3
半年後。
令嬢たちの期待に応えて、奈理子とサンディは順調に友情を育んでいた。
この世界のことが何もわからない奈理子にサンディはいろいろなことを教えてくれ、いろいろなところに連れ出してくれる。
奈理子は聖女として王宮の一室を与えられていたが、一人では部屋の外にもあまり出ない。だから、サンディと出かけるのはとても楽しかった。それを知ってか、サンディもこまめに手紙を書き、誘ってくれる。
ただ、やたらとドレスを買ってくれようとするのには奈理子も困惑していた。
「奈理子には似合う服装をしていてほしいから」
サンディ自身もとてもおしゃれなので他の人の服装が気になるのだろう。奈理子はそう思い、素直にサンディが見立ててくれたものを着ている。
ただ、ドレス代をサンディに払わせるのは抵抗があって、国から出ている聖女の支度費があるからそれで払いたい、と言ったところ、サンディからきっぱりと拒絶された。
「なんで? 私が奈理子に着てほしいものを買っているだけだし」
新品ばかりではなく、サンディが昔着ていたお気に入りの服を仕立て直してくれることもある。
奈理子より頭一つ身長が高いサンディは、もうそのお気に入りが着られないのだそうだ。
「奈理子、お菓子のかけらがついてる」
二人きりのお茶のテーブルで、隣に座ったサンディの指が奈理子の口元をそっと払った。
サンディは今日もやさしい。
「帰還が近づくのはうれしいけれど、サンディと別れるのは寂しいな」
この世界に来て、最初は不安しかなかったけれど、今は令嬢たちもいるし、サンディもいる。帰りたいという気持ちに変わりはないが、帰ったらサンディたちには二度と会えないだろう。
奈理子のため息がかかり、サンディの指はぴくりと動いた。
サンディはそのまま指を奈理子のおとがいにかけ、顔を上げさせる。
奈理子の視界いっぱいに美しい顔がせまってくる。茫然としていると唇が触れた。
二人だけで話したいと言って、サンディは侍女たちを下がらせている。邪魔する者はいない。
抵抗がないのを見て取るとサンディは奈理子の背に手をやり、そのまま唇を彼女の首すじに這わせた。
「続き、してもいい?」
耳元でささやく。
返事がなかったので、いいということにした。
令嬢たちは奈理子の部屋に呼び出されていた。
奈理子とは定期的にお茶会などで顔を会わせている。しかし、彼女から呼び出されたことはこれまで一度もなかった。
このあいだ会ったときも奈理子に変わりはなく、サンディと仲よくしているところを見て、これなら帰還までの残り数か月をやり過ごせそうだと思っていたところへの呼び出しである。呼ばれた理由がまったくわからない。
侍女に来訪を告げ、部屋に招き入れられる。
お茶の用意がされたテーブルの向こうには奈理子が座っていた。その目からは途切れることなく涙がこぼれている。
「どうしたの?」
シゼリアが声をかけると奈理子は口を開こうとしたが、周囲に視線をやり、また閉じた。
シゼリアは侍女に向かってうなずき、部屋から下がらせる。
令嬢たちだけになって、ようやく奈理子はおずおずと話し始めた。
「わ、私、私、どうしたらいいのか」
「落ち着いて。ゆっくり話してくれていいから」
「さ、サンディが」
「サンディが?」
「男の人で」
ついに気づいてしまった、というより、むしろ、よく半年以上も気づかなかったな、というのが令嬢たちの正直な気持ちだった。
サンディは服が好きで、女装趣味もその延長にある。
もともと美形なので女装してもそう違和感はないが、女性にしては高い身長、低めの声、剣だこのあるしっかりした手、喉仏だってあるのだから、よく見ればわかるはず。
男性にあまり近づいたことのない奈理子だからこそ、半年以上も気づかなかったのだろう。
しかし、それだけにしては奈理子の様子がおかしい。嫌な感じがする。
「サンディから聞いたの?」
奈理子は息をつめ、シゼリアに答えない。
フレイラがその顔をじっと見つめた。
「……聖なる呪文を唱えてみて」
思いがけない言葉に奈理子は不思議そうにしながらも呪文を唱える。
何も起こらなかった。
リディカが小さく悲鳴をあげ、両手で口元を抑える。
シゼリアが奈理子の肩に手をやり、やさしく聞いた。
「サンディと寝た?」
奈理子は体をふるわせ、うなずく。
マルンナが舌打ちした。18年ぶり、つまり前世以来の舌打ちである。
「サンディ、ったく、あいつ!」
聖なる力は純潔でないと使えない。
しかし、それはまあいい。すでに境目は閉じられているのだから聖なる力は必要ないのだ。
問題は。
「あなた、元の世界に帰れないわ」
フレイラの言葉に奈理子が息を呑む。
