表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

三日目:使用人の不満

「それじゃあ都築君、後はよろしくね。一応仕事用の携帯を持っていくから、もし会社から電話があったら、そっちにかけ直すように言ってね。電波は大丈夫なはずだし」

「かしこまりました。仕事用の携帯、で先方に通じますか?」

「うん、大丈夫。それとお昼時は外していいよ、かかってこないと思うから」


 晴人様との話を終えると、真白が私の隣に立った。

 私が玄関ロビーまで見送れないので、それを不審に思われないように、階段(ここ)で見送る姿勢を見せたのだろう。こういうところは本当に気が回る。


 お二人についていく使用人は、晴人様が執事と相談して決めたそうだ。

 誰でも良いというわけではない。後に正式決定する(きよみ)様付きの使用人の選定も、恐らく絡んでいるだろう。

 少なくとも今回は、荷物を持って一緒に歩けるだけの腕力と体力、それから屋外ならではの気遣いを心得ていなければならない。


「じゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃいませ」

「お気をつけて」


 晴人様と雪様を階段で見送ってから、私は雪様の部屋にとって返した。真白は晴人様の執務室で電話番だ。


 部屋の清掃をして、観葉植物に水をやり、ベッドのシーツも取り替える。時間が余ったので、二階から下りない範囲で他の使用人の仕事も手伝った。

 やることがなくなって廊下に掛かった時計を見上げると、もうすぐ十一時半といったところ。昼食まで、あと一時間ほどだ。

 もっとも、私や真白のように誰かの世話役をしている場合、状況によって早まったり遅くなったりすることも珍しくないが。


 少し早いが、昼食の下ごしらえでも始めようか。

 使用人の食事に支給される食材は、それなりに質のいいものだ。きちんと手を掛けて料理すれば、十分に美味いものができる。


 何を作ろうかとメニューを思い浮かべると、ぐうと腹が鳴いた。

 そういえば、今朝は朝食をほとんど食べていなかったのだったか。

 昼や夜を抜いたことはあるが、朝食を抜いたのは初めてだ。なるほど、これは結構つらい。雪様の前で鳴らなくてよかった。


 やはり早めに昼食にしようと思って、簡易キッチンへ向かう。

 時間があるので、少し手の込んだものでも作ろうか。


 十一時四十分を過ぎた頃、真白が入ってきた。

 晴人様の執務室で電話番じゃなかったのか。


「まだ早くないか?」


 いつもの真白は、もう十分ほど遅く来る。忙しければもっと後だ。

 私は先に食べ始めてしまうが、彼は遅れてきた分食事の時間が短くなって、ほとんど味わう暇もなく昼食を済ませることも多い。


「あとは午後に回します、って会社(むこう)の人が言ってた。かかってくるとしても午後イチだろ」

「ああ、なるほど」


 真白の返事に納得して、溶き卵をフライパンに流し入れた。溶けたバターと混ざりながら、黄色がふつふつと泡を立てて固まっていく。


「今日は何だ?」

「オムライス」


 フライパンに皿をかぶせて、ひと息にひっくり返す。何が(まず)かったのか、卵の膜が少し破れてしまった。これは私の分にしよう。

 薄焼き卵の中央にチキンライスを多めに盛りつけ、先程と同じ手順をもう一度。今度は成功したので、これは真白の分だ。


「よし、できた。冷蔵庫でカフェオレ冷やしておいたから、出してくれるか」

「あいよ。……あ、これか」


 時計を見れば、分針が四十五分を指している。まあ、丁度いい時間だろう。

 お互いに少し早い、昼食の時間だ。


「――お前さ、もうちょい俺を頼ってもいいんじゃないか?」


 薄焼き卵を崩していると、いきなり真白がそんなことを言い出した。

