らしい。自殺志願者が高層ビルから転落しても、すぐさま生まれ直し、無傷な様子が中継されたりと、一種異様な空気を醸し出していた。
甦った死者の一人である母はと言えば、大変ね、とどうも他人事じみた反応を示し、父は面白そうに、
「そう言えば俺らの扱いってどうなってるんだ。もしかして失業中か?」と笑う。
「研究所はあるのにね」母は世間話をするような、間延びした口調で、「後で行ってみましょうよ」
「なあハルタ、どうした」父がこちらを見やり、「大丈夫か? そんな豆が鳩鉄砲食らったような顔して」父が言い、
「豆の顔って何?」母はくすくすと笑いながら、「鳩鉄砲は面白そうね。今度作ってみましょう」
「食欲がないのか?」
「あら本当。手が止まってるじゃない」
心配そうにハルタを覗き込む、二人の目。
ハルタは脱力していた。
こうも呆気なく、死者と対面している。夢に見た光景。だが、何だか、現実味がない。何が起きているのだろう……。
調べてみると、驚くべき事実が判明した。壊れたものがすべて直っている。復活はすべてに対して適用されるらしい。だからハルタが加担して爆破してしまったブリッジシティさえも──市民含め──すべて甦っている。
ハルタは、脱力していた。
胸に空いていた穴は塞がらない。ハルタは、そういえば、両親とそれらしい繋がりを感じていなかった。二人はいつも忙しそうにしていて、仕事にばかりかまけている。家族団欒とは無縁に近かった。それは祖母との生活でも同じ。だからこうして家族三人が揃っていても、どこか──ぎこちない。
虚脱感。
恐らくそれは、現状認識からくるものだけではない。解像度が低く感じられた。生まれ直したためか、体内から移動装置は消えている。だから実際に解像度は低いのか? 確かめられない。だが、感覚的には第三階層ほどの、意識の薄さがあった。
それもあって、まるで夢を見ているような居心地。かなりふざけた夢だ。外は混乱しているのに、我が家だけは奇妙にのんびりとしている。
現実と、乖離して思えた。
脱力しているのは、皆も同じらしい。
連絡を受けて、ハルタはかつて廃校だった──しかし今や新築に見える学校の前、正門に赴いた。その場に待ち合わせたのは、ベリコとライノ、アイノ、そしてゴドーの四人。皆を見て、ハルタは驚いた。
ベリコは自身の足で元気そうに歩いている。双子は分離して、アイノとライノの二人が並んで立っていた。三人とも、幾つもの感情を織り込んだ、複雑そうな表情を浮かべている。ゴドーは唸るように言った。
「娘がどこにも居ない」と。「リリィはここに居るんじゃなかったのか」
応答するように、猫の声がする。モノクロの猫が一匹、どこからともなく現れた。じっとゴドーを見つめる。
「そう言えば」とハルタは囁くように言った。ベリコたちと出会う前、練路機を運ぶトラックと遭遇した時にも、この猫は居た。「まさか……」
そんなはずはない……あり得ない。猫はやがて歩いて通り過ぎ、藪に消えていく。ゴドーも予感めいたものを抱いたらしい。
「リリィ」と呟く。
猫はもう、戻ってこなかった。
「どこか部屋に入ろう」ぐったりした様子でライノが提案する。「計画を立てるにしても、この暑さじゃ話にならん」
ハルタの家はともかく、双子の部屋は荒れていて、足の踏み場もないという。結果として、ベリコの部屋に決まった。ハルタとしては、双子の部屋の、荒れ具合を見てみたい気もなくはない。が、ここは我慢する。
事はそれほど悠長ではないからだ。家までは、徒歩で向かう。道中では、ゴドーが昔話をしてくれた。
「リリィは天乃浜研究所に居たんだ。研究員だった。俺の娘だとは思えないほどに優秀だったよ……。きっと妻の遺伝なんだな」と自嘲気味に笑う。「だが──もう二十年も前になる──リリィは突如として行方不明になったんだ」
カイの話では、リリィは惑星の中核と融合したのだ。その際に核情報が改変されたわけになる。だからリリィはどこにも存在しない。ここが既にリリィの内部とも言えた。