「来たときと同じ体じゃないと帰れないのよ」
だから、ヒロインは帰還か恋かどちらかを選ばなくてはならなくなる。
言いづらい内容であったことと、男性が苦手だからそういうことにはなるまいという思い込みで伝えそびれていたことを令嬢たちは後悔した。
「そんな……私、どうしたら」
「この世界は女性の純潔に厳しいの。初めての相手と結婚するか、そうでなかったら、妾か娼婦になるしかない」
貴族の女性は職にもつけないし、修道院は純潔でないと入れない。聖女も貴族扱いなので当然そうなる。
「しょっ」
奈理子の顔がひきつった。
マルンナが同情した顔で「元聖女だから高級娼婦になれるよ。人気も出るだろうし!」と言ったのはまるっきり余計で、さらにひきつらせただけである。
「こっこっこっ、しょっしょっしょっ」と言葉にならない音を発するのを、カサリンがまあまあとなだめ「サンディと結婚すればいいじゃない。嫌いじゃないでしょ?」と言うと、奈理子の顔は一層曇った。
「プロポーズ、されてない……」
令嬢たちは納得した。
つまり、サンディが男性で、寝てしまったことはショックではあるが、それよりサンディの気持ちがわからなくて悩んでいる、と。
「大丈夫。大丈夫、きっと」とリディカが言ったが、それが、より大丈夫じゃない気にさせた。
その日、令嬢たちに呼び出されたサンディことザックロード公爵家令息アレクサンダーは、珍しくドレスを着ていなかった。
センスのいい流行をおさえたものではあるが男装で、長い髪もすっきりと一つに結んでいる。
きれいな顔立ちながらも、そうしていると見まごうことなく男性であった。
「今日はドレスじゃないのね?」
シゼリアが問うと、サンディは、ああ、と答えた。
「もう似合わない年になってきたからね。身長も伸び続けているし、そろそろ着られない。奈理子にもばれちゃったからいいかな、って」
「気づいてたの?」
「奈理子に女だと思われてるって? すぐに気づいたよ。そもそも、そう思わせたかったんだよね? 挨拶のとき、愛称で紹介してたし」
そう、アレクサンダーは向こうの世界でも男性名だ。シゼリアはだから、愛称のサンディで奈理子に紹介した。
「奈理子は男性が得意ではなかったから」
「らしいね。自分でも言ってた」
「それより、サンディ、奈理子と結婚するのよね?」
「するよ」
サンディの返事に令嬢たちは胸をなでおろす。
「よかった……。奈理子がとても悩んでいたから」
リディカが言うと、サンディが「何を?」と聞き返す。
そんなサンディにマルンナはいらっとする。
「それはそうでしょ! 手を出しておいて、結婚のケの字もない。このままじゃ高級娼婦になるしかないって思ったら悩むわよ!」
「高級娼婦! 奈理子が!」
サンディが吹きだして笑う。
そして、言った。
「それいいな、おもしろい。しばらく何も言わないでおこう。そのほうが結婚できて感謝されるだろうしね。あなたたちも奈理子に何も言っちゃだめだよ?」
「ちょっと!」
フレイラがたしなめようとすると、サンディは片手をあげてそれをさえぎった。
「あなたたちだって自分の利益のために奈理子をだましただろう? わかってるよ。奈理子に友人を紹介するだけだったら、本当の女性を紹介すればよかったはずなのに、俺を紹介したのは、そういうことだよね?」
令嬢たちの顔を見渡す。
「代々の聖女は帰還しなければ国の重要人物と結婚した。そいつらには他に婚約者がいたのにね」
そこから令嬢たちの考えを読み取るのは難しくない。自分たちの婚約者をとられないために聖女に別の男をあてがう、だ。
サンディは理想的だった。
奈理子におびえられない見た目だけではなく、リディカと仲がよかったときの様子から、囲い込んで他の男を寄せつけないようにするであろうことも想像できた。
奈理子がサンディを異性として好きになったらそれはそれでいいし、ならなかったとしても、そのまま元の世界に帰るだけ。
カサリンがあきれたように言う。
「サンディ、いじめすぎると奈理子に嫌われちゃうわよ。そもそも、あなた、なんで手を出したの? 普通に結婚してって言えばよかったじゃない」
「いつまでたっても男だって気づかれないし、こっちから、男です、って言ったら、それこそ避けられるだろう? あまり時間もなかったし、帰還できないようにするにはこれしかなかったんだよ」
「にしたって」
「拒否はされなかったよ?」
令嬢たちの胸には、奈理子が固まっていただけではないか、という疑惑が生じた、が。
「それに、奈理子は俺を置いて帰還しようとしてたんだよ? 少しくらい仕返ししたっていいでしょ?」
そう言われると何も言えなかった。
