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第十話 堕天使の囁き

 仄暗い無意識から回復すると、ハルタは、自分が既に物質に埋め込まれていることに気が付いた。床を埋め尽くすように机やら椅子やらが積まれている。さながら侵入者を留めておくためのバリケード。しかしこの喩えも、あながち間違いではなさそうだ。

 動きたくとも動けない。罠を張られた。

 周囲では、皆一様に埋め込まれている。

 悔しさよりも、笑いが込み上げてきた。

 部屋は薄暗い。近くに居る仲間達の表情にも影を差している。一寸先は闇。その奥から、輪郭がぼうっと浮かび上がり、何かが現れた。

 眼前には優男。もう、化けの皮に頼るつもりはないらしい。ハムロ・カイは、練路機の前で佇んでいる。腕を伸ばせば殴れる距離だ。

「ジータ・チェンは仕事を果たしたみたいだね」

 温もりのこもった優しい声。

 しかしそこに、感情はない。

 そう、振る舞っているだけ。

「何してるんだい、お父さん」ハルタは敵意を隠さずに話しかける。

 カイは緩慢に振り返り、「君を産んだ覚えはないよ、ハルタ君。何って、回路を安定させているんだ。誰か階層世界を作り上げた時に、回路が残っているのかと思ったんだけどね」と言って、肩を竦めた。

「兄さん」ベリコの固い声。

 カイは尚も、ハルタの先ほどの言い振りを真似して、

「久しぶりだね妹さん。君に会いたくて彼岸から帰ってきたよ」

「戯言を……」

 探偵は怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべる。

 カイは興味を失ったように視線を変えると、今度はアイノを見た。アイノは、ライノに変化することで脱出できないかと画策している。だが、それも難しい。

「無駄だよ、双子さん。変身については計算済みだからね……。君達がそうすればするほど窮屈になるはずさ」

「まさか生きてやがったとはな」ゴドーの言葉に、

「生きるか死んでいるかは観測者の問題ですよ、刑事さん。貴方の娘さん──名前は、確かリリィでしたね。彼女も、観測によっては、生きていると見做せる」

 ゴドーの方へ目を向けることもなく、そう言った。

「何を言ってやがる」ゴドーは困惑して、「そんなわけないだろ」

「天国の実在は、すべての人の魂の在り方について、解釈を改める必要を迫っている──と思いませんか。我々は情報。生と死の違いも、ね。昇天すれば解像度の低い空間へ飛ばされる。これがこの世界で言うところの死なんですよ、刑事さん。魂は消えてなくならない。貴方の大切な娘さんは、だから天国階層で眠っています」

 まるで見てきたかのように、カイは断言した。そんなハルタの疑念を悟ってか、

「見たわけではなく、読んだんだ。惑星の核にはすべてが刻まれている。それも膨大にね。この世の始まりから、ずっと。知を満たすにはうってつけだね」カイは目をぐるりと回してみせ、「前に僕がリヒトだった時──誰かが核にアプローチして、階層空間を構築した──とか何とか言ったよね。それで現実改変を行なった、って」

 第〇階層まで、練路機を探して発信機を辿った日のこと。確かにカンザキ・リヒトの姿で、カイはそのように説明した。その場で聞いていたのはハルタとライノ/アイノだけ。誰も何も言わず、無言で先を促した。

 カイは微笑をしてみせ、

「でもそれは、この世界の外部からの接続アプローチだった。改変者はこの世には居ない。重要なのは、そこなんだ。何者かが、天国を創り上げた。だからこそ、この世界に死が生まれた」逆だったんだよ、とカイは言う。「この世界は元々、不死の国だったんだ。或いはそのように想定デザインされていた。これを、後になって、編集したんだろうね」

「ここが不死の国だったって、どうしてそうわかるの?」ベリコが訊いた。

「核情報だよ。現実改変者──それとも我々にとっての神と呼ぶべきかな──はまず先に生命キャラクターを創ったらしいんだ。その後に、住むべき世界レイヤーを創った──そう書いてある」

