善なる煩悩
本当に勘違いしないでいただきたいのだが、私は欲ではなく善意で動いただけだ。
今朝九時、母が家を出る前に残った米を食べておいてくれと言っていた。
だが、華の休日―――一人一日留守番のパラダイスで、米似合うおかずなど作りたくはない。
だから私はカップラーメンを、胸を張って食べた。
豚骨の、味の濃いやつだ。
完食、腹七分目。
少し物足りないが、もう一杯カップラーメンを食べる余力はない。
そこで私は閃いた―――基、思い出した。
私は母を助ける為にカップラーメンを食べたのだと。
決して偶然思い付いたわけではなく、思考回路が働いたわけでもなく、計算ずくの行為を思い出しただけだ。
豚骨ラーメンを食べるとどうなるか―――そこには熱い、豚骨ラーメンの細麺では吸いきれない大量のスープが残る。
ラーメンの味とはなんだ。
至極明快、スープである。
麺に拘り、細麺太麺手打ちと看板を打つ店はあるが、結局それらに味をつけるのはスープ、スープ様々だ。
そのスープをシンクに捨てる? とんでもない、冗談でも言ってはならない。
だが、ただ飲むのでは芸がない。
だから私はスープに米を入れる―――スープを有効活用して、母の願いである米の処理も達成。
箸だけで済んだはずの洗い物に、スプーンを追加。
鉄スプーンだと熱いので、木のスプーンだ。
サラサラと米を流し込んで、スープ残量を元の二割以下まで。
それをようやく、単純に飲み込んだ。
夏の日、エアコン起動の三分前。
額に汗を浮かべながら、熱の篭った息を吐く。
決して豚骨スープに米を入れて食べたかっただけじゃない。
私は完璧に、全てをこなしたのだ。
これこそが、これだけが皆幸せになる道筋。
私は今日、休日に善意を振るったのだ。
夜ご飯のブタメン、美味しかったです。
@QkVI9tm2r3NG9we(作者Twitter)