「カイが核と融合した今となっちゃ、信じないわけにはいかなくなった」
暑さにやられたような顔色で、静かにゴドーはそう告げる。刑事の心、ここに在らず、という雰囲気だった。
「なら、見つけないといけませんね」
と、アイノは穏やかにそう返す。
「ああ、そうだな。今頃、何をやっているんだか。心配させやがって──」
沈黙が続いた時、ベリコが口を曲げてみせた。
「歩けるなんて不思議だわ」
「久しぶりの散歩はどうですか?」とハルタが聞いてみれば、
「昔と変わらない。慣れてしまえば、意外に面倒──なんてね。まさかこんな贅沢が言える日が来るとは……」
鼻息を漏らして、探偵は天を仰ぐ。
「贅沢ついでに俺からも言わせてもらえば、やっぱり融合していた状態の方が良かったな。活力があった」
「気色悪い」ライノの言葉に、アイノが目を剥いた。「私はそんなの嫌です」
ははは、とライノが楽し気に笑う。
浮わつくような、ふわふわとした感覚。ハルタはここに平和を見出してしまいそうだった。ゴドーは先ほど、野暮用があるから、と離脱している。娘に会えないのが気がかりなのかもしれない。遠ざかる後ろ姿はとても寂しいものだった。
厚ぼったい夏の雲が、空を優雅に浮かんでいる。冗談みたいな現実。仮想の空間。誰かの視線。振り返っても、誰も居ない。
「でも」ベリコが住むマンションを目前にして、アイノが口を開いた。「どうせ埋め込まれるんですよね、私達」
それが、カイの目的だからな──と。ライノが肩を竦ませる。
「勝手に縁談を組まれる気持ちだな。俺達みたいに、身体の切り替えは出来ないわけだろうし」
「ジータと戦った時のあたし達みたいになるなら──」ベリコは皆の目を見てから、「そうね」と結論。「あたしはハルタ君になっていた。あたしの心というのかな……自意識、精神というものは、どこにもなかったわ」
「ふうん……」ライノは腕を組み、面白くなさそうに相槌を打った。
「なら、その身体の持ち主だけが生き残ることになるわけですよね」ハルタが訊く。
「そう解釈して良いでしょうね」アイノが同意し、「細胞の一部になるとは言え、意思表示が出来なくなるのでは、死んだも同然ですから」
「尤も、そのお陰で惑星の核情報に費やされる容量は、ぐっと減るのでしょうけれど」
ベリコはにっこりと笑い、ここがあたしの家だよ、とマンションを指差した。ようこそ、あたしの部屋へ──と。
室内は整理されていて、綺麗だった。必要最低限の家具の他には、目ぼしいものは何もない。どこか寂しげな雰囲気がある。ハルタにはそれが少し意外に感じた。しかし他ならぬベリコも同じ思いらしく、他人の部屋に来たみたいだ、と言う。曰く、
「足の動く、この世界でのベリコさんは、こんな部屋で暮らしているのね。あたしのとは大違い」
「俺達の部屋とも大違いだ……足の踏み場がある」とはライノ。
「感激しますね……。まさかライノと分離されるだけであんなに散らかるとは思いませんでしたし」アイノが冷たい視線を相方に注ぎ、短いため息を吐いた。
危急的な立場にあるというのに、どこか和やかな空気。ハルタは変な笑いを漏らしそうになる。いっそこのままでも良いんじゃないか、と思ってしまいそうだ。けれどすぐ傍から溢れ出す気配──カイの視線を思うと、受け入れることは難しい。
惑星中核にカイの情報が加えられたことで、そこかしこに優男の存在感がまとわりつく。常に見られ、試され、支配されている──そんな圧迫感があった。
ハルタは虚空を睨みつける。しかしながら、反応は返ってこない。当たり前だ。相手は人間をやめて、状況そのもの。世界そのものとなったのだから。
「それじゃあ、今後の方針を決めようか」とソファについて、ベリコは言う。「その前に、何か飲み物は? 今なら紅茶とスコーンがあるけど」
「貴婦人みたいですね、所長」アイノが真顔で冗談を言った。
「そうね。多分、どこかにあたし名義の別荘も落ちてるわ」