 カイは目を瞑ると、暗唱するように、歌うように、言葉をこう紡ぐ。


 とある青褪めた星に我々の神は住んでいた。そこでは未曾有の災害が発生し、住めなくなった。だから電子上に世界を用意・移住することが計画された。

 遺伝子の情報化。

 または生き残り達による遺言であるかのように。

 だから先に生命があった。その後に世界は創られた。

 そうあるべき楽園として、ではなく。

 住めば都になり得る普遍的な場所として。


「この世界は想定されていたらしいね」

 僕らにそんな記憶はないけれど、とカイは惚けてみせる。

 だが──カイが真実を告げていると仮定して──確かにハルタにも覚えがない。ここは既にして彼岸であるということ。前世があるということを。

「擬似的に死を創り出すために階層空間を構築した、か……。筋は通るわね」ベリコは冷静に返し、「それで、貴方は何をするつもりなの。まさか、階層空間を壊すんじゃないでしょうね?」

「そんなことはしないよ。する必要はない。それに目的は以前から変わらない。天国をこの世に創造する」

「彼岸ではなく?」アイノが訊ねた。

「そう……良い質問だね。僕が目指すのは天国だ。彼岸でも地獄でもなく。まして、楽園とも異なっている。僕の狙いは、あらゆる苦しみをなくすこと」

 ゴドーが鼻で笑い、

「高尚だな。だが、誰もが願い、誰も叶えられなかった」

「そうだね。でも、手段が見つかった。できるのにやらないのは、怠慢というもの。違うかな?」不気味なほど穏やかな顔で、「君達は皆、苦しみを背負っている。家族を亡くし、不自由な身体を持ち、そして罪を背負っている。それだけじゃない。生きている限り、人は四苦八苦から逃れられない。このために天国を下ろす」方法は簡単──カイは人差し指を立て、「階層そのものを圧縮して、一つにまとめてしまうんだ。そうすればここに、生者と死者の交わる国が出来上がる」

 上層と下層が一繋がりになれば、ループ構造が出来上がる。死は魂を昇天させるが、天国の上にはまた現実階層が待ち受けるのだ。死のたびに生まれ変わり、復活。輪廻を可能にする。

 ただ、とカイは不満そうに、

「容量は少しギリギリになるだろうね。何せ、死者でいっぱいなんだから。だから、全員の魂の容量を埋めるべく、解像度は第三階層くらいにしようと僕は踏んでいるよ」

 友好的な口調と、語られる内容の悍ましさの乖離に、ハルタは気持ち悪さを覚えた。まるで人間味がない。これもすべて、感覚がない故のことだろうか?

 カイは練路機に目を向ける。身体の半分が闇に溶け込んだ。後五分くらいかなと呟いて、またこちらに向き直る。

「彼岸と此岸の橋渡しが終われば、後はしばらく暇になる。この間、僕は選定に時間をかけるだろうね」

「選定……」

 ベリコは兄の考えをトレースしようと試みているに違いない。それだけ理解に遠く及ばないからだ。

「そう。我々は十人十色、個性が異なっているね。そう制御プログラムされたからではないよ。元々(オリジナル)の情報からして、既にそうだっただけのこと。だから一人ひとり、きちんと観察して、長所と短所を見極めていがなければならない。これはとても大事な作業だ。多分、戦争は、この時に起こるかもしれないね。いや、戦争だけじゃなく、あらゆる状況を作り上げないと。だって色々な反応を見ておきたいしね」

 今になって、違和感に気づいた。カイは、会話をしているようで、独り言のように話している。まるで他者を、自身に備わる別人格(キャラクター)であるかのように。そう振る舞っている。言葉を壁打ちするような反応。会話の一人相撲。それが、カイから受けた気味の悪さなのだ。


 ハルタはぞっとして、優男を見据える。

 身体には──その皮膚には、奇妙な紋様が覗き見えた。隣からはっ、と息を吸う音。

「もしかして──」ベリコは何かを恐れるように、声を震わせて、「兄さんは、惑星核に自分を埋め込むつもりなの?」

「もちろん」カイは事もなげに答える。「大丈夫だよ……僕は死なない。人間が惑星核に埋め込まれたらどうなるか──実験済みだから」

 ハルタはもう一度男を見た。

 猫の鳴き声。

 爆破される街中を案内する女の声。

 生命とは情報なのだ、と言っていたのを思い出す。そしてカイはそれを、実行しようとしているのだ。自身を命令文として利用する。惑星核に回路を繋げて、身体を埋め込もうとしているのだ。


「リリィが身を持って教えてくれた」カイはにっこりと笑って見せる。

「あんた、まさか──」

「僕は状況になるんだよ、ハルタ君。世界そのものになるとは、つまりそういうことだ。これから君達の前に様々なことが起こるだろうね。僥倖も試練も、生きていれば必ず経験することさ。僕はそれを皆に分け与えて、そうして、生きるに値するかを選定する」

