4.
「ならば警部さん、仮に一一時ジャストの時刻で新潟駅に僕がいたとして、そこから大急ぎで帰ったとすると、名古屋駅へ到着する時刻が何時になるかを検索してみましょう」
俺は再度スマホを取り出して検索を行った。
「ほら、一一時以降で新潟駅から発車する新幹線は、一一時二〇分発の『とき318号』があります。これが東京駅へ着く時刻が一三時二八分で。そこからもっともはやく乗り換えた新幹線が、一三時五一分東京駅発の『のぞみ93号』となりますから、それに乗って名古屋駅へ到着する時刻は一五時三一分です――。
名古屋駅に着いてから家内の実家がある二子駅までは、いくら急いでも五〇分は要しますから、僕が家内の実家に到着できるのは計算上一六時過ぎとなります。やはり犯行を行うことは無理です」
「なるほど、火災の通報があったのが一五時二〇分でしたから、先生のアリバイは依然として成り立っておりますなあ……」
「これで僕の無実は確定しましたかね」
「いえ、まだ先生のアリバイが完璧だと申したつもりはありません。
たしか犯行の当日は全国的に晴天が広がっておりましたな。そうだ、航空機を利用してみたらいかがでしょう――」
ついに来たか……。俺の背筋に冷たい何かが走った。
「航空機と簡単にいいますが、便数は新幹線に比べると圧倒的に少ないですし、なにより空港までの移動に要する時間をかんがみますと、そのアイディアもなかなか困難かと思いますけど」
「そうはいってもすべての可能性を調べ尽くす必要があります。さあ、一緒に考えてみまぜんか?」
老警部はさりげなく俺を挑発した。
「分かりました……。これもネットで検索ができますし、さっそく調べてみましょう。
まず、朱鷺メッセから新潟空港までは、タクシーで二〇分だそうです。おやおや、意外と近いみたいですね。
ですから、一一時四五分に朱鷺メッセを出た僕は、その気になれば一二時一五分には空港で搭乗手続きが取れていることになります」
「ちょっと待ってください、先生。
その一一時四五分という時刻は一〇時五〇分に訂正してください。理由は先ほど申しました通りです。
となると、先生が搭乗手続きできる時刻は、早くて一一時二〇分となりますな――。さあ、これで検索をしてみましょう」
「分かりました。ええと、新潟空港から愛知県の中部国際空港までを結ぶ便で一一時半以降に搭乗可能なものを調べましょう。
ふむふむ、ありましたよ。新潟空港を一三時一〇分発で、一四時一五分に中部国際空港に到着するANA1812便――。
この区間のフライトは一日を通じてこの便しかありません」
「いえ、まだですよ、先生。愛知県にはもう一つ空港があったじゃないですか。ほら。小牧空港です」
「それも調べてみましょう。
ああ、こちらは時間的に駄目ですね。ほら、JAL4336便がありますが、新潟空港を出る時刻が一五時三〇分ですから、小牧空港に到着するのは一六時三〇分となります。さらにはもう一便ありますが、新潟空港を発つのが二〇時二五分ですから、もはや論外です」
「そうですか、すると唯一可能性として残るのが、一四時一五分に中部国際空港へ到着する飛行機、ANAのなんとか便ですな。
ところで先生、一四時一五分に中部国際空港にいた人物が、急いで奥さんの実家まで駆けつけようとすると、果たしてどれだけの時間がかかりますかねえ」
「中部国際空港といえば、館内も相当な広さがありますし、そもそも降りる際の手続きにかかる時間から考慮しなければなりません。
まず、着陸した飛行機から降りて出口まで移動するだけでも一〇分は掛かるだろうし、さらには、空港の出口に設置されたベルトコンベアで流される手荷物を乗客は受け取ってから帰りますから、どうしてもそこで、さらに一〇分くらい待たされてしまいます。
さらには、名古屋鉄道の駅改札口までの移動時間も、同じ館内にあるとはいえ、優に五分はかかりますから、実際に列車に乗れるのは一四時四〇分以降となります」
「ちょっと待ってください。ここは極力切り詰めて考えましょう。
先生の手荷物はリュックが一つだけでした。先生がそれを機内に持ち込んでいれば、ベルトコンベアでの待ち時間は省略できます。
つまり、先生は一四時三〇分には中部国際空港駅の改札口を通過できたことになります」