 朝と同じ、低めの声だ。どうやら不機嫌が再発したらしい。


「今日はやけに機嫌が悪いな」

「お前、朝食抜きだったろ。雪様が来たせいで」

「そういう言い方をするな」


 真白の言い草にむっとして、思わず強い口調で言い返してしまう。


 薄々感じていたが、この相棒は雪様があまり好きではないようだ。

 私からすれば信じられないことだが、真白と私は色々と違いすぎるから、好き嫌いも異なるのかもしれない。私は魚卵が苦手だが、真白は美味そうに食べるし。


「お二人の朝食のとき、俺に任せて飯食ってきても良かったんだ。急げば食後の茶には間に合うだろうし……」


 ……ああ、なるほど。

 そこでようやく、「俺を頼れ」という言葉の意味を察することができた。結局のところ、彼は私が朝食を抜いてしまったのを気にしていたのだろう。どうも、私は(にぶ)くていけない。


「今でも十分助かってるさ。一階の仕事、肩代わりしてくれているだろう?」

「その分、二階の仕事は引き受けてくれるだろ……」


 ふてくされた顔で反論してくる真白があまりに子供っぽく見えて、思わず吹き出してしまった。笑われた真白が、更にむくれる。


「そろそろ食べないと冷めるぞ」


 これ以上彼の機嫌を損ねないように、私は言った。笑いながらではあったが。



 ◇



 晴人様と雪様は、空が茜色に染まる時刻になって屋敷へ戻ってきた。

 雪様から受け取った濃紺のコートが、ひんやりと腕の熱を奪っていく。これで本当に雪様は寒くなかったのだろうか。私が一緒に選んだものなので、少し申し訳ない。


 部屋に戻る途中、雪様が「すっかり冷えてしまったから、熱い紅茶が飲みたいわ」と(おっしゃ)った。やはり、朝の十時から夕方まであちこち散策するのは疲れたようだ。

 楽なワンピース姿になった雪様に、ご所望の紅茶を淹れていると、部屋のドアが控えめにノックされた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 雪様の(いら)えにドアを開けたのは、見覚えのある女性の使用人。確か、今日の外出に付き添っていた者だ。片手に花瓶を抱えている。


「水仙を花瓶に()けましたので、お持ちしました」

「ああ、ありがとう。……夏生」

「はい」


 雪様に呼ばれて、私は女性から花瓶を受け取った。硝子の一輪挿しに、大振りの水仙がひとつ生けられている。

 花瓶を持ってきた女性は、一礼して部屋を去った。私は花瓶を雪様の前に置く。


「外で見つけられたのですか?」

「ええ、冬でも花はあるものね。(ひいらぎ)の花は初めて見たわ」


 雪様は愛おしそうに水仙を見つめている。早速、思い出に浸っているのだろうか。

 それを共有できないことを少し寂しく思いながら、雪様の脱いだ服を畳んで籠に入れた。わずかに香るのは、雪様の香水だろうか。


「晴人も一服してるかしら?」

「昼間に会社から電話があったようですから、その対応をされていると思います」

「あら……。じゃあ、夕食まで会うのはお預けね」


 残念、と軽く言った雪様がティーカップに口をつけたと同時、再びドアがノックされた。


「雪、少し早いけど夕食にしないかい?」


 ドアの前に立っていたのは晴人様だ。少し離れたところに、真白の姿もある。


「さすがにお腹が減ってしまってね」


 晴人様がそう言って苦笑する。

 壁に掛かった時計を見ると、六時三十二分。確かに早めだが、この時間なら準備はできているはずなので、問題はないだろう。


「もう。こっちはお仕事の邪魔をしないようにって、会いに行くのを諦めたのに……」


 雪様がくすくすと笑いながら、「そうね」と首を縦に振った。晴人様の差し出した手を取って、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 こうして見ると、童話の王子様とお姫様のようだ。