並べられた紅茶とスコーンを前に、粛々と話し合いは始められた。議題の焦点はいくつかある。カイはその後どうするのか。その再確認。また、この状況を受け入れるか否か。受け入れないとした場合には、どうすれば良いか──この現状を打破する方法について。
ライノがスコーンを頬張りながら、
「カイは俺達が邪魔する前に、事を進めるんじゃないすかね」
「つまり、融合を急ぐ?」ベリコが訊き、ライノは頷く。「どうしてそう思ったの?」
半目になって、眠そうな素振りとともに、
「何か理由があるからというわけじゃありませんよ。ただ、直感的に。奴は──失礼、所長。お兄さんは、俺達が邪魔するかもしれない、だから何か先手を打ってくるんじゃないか、とね」
「今までそうでしたからね」アイノは話に乗って、「計画的で、念入り。かと思えば、想定外のことも即興で利用し、成功を補強する。このまま何もして来ないとは思えません」
「やっぱりそうだよな」ライノは嬉しそうに言った。
「でも、事を急ぐとは思いません」しかしアイノは、はっきりと否定して、「彼の口振りから、これは長期間を見積もった計画なのだろうと推測しました。その前に、我々を観察して、誰と融合させるのかを決めるつもりなのでしょう。そのために色々な状況を設定する。私達の邪魔は、その一つに過ぎないのでは、と考えます」
状況を設定する。
ハルタは未来に一抹の不安を覚えた。カイにとっての天国は、自分達の思うような天国とは別の場所であるような気がしてならない。だが、
「彼のことは、リリィさんが止めてくれていると思います」とハルタは言った。「ブリッジシティでも助けてくれました」
と、導かれていたことを話す。街中に張り巡らされた回路を教えてくれたのも、爆発する中、脱出経路を教えてくれたのも、リリィだった。
「カイを止めましょう」
「そうね」と、ベリコは頷く。「充分、良い夢を見せてもらったわ」そう、気取ったように口角を持ち上げて。
「仕方ないですね」アイノも目を剥いて、「また、ライノと一体化されますか……」
「まるで悪いみたいじゃねえか」ライノは口を挟んだものの、「まあ、不自由には違いないか」と困った顔。
アイノはくすっと笑うと、「でもいずれ、カイの斡旋でまた別の誰かと融合されるくらいなら、勝手知ったる人の方がマシ」
澄まし顔でライノを見返した。実際には感情はないはずだから、こちらがそのように見ているだけ。しかし、皆は覚悟を決めている。ならば──とハルタも腹を括ることにした。
これは天国の実在によって、来世があるとわかったから、できること。至って前向きな決断だ。
「答えはいつだって一つじゃなきゃいけないことはありませんよね。人の価値は──未来は創れるんですから」
だから、人は何度だってやり直せる。
生まれたての赤ん坊が、言葉を話し、立ち上がり、いずれ一人で歩けるのと同じように。人間は成長する。完璧でないのなら、自らの価値を高めていけば良い。人にはそれができる。すべての人に、その能力があるのだから。
ベリコは動く足の上、カップの持つ手を震わせながら──けれど紅茶を味わうように、
「これで方針は決まったわね。残る問題は、〝どうやって〟か……」と、目を瞑る。
ハルタは探偵の精一杯の強がりに尊敬の念を覚えた。
「どうします? これから」
ベリコはライノに応えて、「そうね。考えることは、すべて筒抜け。ずっと視線を感じるわ」
「この会話も聞いてるのでしょうか」と、アイノ。
「多分、ね」
「じゃあ、計画しようがありませんよ」ハルタが言えば、ベリコは大きく頷いた。
「そう。だから──何も計画しない。行き当たりばったりに行動するのよ」
「そんな……」
そこへ、母からの連絡。
すみません、と話題から離脱して、ウインドウを開いた。焦っているような母の顔が映る。
「お、お父さんが──」
外にいるのか、雑音が酷い。声にならない声で、悲鳴のように母は言った。
「待って、落ち着いてよ母さん。何があったの」
唾を飲み込み、一拍置いてから、母は言った。
「お父さんが連行されたの」
「え?」