「神にでも……なるつもりか」

 驚きのあまり、ハルタの声は掠れてしまう。

「概ねその通りだよ」カイは慈愛に満ちた目で、「でも悪魔になるつもりはない。イメージしているのは、どちらかというと、守護天使かな。僕は不完全な君達を助けたい。すべての人の魂を、完璧なものへと導いてあげたい」

「娘に何をしやがったんだ……」ゴドーが声を震わせる。「何様のつもりだ、貴様はッ」

 カイは微笑のまま表情を変えない。

 まるで絵画に描かれた天使のように。

 生命を感じさせない。

「僕は選定者だよ、刑事さん。すべては天国のために」

「ふざけるな」ライノは静かに、「あんたの価値観を押し付けるんじゃねえ」

 それに、とベリコは眉間を寄せて、

「どうやって人を導くというの? 魂を完璧にするって、どうやるつもりなの」

「それは好奇心かな。それとも、熱心さ故に?」

 ベリコは答えない。カイは両手を持ち上げて、

「そうだね。選定の条件は明かせないけど、何をどう、具体的に導いていくかは説明してあげても良い。一言で言うなら、人と人の埋め込み──融合、だね。良く、人は一人では生きていけないと表現されるよね。だから、一人で生きていかなければ良いんだ。パズルのピースみたく、丁度良い組み合わせを探して、まとめ上げる。欠点を補い合い、長所で満ちた、完璧な人間に導くために」


 理想郷は理想人の集合によってしか存在し得ない。

 ならば、完璧な人間を集合させたなら、そこは天国である。


 くらくらした。

 それが、カイの主張である。ハルタは絶句して、もう何を言えば良いかわからない。馬鹿にしようと思えば出来るだろう。それはおかしいと否定することも出来なくはない。単なる優生思想ではないか、と。だが、ハルタは既に、融合の可能性を知ってしまっている。

 そんなことを先刻承知しているかのように、

「ハルタ君ならわかってくれるよね」カイは囁きかけてくるように言った。「君は第四階層へ行くために、ベリコと刑事さんをその身に宿した。どうかな、ワクワクしなかったかい? 君に優秀な頭脳と熟達した経験(センス)が宿ったんだ。才能を得たんだからね。ここに辿り着いたということは、ジータ・チェンと張り合えた。そうでしょう?」ベリコも刑事さんも同じだよ──カイは声を小さくして、「ベリコ……足が動く感覚はどうだったかな? 歩けることに感動を覚えたんじゃないかな。ゴドーさん……若い身体はどうでした? とても満たされたんじゃありませんか?」

 心も身体も満たされる世界。

 それがカイにとっての天国なのか──とハルタは理解しかけている。だがそれは許されない。推し黙る面々の中、喝破したのは他ならぬアイノだった。

「誰が選定者を選定するのですか?」アイノは続けて、「貴方一人が選定をするのは、独裁と変わりありません。天国は、確かに魅力かもしれません。でもこれと話は別です。価値観や権力が貴方一人のものになる。これは大きな問題ではありませんか」

 カイはくすっと笑う。

「否定はしないよ。僕の考えた天国なんだ、僕の思想に染まることは当然といえる。確かにこれは問題だ。でも彼らはどうかな? 問題視する以前に、融合の良さを知ってしまったんじゃないかな」

「問題ならまだ他にもあります」

「それは何かな」

「貴方のやり方では、いずれ一人になるのではありませんか」

「全員で唯一無二の魂にしようって?」カイは頭を振って、「それは無いよ。例えばだけど、純真無垢が取り柄の人が居て、その人を狡猾さを取り柄とするもう一人と組み合わせてしまったら、相殺してしまうよね。無駄な人は一人もいない。僕は全員をまとめあげて、すべてを(ゼロ)にしたいわけでも──まして、神を作り上げたいわけでもない」

