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ルーカスの回想(前編)



 それは、ノエル・フォルティスがまだ魔法学園に行く前の事。


 魔獣の子猫を飼っているノエルは定期的に皇帝陛下とお茶会をしながら子猫の様子を報告していた。


 ……というのは建前であり、お茶会は皇帝ルーカスのいい気分転換である。

 流石のルーカスも仕事ばかりでは頭が一方向に傾いてしまうし、知らない間に気疲れは溜まっていく。

 前々から城下のカフェで息抜きをしていたのだが、可愛らしい話し相手が出来てルーカスの気分転換に癒しがプラスされるというものである。


 ルーカスは魔獣の子猫の事は殆ど心配してはいなかった。ノエルやフォルティス家の者達は皆明るく前向きで良い人ばかりだ。

 最初は不穏な影がノエルに近付いていたが、ノエルを助けに来たという異世界人がずっと彼女を見守っているとルーカスは聞いていた。


 かの女性は聖女らしいが、トレーニングをしている様子をチラリと見かけた時はどう見ても聖女には見えなかった。どちらかというと騎士団やルーカス側の人間である。


 魔法使い系の聖女という話は何処から出て来たでまかせかと思うくらいのパワータイプだった。具体的に言うと素手で木をへし折っていた。勝手に帝国の木を折らないで欲しいと宰相のエースは泣いていた。


「ノエル嬢、聖女は問題を起こしていないかい?」


「茜様ですか? そう言えばエース様から街路樹を折らないで欲しいと苦情が来ておりましたので、茜様専用に家の庭にお稽古が出来る設備を作りましたの。茜様ったらとても喜ばれて……ふふふ、あんなに重い樽を軽々と持ち上げる姿は勇ましくて素敵でした」


 ノエルの感性はどうなっているのか。

 重い樽を軽々と持ち上げる聖女なんて聞いたことが無かったルーカスは、女性の成長としては止めた方がいいのでは無いかと思ったのだが、ノエルには本気で素敵に見えているらしいのでそっとしておく事にした。昨今は女性戦士もかなり活躍しているので。

 ジェドからは『聖女は日に日にゴリラに近づいていっている』と聞いた気もしたが、聞かなかった事にしようと思った。美しい女性がゴリラになんてなる訳が無い。そういう無神経な事を言うから騎士団長のくせに悪役令嬢以外にはモテないのである。


「陛下、私もお聞きしても宜しいでしょうか?」


「ん? 何だい? 私で答えられる物でよければ構わないよ」


 ニコリと笑うルーカスに、ノエルはモジモジとし顔を赤らめた。


「あの……陛下と騎士様はお友達なのですよね? いつからお知り合いなのでしょうか」


「騎士様って……ああ、ジェドの事? ノエル嬢はジェドが気になるのかい?」


「え、あ、あの、私……!」


 焦るノエルの姿に思わず笑みが零れてしまう。


(どうやら女子人気の少ない件の騎士団長はこんな小さなファンがいるらしいな……)


 ルーカスは笑いながら庭園を懐かしむように見た。


「ジェドかぁ……そうだなぁ、あれは――」



 ―――――――――――――――――――



 それは皇帝ルーカスが未だノエルよりもう少し小さかった頃。

 先代皇帝も現存し、ルーカスの母も生きていた。


 彼は皇太子として後の皇帝を受け継ぐよう生まれた頃から育てられていた。だが未だ母親が恋しい年齢……帝王学が嫌で逃げ出す時もあった。


 その日は剣を始める日。現れたのは公爵家頭首だった。

 幼き彼には鬼に見えた。今まで勉強や作法、魔法と様々な教師が彼の前に現れたが、群を抜いて……いや、人種が違うかと思うくらい厳しかった。

 他の教師も厳しいと思っていたが、彼らはまだ皇太子と思って優しくしていた方なのであろう。

 ボロクソ、ボロ雑巾。周りが心配する中、立ち上がって来いと容赦なく蹴り上げる。何故そんな事をするのか子供の彼には理解が出来なかった。


 痛む体中を引きずり彼は自室に戻る事無く皇城内をずるずると這い歩いた。

 母親に会いたくてこっそりと家臣を撒いた……だが、母親の居場所は彼には知らされていなかった。

 まだ皇太子としての力すら持っている訳では無い彼は何も知らない。城の事も分からない。何故こんなに大変な事をしなくてはいけないのかも……先代皇帝は『早く皇帝にならなければいけない』とだけ彼に伝えた。病気の父親は早く跡継ぎを育てなくてはいけなかったのだが、その頃の彼には何も分からなかった。


