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黄金のアリバイ  作者: iris Gabe
出題編
3/9

3.

 国際会議は新潟市街地にある朱鷺ときメッセで催されていますな。午前のセッションで発表をされた先生は、その日の夕刻の遅くになって、愛知県にある奥さんの実家まで帰宅をされたわけですが、どのようにお帰りになったのかをできる限り詳しくお教えいただけませんか?」

 ついに俺のアリバイ調査が始まった。さあ、ここからが正念場だ。

「ええと、午前中は会場にいまして、午前のセッションが終わるちょっと前に、まだセッションは継続中でしたが、会場を後にしました。時刻は、一一時四五分頃だったと思います。

 荷物は会場に持ち込んでいっしょにまとめておいたので、いや荷物といってもたいしたものじゃないですけど、着替えが入ったちっぽけなリュックが一つですかね――、タクシーを呼んで朱鷺メッセから直接新潟駅までを移動しました。それから、新幹線を利用して東京を経由して名古屋まで帰ってきました」


挿絵(By みてみん)


「途中の細かい時刻を覚えておられますか?」

「だいたいは……。ええと、上越新幹線で新潟駅を発ったのが、たしか一二時二〇分だったような気がします。東京駅には午後二時半頃に着いていたはずです。それから、とくにどこぞへ立ち寄ることもせず、東海道新幹線に乗って、午後四時半に名古屋駅へ到着しました。そのあとは名鉄電車を利用して、二子ふたご駅へやって来たのが午後五時を大きくまわっていました。まだ夕方で明るい時刻でしたが、家の方向から黒い煙がもくもく上がっているのが見えたので、本当に驚きましたよ……」


挿絵(By みてみん)


「消防隊の一人から伺った証言によれば、先生が現場に駆け付けた時刻はだいたい午後五時半だったそうで、その時刻には火はほぼ鎮火されていたそうです。なるほど、この点に関して矛盾点はありませんな」

 確認を取るように、老警部が口をはさんだ。

「僕が家に駆け付けた時には、たくさんの人がいて、消火活動はほぼ終わっていました。まだ火がくすぶる焼け跡の中に飛び込んで、僕は家内を助けたいと思いましたが、どうやらその場にいた人々に取り押さえられていたみたいですね。はははっ、なさけないことですが、必死になっていたので、その時の細かな状況をほとんど覚えていないのですよ……」

「いえいえ、無理もありませんよ。ところで、消防隊員から伺った話では、火事の通報を受けた時刻は午後三時二〇分――だったそうで、それから先生が到着される五時半まで消火活動はずっと続けられたみたいです。実に二時間も要したわけでして、いやはや、ものすごい火事だったようですな」

「警部さん、家内が仮に何者かの手によって殺されたとすれば、殺害の時刻はいつと推測されますか?」

 俺は取りざたされている議論の核心部へと踏み込んだ。

「当然、火災が発見された時刻よりは前となるでしょうなあ」

 老警部は何食わぬ顔で言葉を返した。

「先ほどのお話によれば、遺体の状況から直接死亡推定時刻が浮かび上がることはなかったんですよね?」

「なにしろ遺体はひどく焼け焦げておりましたからねえ……。ああ、すみません、ご遺族の方に対して不適切な表現でしたな。まあ、火災による損傷はそれなりにありましてねえ。ただこれも先ほど申し上げましたが、一つ分かっていることとして、奥さんが火傷を受ける以前に首を絞められていたことは疑う余地のない事実です」

「そうですね。たしか、家内の肺の中に煤を吸い込んだ形跡がなかったということでしたね」

「その通りです。さらには、消防署に通報がなされたのが三時二〇分でした。それから一五分ほどで消防隊が奥さんのお屋敷へ駆けつけましたから、その時刻は午後三時三五分ということになりますな。しかし隊員たちの話では、すでにその時点で火は手の施しようがないほどまでに燃え広がっていたそうです――」

