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一日目:紅茶色の姫君

 ティーセットを片付けていると、食堂のドアが控えめにノックされた。

 ドア越しに、晴人様を呼ぶ使用人の声がする。


「晴人様、八束(やつか)様がお見えになりました」

「あれ、思ったより早いな……。すぐに行くよ」

「かしこまりました」


 晴人様が椅子から立ち上がりながら告げると、ドアの前から足音が遠ざかっていく。


「じゃあ、出迎えようか」


 そう言ってドアに歩いていく晴人様の背へ、私はいつものように声をかける。


「それでは、私はお茶の準備をしておきます。応接間でよろしいでしょうか?」

「うん、それで頼むよ。――(ただし)も来ているだろうから、三人分ね」


 真白を伴って、晴人様はドアの向こうに消えた。

 来客を出迎えに行ったのだろう……一階の玄関まで。


 この屋敷で働き始めてもう二十年になるが、こういう時は毎回困ってしまう。

 旦那様は、限られた人間以外に、私へ下した命令を教えることを禁じているのだ。そして、それはご子息である晴人様においても同じ。

 だから、私のほうで適当に言い繕わなければならない。


 さて、今回は茶の準備で切り抜けた。

 早いところ目の前にある茶器を片付けて、新しい紅茶を()れなければ。



 ◇



「失礼いたします」


 私が応接間に到着したとき、晴人様たちは既に室内にいた。

 真白がドアの開閉をやってくれたので、両手でワゴンを押して入室する。


「遅くなってしまい申し訳ございません。お久しぶりです、八束様」


 これからお会いする雪様の好みが分からなかったので、紅茶とコーヒーの両方を準備していたら時間がかかってしまった。

 晴人様に遅れたことを詫び、続けて彼の向かいに座るスーツ姿の男性に挨拶をする。


 この方は八束(やつか)(ただし)様。

 八束建設の社長の御曹司(おんぞうし)で、雪様の兄上にあたる方だ。もちろん、この方も晴人様の従兄である。

 晴人様に比べて硬派というか、少し気難しいところのある方だが、普通に接していればご機嫌を損ねることはない。ちなみに真白はよく睨まれている。


「忠でいい、庄司。これからは雪もいることだし、紛らわしいだろう」

「かしこまりました、忠様。コーヒーと紅茶はどちらを?」

「コーヒーを。だが、その前に紹介しなくてはな」


 忠様はソファに腰掛けたまま、軽く上体を反らせた。

 すらりとした体の陰から、ベージュのワンピースを着た女性が顔を出す。


八束(やつか)(きよみ)です。お世話になるわね」


 少し甲高い、小さな鈴が鳴るような声がした。

 その女性の輝くようなお顔立ちに、一瞬だけ見惚れてしまう。


「――庄司、と申します」


 声が、少し裏返ったかもしれない。

 顔はおそらく大丈夫だ。

 思っていることが表情に出ない自分の性質に、今回ばかりは深く感謝する。


 ……この方が、雪様。これから私がお仕えする、お嬢様。

 今まで目にした全ての中で、最も美しい存在だと思った。


 きめ細かい肌は、名前の通り、清らかな新雪のように白い。

 その御髪(おぐし)には輝くような艶があり、毛先が緩く螺旋を描いている。ソファに座っているせいで正確な長さが読めないが、随分と長く伸ばしているようだ。

 髪や瞳は、紅茶の水面に似た柔らかいブラウン。染めている様子もないようだし、肌が白いことも考えると、先天的に色素が薄い体質なのだろう。


 背筋はぴんと伸びていて、視線は穏やかながらも真っ直ぐに、ただ前を見据えている。

 貴婦人と呼ぶにはまだ若いが、貴婦人の身につける大振りの宝石を思わせる、気高く華やかな雰囲気の女性だ。


 慣れきった身体だけが機械的に動き、忠様のコーヒーと、雪様が所望された紅茶を注いでいく。

 晴人様の前には、真白が勝手に注いだのだろう、ティーカップが既に置かれていた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 雪様の前に紅茶を置いて、逃げるように真白の隣に戻る。