「それに」とハルタは睨んだ。「完璧になって、それから?」

「それから、とは?」カイが問い直す。

「完璧になって、だから何なのさ。融合して、選ばれた数人は永遠に生き続けていくんでしょう……」

「そう。終わらない理想郷を描くんだ。希望だよね」

「終わらないんじゃない──もう、終わっているんだ。それは、終わった世界なんだ。俺達はお前の遊びに付き合うつもりはないぞ」ハルタは言った。

「遊び?」カイが目を細める。

「理屈はわかったわ……」ベリコが暗く沈んだ声を出した。「それが、兄さんの希望……でも、死者復活は混乱を招く。それは、わかっているでしょう?」

 二秒ほどの沈黙。カイは反応を示さない。

 当たり前だけど、とベリコは説明を再開する。

「悲しいことに、甦って嬉しいことばかりじゃない……むしろ、問題が甦る恐れだってあるのよ」

「そうだね」カイは同意して、「人格者ムードメーカーも居れば、争いの種(トラブルメーカー)も居る。うん、だけどそれは瑣末なことだ。たとえそれで戦争が起きたとして、何も変わらない。天国は不変なんだ。瞬間的には、そうした破滅衝動タナトスも見受けられるだろうね。でもやっぱり、いずれは消える。天国にあってそれは無意味だから。或いは僕が、心を満たしてあげるから──」

 不意に、カイは背後を気にした。それから、うん、と頷いて、

「さて、時間だ。僕から営業トークもこれでお終い。後はアイノさんだけが、この魅力を知らないままになるけど──きっと、喜ぶと思うよ。君達は一度死に、そして生まれ変わる。僕の願いは、皆の幸福だ」

 死んで生まれ変わる、という言葉が引っ掛かる。

 はっとして、

「馬鹿はやめろッ」

 ハルタはそう叫ぶも、相手は意に介さない。


「じゃあまたね」


 別れの挨拶をして──カイは手元のボタンを押す。軽い調子で言われたので、すぐには気がつけなかった。闇と同化するようにカイは消失。どこかへ行った。それは即ち、回路を通っていったということ。惑星核に埋め込まれた瞬間──すべては変わる。

 ハルタ達は身動ぎ一つとして出来なかった。

 |現実を天国へ道連れに《レイヤー:ワン・バイツァ・ダスト》されようとも。

 何一つとして。

 何も、

 ハルタは動くことが──


 閃光。

 部屋が急に眩しくなった。

 天井が下 っては、解像度が低くな て、すり抜けていく。物理法則を無視するような挙動で建物が崩れていった。否、落 ていった。

 空が落ちて る。

 階層が圧縮されているのだ。

 世界が一つ落ちて、また上の空間が現 る。

 塔のように積み上げられた世界は、どんどんと下へ。雪崩れ込むよ に落ちていった。落ちて、落ちて、急速に落 続けていく。

 息を吐く間もない。

 青空が見える。

 夜が見えた。

 どこか見知 ぬ建物の中。

 ぱらぱら漫画のよ に景色は変わり、季節は移ろいゆく。時間も、空間 飛び越えて、万物が流転し いった。

 すべて 情報。

 生も死も、観測しているものごとも、観測している人物さえも。すべて、惑星核の中。

 カイの気配がする。

 くすくすと笑いながら、こちらを見ている雰囲気。


 思考が透明になる。

 目が開けられない。

 視界を闇が覆い尽くしていく。


 ──ああ!


 水面から顔を出したように、ハルタは飛び起きた。息を荒くして、額から流れる汗を拭う。悪夢を見た。けれど、どんな夢だったのか、定かじゃない。

 自分は今、ベッドの上に居る。

 降りて、部屋を見渡した。

 眩暈。

 ハルタの思考にも記憶にも穴がある。核情報から今日の日付を、時間を確認した。昨日は何をしていたのか、何があったのか、記憶を弄る。それからここが──この場所が、まるで九年前まで住んでいた実家に似通っていることの説明を探した。

 思考が言葉に変わる。


 ここは──つまり、


 どんなに願ってもそうはならなかった未来。

 あり得ない現実。


 天国


 ハルタはぞっとした。

「どうしたのー?」

 と、間延びした声が階下から聞こえ、ハルタは狼狽える。涙が滲んできて、ああ……と声を漏らした。

「まさか……」まさか。そんなはずはない。

 顔が熱くなる。悲しみとも喜びともつかない感情が、恐れが、全身を燃やし尽くすような熱をまとわせた。

 階段を上がる音。

 それは次第にこちらへと近づいてくる。

 やがて、扉一枚向こう側。

 ノブが捻られる。

「ハルタ?」

 フタミヤ・サキノ──それは紛れもなく母だった。

 感情が渦巻き、言葉は薄れ、代わりに身体を震わせる。ハルタはただ何も言わず、母を見つめていた。目と鼻の先に立つ、死者を見つめるばかり。身体が硬直して動かない。

 思うのはただ一つだけ。


 ここは、天国──だということだった。

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