久しぶりのお茶会。
今日は奈理子もサンディも抜きで令嬢たちだけだ。となると、話題はどうしてもそれになる。人払いは済ませた。
フレイラが宰相令息から聞き出したところ、ザックロード公爵家からは既に聖女との結婚許可の申請が出ており、それはあと王の裁可を待つだけだそうだ。身分的にも問題はないし、近々許可は下りるだろう。
奈理子はまだプロポーズされていない。それでもサンディとは途切れなく会っているらしいので、サンディが好きという気持ちに変わりはないのだろう。
それとも、押されるのに弱いからなのか、結婚してもらわないと高級娼婦という恐怖からなのか。
いや、好きだから、だろう。だって、男装のサンディと普通に寄り添っていると奈理子の侍女が言っていた。
そう、令嬢たちは奈理子の侍女の一人に、定期的に奈理子とサンディの様子を報告させている。サンディが奈理子に手を出したときについていた侍女だ。
あのとき、サンディの家の侍女はともかく、奈理子の侍女が男性と二人だけにしたのはおかしいということに令嬢たちはすぐに気がついた。
調べたところ、侍女はサンディに買収されていた。今はその侍女を令嬢たちが買収して使っている。
彼女を今後どうするかは決めていない。王宮の侍女だし、王太子妃になったら考えようとシゼリアは思っている。
令嬢たちと婚約者たちとの間は順調だ。
一時は婚約者たちからの関心が薄れたように思えたが、それも奈理子とサンディの結婚が明らかになると、また戻ってきた。
卒業まであと少しだ。令嬢たちも卒業後ほどなく結婚する予定で、今はそれぞれ結婚の準備に忙しい。今日だってずいぶん久しぶりに全員の予定が合ったのだ。
「サンディはいつプロポーズするのかしら?」
マルンナはお菓子をつまむ。
「結婚の許可が下りたらするんじゃない?」
フレイラはお代わりの紅茶をそそぐ。
「奈理子が少しやせちゃって」
リディカが心配そうだ。
「侍女の報告じゃ、サンディは奈理子にべったりらしいじゃないの。片時も放さないって」
カサリンがつまらなそうに言う。
「避妊してるかしら……」
シゼリアがつぶやいたが、誰も返事はしなかった。
しばらく沈黙が続く。
実際に妊娠しているかはともかく、奈理子の焦燥の理由のひとつは未婚の母になる恐怖かもしれない。子持ちの高級娼婦になる自分を想像していそうだ。
しかも、ろくでもないことにサンディはそんな奈理子の様子を楽しんでいる。
(鬼畜ね)
(鬼畜だわ)
(鬼畜よ)
(鬼畜!)
(鬼畜……)
仕方がない。奈理子はそういう相手に見初められたのだ。
令嬢たちはあえて奈理子とサンディの間には入らないようにしている。
リディカは同情的で手を貸そうとしたが、他の令嬢たちが反対した。
なんといってもゲーム補正が怖い。下手に介入するとどこかで話がずれて令嬢たちが奈理子の幸せを邪魔している、ということにもなりかねない。
サンディを奈理子に紹介しただけでも危ない橋を渡っているのだ。これ以上は手を出さないのが無難だ。
「ねえ、ヒロインとモブってくっつくと思う?」
マルンナは二個目のお菓子を口に運んだ。
「実際くっついたんだから、あるんでしょうね。」
フレイラは紅茶にミルクを入れた。
「まあ、そっか」
「マルンナ、あなた、何が言いたいの?」
「いや、サンディ、隠しキャラかなって。隠しキャラルート行ったことある人いる?」
誰もいなかった。
「隠しキャラ、そうかもしれない」シゼリアが考えながら言う。「『光の魔法の王国』は変なところで黒いゲームだし、隠しキャラが女装でも不思議じゃない」
「確かに」と言うカサリンは自分の弾劾後を思い出していた。そして、第二王子は隠しキャラじゃなかったのかしら、とも思った。
リディカが思い出していたのは、サンディと仲がよかったころのことだ。
「サンディ、すごくやさしいんだけど、なんかちょっと違うっていうか。言いづらいんだけど。あんなに意地悪だと思わなかったし」
ああ、とマルンナが相槌を打つ。
「愛が重いタイプだよね」
マルンナの中では別の表現も多々あったが、あえて控えた。別に言わなくても他の令嬢たちもわかっているだろうし。
令嬢たちはわかっていた。そして思う。自分たちの婚約者が普通でよかった、と。
格好よくてやさしくて、でも、普通に愛情深くて。
サンディを奈理子に紹介したのは令嬢たちだけれど、紹介しなかったとしても隠しキャラならヒロインと自然に会っていたかもしれない。
少なくとも、サンディは奈理子を愛してる。
自分の代わりにきれいなドレスを着てくれるから、っていうのもあるかもしれないけれど。
一抹の罪悪感を抱えて、令嬢たちはお茶会を続けた。