 人の姿を見て、眩しい、と感じたのは初めてだ。


「……あ、美味しい」


 ティーカップに口をつけた雪様が、ぱっとお顔を輝かせた。その隣に腰掛ける忠様も、澄まし顔でコーヒーを啜って一言。


「相変わらず美味いな」

「ありがとうございます」


 お褒めくださったご兄妹に一礼する。


 コーヒーと紅茶を淹れるのは、私の数少ない特技の一つだ。

 幼少の頃からおじいさまに徹底的に仕込まれて、彼の味を継いだという自負もある。

 だから、お出しした飲み物を美味いと言われるのはとても嬉しい。


 コーヒーカップをソーサーに戻して、忠様はソファに背を預けた。


「それで晴人。雪の世話は誰に任せるつもりだ?」

「当面は庄司君にお願いしたよ。それなら忠も文句はないだろう?」


 晴人様の言葉に、忠様の視線がこちらを向く。私を見て、満足そうに頷いた。


「ああ、この上なく安心だ。歳も近いしな」


 この上なく、のところで忠様が真白を見たような気がしたが、一瞬のことなので気のせいかもしれない。

 晴人様に視線で促され、私は壁際から一歩進み出た。


「庄司夏生と申します。正式な使用人が決まるまでの間ではございますが、(わたくし)めが身の回りのお世話をさせていただきます」


 雪様に向けて、深く頭を下げる。


「ええ、改めてよろしくね。夏生、と呼んでも?」

「はい」


 雪様の問いかけに対して、気がついたら返事を返していた。言われたことの意味を理解したのも、返事をしたあとのことだ。

 自分の体が自分の外にある意志で動いているような気がして、内心で首を(かし)げた。



 ◇



 一時間ほど話して、忠様が「仕事があるから」と席を立った。

 どうやら雪様に付き添うためだけに、無理をしてスケジュールを空けたようだ。

 以前に真白が陰で「あれは絶対に妹狂い(シスコン)だ」などと失礼なことを言っていたが、あながち間違いでもなかったのかもしれない。……まあ、雪様の儚げなお姿を見れば、付き添いたくなる気持ちもよく分かるが。


「予定より長居しすぎてしまったな。見送りは要らん」


 忠様が腕時計を見ながらそう言うと、晴人様が苦笑する。


「はいはい。都築君、玄関まで送ってってあげて」

「要らんと言っているのに……」

「雪の荷物を部屋に運ぶついで(・・・)にね」


 ……憮然とした顔で応接間を出ていく忠様を、真白が慌てて追いかけていった。

 忠様は晴人様より二つほど年上だが、今回は晴人様の方が一枚上だったようだ。


 あとに取り残されたのは、私と晴人様と雪様の三人。雪様は晴人様と忠様のやり取りを見てくすくすと笑っている。


「じゃあ、僕も仕事に戻るよ。庄司君、あとはよろしくね」

「かしこまりました。雪様、お部屋へお連れいたします」

「ええ。着いたら早速だけど紅茶を淹れてくれる? 今度はアップルティーが飲みたいの」

「かしこまりました。すぐにお淹れいたします」


 私の差し出した手を取って、雪様がソファから立ち上がる。


 雪様の御髪はやはり長かった。ワンピースの裾と同じ、くるぶしの辺りまであるだろうか。

 窓から差す日差しに反射して、ひと筋ひと筋がきらきらと光る。


 幼い頃に老執事(おじいさま)が読んでくれた童話の、お姫様を思い出した。



 ◇



 雪様に紅茶をお淹れした後、感想を聞く前に真白が荷物を運び入れてきた。家具などの調度品は綾部家のほうで揃えてあったようで、運ばれてきたほとんどは服のようだ。

 勤めて日の浅い使用人、特に女性たちは、通りすがりにそれを目にして驚いた表情をする。

 私はずっとこの屋敷で働いてきたから、バスタブほどのケースを五つ六つ運び込まれた所で今更なんとも思わない。八束のお嬢様にしては、むしろ少ないのではないだろうか。


 どちらかといえば、数回に分けてとはいえ、一人でこの荷物を一階から二階へ運んでいく真白の体力に驚かされる。

 中高生のような言動をするくせに、肉体だけはちゃんと大人なのだ。

 ――私では、こうはいかないだろうな。

 制服の上からでも分かる細い腕を、恨めしい気持ちで見下ろしてみる。ずっと二階に引きこもっているせいで、私は万年運動不足ぎみだ。腕力もない。


 ちょうど執事が雪様に挨拶しに来たので、運び込まれた服をクローゼットに収めるために、女性の使用人を数人寄こしてくれるように頼んだ。

 私がやるとその間は雪様を放っておく事になってしまうし、いかんせん量が多すぎる。


 ティーセットを片付けていると、廊下で電話が鳴るのが聞こえた。

 八束のご実家からの電話だったようで、使用人に呼ばれるまま、雪様は廊下へ出て行ってしまう。

 この屋敷の調度品は、旦那様の趣味でアンティークが多い。廊下の電話もその一つだが、この季節の廊下はなかなか冷える。晴人様の部屋のように、コードレス・タイプの新しい機種を入れたほうがいいだろうか。


 雪様の電話が終わるまで部屋に控えていると、女性の使用人が三人、開け放したドアから顔を覗かせた。執事が手配した使用人たちだろう。


「庄司さん、加藤さんに言われて来たんだけれど」

「はい。雪様のお荷物を整理するのに、人手が欲しかったのです。下着と冬服を優先して、クローゼットに移して下さい」


 私の指示に従って、彼女たちはてきぱきと雪様の服を片付けていった。

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