小牧・長久手の戦術4
大坂城大手門。
夜明け方、秀吉勢3万の兵は夜陰に紛れて出撃した。
兵はいずれも身軽な軽装であった。既に前日から兵達には大返しの如く駆けることが伝えられていた。
声は出さず、駆け抜け、脱落するものは置いていくことも伝えられていた。
兵達には緊張感が伝わっていた。
素早く動き出した兵は駆けに駆け始めた。
しかし行き先は、岐阜方面かと思って駆け出した兵は行き先が違っていることに気づいた。
「おい、こっちは紀州の方ではないか…」
「本当だ!南の方へ向かっているぞ!」
堺を通り過ぎ、熊野方面へと向かっていた。
兵達は疑問に思いながらも、駆けていた。
2日目には熊野灘を横目に見ながら、今度は方向を変えて伊勢方面へと向かっていた。
紀伊半島の外周を回っていたのだ。
3日目に志摩国に入った秀吉勢は水軍大将 九鬼嘉隆の出迎えを受けた。
「嘉隆殿、大儀である。
用意は出来ているか?」
「全ては仰せの通りに。」
「早速、兵達を。」
兵達は九鬼水軍の用意した何艘かの大安宅に分かれて乗せられた。
そこには、食糧、具足などが用意されていた。
そこで初めて行き先を告げられた。
「我らはこれより、岡崎を目指す。
岡崎城を取り囲むのだ。」
「我らはこれより、浜松を目指す。
浜松城を城攻め致す。」
遠州灘は荒海であったが、九鬼水軍はこの日の為に家康に気づかれないように何度も遠州灘を渡っていた。
秀吉の狙いは大返しと水軍による敵の本拠地への中入りであった。
その頃、楽田城の秀長の元には秀吉の水軍中入りの準備が整ったとの知らせが届いていた。
「良いか孫一郎。敵が中入りに気づいて引く時が攻め時ぞ。それまでは小競り合いを続けよ。」
小牧山城の家康の方は、ジリジリしていた。
「敵は小競り合いを続けるだけだ。
何かを待っているかのようだが、何を待っているかわからん。正信、どう見る。」
「吾にもこたびばかりはさっぱりわかりません。筑前守が出てくるのを待っているのでは。」
「やはりそう思うか?しばし様子見しかあるまいな。」
秀吉が東の戦さに弱いように家康は西の戦さ、すなわち秀吉の戦さがさっぱりわからないのであった。