とある女王、魔王領に行く(後編)★
魔王アークは自分史上最悪の展開に陥っていた。温泉に浸かっているにも関わらず冷や汗が止まらない。
絶対に自分がここに居ると悟られてはいけなかった。先客は自分とは言え一国の女王でしかも関係を改善したい相手国である。
そしてこれはもう手遅れかもしれないが、その女性は皇帝ルーカスと良い仲の相手……バレたら多分死ぬ。
コレは何も起こさず穏便に過ごして一生自分の中に仕舞っておかなければならない……アークは息を殺して岩陰に潜んだ。
ありがたい事にチラッと見えたオペラは認識阻害の眼鏡を外し忘れていたせいかぼんやりしていて殆ど見えなかった。セーフである。そう思っていたのだが――
(やっぱりコレ、邪魔ね)
と、眼鏡を外して縁に置いてしまった。
何故外す! とアークは憤慨したが、何故も何も温泉だからである。眼鏡は曇るから外すだろう。
なるべく目に入れないように端の方をチラリと見たが先程よりハッキリと見えそうになったのでアークは慌てて目を逸らした。
タオルを外して羽を広げた音が聞こえて心臓がバクバクと鳴り出した。正直アークも魔王と言えど男なので見たくない訳では無い……が、決して今では無い。
一時の欲に負けて振り向くいた先は破滅である。
「ふぅ……」
羽が浸からないように身体を湯舟に浸けるオペラのため息が聞こえて来た。一挙一動にビクッとしてしまう身体を押さえ付けていたが、オペラの心が聞こえてその焦りがピタリと止まる。
(……魔王領は、皆の言う通り本当にいい所なのかもしれない……)
魔王は驚いて振り返りそうになったが、我に返って止まった。
直接面と向かって言われた訳では無いが、あんなにも魔族を嫌悪していた聖国の女王がそんな風に思ってくれた事にアークは緩む口を押さえた。
魔王領を外の世界に開いて観光地として人を呼ぶ事に最初は戸惑った。自身もそうだが、魔族達もだ。
だが、それが皆の為だと、魔の国の為だと思ったから……大変でもルーカスを信じて魔王領を変えた。次第に人々に受け入れて貰えるようになったが、この様に争う一歩手前だった国に認められた時に苦労が報われたのだと急に実感が湧いてきた。
争う事は簡単だ……だが、そこには何も無い。
先代が言った言葉が今になってアークの身に滲みた。
(けど……魔王と友好関係になるのはきっと無理ね……)
またしても驚いて振り返りかけてアークはぐっと堪えた。何故?? 今さっきの言葉の流れで何故急にそんな結論が出るのか、アークには分からなかった。
自分の思っている事は武闘会の時に伝えたはずだ。そしてオペラも魔王領がいい所だと思ってくれたのだろう? ならば何がいけないと言うのだろうか?
未だオペラの中に魔族に対する蟠りが残っているからだろうか?
アークは一旦浮き上がった感情が重く沈んでいくような気持ちになって俯いた。
(魔王と直接話をしたのだって帝国に行ったとき以来だし……魔王が何を考えているのかも分からないから。直接話すのなんて怖くて出来ないわ。わたくし)
――????? 帝国以来話をした事が無い???
オペラが何を考えているのか理解出来なかった。が、彼女は本気でそう思っているらしい。話を統合すると、武闘会での話が無かった事にされていた。あんなに必死に意味も無く行った聖国での事が本当に意味が無くなっていた。何故そんな事になったのか?
一瞬オペラが魔族への恨みからアークのいう事を信じられなくてそう言っているのかとも考えたが、そうでは無くて本当に忘れているらしい。
まさかその間の記憶が無くなっているとかそういう訳では無いだろう……いや、確かに行方不明から戻ってきた時の女王の様子がおかしかったとは報告を受けている。
オペラが行方不明になった時、魔族は聖国の守備を助けに行ったので聖国側とは少し関係が改善されたと思っていた。が、肝心の女王だけ覚えていないとか……そんな事があるのだろうか……?
一体何があって記憶が消えるなんて事になってしまったのか分からないが、こちらの苦労も知らずにそんな事をしでかしたヤツが居るのであればぶん殴りたい、とアークは憤慨した。
今すぐオペラの元へ行って、全然誤解だ! 俺は何の蟠りも無いし、そちらが良ければいい関係を築きたい! と主張したい所ではあったが……今は完全に駄目である。お互い何も着ていないこの状況でそんな事を仕出かしたら今度こそ関係は修復どころの話では無い。全面戦争である。むしろ帝国とも争わなくてはいけなくなるかもしれない。
アークはもどかしい気持ちを押さえつけた。解決しようとする度に何かに邪魔をされている気がしてならない。
(……魔王はどんなヤツなのかしら……魔王ってくらいだからあの時見た先代魔王みたいに恐ろしい者なのでしょうね。先代魔王は怖かった……ルーカス様を傷つけていた……)
その場面……オペラはどうやら先代が死ぬときに魔王領に来ていたらしい。その場面はアークも見ていた。悲しみに暮れ、何も無くなった父の姿を思い出してアークは悲しくなった。全てあの竜が企てた事であり、聖国や人間に恨みを向けさせようとした事……真実が分かった時にはそれらを魔族の為に忘れようとしたが、思い出すとやはり胸は痛んだ。
自分は誰かを傷つけたりはしたくない。あの姿を見て、あの時の魔の国を見て……そこに未来は無いと思い知ったからだ。
伝えたい……お前の思っているような事は無いと。アークは他人の心が聞こえる代わりに自分の心も極力素直に伝えるようにしていた。
この時ばかりは相手も心の声を聞き取る能力が在ってほしかった……いや、在ってはいけない。
ついついシリアスに流されて裸であることを忘れてしまいそうになってしまうが、今はお互い裸で、アークはピンチなのだった。
(でも……あのレストランの表記……どう考えても魔族は聖国人を客として呼ぶ気でるわよね……)
――そうなんだよ、普通に客として来てくれる様な友好関係を持ちたいだけなんだ
と、アークはうんうんと頷いた。
(そんな訳無いわよね……相手は魔族よ?)