 彼には母親の顔もぼんやりとしか分からない。結局、彼が生涯母親に甘える事が出来たのはその小さな片手に数える程度しか無かった。母親に甘えたいのは本能か、それでも顔も場所も分からない母を捜して隠れながら歩き回った。


 道に迷い、庭に出てしまったので建物に戻ろうと振り向いた時、庭の葉の間からガサッと女性が出てきた。


「え……」


 女性は貴族令嬢だった。彼の思い描く母親ではなかったので残念に思ったが、その令嬢の小脇には自分と同じ位の小さな男の子が抱えられていた。


「……いいなぁ」


 母子だろうかと思い、つい口から言葉が出てしまったが、その呟きに男の子が反応した。


「どこがいいんだよ。ゆーかいですがコレ」


「ゆーかい……誘拐……?」


 一瞬話が出来たその男の子は女性に抱えられて遠くに連れて行かれそうになっていた。ハッと我に返ると、咄嗟に女性の足に自身の足をかけて転ばせた。

 女性とはいえ大人とは体格差があり、しかも全身打ち身だらけの彼はひっかけた足がズキンと痛んだ。


「きゃああ!」


 女性と共に転がる抱えられた男の子。貴族女性は足を痛めている彼を睨むが、その前に男の子が立ち上がり、彼の持っていた稽古用の剣を拾った。


 鞘から剣を引き抜くと女性のスカートをずばっと切り落とす。


「きゃあああああ! 何てことするのよ!」


「なんてことはそっちだろ! 俺がいけめん男児だからって、いくら何でもゆーかいは良くないぞ!」


「ショタコンじゃねえわ!! 私はただ自分の悪役令嬢の運命を変えようと公爵家に身代金を要求して――」


「りっぱなあくやくじゃねーか! 言っとくが、うちは剣のうでだけしか無いからな! あと、俺がさらわれても自分でなんとかしろっていうからなオヤジは!」


「そんな……」


 会話の前後がよく理解出来なかったが、話の流れから貴族女性が何やら金に困って男の子を誘拐したのだろうと思った。何故皇城でそんな騒ぎが起こっているのかも分からない。


「折角公爵家の子息が出歩いているっていうから目を付けていたのに! かくなる上はこのまま育てて私好みの公爵に仕立てるしか無いわね……」


「それはしょたこんじゃないのかよ!」


「子供には興味ないわ。20年待つわよ」


「20ねんごって、あんたなんさいなんだよ!」


 目の前で繰り広げられる謎のやり取り。暫く呆然と見つめていたが、終わりそうに無かったのでつい言葉が出てしまった。


「あの、20年まつなら……せめてもう10年くらいまって。たぶん……その、なんとかします」


 稽古が辛くて慰めて貰おうとコソコソ母親を探しに出た自分の口から、そんな言葉がよく言えたものだと驚いた。


「何? 貴方、何でそんな事言えるのよ……」


 彼はポケットからゴソゴソと紋章を取り出した。稽古中に取れてしまったものを入れておいたのだ……


「わたしがこの国のこうたいしだからだ。金が欲しいならもっていくがいい。でも、その子はおいていけ」


「こ、皇太子?!!」


 驚き目を見開く貴族女性の向こうで彼を訝しげに見ていた黒い瞳の男の子。


「こうたいし……が、なんでそんなボロボロなんだ?」


 ――お前の父親にやられたんだよ!!


 と、若き日の皇帝ルーカスは憤慨した。

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