 そういえば、童話のお姫様は多少のバリエーションがあるが、王子様として出てくるのは、晴人様のような男ばかりだ。端整な顔に優しさを湛えた、すらりとした体躯の青年。


 やはりそういう男性の方が、女性受けは良いのだろうか。

 お二人の後ろを歩きながら、そんな下らないことを考えた。




「……そろそろ、君の正式な世話役を決めようかと思ってるんだ」


 夕食を半分ほど食べ進めたところで、晴人様が不意にそう言った。

 言葉を脳が理解すると同時、きゅうと心臓の辺りが苦しくなる。覚悟していたから、顔に出ることはなかったはずだ。


 真白がちらりとこちらを見るのに気付いたが、視線は向けない。

 向けたらどんな顔をしてしまうか、自分でも分からなかった。


「正式に、って。このまま夏生では駄目なの?」


 雪様が眉をひそめるのに、晴人様は彼女から視線を逸らす。何か、後ろめたいことでもあるように。


「ああ、うん……。庄司君はちょっと、都合が悪い。こちらで候補をリストアップしておいたから、そこから選んでくれ」


 雪様は晴人様の様子を不思議に思っているようだが、敢えて何も言わないようだった。


「まあ、晴人がそう言うなら仕方がないわね」


 その言葉が今更ながらに、刃物のような事実を突きつけてくる。


 雪様にとって、私の存在など。

 晴人様への信頼には到底及ばない――。


「ところで候補って、どういう決め方をしたの?」

「一定以上の経験と、それから君の世話に集中できる立場ってとこかな。具体的に言うと、三年以上この屋敷で仕事をしていて、父さんや僕についていたり、どこかの管理を任されたりしていないこと」

「ああ、夏生は晴人付きだから駄目なのね?」

「……まあ、そういうこと。ごめんね、庄司君を取っちゃって」


 晴人様が苦笑した。その表情が、どこか不自然に見える。


「書類を回しておくから、ある程度絞っておいてくれ。明日の昼には決めたい」

「分かったわ」


 晴人様が食事を再開する際、その視線が私を(かす)めたような気がした。

 今朝から、どうも晴人様の様子がおかしい。真白は何か知っているだろうか。



 ◇



 夕食後、真白が書類の束を片手に雪様の部屋までやってきた。

 晴人様が言っていた、雪様付きの使用人候補に関するものだろう。


 書類は履歴書のような体裁をしていた。氏名と年齢、職歴、備考欄には趣味や特技。添えられているカラーの顔写真が、雪様付きになれない私を嘲笑(あざわら)っている、ような錯覚。

 一瞬、書類を床にぶちまけたい衝動に駆られたが、おじいさまの教育と使用人としての矜持(きょうじ)が、行動に移すことを許さなかった。


 雪様と出会ってから、感情を持て余し気味だという自覚はある。

 雪様に見つめられたり話しかけられたりすると、脳のあたりが熱を持ち、顔の筋肉が緩んでしまう。

 そして、雪様のお心が自分以外に向いたと気付いたときの、息苦しさ。


 あまり良い感情(もの)ではない、とだけは分かる。

 雪様が美しいのは確かだが、これはきっと、私が持ってよいものではない。


「……夏生?」

「あ……」


 雪様に呼ばれて、はっと我に返る。考え事に没頭してしまったようだ。

 真白は既に部屋を去っていた。しまった、晴人様の様子について相談しようと思っていたのに……。


「申し訳ございません。少々、ぼんやりとしてしまいました」


 ひとまず真白のことは頭から追い出して、雪様の前に書類を並べる。腕を前へ動かすことすら、強く意識しなければかなわない。

 どうぞ、と言った声は、指先は、震えていないだろうか。


 雪様は書類を手に取ると、一枚一枚に目を通し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
匿名でコメントしたい方はこちら→ マシュマロ

他作品もよろしくお願いいたします!

【連載中】魔境の森と異邦人
魔境の森で主人公が拾ったのは、大怪我をした黒髪の子供。
それ以来、森の様子がどこかおかしくなって……?
異世界転移要素ありの、日常中心ハイファンタジーです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