――そんな事があるのだ! あるんだよ! 魔族とか聖国とか1回忘れてくれ!
(でも……あのデザートは美味しかったわ……)
――そうだよ、お前が甘いものが結構好きそうだったからあの日以来用意して待ってたんだよ! いつ来るかと思って待ちくたびれてたわ!
(あのシステムはいけないわね……たべ過ぎて太っちゃうわ……魔族の罠よ)
――それはお前が調整しろよ。魔族関係無いだろ。
(…………)
しばらくオペラの頭の中が魔族への不信感からレストランの話へと変わっていたが、そのうち声が聞こえなくなって来た事に不審に思ったアークは、悪いとは思ったがチラリとそちらの様子を見た。
「は?!」
羽を広げて湯船につかないように入っていたオペラだったが、羽ごとぶくぶくと沈んでいたので思わず声が出てしまった。
オペラが気付く様子は無いが、完全に沈んでいる……温泉に慣れていないオペラはのぼせていた。
「おいおい! ちょっと待て!」
沈みきる前にアークはその腕を掴んで引き上げた。真っ赤になったオペラは目を回して気持ち悪そうにしていた。少しお湯を飲んでしまったのかもしれない。
「あー……えーーっと……」
とりあえず縁に置いてあったタオルでなるべく見ないようにしてオペラを包み、そのまま抱きかかえて脱衣所の椅子に寝かせた。
「……何でこんな事に……」
心底疲れたようにため息を吐いたアークは隣に腰掛けてオペラを扇いだ。
――蟠りなんてものはそう簡単に消えないとは思っていた。が、こうも難しいとは……
アークは頭をかきながら月を見上げた。
魔王領から見上げる月は帝国で見る月と違い紫がかって見えた。
「魔族は……魔王は……聖国と仲良くしたいと思ってんだよ。やっと来てくれたと思ったのに……」
聞こえていないだろうオペラに向かって呟いた。
「……ほんとうに……?」
朦朧としているオペラが呟きを返して一瞬青ざめたが、恐らく無意識か夢だと思っているのだろう。
「ああ、本当だ。だからまたいつでも遊びに来てくれないか」
オペラからの返事は無かった。風に吹かれながらそのまま寝てしまったようだ。
★★★
「……ん? ここは……」
オペラが目を覚ますと、そこは暖かい空気と優しい花の匂いに包まれた部屋だった。
寝台の上でうつぶせに寝ているオペラの背中にはふわふわした魔獣が乗っていて背中のツボを押していた。
「え?! 魔獣??」
一瞬、襲われているのかと思ったが、魔獣はどうやらマッサージをしているらしい。丁度いつも凝る羽の間の辺りに血の巡るような痺れが走り気持ちが良くなった。
「お客さん、結構凝ってますねー。やっぱ有翼人って背中の間が凝るんですね。魔族でも羽の生えているヤツはココがヤバイんですよね」
「あの……ここは?」
「ここはマッサージルームですよ?」
「マッサージ……」
オペラは露天風呂に入っていたはずだったが、いつの間にかマッサージルームへと来ていたらしい。途中で記憶が無くなった気がしたが、ボーっとしていて覚えていないだけだろうか? 記憶を辿るがやはり思い出せない。
夢だったのか分からないが、魔王も魔族も聖国人と仲良くしたいと言われたような気がした。一体誰がそんな事を言うのだろうと考えて夢だったのだろうと思い直した。
「お客さん、肌結構綺麗ですね。オイルマッサージとかもやってますから是非また来てください。リラックスしてストレスとかにも良いんですよ」
「そう……機会があれば……」
マッサージを終えたオペラは部屋を出た。いつの間にか温泉施設の羽織に着替えていたみたいだ。服もちゃんと置いてあったし眼鏡もかけている。やはりボーっとしていただけだろう……と思い、また館内を見回り始めた。
この温泉施設は意外と広く、温泉に入るだけでは無く遊戯場や休憩場所、お土産屋や宿も完備していた。
お土産屋を覗くと魔王領原産のお茶があって気になって見てみた。魔王領原産のものなんて飲めないだろうと思っていたが、魔気レスのお茶もあるらしい。特殊な加工で味そのままに魔気だけ抜いたお茶だとか。どんな需要でそんなものを作っているのだと考えたが、ならば聖国でも聖気レスのお茶を作るべきだろうか……? とオペラはパッケージをじっと見た。
「え……オペラ様……?」
後ろから声が聞こえて振り返る。認識阻害の眼鏡をしている自分を、しかも魔王領で知るもの等いるはずもないと警戒して見たが、そこに居たのは間者として帝国に送っていたはずのアッシュと、そして帝国の聖女だった。
2人は目を丸くして……いや、目を細めてオペラを見ていた。