「いや、そいつはかなり強引ですが、まあいいでしょう。僕は一四時半以降の中部国際空港駅発の列車に乗ることができた。
そこから家内の実家がある二子駅まで最短で移動すると、ええと、一四時四七分駅発の列車に乗れるから、二子駅へ到着するのが一五時四九分です。そこから家内の実家までは走って五分といったところで、めいっぱい早くしてこれがギリですね」
「つまり、どんなに頑張ったところで、犯行現場への最短の到着時刻は、午後三時五四分となってしまうわけですか――。
火災の通報があったのが三時二〇分でしたから。ううん、やはりまだ間に合いませんなあ」
「もうこのくらいでよろしいでしょうか?」
「いや、まだあきらめませんよ。そうです。電車じゃなくてもいいんです。
先生はあらかじめ中部国際空港の駐車場に自家用車を置いておいたのです。その車で高速道路をぶっ飛ばして奥さんの実家に駆け付けました。さあ、どうなりますか?」
「先ほどと同じ理屈で、僕が中部国際空港の建物を出てから家路へ向かって出発ができる時刻は、どんなに急いでも一四時半です――。
そこから一宮ICまでは高速道路でかかる時間を調べると、四九分と出ますね。でも、一宮のインターチェンジといえば、付近で慢性的な渋滞が確実に生じることで有名です。だとすれば、この時間ピッタリというわけには……」
「先生、ごまかしはなしですよ。さきほど先生は二輪車免許もお持ちとおっしゃいました。二輪車で移動すれば、路側帯を走ることで渋滞を回避できます」
「そうだとしても、一宮ICから家内の実家までは、さらに下道が5km以上ありますから、すっ飛ばしたところで、追加で一五分は要します」
「そちらもごまかさないでください。ほら、先生の奥さんのご実家が在る場所には、実に好都合なインターチェンジがあるじゃないですか。
それは一宮西ICです――。
そこを降りれば奥さんのご実家はもはや目と鼻の先。こいつはまさにうってつけの出口というわけですよ」
さすがに、一宮西ICの存在を警察から隠そうとしても、土台無理だったようである……。
「だとしてもですよ……、中部国際空港から一宮西ICまでの車での所要時間は、検索によれば五四分。そこから数分で家内の実家までたどりつけても、最短で到着できる時刻は午後三時半となります。やはり三時二〇分の火災通報前に行われたはずの放火を、説明することができません」
「いやしかし、先生が想定外のスピードで高速道路を突っ走ったとして……」
さあ、まさにぎりぎりの攻防が展開されている。ついに俺の黄金のアリバイも陥落を帰するのか……。俺は必死に思考を巡らせた。
「ところで警部さん、火災が燃え広がる時間がどのくらいかかるとお思いですか?
外部の通報者が火災に気付いて消防署へ通報するまでには、火が放たれてから少なくとも二〇分は要したことでしょう。なにしろ家内の実家は自慢の高い木で覆われた防風林で囲まれているのですからね。わずか一〇分程度の時間で燃え広がった火では、通行人が火災に気付くのは難しかろうと思いますけど……。
さらには、犯人が放火前に家内を殺していたとすれば、殺人にかかった時間だって考慮せねばなりません。まあ少なく見積もっても一〇分は必須ですかね」
「ははあ……、先生がおっしゃりたいのは、奥さんの殺害時刻は、火災通報があった三時二〇分よりもさらに三〇分をさかのぼらなければならず、二時五〇分よりも前だった――という主張ですな。
ううむ……」
老警部の肩ががっくりとうなだれた。それに乗じて俺は追い打ちをかます。
「中部国際空港を二時半に出た人物が、二時五〇分に家内の実家に現れることは、事実上不可能です。
つまり、僕の黄金のアリバイは、航空機の利用を加味したところで、立派に成立するわけですよ、警部さん」
こんどこそ漏れのない鉄壁な論理が構築できた。どうやらこれで、俺の勝利が確定したみたいだな……。
そう確信した俺は、老警部へ眼差しを送ったが、性懲りもなく、彼は不敵な笑みを口元に浮かべ続けていた。
「いやはや、実に理路整然たるご説明で、心の底から感服いたしましたよ……。
と申し上げたいところですけど、先生……。それでもまだ、先生の論理には、少しばかりの盲点が存在しているんですなあ……」