「警部さん、家に火を放ったのは家内を殺した犯人だと断定して、間違いありませんか?」

「現場を調べたところ、火元は玄関口付近でした。そこには灯油がしっかり撒かれておりましてね。明らかに意図的な放火です――。

 必然的に犯人が家に火を放った時刻は、通報があった三時二〇分より前ということになります」

「そのお、可能性としては極めて難しいと思われますが、放火された後になってから家内の遺体を屋内へ入れることはできませんかねえ?」

「ほう、面白いことを考えられますな」

「いえ、もしそのようなことができたならば、家内が殺害された時刻がもっと遅くても良いことになってしまいますから……」

「残念ながら、その可能性はあり得ません。奥さんのご遺体は大豪邸のほぼ中央に位置する最も奥めいた部屋で見つかりました。そして、勝手口と、ありとあらゆる窓、なかには地面に落ちて壊れてしまった窓枠もありましたが、そのいずれもが内側から鍵が掛けられてあった形跡がはっきりと確認できました。唯一鍵が開いていたのが玄関口ですが、ここは火の手が最も激しかった地点であり、万が一にも遺体をかついで侵入できるはずがありません――」

「ふふふっ、警部さん。そうなると僕のアリバイが成立しましたね。通報があった三時二〇分に僕は、東海道新幹線に乗って名古屋へ向かって移動している真っ最中です」

 得意げに老警部に目を配ったものの、少しも動じる様子が見られなかった。

「たしかに、先生がおっしゃることの全部が事実であるなら、その通りです。先生にはまさに黄金のアリバイが存在することとなりますなあ。

 しかしながら、本当に先生はその時刻に東海道新幹線に乗っておられたんですかねえ……?」

「それはどういうことですか?」

「いえ、はははっ。別に深い意図はありません。でも、客観的視点に立てば、乗車の時刻と先生のお名前が刻まれた乗車券がどこぞに落ちていたわけでもなし、先生が新幹線に乗っていたのを目撃しましたと利害に無縁な第三者が申し出てくれたわけでもなし、さらには奥さんご自宅の最寄り駅である名古屋鉄道の二子駅は無人駅ですから、改札を午後五時過ぎに通過したとおっしゃる先生のお姿を目撃した駅員がいたわけでもなし。

 要はですなあ、先生が東海道新幹線に乗っていたという論拠は、先生ご自身の口から発せられた証言しかないのです」

「あははっ、警部さん。面白いことをおっしゃいますね。じゃあ、僕はどうやって愛知県まで帰ってきたというのですか。その日の午前中には、僕はまぎれもなく新潟市にいたのですよ」

 このとき俺はちょっと取り乱していたかもしれない。老警部の誘導にまんまと嵌められた焦りを少なからず感じていたようだ。

「失礼ですが、先生は免許をお持ちですか?」

「ええ、普通車と二輪の両方を持っていますよ」

「そうですか……。例えばですな、先生は新幹線でなくて高速道路を利用して愛知県まで戻った、という可能性はいかがでしょう?」


挿絵(By みてみん)


「警部さん、そいつは無茶ですよ。新潟から名古屋まで高速道路で突っ走ったとして、いったい何時間かかるとお思いですか?」

「さあて、どのくらいかかるのでしょうかねえ」

 人を小馬鹿にしたような老警部の応対に、俺はちょっとだけむかついた。

「ほら、ごらんなさい。新潟中央ICインターチェンジと家内の実家が在る愛知県の一宮ICまでに要する標準的な時間は、ネットでちゃんと検索ができますよ」

 そういって、俺はスマホの画面をかざした。

「それによれば、距離にして465km。所要時間は五時間一〇分となっています。しかし、この見積もりはノンストップで走って、なおかつ渋滞がなかったと仮定してはじき出した数値です。実際には何回かの休息を取らなければ身体が持ちませんから、七時間は普通に要することでしょうね」

「しかし、殺人となれば犯人だってそれなりに必死です。それに時速180kmくらいの猛スピードで高速道路を突っ走れば……」

「途中に設置された無人のスピード検知器に引っかかって、まっさきに警察から取り調べられているのが落ちでしょうね。そんな極端な暴走が現実的に無理なことは、専門家である警部さんはご存知のはずですよね」

「まあ、そうなりますと、先生が朱鷺メッセを出られた時刻が一一時四五分でしたから、仮に先生が車で移動されたとして、そのまま新潟中央ICへ到達する時刻が一五分ほどでしょうから、まあ一二時くらいですかなあ。それから五時間を要するということは……」


挿絵(By みてみん)


「到着時刻はどんなに早くても午後五時を過ぎます――。ゆえに、火災が生じる前に家内の首を絞めて殺害することは不可能だった、ということです」

「なるほど、論理的にそうなってしまいますなあ。いやはや困りました。しかし、ネットの検索によりますと、新潟中央ICから愛知県までのルートは、北陸自動車道を利用して上越じょうえつICまで行き、そこから長野自動車道、中央自動車道を利用して愛知県へ入るわけですが、ほかにルートはありませんかねえ」

