奥州攻め3
常陸の佐竹が落ちたことで混乱していたのは、会津の蘆名であった。
蘆名は先々代 盛隆、先代 亀王丸の死で佐竹家より義重の子、義広が養子となり当主となったばかりで混乱していたところに佐竹家が滅んだことでますます混乱していた。
しかも、秀吉と手を結んだ伊達家が蘆名を混乱に乗じて侵攻を開始していた。
義広は急ぎ評定を開いた。
「南からは羽柴、北からは伊達、この状況を我が蘆名は如何に乗り切るか?」
義広は重臣達に問いかけたが、義広は所詮、佐竹から来た他所者という意識と急に訪れた危機に重臣達も良い思案など出せる状況ではなかった。
「もはや蘆名の命運もここまで、羽柴に下り、領国の安堵を願うべし」
「いやいや名門、蘆名の命運をかけ羽柴と戦うべし」
2つの意見に分かれて、評定はまとまりをかいた。
義広は、父、義重の実力を熟知していたので、その父があっさりと敗れた今、秀吉と戦うは不利とわかっていたが、重臣達をまとめるには、まだまだ日が浅かった為、それを言い出せなかった。
そんな時に重臣の一人が義広に意見を求めてきた。
「殿のご意見を伺いたい。」
義広は、思い切って、自分の意見を述べた。
案の定、重臣達は、賛同するものと反対するものに分かれた。
義広は、反対する重臣達に言った。
「ならば勝手に致せ。羽柴と戦うが良い!」
蘆名家は真っ二つに分かれた。
義広は秀吉に書状を送った。
義広からの書状が羽柴秀吉に届いた。
「官兵衛、蘆名家は真っ二つ別れたらしい。
当主の義広は降伏するらしいが、一部の家臣は我らと戦うそうだ。義広はそのもの達は、蘆名家とは関係ないと言うてきた。
如何にする。」
「では、降伏するものは許しましょう。
戦うものは徹底的に潰し、その後、蘆名の領国は削ってしまいましょう。」
「まあ、当主が家臣を抑えられないのだから、それが良いだろうな。」
秀吉と対峙したものは、元々まとまりに欠けていた為、秀吉の前にすぐに敗れた。
降伏した義広に対して、領国の仕置不届きなりと言うて、蘆名家は領国は削られ、その領国は伊達政宗に与えられた。