思い当たるのは天乃浜市のこと。爆破テロの首謀者として報道された二人の親子。フタミヤ・アンタロウと、そして自分自身。父はこのことを知らない。何も言っていなかった──戸惑いのあまり、伝えるのを忘れていた……。
「貴方の居場所も訊かれたの」と、母は疲れた表情になり、「ねえ、ハルタ……何がどうなっているの」
ハルタはベリコを見る。ベリコは頷き返した。
「後で教える。少しだけ待ってて」
ハルタはこちらの心配をするなと言ってから、家で良く休むようにとも伝える。それからウインドウを閉じようとして、ベリコに止められた。
「今、彼女はどこにいるの? それを聞いて欲しい」
狼狽えつつも、ハルタは従う。
「母さんは今、どこにいるの」と。
「研究所の前」
「近くにカンザキ・リヒト所長は居るかと聞いて」
「居る」との返答。
「なら、彼にも後で来るよう伝えて。フタミヤ君のお父さんを助けたら、過去の真相を聞き出しましょう」
ハルタはびっくりして、それから冷静さを取り戻すと、言われたことを母に伝える。会話を中断すると、改めて皆に向き直り、
「お世話になっても良いでしょうか」と頭を下げた。
「今更だな」ライノが笑いを噛み殺すように、「お互い様だろ」
「勿論ですよ、ハルタ君。我々は一蓮托生。……融合するつもりはありませんけど。さ、行きますよ。ほらライノ、ぼさっとしないで準備を」
アイノは立ち上がるなり、ライノを軽く蹴る。
「あッ、おい蹴ったな! 俺から離れて性格が変わっただろう……」ライノは怯んだ。
「そんなことありませんわ」
おほほ、とアイノはぎこちなく笑ってみせ、身支度を始める。ハルタは苦笑して、ベリコを見た。探偵もまた、可笑しそうにしている。
「ああ、そうだったわ」探偵は思い出したように階層移動装置を取り出すと、ハルタに手渡した。「これ、大事でしょう?」
その通り。これがなければ始まらない。
手の甲に埋め込み、感覚が戻ってくる。ここは第三階層──解像度が低く感じられたのは、やはり嘘ではなかった。試しに移層してみて、これよりも下の階層へは行けないことが判明。最上層──即ち天国ほどの薄い解像度にはありつけないらしい。第〇階層と同じように、特定の方法からでしか行けないようだ。
そうしてここが現実、第三階層が基礎部となったらしい。
また更に、最上層と最下層が繋げられたためか、また別の理由からなのか──上の階層に反映されなかったものが、反映されないまでも見えるようになっていた。お陰で、移層しても他者やものが同じ階層に重なっている。これはかなりの変化だった。傍目には相手がどの階層に居るのかわからない。この事実を覚えておかなくては、と頭にメモする。
逮捕されたばかりのため、父はまだ、警察署に残っているはずだ。ベリコからゴドー刑事に連絡を入れたけれど、まだ返事はないとのこと。探偵はウインドウを閉じると、だしぬけに連絡が入った。ハルタからは、相手が誰なのか確認できない。ベリコは表情をあからさまに変えて、対応する。
誰からだろうか。
「一体どんな風の吹き回しかしら?」
相手から思いもかけない返答をされたらしい。ベリコは目を見開いてから、顎を僅かに引くことで、同意を表現した。それからウインドウを閉じる。
「協力者が現れたわ」と言いつつも、ベリコの表情には複雑なものが浮かべられていた。吹っ切るように、「何はともあれ、助けに行くわよ」拳を掲げ、「レッツナイスガイ!」
探偵の発言に、ハルタは心底驚いて、不安になる。
「大丈夫ですかベリコさん……。性格変わりましたね」
「やっぱり合わない?」照れ臭そうに笑うと、そそくさと部屋を出た。「……合わないか」と、言葉を残して。
協力者とは現地集合らしい。
それまでに警察署の図面を取り寄せ──恐らくここに居るだろうと当てこんだ──取り調べ室の位置を探る。後は現場での柔軟な対応をしていけば良い。
アイノの運転する車に乗り込むと、運転手は言った。
「行きますよ」