「おそらくそのルートがベストでしょうね。たとえば、上越ICを越えて、富山県へ入り、そこから東海北陸自動車道を使って岐阜県を縦断するルートもありますが、ほら五時間三〇分と出ています。こちらの方が時間はかかるみたいですね」

「そのようですな。でも、距離にするとこちらのルートの方が短いみたいですね。ほら、461kmとなっていますよ」

「それは東海北陸自動車道には片側一車線区間が相当にありまして、要は前を走っている車を追い越せないのですよ。高速道路なのにね。ですから、前の車に時速70kmで走行されてしまうと、どんなに急いでいても、自分も70kmで走らなければならないのです」

「なるほどねえ。それで時間にすれば長野経由のルートの方が早くなるわけですか……。

 でも、先生。もう一つ気になるルートがありましてね。新潟中央ICから関越自動車道で群馬県の高崎たかさき市へ出るのですよ。そこからすぐ先の、藤岡ふじおかジャンクションで長野自動車道へ乗り換えて、長野県の更埴ジャンクションを経由して中央自動車道へ入るのです」

「はははっ、警部さん、そいつは論外です。ほら、検索によれば、新潟中央ICから藤岡ジャンクションまでおよそ二時間半。さらに、藤岡から一宮まで四時間と出ます。こちらはトータルで六時間半も有するのです」

「なるほどねえ。こりゃまいりましたな。まさに八方ふさがりということですな」

 老警部には、発する言葉とは裏腹に、少しも慌てふためく様子が見られなかった。なんだかやり取りを楽しんでいる様子だ。

「そうだ、在来線を利用するというのはどうでしょう。我々はどうしても新幹線による移動が一番早いと考えがちなものですが、新潟から名古屋へ来るのに、新幹線だと東京を経由しなければならず、かなりの大回りとなってしまいます。ひょっとして、新潟と名古屋をほぼ直線でつないでいる在来線で移動した方が、早く着けるなんてことはありませんかねえ」

「警部さん、時間の浪費となる議論はやめましょう。新幹線だからこそ四時間少々で名古屋までやって来られますが、在来線なら新潟から長野へ行くだけで三時間以上掛かってしまいますよ」

「それならばですよ……、先生がもっと早い時刻に朱鷺メッセを出発された可能性はないでしょうか? いやねえ、まことに申し上げにくいことですが、先生が嘘をおっしゃっている可能性を依然として否定できないわけでして、すなわち、先生が朱鷺メッセを出発されたのが一一時四五分だった、というのは、先生自身のご証言に基づくものでしかなく、実際はもっと早かったのかもしれない……」

 いよいよ老警部が隠している本性をさらけ出し始めた。

「僕が公演した時間は一〇時半から一〇時五〇分でした。お疑いでしたら、学会のプログラムを調べていただければいいでしょう。そして、その時間帯に僕が壇上でしゃべっていた事実は、多くの第三者たる聴衆たちから確認されることとなりましょう」

「なるほど。しかし、先生は発表を終えた後も会場に残り、一一時四五分になってから朱鷺メッセを出られたとおっしゃいましたが、発表を終えた一〇時五〇分から一一時四五分までの間に、先生がたしかに朱鷺メッセにいらしたと証言してくれる都合の良い第三者はいらっしゃいますか」

「残念ながら、今回の会議は僕一人で行きましたから、公演を終えた後で僕の居場所を証言してくれる人物はいません」

「ほうほう。ということは、先生が一〇時五〇分以降に朱鷺メッセを出られた可能性を否定することはできない――、という結論でよろしいですかな」

「たしかに、僕は一一時四五分まで会場にいましたけど、残念ながらそれをきちんと証明することはできません」

「そうですよ。先生は一〇時五〇分までは壇上で発表をされていましたが、そのすぐあとで会場を発たれた。まあ時刻にして一一時ちょうどくらいですかな。違いますか。

 それから新潟駅へはタクシーで移動すれば五分。つまり一一時〇五分には先生は新潟駅へ着けたはずです。

 さあ、こうなると先生がこれまでに提示されたアリバイは、根底から崩れてしまうかもしれませんねえ……」

 まるで俺を憐れむかのように、老警部はしたたかにほほ笑んだ。

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