緩やかに発進し、十数分のドライブ。警察署の前、入り口に停車すると、四人は降りた。門には一人、警備が立っている。目を光らせており、視線が合った。周囲にも監視がある。図面によれば侵入経路は一つしかなく、抜け穴の類も見当たらず、正面から入らなくてはならない。誰にも悟られないように潜入するのは不可能だ。
意を決して、第四階層への移層を決め込む。
そこへ一人の女が前に立った。
「協力者よ」と、ベリコ。
スーツ姿に、金髪の撫で付けた髪。暴力をまとった雰囲気故に、笑い顔すら破壊的に映って見えた。
「本日はお日柄も良く──」ジータは曇天の空を見上げ、「なりそうにもありませんが、まあ雨が降らないだけ、マシですね」
「姉貴!」ライノが驚きの声をあげる。
「こんにちは」ジータはライノを無視して、ハルタに目線を送った。
次いで指を鳴らす。
すると、警官達が奥へ引っ込んでいった。当惑の視線を寄越すと、ジータは小首を傾げてみせる。
「どうしたんでしょうね」と他人事に。
「また妨害しに来たのか?」ライノが睨んだ。
アイノも臨戦態勢になっている。
「血気盛んですね……生憎ですが、私は平和主義ですよ。いとこ同士、仲良くしましょうよぉ」
ジータはアイノと肩を組むが、
「馴れ馴れしく汚れた手で触らないでください」アイノがそれを払った。
「あらら。手は汚れてないのに」ジータは驚いた顔を作ると、
「比喩ですよ」アイノは冷たく言い放つ。
「じゃあ何をしに?」とハルタが訊いてみれば、
「出会い直しですよ、ハルタ君」ジータは笑って、手を広げた。「また別の形で会っているんです」
ハルタは息を呑む。
ジータはホログラムを展開し、間取りを表示した。「情報では、フタミヤ・アンタロウはここに居ます」指差すそこは留置場。
「罠じゃないでしょうね」ベリコも警戒を示し、
「騙す気はありませんよ……。どうか、私を信じてください」
やはり凶暴な笑みは消えてなくならず、口許から覗く八重歯も、やはり凶器に見える。第三階層にあって、薄まるはずの印象さえ、濃く残っていた。しかし──何故だろう。信用できるとハルタは感じた。我ながら簡単に信じ過ぎではあると思うのだけれど、
「俺は信じるよ」
信じられないといった様子で、ライノがハルタを見る。
「本気で言ってるのか? こいつは、人類を戦争に巻き込もうとか考えている奴なんだぜ」
「なら、目のつくところに置いておいた方が良いですよね」
「だから気に入りました」と、ジータは満面の笑み。
尚もライノとアイノは疑念の目を光らせていたが、ジータによるフィンガースナップの度に、警官が姿を消していく。潜入は恙なく進み、ジータ先導の元、正面から道を突き進んだ。人影が見えれば指を鳴らし、気配があれば、またぱちん、と鳴らす。どんな魔法を使っているのだろうか。不思議に思っていると、
「持つべきは友なんですよ」
意味深長な表現に留めるばかりで、何も教えてはくれない。ベリコは何やら察したらしいが、解像度が低いのもあって、ハルタには良くわからなかった。多分、幾人かの協力者を仕込んでいたのだろう、と推測。しかし確証はない。
それ以上の詮索を諦めて、先を目指す。
「どうして心変わりしたんだか。信用ならねえ」ライノがそう溢した。
「信用するもしないも、私は貴方の自由意志を尊重しますよ。なんて言っている間に……ほら、着きました」
奥へと続く通路。小部屋が並んでおり、その一つひとつに格子扉が付けられている。中に居るのは、そのどれもが見知らぬ顔ばかり。そこへ、モノクロの猫が駆けていく。ハルタはそれを追いかけた。
やがて目的地の前に止まると、猫は跡形もなく消え去る。留置場では、果たしてアンタロウは眠っていた。腕を組み、胡座をかいて。ハルタは呑気な父親に、呆れてものも言えなくなった。
今や慣れた第四階層から、扉をすり抜けて、肩を叩く。
「起きて……。ここを出るよ」
アンタロウは薄く目を開いた。「釈放か?」
「非公式にね」とハルタ。
ジータがくすくすと笑う。
「変な表現だな。……それはさておき、おはよう」
「うん……おはよう」
ハルタは鼻息を漏らし、律儀に返事した。